書店員向け情報 HELP
出版者情報
書店注文情報
在庫ステータス
取引情報
翰苑 2017.4 vol.7
- 出版社在庫情報
- 絶版
- 初版年月日
- 2017年4月
- 書店発売日
- 2017年4月13日
- 登録日
- 2017年3月23日
- 最終更新日
- 2021年5月18日
目次
【巻頭エッセイ】
労働と怠惰/綱澤満昭
竹久夢二の眼/綱澤満昭
アクティブ・ラーニングによる教員研修プログラムの開発 -近世身分学習の授業改善をねらいとして/和田幸司
女性の貧困の見えづらさ、語りづらさ/松島京
三木露風と山田耕筰の友情- 耕筰帰国、迎える露風と「未来社」/和田典子
外国につながりのある子どもの支援と課題- 学校教育における施策を通して/吉田晃高
阿呆のつぶやき/阿呆大愚
【連載】学校教育と人権②
人権教育とは何か/和田幸司
【本棚】
『THE ANIMALS 「どうぶつたち」』/和田典子
前書きなど
編集後記
近年、某企業の過労死問題を契機に働き方の見直しが改めて課題となっています。働き方を考える上では、経済学的概念の「労働」よりも私には「仕事(しごと)」という語がキーワードとして浮びます。手元の辞書によると「仕事」とは、「するべきこと」「生計を立てるために従事する勤め。職業」(『大辞林』)などとありますが、この語の淵源を経済的な動機からではなく、古代の「つかまつりごと」意識に求めてみたいと思います。
この点に関しては、実は丸山眞男氏の指摘が既にあります(「政事の構造-政治意識の執拗低音」『現代思想』一九九四年一月)。近代以降には「政治」と記す「まつりごと」は、前近代においては一般に「政事」と記されていました。本居宣長は『古事記伝』の中で、政事(まつりごと)は祭事(まつりごと)から来たと思うだろうが実はそうではなく、臣下たちが天皇の大命を受けて各自その職務に奉仕するという「奉仕事(ま つりごと)」にあるのだと解釈します。丸山はさらに一歩進めて「まつりごと」の原義は、何かモノを献上するという意味での「献上事」ではないかと述べています。モノが一段と抽象化され、「奉仕」を献上すると献上事が奉仕事になる、動詞で訓めば「つかへまつる」になるということです。
また、丸山は政事の図式として、天皇らの持つ正統性(Legitimacy)と、大臣以下の臣下による決定(Decision-making)の二つのレベルを設定します。要約すれば、正統性の所在と政策決定の所在とが截然と分離されているというのが、日本の政事の「執拗低音」だというのです。日本思想史を、「主旋律」としての外来の世界観や教義が、「執拗低音」(basso ostinato)によって「修正」される歴史だと喩えました。この二つのレベルの分離というのは、ヨーロッパを含む各地の絶対君主制とも、当時の日本がモデルとした中国の律令制とも異なります。なぜなら、中国にはなかった太政官という最高政策決定機関を天皇の下に設置したからです。また和語では、臣下たちは政事を「つかへまつる「まを(( 申し))したまう」と表現します。つまり、決定レベルに位置する大臣以下が構成する太政官が政事の主体になります。それに対して、正統性レベルにある天皇は、臣下「政事」を「きこしめす」「しろしめす」地位にあります。「聞く」とか「知る」という感覚的に外界から来るものを受け取るだけの受動的な性格を丸山はそこに見出します。
