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映画でめぐるドイツ
ゲーテから21世紀まで
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2015年7月
- 書店発売日
- 2015年7月20日
- 登録日
- 2015年6月30日
- 最終更新日
- 2021年9月7日
紹介
文芸映画に描かれる興隆する市民社会とファシズムの影。18世紀ゲーテの時代から21世紀の現代までをたどる。
目次
第1章 市民社会とその他者―ヘルツォークの映画『カスパー・ハウザーの謎』(松村朋彦)
第2章 21世紀のファウスト―ソクーロフ『ファウスト』について(児玉麻美)
第3章 戦いの意義を決めるのは誰か―クライスト『ミヒャエル・コールハース』における同一性の問題(須藤秀平)
第4章 アルプスという名の神―『ハイジ』映像化作品の宗教性について(川島隆)
第5章 メング通り四番地―トーマス・マン『ブデンブローク家の人々』における家(千田まや)
第6章 仏独関係、映画の起源と戦争―映画の前史ディオラマ、そして戦争を撮った三人のフランス映画の監督(阪口勝弘)
第7章 映画の中のシュタージ―『トンネル』から『東ベルリンから来た女』まで(永畑紗織)
第8章 ファシズムをいかに描くか―映画『ザ・ウェイヴ』をめぐる一考察(勝山紘子)
第9章 マインホフの女性運動とエンスリーンの暗号―映画『バーダー・マインホフ』に描かれなかった「伝説」(青地伯水)
前書きなど
『アルプスの少女ハイジ』に登場するおじいさんが、ハイジのおかげで村人と和解することを記憶している読者もおられるだろう。しかし、おじいさんが山中に暮すようになった不和の原因を覚えておられるだろうか。本書の『ハイジ』論文では、この作品はキリスト教の信仰がテーマであり、ハイジのおじいさん自身は聖書の放蕩息子の帰還をなぞっているという。彼の村落共同体への復帰という市民性の回復は、信仰の回復とともにおこる。
本書は、第一部「文芸映画のなかの市民社会」と第二部「ファシズムの影」からなる。『カスパー・ハウザーの謎』を取りあげた論文は、いわば第一部の基調をなす論文であり、その映画も第一部に通底するテーマを提示している。塔のなかで一六歳まで育てられ、一九世紀の市民社会に突如編入されてしまった少年カスパー・ハウザーは、言語を持たぬがゆえに異端児として扱われたり、詐欺師とみなされたりする。ところが言語を身につけて、市民社会に順応を試みたがために、彼は政争の犠牲として暗殺される。検死者は彼の脳に異常を発見し、これにより彼が市民社会からの落伍者であることは当然であると片付ける。ここに描かれているのは、興隆していく市民社会の持つ外部者を排除するシステムである。
『ファウスト』は、市民のなかでも卓越した能力を持つ科学者ファウストの物語である。この論文では、その無限の知への探求が市民社会の規範に触れるとき、いかなる代償を必要とするかという問題がさまざまなヴァリエーションのなかで扱われている。
『ミヒャエル・コールハース』は、主人公が不当不法に市民社会から排除され、私怨をつのらせて、暴力で社会に応酬する物語である。市民社会から脱落していくコールハースを、ここでは同一性というキーワードで論じる。
トーマス・マンの重要なテーマの一つは、周知のように市民性と芸術家気質の対立であるが、『ブデンブローク家の人々』の舞台となる家は、市民生活の充実振りを体現していた。しかし市民性の内部に巣食った芸術家気質と市民社会そのものの没落により、屋敷も一旦は往時の姿を失う。繁栄の象徴物として保存されている建築物が、映画のなかでよみがえる。
第二部は四論文からなる。フランス映画を論じた論文では、映画の起源としてのディオラマが語られ、続いてドイツ・フランス関係において重要な二度の大戦から、三つの映画が中心に論じられる。それは貴族・紳士の戦争、市井の一個人の戦争、市民からレジスタンスとなった人々の戦争である。
DDR(東ドイツ)の秘密警察シュタージについての論文では、おもに四つの映画が取りあげられる。そのうちの三つの作品における重要なモティーフが盗聴である。盗聴により東ドイツ市民はプライベートに至るまですべてシュタージの監視下におかれていた。余談ではあるが、アメリカ政府の個人情報収集を告発した元CIA職員スノーデンのドキュメンタリー映画Citizenfour(二〇一四年)では、アメリカ合衆国の公権力が、携帯電話やカードの情報を用いて、個人がいつどこでなにを話し、どの電車に乗ったかまで知りえると語られる。かつてシュタージが行なった個人情報の収集は、技術革新とともにわれわれの社会にも忍び寄ってきている。
『ザ・ウェイヴ』は、高校の生徒たちに独裁を体験させた、アメリカでの実験授業の劇映画化である。この論文では、もともとの実験が独裁の状況下における人々の当事者性を問題視していたのに対し、このドイツでの映画化にあたっては、重点が独裁者側の心理的問題に置き換えられてしまっていることを指摘する。
『バーダー・マインホフ』は一九六七年の学生運動の副産物、ドイツ赤軍派についての映画である。赤軍派の伝説化と伝説がいかにつくられたか、その背景に女性解放運動があったことをも指摘する。
第二部に影を落としているのは、いうまでもなくナチスである。ナチスの全体主義国家は、市民的自由を完膚なきまでに否定した社会であった。そこから生まれたのが、ナチスへのレジスタンス、ナチスへの抵抗運動で「輝かしい」実績のある人々によって作られた国家DDR、ナチスを復活させないための独裁の実習、ナチス世代との対立から生まれた学生運動であった。
市民社会がかかえる危うさ、それにとってかわった全体主義社会が引き起こした悲惨な戦争、その後の混乱した社会、これらの記憶が風化しかかっている今だからこそ、われわれが映画を語り、多くの人々がこれらの作品を鑑賞することには意義があろう。
上記内容は本書刊行時のものです。