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国境27度線 原井 一郎(著/文) - 海風社
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国境27度線 (コッキョウニジュウナナドセン)

歴史・地理
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発行:海風社
B6判
256ページ
並製
価格 1,800円+税
ISBN
978-4-87616-061-7   COPY
ISBN 13
9784876160617   COPY
ISBN 10h
4-87616-061-9   COPY
ISBN 10
4876160619   COPY
出版者記号
87616   COPY
Cコード
C0321  
0:一般 3:全集・双書 21:日本歴史
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2019年11月20日
書店発売日
登録日
2019年10月15日
最終更新日
2019年10月29日
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書評掲載情報

2020-04-24 南海日日新聞
評者: 仲川文子
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紹介

戦後、奄美の日本復帰で生まれ、沖縄復帰で消えた「国境27度線」。
軋む一衣帯水の島々の対立、その背後のアメリカ軍の策動。語られなかった復帰運動史を再検証し、さらに経済学、民俗学からの視点も加えた野心作!
緻密な取材と丁寧な資料の読込から得られたエピソードの数々、復帰関連を含む貴重な写真81 点も掲載。奄美復帰から66年、沖縄復帰から47 年。その年月を経て、歴史の証言者たちがようやく重い口を開いた、まさに奄美・沖縄の復帰運動の真実をさらけ出した1冊といえる。
2018 年南海日日新聞長期連載(44 回) 一挙掲載!

目次

まえがき 

◉国境27度線【原井一郎】
第一章 白地に赤く
 手作りの「日本国旗」/ 切れ目ない統合装置に /軍国と平和世との峡間/脱皮と再生のリトマス紙/軍国批判なく米軍政下へ/沖縄のこころと日の丸/本土同化への怒りと反発 
第二章 赤と白のオセロ
 二つの冷戦と沖縄基地/北緯30度への線引き/「奄美返還」立役者の怯え/カメジローと奄美共産党/実質か完全復帰か/世論調査と台湾の反対/CICとはいったい誰か /米人類学者の置き土産 
第三章 青空と教室 
 教科書を消したのは誰か/ガリ刷り教科書の誕生/6・3制と教科書密輸/聖職者たちの嘆き節/「奄美大島復帰議会」分裂と教科書の行方/焼け跡と栄養失調 /暴力先生と/「日教組」/方言札とシマ・クゥトゥバ/教育者たちの戦争責任 
第四章 糾える禍福 
 苦界に沈む島娘/人身売買と主婦バイト/憎悪と敵対の渦/奄美人追放の石つぶて/ユースカー、怒りの報復/金門クラブと高等弁務官/「宝村天皇」の排斥/鹿児島側の復帰反応/「イモとハダシ」論/復帰闘争と社会運動 
第五章 政治の季節 
 英雄・泉芳朗の急逝/5億B円奪った米軍/「早すぎた復帰」論も/大島紬か公共土木か /生きない2兆4千億円/土建政治がもたらしたもの/消された加計呂麻架橋/アジアを視野に入れた沖縄/自立振興と自衛隊誘致/度線を平和のシンボルに 

◉〈国境線の政治〉をこえて– 琉球弧民衆の闘い【斉藤日出治】
帝国日本によるアジアの「潜入盗測」/「大東亜戦争」と海南島の住民虐殺/沖縄の住民虐殺 /<国境線の政治>を継承する戦後体制-奄美・沖縄民衆の苦悩/<国境線の政治>に抗する琉球弧民衆の自決権の闘い/<国境線の政治> を超える琉球弧民衆の胎動 

◉ 奄美をめぐって、大和人の不作法【酒井卯作】
はじめに/密航/憂鬱の奄美史/抵抗の輪/夜明けの奄美

あとがき/<国境線の政治>
とは? 

