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宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2015年1月
- 書店発売日
- 2014年12月22日
- 登録日
- 2014年11月27日
- 最終更新日
- 2014年12月22日
紹介
本書は宮沢賢治作品の文芸評論ではない。
賢治のストイックな生きざまを通して、彼の作品の根底に流れる思想を読み解いた書であり、賢治の童話が現代人が近代化文明と引き換えに失ってしまった縄文の思想であることを分かりやすく教えている。
目次
まえがき
農への突入と悲哀
帰農の唄/農のなかへ/江渡狄嶺/橘孝三郎/小作人になることが理想/松田甚次郎/半谷清壽/東北における稲作/縄文/羅須地人協会/真壁仁/農本主義/「なめとこ山の熊」/「カイロ団長」/貧にして聖なる世界/肥料設計/品種改良/地主と小作/「和風は河谷いっぱいに吹く」/深沢七郎/ラブミー農場/中沢新一/贈与の精神/白樺派/菅谷規矩雄
山男への思い
柳田国男/縄文文化/瑞穂の国/強要された稲作による貧困/岡本太郎/狩猟と偶然性/二宮尊徳/天道と人道/呪術/祈り/他力への帰依/労働への過剰な愛情/ポール・ラファルグ/「山男の四月」/「おきなぐさ」/山男の幼児性/無垢と聖性/長老主義/「妖怪談義」/牛飼童子/網野善彦/鬼/農本的天皇制国家/鉄生産者/まつろわぬ者/遊び/多田道太郎/村井紀/平地人/「遠野物語」/吉本隆明/西田良子
東北・縄文・鬼
谷川健一/皆川美恵子/原初の人/自我の拡大と縮少/梅原猛/イヨマンテ/食物連鎖/仏教以前/縄文文化/狩猟採集の文化/「負」の文化/桓武天皇/アテルイ/坂上田村麻呂沢史生/「原体剣舞連」/悪路王/久慈力/二里の洞
家・父親・宗教
橋川文三/家と個人の関係/銀時計/「家長制度」/商業に対する嫌悪/農本主義的イデオロギー/禁欲/消極的抵抗/上京/宗教的攻撃/関德弥/田中智学/国柱会/「法華経」/社会開顕/実践主義/「天業民報」/「妙荘厳王本事品」/徴兵検査
童話について
上京/文信社/鈴木東民/童話/東北の風土/鈴木三重吉/大正期の児童文学/「赤い鳥」運動/「注文の多い料理店」/梅原猛/未分化の世界/原初の魂/ロシアのどっかに持ってゆけ/東北の風土的情念/危険な文学者/ヨーロッパ文明/贈与の精神/風刺の精神/教養/〝食べる〟側と〝食べられる〟側/「よだかの星」/「狂」の道/現世離脱
徴兵をめぐる問題
盛岡高等農林学校/関豊太郎/徴兵検査/長男/世間体/父への手紙/徴兵令/徴兵忌避/養子縁組/逃亡失踪/運命論的見解/戦争賛美/平和主義/E・フロム「自由からの逃走」/吉田満の「戦艦大和ノ最期」/戦争責任論/「烏の北斗七星」/諦観散華/保田与重郎/絶対平和論
あとがき
宮沢賢治 年譜
主要引用・参考文献
前書きなど
まえがき
いま、ここに宮沢賢治が存在していたら、私たちに彼はなにを語ってくれるであろうか。なにも語らないかもしれない。
この喧騒とウソと浅慮さに満ちた世の中に、はたして賢治はどんな顔をして立ち尽くすであろうか。この腐りきった現代の日本列島に住む人たちを、彼はいったいどんな眼で見るであろうか。どうにもならないと絶望するか、それとも、ほんのひとにぎりにすぎぬが、日本の将来を憂慮する人間と手を結ぼうとするか。
賢治の眼光は鋭く、真の贈与とはなにかを知っている。したがって、ごまかしの同情を極力嫌う。現実世界の農民との接触の中で、彼は心臓をぶち抜かれる思いでそのことを知った。
弱者や貧者に同情し、涙を流す人間は掃き捨てるほどいる。しかし、その気持が現実世界に生きる多くの弱者や貧者に、どのようにかかわり、どのような具体的救済策が提供できるかになると、その話は皆無にちかい。