さらには、このような正統性レベルと決定レベルとの分離というパターンとともに、後の世の摂政関白や執権、側用人など、政事の正統性を持っている最高統治者の背後にいつも「後見(うしろみ)」がいる統治(実権の下降化・身内化)というパターンの再生産に、日本政治の執拗低音を見出そうとしています。病理現象としては無責任体制になりますが、専制体制の出現を抑えるという見方も出来ます。もちろんこれらの現象は、言葉の関係を通じて現れるイデオロギーレベルでの議論ではありますが、とても興味深い考察といえます。退位問題をめぐって天皇の「お言葉」を忖度する象徴天皇制の在り方を見ていると、ある意味、純粋な形で結実したようにも見えます。
さて古代では、必ずしも治者と被治者が対立・支配の関係で向き合うのではなくて、ともに「上」に向かって同方向的に奉仕する関係にあると、丸山は述べましたが、それと同様の議論が古代史の側でもなされておりました。吉村武彦氏によると、古代の人民や臣下は天皇に対して「つかへまつる(仕奉・奉事)」という関係があったといいます(『日本古代の社会と国家』岩波書店)。古代の君臣関係の研究を始めたばかりの二〇代の頃の私は、没主体的かつ無前提に人々が権力者に奉仕するという図式に我慢がならず、奈良時代の宣命を分析した結果、「仕奉(しぶ(しほう))」と記された用例はほとんどが、天皇が臣下に対して「仕へ奉れ」と命じていることを見つけました(「古代王権と仕奉」鈴木正幸編『王と公-天皇の日本史』柏書房)。喜んで仕(し)奉(ぶ)したんじゃなく命令されて渋々(しぶしぶ)したんやで、と冗談交じりに当時は得意げに語っていたものです。しかし、時代は遡りますが、大仙古墳が一五年以上にわたるのべ約七百万人もの労働力によって築かれたという大林組の試算もあるように、本当に専制的な暴力だけで大王の墓を長年にわたって造築させたり、人々を支配し続けることは可能なのだろうかという疑問への解答はまだ見いだせていません。
ところで私自身は団塊ジュニア世代ですが、エートスとしては高度経済成長期以降の「モーレツ社員」に近いのでしょうか、恥ずかしながらこれといった趣味もなく仕事が趣味のような日々を過ごしています。一体私は何に「つかへまつ」っているのかを自問しつつ、M・ウェーバーのいう「支配の正統性」の三類型(カリスマ・合法・伝統的支配)ではおさまりきらない、日本独自の奉仕を調達しうる根拠や、「つかへまつる」人々のエートス、人々が「主体的」に「奉仕」せざるを得ない社会状況の解明こそが、私自身の課題となっています。
今号も研究所の先生方には意欲的な御論考をお寄せいただきました。是非御味読ください。出版にあたっては、海風社作井文子氏のお世話になりました。タイトなスケジュールの中、刊行にご協力いただいたことに感謝いたします。また、協賛広告を頂戴した企業様にはこの誌面をお借りして厚くお礼申し上げます。最後となりましたが、学校法人弘徳学園にはこのたびも財政面で多大なる援助を賜りました。記して感謝申し上げます。(松下)
版元から一言
美人画で名を馳せた竹久夢二と社会主義者 荒畑寒村との交流は一般的にはあまり知られていない。論考「竹久夢二の眼」では大正12年9月1日に発生した関東大震災の直後の東京の惨状をスケッチして回った夢二が「都新聞」に絵と文を連載した「東京災難画信」に注目し、その連載のなかから8篇を取り上げ、世間で言われる夢二のイメージとはかけ離れた夢二の思想の核に迫っている。
論考「三木露風と山田耕筰の友情」では「はじめに」で同誌2・3・4号までのあらすじを置き導入とした。論考はは耕筰がベルリン留学からの帰国直前1913年9月25日の消印で斎藤佳三と連名で三木露風宛てに出された一葉の絵葉書をモチーフに、帰国に対する耕筰と斎藤佳三の心境や、露風との対面、露風主宰の未来社について考察している。
新たに本の紹介欄「本棚」が設けられ、本号では、まど・みちお(詩)、安野光雅(絵)、皇后美智子妃殿下が選と訳をされた絵本『THE ANIMALS「どうぶつたち」』を紹介している。
上記内容は本書刊行時のものです。