前書きなど

まえがき
 Ⅰ
 NHK「紅白歌合戦」が公開放送になった一九五三(昭和二八)年末、奄美群島が日本復帰し、島中に歓呼がこだました。その三月ほど経た翌春、筆者の一家は四国の生家から母の故郷の奄美大島へ、わずかな身の回り品を負い、島の邑都・名瀬の港に降り立った。まだ暦上は冬なのに、街を囲む山々は緑にむせ返り、トタン葺きの家並みが陽を浴びて白く輝いていた。初めて島に踏み入ったあの日の高揚感、新鮮さはいまもって忘れ難い。
 あの頃、名瀬の街にはまだ占領軍の残香があって、公共施設や飲食店街には横文字の看板がさがり、残務整理かの米兵のジープが走ると、子供たちは鈴なりになって追っかけた。ようやく戦後復興が緒に就いたものの、不運にも大火に見舞われ、火魔が街の三分の一を嘗め尽くし、復興の足取りを重くした。貧しい暮らしのなか、人々は味噌やコメを貸し合って日々を支え合っていたが、子供たちだけは元気で、蚊柱のように路地を駆け回った。したがって奄美の日本復帰とその後の歩みは、筆者の奄美での歳月と等身大だ。
 「奄美復帰」は喜びで語られることが多い。「奄美のガンジー」と称えられるリーダー・泉芳朗を先頭に、老若こぞり立ち、昼夜を分かたぬ激しい闘争は、世界に伝わり、鉄壁アメリカ軍をも妥協に追いやり、米軍統治から八年後に悲願成就に漕ぎ着けた。それは
世界史的にも価値ある民族運動として称賛され、繰り返し語られ続けている。確かに大国の支配をはね返した偉業は、誇るべき民族遺産だが、一方でその負の対価として、奄美復帰は沖縄・小笠原の同胞を置き去りにした「抜け駆け復帰」にもなり、長くその十字架を背負うことになった。そして奄美復帰によって沖縄島との間に国境27度線が設けられると、沖縄に留まらざるを得なかった奄美人たちは公職を追われ、差別と迫害に生きざるを得なかった。激しく波立ち軋む国境。歴史文化を同じくし、固い精神的紐帯で結ばれてきたはずの南島民が、突然憎しみ合うようになった真の理由は何か。長い煩悶が筆者に巣くい、ようやく最近、それが沖縄に極東最大の基地を展開し「反共の砦」にしたいアメリカ軍の野望と自負を傷つけ、世界中に悪宣伝した奄美の復帰運動に対するしっぺ返しであるとの確信を得た。その間の事情をまとめたのが二〇一八年から奄美の日刊紙・南海日日新聞に長期連載した「27度上の不連続線 ―『日本復帰』問い残したもの」である。ありがたいことだが連載終了後、海風社からお声がかかり、南島叢書第98巻として全文掲載し出版されることになり、ようやく付き纏ってきた復帰運動史の自問、課題から解放されることになった。この間の関係諸氏のご助言、ご指導に深謝したい。
 Ⅱ
 忘れてはならないことだが、戦後日本は沖縄・奄美の同胞を切り捨て、国際社会に復
し、奇跡の経済成長を遂げた。かたや、米軍政下に置かれ、本土と隔離された琉球弧の島々では、戦後復興の槌音なく、経済が破綻し、基地の低賃金労働や売春、密航船、ヤ
ミ貿易にすがって生き抜く、凄絶な格闘を強いられた。
 そうしたたった五、六十年ほど前の出来事は、世の中の気忙しさにかき消され、ひどく黴臭く、記録からも記憶からも遠のくばかりだ。だが、新もの好きの風潮下でも旧聞に執着し、歴史を再検証しようとする志があるのは、単に人間が古いせいだけではない。社会がいかに変わろうが忘れてならないことがあると考えるせいだ。
 長崎生まれの酒井卯作は復員後、民俗学の泰斗・柳田国男が研究拠点とした東京・成城の民俗学研究所入りし、沖縄・奄美を担当した。まだ奄美群島が沖縄とともに国外に置かれ、惨憺たる暮らしを強いられた様子を、国境を接するトカラ列島の南端・宝島に渡って観察。以降、この調査がもとで、足繁く奄美や沖縄島、先島に通い続け、古習をまとった南島の生活文化を考察、なおその生涯を賭した研究活動は継続中だ。その軽妙洒脱な人柄の酒井が珍しく「奄美の歴史をたどっていけば、そこに明るい笑顔を見出すのは難しい」と重い吐息、慨嘆を本書に寄せている。それだけ愛する南島を艱難辛苦が繰り返し襲い、止めのように米軍基地の専横がいまなお続くことへの静かな怒りが感受される。
