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紀水・松山常次郎
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2015年2月
- 書店発売日
- 2015年3月9日
- 登録日
- 2015年2月19日
- 最終更新日
- 2023年11月7日
紹介
松山常次郎(1884-1961年)は、日本の実業家、政治家、衆議院議員。土木工学の技術を学んだ後、朝鮮へ渡って大規模干拓工事を事業とする会社を興し、農地を増やすことで農業生産を大きく向上させた。1920年、衆議院議員に初当選し、1953年に落選・引退するまでの間、7回当選し、24年間を代議士として務め、廃娼運動・普通選挙運動・婦人参政権運動などにかかわった。キリスト教・プロテスタントの普及にも尽力した。本書は、松山常次郎の生涯を、資料の裏付けによって描き出す。
目次
第1章 九度山の麒麟児
1 九度山/2 生い立ち/3 五條中学/4 父・常治
第2章 青雲の志
5 京都/6 東京/7 農業土木/8 小崎弘道/9 徳富蘇峰/10 留学/ 11 ワデル・ハーリントン工務所/12 転機
第3章 土木技術者
13 兵役/14 朝鮮訪問/15 開墾地調査/16 測量/17 朝鮮へ/18 川佐農場/ 19 黄海社/20 斎藤音作/21 霊南坂教会隣接地購入/22 南海拓殖株式会社
第4章 少壮政治家
23 政界へ/24 朝鮮における参政権問題/25 公娼廃止問題/26 農政・治山治水/ 27 日高見農場/28 南洋伝道
第5章 太平洋戦争への道
29 帝国議会騒擾事件/30 海軍政務次官/31 大陸感懐/32 教会合同/33 遣米平和使節団/ 34 望の結婚/35 キリスト教弾圧
第6章 晩年
36 敗戦/37 美知子の結婚/38 仏教伝来/39 永眠
前書きなど
「あとがき」より
祖父・常次郎を中心とした松山家はとてもおおらかで開放的な家だった。代々木の大きな古い家に、祖父母、両親、叔父、二人の叔母、姉、妹二人、親戚の学生さんが一人か二人、時々お手伝いさん、そして私という大家族だった。おかげで母 静子が亡くなった後の子どもたちも、家族みんなに支えられて、あまり寂しい思いをしないで済んだ。
男尊女卑とか、権威伝統重視といった空気は全くなかったが、酒も煙草もない謹厳実直さは強くある家だった。しかし、真面目で何事にも真剣、禁欲的な祖父の横に、謡曲に親しみ子どもたちと家庭麻雀を楽しむ腹のすわった祖母がいたおかげで、多くの人が集まり、家の中に和やかさと潤いがあったのであろう。毎日曜日には、祖父が率先して孫たちを引率し、赤坂の霊南坂教会の教会学校へ通っていた。祖父は私が一四歳のときに永眠したが、孫たちが知っている祖父は現役を引退し静かな余生を送っている時期であったから、壮年時代の政治活動や事業については、何も知らなかった。社会人になってから、いろいろなところで、「あなたは常次郎さんのお孫さんですか、常次郎様には大変お世話になりました…」とか、「立派な方でしたねえ…」と聞くことがたびたびあった。
近年になって、大学で朝鮮近代史を研究されている方や、廃娼運動について調べておられる方、林業の研究者たちから、祖父についてお問い合わせを頂くことがあり、いろいろな資料を頂いた。そしてそれらの資料に祖父の足跡が残されていた。それらの資料・記録を見て、改めて祖父のことをほとんど知らないままにいたことを実感したので、分散し断片的に残っている常次郎の資料を整理再編してみようと思い立った次第である。
整理してみると、土木技術者、政治家、キリスト者としての足跡が少し見えてきたという感じはするが、まだまだ分からないことも多い。それとともに、祖父とクリスチャンたちとの交流をたどっていくと、日本にプロテスタントキリスト教が伝えられてからの明治、大正、昭和期に、クリスチャンとして生きた人たちの生身のさまざまな姿が垣間見えてきた。社会的に大きな役割を果たした人もいるし、名声や名誉とは無縁の道に生きた人、家庭人として静かに生きた人もいる。それぞれの人が、日本におけるプロテスタントキリスト教の歩みを271支えていたと感じた。教会、教派の歩みも平坦なものではなく、混迷と悔悟の道であり、今を生きる者として、多くの先達から学ぶべきことが多いと改めて思わされた。
上記内容は本書刊行時のものです。