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米寿を過ぎて長い旅 山折 哲雄(著/文) - 海風社
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米寿を過ぎて長い旅

発行:海風社
B6判
298ページ
並製
価格 1,800円+税
ISBN
978-4-87616-062-4
Cコード
C0095
一般 単行本 日本文学、評論、随筆、その他
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2020年6月18日
書店発売日
登録日
2020年5月20日
最終更新日
2020年5月25日
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紹介

「ひとりを楽しむ」「ひとりで生きる」「老いを味わう」ことにこだわり続け、「老後という長い時間をどう生きたらいいのか」という中高年の問いに答え続けてきた著者にとっては、米寿を過ぎても他者への興味は枯れることはない。
海外を訪れた時の驚きと興奮、国内の秘境に降り立った記憶、時事問題から、スポーツ、宗教、芸術、文学、歴史、人物、果ては人のみならず、動物へ植物へと、その思索と想像の翼は休むことなく羽ばたきを続ける。
そして、仏教をベースにした宗教家の顔が随所に現れる。生きるということ、老いるということ、死を迎えるということの意味を自らの生老病死に重ね合わせて、日本人の本質に迫っていく。自らの半生を振り返って自伝風とも言える「―序にかえて―『ひとり』のやぶにらみ」は味わい深く、また山折大原案の「くり童子」の可愛らしいイラストがほのぼのとした雰囲気を醸し出している。

目次

―序にかえて―「ひとり」のやぶにらみ 

第一章 時空を超え
 ヘルペスと人情話/天上の音楽/開眼、閉眼、半眼/ふたたび半眼について/幽体離 脱 奇跡の生還/骨噛み/お婆さんのお念仏/ロック嫌い/咸臨丸の後日談/伊藤比呂美という詩人の面白さ/二重国籍者/リニア新幹線/「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」 「東北沈没」/愛媛、久万高原の「投入堂」/「天女」と「森」の物語/羽生結弦とマイケル・ジャクソン/発想を転換するとき/パリの大聖堂と森 

第二章 「ひとり」の八方にらみ
 美空ひばり―叙情の旋律―/ひばり歌謡10選/三つの時間と無常/乾いた無常、湿った無常/「座の文化」を再考する/宴の松原/京都千年の歳事は京都一極集中/「善」と「悪」の勝負―日本人の宗教観―/師殺し、主殺し/『夕鶴』について/富士の山とスカイツリー/一と1/潮流体験と遍路の旅/啄木の歌碑/サルとヒト/神の死/「忖度」騒動を診察する/紫式部と夏目漱石の違い/恨の五百年/「象徴翁」の誕生/罪か赦しか 

第三章 目には花
 視力の衰えとともに/勝持寺の西行桜/草の化けた花/佐渡の落日/「美しい目」から「可愛い目」へ/一目妖怪/ガンジス川で散骨/マザー・テレサとの出会い/微 醺のバラ/主役を花に/タテ・ヨコ・タテの道徳観/天上の花園/鎮める香り、煽あおる香り 六角堂の夢/花降る海/父と花/いまを生きる聖ひじり/小さな星条旗/「はんなり」の奥行き/木の葉、舞う/まぼろしの花、まぼろしの人 

第四章 静かな覚悟
 「残心」と「無心」/佐久間艇長と漱石/広瀬中佐と漱石/大将の度量と副官の器/仇討ちの現実/北条時頼と「鉢の木」/支倉常長の船出/藤原道長の浄土/高浜虚子と柿二つ/アルツハイマー病の告白/ブッダ・フェースとオキナ・フェース 

―あとがきにかえて― 京都の空の下で逝く 

前書きなど

―序にかえて―「ひとり」のやぶにらみ

 「ひとり」を手にするには時間がかかる
 
  まだ二〇代
  仙台でうろうろしていた
  下宿住まいの貧乏学生
  ときどき 持病の喘息の発作がおきた
  喉をぜいぜいさせ 横臥していた

 やがて同人仲間がやってきて、せまい枕元で安酒の宴会をひらく。世間話、噂話、面罵・嘲笑・悪口のかぎりをつくし、口角沫を飛ばして酔い痴れ、またたくまに退散していった。