 斉藤日出治は長く大阪産業大学教授の職にあった経済学者だが、日本が中国大陸南端の島・海南島を占領した時期に日本政府・日本軍がおこなった島民虐殺をはじめとする多くの国家犯罪を究明する民衆運動に参加し、何度も現地に足を運んで島民から聞き取りを重ねてきた。その明晰さと緻密な論考によって、海南島の住民虐殺が、単にそれに終わらぬ、沖縄での「集団自決」に繋がっていく日本軍の愚行を幾多の論文で後世に訴え続けている。筆者はひそかに斉藤の「地域住民の生活を根こそぎにする思考と行為こそ植民地主義に他ならない」(『アジアの植民地支配と戦後日本の歴史認識』)との至言を自室に掲額しているが、その論考はさらに深化し、いままた戦前の内地と外地の関係が再構築され、一例として政府と電力会社が東北の原発立地地域を扱う態度に、国内植民地主義を鋭く嗅ぎ取っている。そして本書においては沖縄、奄美に及ぼした国家の恣意による国境線の政治、その暴力に言及し、琉球弧の民衆の闘いを高く評価、国境線の政治に代わる「社会空間と社会時間の息吹に目を向けるべき時」との展望をも示している。
 Ⅲ
 国境なき自由な世界への到達は、H・G・ウェルズがその著『来たるべき世界の物語』
(一九六一年)でも語って見せたが、しかし理想はこのところ遠のくばかりだ。国富の流
出を極端に嫌う、自国第一主義のトランプ政権は、メキシコ国境に前例のない壁を築いて隣国民を寄せ付けない。かつてベルリンの壁を壊したヨーロッパの民主化の波もまた、北アフリカ難民が押し寄せたことで寛容性を失い、排外主義が台頭している。朝鮮半島における民族分断はなお展望が見えず、香港をめぐる一国二制度の軋みもまた、かつての分断の傷跡から混乱が繰り返されている。自閉する時代潮流のなか、はたして私たちの地球号は国境の諍いを乗り越え、戦争のない平和な時代に到達できるのだろうか。現状ははなはだ心もとないが、そうした時代下だからこそ、かつての奄美と沖縄、沖縄と日本を分断し切り刻んだ、「国境27度線」を見つめなおすことは意義あることだと私たちは考える。
 沖縄はいまや年間一千万人もが足を運ぶ、国内最大の観光地だが、その沖縄に渡るにはパスポートを要し、現地ではドル紙幣が使用されていたことを知る者はもう多くはないだろう。観光客でごったがえす、那覇の国際通りやリゾート地を離れ、沖縄島を一路北上すると、やがて真っ青な海原を背に最北端の地・辺土岬に辿り着く。そこからは晴れた日には奄美群島の南端・与論島の島影が波間に霞む。この岬と島に敷かれた見えない北緯27度線こそ、沖縄を隔てた国境だった。「祖国復帰闘争碑」と刻まれた石碑が眺めているのは、沖縄復帰実現の歓喜とその後、毎年本土と沖縄側の代表が船で27度上から固く握手を交わす海上交流集会の思い出だろうか。碑は語らず、ただ佇むだけだが、ぜひ折あるならこの岬に立って、沖縄や奄美の人々の苦闘、平和への思いを汲み取ってほしい。
 それにしてもだ。戦後から二十七年の歳月の末に日本復帰し、すでにその歴史点からも四十七年が流れた沖縄からはたして「国境」は無くなったのだろうか。戦後、平和憲法を掲げて再出発した祖国・日本への復帰を夢見ての奔走だったはずが、米軍基地に翻弄され続け、いままたあの辺野古の美しい海を埋めて巨大な新基地建設が、沖縄県民の意思とは逆に進行中だ。国境はなお島民に棘となって刺さったままではないか。そうした苛立ちもあってか、龍谷大学教授・松島泰勝氏の琉球独立論が再び脚光を集めている。この新たな国境の思念は、強大な国家権力からの自衛、民族自決権を行使しようという、平和実現への新しい提起だ。
 国境 ―。苦悶し自閉する世界に小さな一石を投じようとする私たちの試み、『国境27
度線』が願わくば幅広く一読され、南島を顧みて、僅かなりと得るものがあれば幸甚の至りである。
    二〇一九年秋                     原井 一郎

