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コンドフカ ─日露の狭間を生きた一族の記録─
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2025年2月20日
- 書店発売日
- 2025年3月20日
- 登録日
- 2024年12月23日
- 最終更新日
- 2025年3月5日
紹介
日露の狭間で生きた一族四代にわたる物語。近藤繁司(しげし)は、近藤林業公司とホテル・ニューハルビンの経営によって満洲で最も名の知られた実業家だった。終戦後、ソ連軍の監視下におかれた繁司は、1948年ハルビンの街頭で姿を消し、行方不明のまま今日に至っている。本書は、その孫になる著者が、四代にわたってロシアと関わり続けた一族の歴史を豊富な資料と写真によって物語る。曽祖父は、日露戦争勃発時の居留民引揚げに活躍したウラジオストク居留民会の初代会長川邊虎(たけき)だった。繁司はこの虎に見込まれ女婿となり、これを後ろ楯として「商船組」(港湾・海運業)を起業し「シベリヤ出兵」特需で財を成した。しかし1922年ソビエト政権成立以降はソ連政府からウラジオストク退去を執拗に迫られ、ついに満洲国建国の1932年に繁司は追い出されるようにしてハルビンに拠点を移し、関東軍の要請により東清鉄道沿線の北満の広大な林区(四国の面積に匹敵)の伐採権をロシア人経営者より買取り「近藤林業公司」を創業した。「コンドフカ」(近藤村)はその林区の一つにある伐採地のことで、ここに働く白系ロシア人(革命を逃れて極東に流れてきたロシア人)たちは、繁司に対する尊敬と親しみからこの村をこう呼んだ。繁司の甥だった著者の父親高橋誠一は、繁司に後継者と期待され近藤林業に入社し、さらに繁司の長女でいとこにあたる清子と結婚するが、営業の最前線で責任者として関東軍との折衝に神経をすり減らし、1937年著者一歳の時に病没した。その同じ年、繁司はやはり関東軍の要請によりハルビンの超一等地に豪華ホテル「ホテル・ニューハルビン」を建設・開業し、繁盛させることになるが、ここでも繁司はロシア人を多く雇用した。繁司の起業は常に国策に沿ったものであったが、それにもかかわらず「商船組」も「近藤林業公司」も関東軍から理不尽な扱いを受け続けた。繁司は無実無根の「通匪、通ソ」(匪賊、ソ連との内通者)の疑惑までかけられ、家族たちもその噂に苦しんだ。一家が日本に帰国したのは戦後8年もたった1953年のことであったが、帰国後、著者もまたソ連、ロシアと関わる人生を歩み出す。
目次
第1章 日露相剋の狭間で (1888~1932)
■水戸士族 川邊虎、ウラジオへ行く
「浦潮斯徳居留民団」の初代会長に/敦賀蓬莱町の家/他
■虎に見出された快男児、近藤繁司
繁司と静子/繁司、独立して「商船組」設立/「商船組」、日本軍撤退で窮地に/ついに撤退/他
第2章 幻の「満洲帝国」 (1932~1945)
近藤林業公司の創立/各林区の様子/コンドフカ/両親の結婚/非国民の汚名/ホテル・ニューハルビン/母の再婚/他
■ハルビンでの生活
近藤邸の様子/祖父との貴重な思い出/関東軍の大移動/ソ連軍侵攻/他
第3章 敗戦から日本帰国まで (1945~1953)
■婦女子だけで残される
オルガン・コンドウ/北京街の家─不思議な待遇/日本人帰還は始まるが…/近藤の最後/引揚げ決定/舞鶴上陸、涙の再会/他
第4章 私の戦後 (1953~)
■ようやく始まった〝私の戦後〟
東京外国語大学入学/就職活動で初めて知った男女差別/モスクワ駐在員事務所/結婚/育児退職/ロシア語通訳協会/他
資料編
1929年、当局の家宅捜査による差押品の証書/近藤繁司が日本の外務大臣に宛てた書面/「商船組」存続問題に対する協議の内容/近藤林業公司沿革の概要/三江木材公司事業経過/『狭間を駆け抜ける近藤繁司』阿唐氏論文/父、高橋誠一の日記(1936/1938)/他
前書きなど
私の曽祖父川邊虎(たけき)は初代のウラジオストク日本人居留民団会長でした。曽祖父は、妻の縁戚にあたる青年近藤繁司の才気を見込んで、まだ16歳だった娘と結婚させました。その二人から生まれたのが私の母清子です。
一方私の父高橋誠一は、近藤繁司の甥にあたり母とはいとこ同士、ともにウラジオストク生まれで、繁司に期待された父は、大学を卒業するとハルビンの近藤林業公司に入社し、そして母と結婚しました。
このようにウラジオストクで蒔かれた種はハルビンで実を結び、私は1937年にハルビンで生を享け、三世代にわたるロシアとの関係は、私の代に繋がったことでさらに深まりました。この日本とロシアの狭間に生きた一族の歴史を、残された資料によって紐解いてみます。(まえがきより抜粋)
版元から一言
著者が本書を執筆した直接の動機は、祖父近藤繁司が「ハルビンで銃殺された」という通説に終止符を打つこと、加えて繁司にかけられた「通匪、通ソ」(匪賊やソ連と内通する者)の疑惑を晴らすことの二つにありました。著者は本書でこの生涯をかけた思いを十分に果しました。資料編には、本編の裏付けとなる一般では入手困難な資料を集めました。特に「父の日記」は、関東軍に支配される企業活動の日常が細部にわたって記録されており他に類のない貴重な史料となっています。
上記内容は本書刊行時のものです。