  ひとり つぶやいていた
  「幸せ になんか なるものか」
  ひとりへの墜落 ひとりへの郷愁

  三〇代
  結婚して 息子ができ 東京にいった
  職はきまらず 居場所も不定のまま
  非正規雇用の空間をさ迷い歩いていた

 鬱屈し、血が頭にのぼってくると、よく散歩に出た。下駄をはき、郊外のたんぼ道、人気のないところを選んで歩いていく。わけもなく咆哮し、ただ歩くだけ。胸のうちにあふれてくる噴気を吐き出し、歩きに歩く。
 ときに、雨が降ってきた。それでもペースを変えずに歩く。いつしか涙が頬を伝っている。鼻汁とまじり、雨滴と合流し、唇をぬらして、口の奥に入っていった。喉を降って、腹の底に落ちていった。
 陽がかげる頃、集合住宅1DKのわが家にもどる。風呂場で水をかぶり、あとは焼酎を飲
み続けて、寝床にひっくり返る。
 翌朝、脳髄から正体不明の毒気が抜けていた。ひとりを手にするには、時間がかかる。とにかく無駄な時間がかかる。だが、その至福の時間も、あっというまに去っていった。

  四〇代
  またとない 地獄の季節
  非常勤講師のはしご はしご はしご
  人 人 人と出会い
  ぶつかり 口論し 別れていた
  東京市内を ところかまわず かけずり廻っていた
  ただ打ちのめされて

 お前はひとりだ、ひとりだ、たったひとりだ、天の声がいつもきこえていた。天上天下唯我独尊と、いつも唱えていた。いつもつぶやいていた。毒気も噴気もまだ抜けてはいなかった。
 ロダンの「考える人」、広隆寺の「半跏思惟像」が、いつになっても頭から離れない。まさか、猿から進化しただけのものではないだろう。それどころか、ひとりでいることの、典型像のように思いこんでいた。
 彼はひとりで、いったい何を考えているのか。彼女はひとりで、いったい何をしようとしているのか。だが、東京は、そんな貧寒なひとりの問いには、何も答えてはくれなかった。答えてくれるはずもなかった。
 答えは、うずくまるようにひとりで自閉していると、突然にやってきた。「考える人」は、考えることをやめるときは、腰を上げ、立ちあがり、直立歩行に移るだろう。だが「半跏思惟像」は、考えることをやめるとき、ためらわずに腰を下ろし、大地に坐り、深く呼吸して憩うだろう。人類の発展、成熟も、考えてみれば、ひとり、からはじまっていた。

人に会いすぎない

  五〇代
  ひとりが群集の中に入っていく
  群集の「ひとり」になっていく
  群れの「一個」になって
  汚物のようにそこにはじき出されただけではない
  群れのひとりにただまぎれこんでいく
  ひとりの奴隷時代が いつまでも続いている
  組んずほぐれつ 地獄の季節が まだ続いていた
  それどころか まだまだ深化し続けていた
  この頃 東京を去って 京都にやってきた

 あるとき大きな集会で、老練の医師に出会う機会があった。その人物が言うには、「医者の三要件は、止める・ほめる・さすることだ」と。なるほど、そうかと思った。まず痛みを止める、患者をほめる、万策つきれば両の掌でさする。
 それで、考えた。この三要件は、人と人とのあいだにおいても、そのままあてはまるだろう。
医師ひとりの愛語は、患者ひとりの奴隷状態を解放する霊薬になるかもしれない、そう思った。ただ、三要件の実行は、言うは易く、行うに難し、ひとりの深淵をのぞき見、かいま見ただけのことだった。

  六〇代
  京都にい続けて長逗留
  ただ 気力体力が下り坂
  何を言っても言わなくても ひとり
  何をしてもしなくても ひとり
  それで逆転勝負に出た
  食べすぎない
  飲みすぎない
  人に会いすぎない