版元から一言

著者(原井一郎)が「まえがき」で明かしているように、奄美が日本に復帰した翌年に奄美に移り住んだ著者自身の成長と、復帰後の奄美の変容とは等身大ということになる。
言い換えれば、復帰後の奄美を著者は生きたということになる。
長じて地元の新聞社勤務を経てジャーナリズムの世界に分け入った著者が満を持して書き上げたのが、本書のベースとなった2018年南海日日連載の「27度線上の不連続線―『日本復帰』が問い残したもの」である。
地元紙の記者時代の人脈と、奄美での暮らしの中で取材対象との信頼関係を地道に築いてきた、そうでなければ、これだけのドラマチックなエピソードは書けない。
44話のエピソードと復帰関連の貴重な写真を含む81点の写真群で読者を飽きさせない構成をとり、学術的エビデンスの役割を経済学者(斉藤日出治)の論考と、民俗学者(酒井卯作)のエッセイにより、3名の共著とした。

著者プロフィール

原井 一郎  (ハライ イチロウ)  (著/文

1949 年、徳島県生まれ。奄美の日本復帰後、奄美大島・名瀬へ。地元日刊紙の南海日日、大島新聞記者・編集長。雑誌Lapiz ライター。ジャーナリスト。奄美市名瀬在住。
主な著書『奄美の四季』( 農文協 1988 年)、『苦い砂糖』( 高城書房 2005 年)、『欲望の砂糖史』( 森話社 2014 年) 他。

斉藤 日出治  (サイトウ ヒデハル)  (著/文

1945 年生まれ。社会経済学・現代資本主義論専攻。名古屋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。元・大阪産業大学経済学部教授、大阪労働学校・アソシエ学長。
主な著書『グローバル化を超える市民社会』(新泉社 2010 年)、『帝国を超えて-グローバル市民社会論序説』(大村書店 2005 年)、『空間批判と対抗社会』(現代企画室 2003
年)、『国家を越える市民社会』(現代企画室 1998 年)他。

酒井 卯作  (サカイ ウサク)  (著/文

1925 年、長崎県西彼杵郡西海町(現・西海市)生まれ。民俗学者。1950 年坪井洋文とともに民俗学研究所の研究員となり、柳田国男と出会う。南島研究会や稲作史研究会などの旅で、柳田のカバン持ちとして同行、薫陶を受ける。南島研究会主宰。
主な著書『稲の祭』( 岩崎書店 1958 年)、『琉球列島における死霊祭祀の構造』(第一書房1987 年 第28 回柳田賞受賞)、『琉球列島民俗語彙』編著(第一書房 2002 年)、『柳
田国男と琉球「海南小記」をよむ』(森話社 2010 年)他。

上記内容は本書刊行時のものです。