真の贈与の問題が、それほど簡単なものではない。なまなかな同情は弱者、貧者を結果として苦しめることになる。
批判、反逆もしかたがないことと諦め、ながい年月にわたって、その悔しい思いを内へ内へと押し込みながら、生きぬいてきた人たちの熱い情念を誰がよく代弁し、その情念を結集し、闘いにまでもっていけるか。
「代弁者」、「同情者」というものは、どこまでいっても「代弁者」であり、「同情者」であって、本人ではない。
彼らの声がどんなに大きく、勇ましく、悲痛な叫びであっても、彼らと本人たちとの間には千里の径庭がある。その径庭のあることの自覚が欠落するとき、その「代弁者」らは、悪意はなくとも、取り返しのつかない罪を犯すことになる。
「農のなかへ」というスローガンを短絡的に考え、夢を見てきた「知識人」が、日本列島にどれほど多く存在したか。農民の側に立っていると錯覚していた彼らは、傲慢な態度で舞い上り、弱者、貧者をいよいよ窮地に追いやった。そういう自称農民愛好家は少くない。
青春期のいわば贅沢な煩悶解消の手段として、猫の額ほどの田畑を耕し、帰農の唄を高らかに唄った田園詩人も多くいた。
「農のなかへ」というトンネルは長く厳しい真暗なもので、それもいくつもの針がこちらを向いているのである。このトンネルを通り抜けた「知識人」はまずいない。
土地制度の矛盾を中心とした、うっとおしい雰囲気の中で、絶望的日常をおくっている人々の悲しみは、この「知識人」たちの耳に届くことはない。
この血の出るような絶望的日常性を見逃して、帰農の歌を唄い、農や自然を美化し、聖化してゆくことは、「知識人」たちの安眠をむさぼる態度でしかない。
美しい自然の形容に使う言葉として、「山紫水明」があるが、松永伍一の次の説明を心にとどめておくべきである。
「故郷は山紫水明の別称となった。深々と詠嘆に沈むこと――それは大衆の生活意識の中から毒気を抜き去ることだった。」(『ふるさと考』講談社、昭和五十年)
賢治も「代弁者」、「同情者」の域を出るものではなかったのか。彼は死の直前まで農民のために、あらんかぎりの力をふりしぼった。文字通り決死の覚悟であった。
それでも、賢治は農民から全面的に尊敬されたわけではない。時には農民たちは賢治に冷たい眼を向け、彼の死力を尽す努力を、金持の息子の遊びとまで酷評した。それでも賢治は耐えぬいた。
昭和八年、地元の秋祭りが終った次の日、九月二十日の、あの農民との交流などは、見るも無惨な賢治の姿ではなかったか。呼吸困難におちいり、床に臥していた賢治に、農民が相談に来た。賢治はやおら立ち上って、着替を済まし、階下に降り、板の間に正座して、農民の話を聞く。顔面蒼白、残る力をふりしぼった。次の日、九月二十一日かえらぬ人となった。
この精神を真の贈与といわずになんというか。
この農民への献身的努力とは別に、賢治には壮大なロマンがあった。それは山や縄文によせる思いであった。日本の「正史」に描かれることのなかった縄文の世界に彼は酔いしれることがあった。それは渾沌の世界であり、未分化、原初の世界であった。この世界に身を横たえて賢治は眠りたかったにちがいない。
農民にたいし、生命がけの支援を惜しまなかった賢治であるが、もっともっと深いところでは、田畑を耕し、食料となるものだけを人間の都合で改良し、自然を支配し、自分が主人公になる生き方に、彼は心の安らぎを感じることはなかったのである。
版元から一言
なぜ、賢治は農民の救済にのめり込んだのか?
なぜ、賢治は山男にあこがれたのか?
なぜ、賢治は縄文に魅かれるのか?
なぜ、賢治は父親と対立したのか?
なぜ、賢治は童話を書いたのか?
関連リンク
上記内容は本書刊行時のものです。