 飯やおかずを、とにかくよく噛んで、噛んで、噛んで食べる。最後は、どろどろになってカオスのごときものとなって、喉に流しこむ。十回、二十回のレベルではない。噛む回数を五十回、六十回の水準まで上げていく。何しろ歯が軒並み弱り、十五本ほど入れ歯さし歯になっている。だから時間もかかる。根気もいる。
 気がつけば、家人はどこかに去り、ひとり坐って、ただもぐもぐやっている。最後の嚥下の瞬間は、米と肉と魚と野菜の区別は微塵にくだけ、ただのドロドロジュース。これが晩めしになると、酒が入る。アルコール依存症で一日も欠かせない。噛んで、噛んでの合い間に、ちびりちびりのひとり酒が入る。食べすぎない、飲みすぎない、ひとり酒の三位み 一体で、ことがすすむ。

 だが、人に会いすぎれば、これはたちまち崩壊する。暴飲暴食の下地がたちまち顔を出す。
 このジレンマに耐え、その二律背反と遊びたわむれて、ひとりの深化がすすむ。玄妙なひとりの妄想舞台がはじまる。そこで、ひとさし舞うことができるかどうか、それが問題だ。

そのまま、ありのまま

  七〇– 八〇代
  気がつけば高齢社会
  死が 抜き足差し足で近づいている

  ひとりが暗転する季節 地獄の季節はすでに去り
  闇の穴が大きく口を開けて待っている
  「認知症」「認知症」の声が
  聞こえてくる
  食べすぎない
  飲みすぎない
  人に会いすぎない
  もうそれでは もたない
  ひとりの自己決定がぐらぐらしはじめている
  今こそ ひとりの危機の時代

 認知症では時間軸と空間軸が失われる、時間感覚と空間感覚が蒸発する、と専門家は言う。なるほど、徘徊とはそこからくるものか。その専門家に教えられたもう一つのこと、徘徊の人を介護する第一要件は、その状態を「そのまま」に受けとり、「ありのまま」に遇することだ、という。

  そのまま
  ありのまま

 とは驚き入った。青天の霹靂、だった。時間と空間を放り出し、自己決定力を捨てた人のひとりを介護するとは、予想もできない難題・難問であるに違いない。
 ひらめくものがあった。親鸞の「自然法爾」のコトバだった。九〇歳に近づいた親鸞の、最晩年のコトバだった。

  そのまま
  ありのまま
  念仏だけで
  ホトケさま

 それが「自然」のすすめであり、「法爾」のかたちであるという。
 けれども、本当にそんなことがあるのだろうか。そんな彼方の岸辺で愉しむことができるのだろうか。
 いよいよ、「ひとり」の試練のときがやってきた。気がつけば、われもまた九〇の大台に近づきつつある。そんなこんなで「自然」や「法爾」を手にすることができるのか。
  
グレーゾーンの徘徊を愉しむ

 さて、このところ、「めし」を食べるとすぐ眠くなる。たまらず、横になって昼寝する。昼寝三昧、である。
 夜、「めし」と「酒」をのどに流しこめば、あとは、さあ死ぬか、とおのれに掛け声かけて、寝床にもぐりこむ。
 だからだろう、早暁にはもう目覚めて、妄想のときを愉しんでいる。一時間か、二時間……。脈絡を欠く、劇的な空想断片が飛び出してくる。因果をこえる、ミステリアスなイメージ断片がかけめぐっている。
 寝床のなかの妄想三昧、この世とあの世をつなぐ、グレーゾーンの徘徊である。

  昼寝と妄想を引き連れた恍惚の人
  昼寝三昧と妄想三昧を愉しむひとりの人
  昼寝も「自然」のすがた
  妄想も「法爾」のかたち
  
  「認知症」よ
  とっとと 立ち去れ
  わしはただ「ひとり」で 呆ボーっと
  していたいだけなんじゃ

著者プロフィール

山折 哲雄  (ヤマオリ テツオ)  (著/文

宗教学者、評論家。1931 年、サンフランシスコ生まれ。
国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)。
著書に『愛欲の精神史』(小学館・和辻哲郎文化賞受賞)『日本仏教思想の源流』(講談社学術文庫)『法然と親鸞』(中央公論新社)『「身軽」の哲学』(新潮選書)など多数。

上記内容は本書刊行時のものです。