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小倉城と城下町 北九州市立自然史・歴史博物館(編) - 海鳥社
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詳細画像 0

小倉城と城下町

発行:海鳥社
B5判
232ページ
並製
価格 3,000円+税
ISBN
978-4-86656-076-2
Cコード
C0021
一般 単行本 日本歴史
出版社在庫情報
在庫あり
書店発売日
登録日
2020年5月9日
最終更新日
2020年6月9日
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紹介

「九州咽喉の地」に築かれた名城の全容
毛利元就に始まり、細川忠興、そして小笠原氏と時の統治者たちが築き上げた小倉城と城下町。全国でも珍しい「唐造り」の天守、広大な「惣構」を有する城郭は名城と讚えられた。幕末には自焼の憂き目に遭い、明治以降は軍用地となりながら、昭和三十四年に天守が再建。最新の調査・研究成果をもとに四五〇年の歴史を辿る。
[オールカラー]

目次

刊行のごあいさつ
本書の編集にあたって
小倉城とは何か 様々な「試練」を乗り越えて

第一部 小倉城の歴史
第一章 小倉城の位置と構造
第二章 戦国時代の小倉城 毛利勝信時代まで
第三章 江戸時代の小倉城Ⅰ 細川氏の時代
第四章 江戸時代の小倉城Ⅱ 小笠原氏の時代
第五章 近代の小倉城
第六章 現代の小倉城

第二部 城内の変遷
第一章 天 守
第二章 本丸・北ノ丸・松ノ丸
第三章 二ノ丸
第四章 新馬場・御花畠
第五章 三ノ丸
第六章 御下屋敷・御下台所ほか
第七章 堀・石垣・土塁・門・櫓

第三部 城下町の変遷
第一章 西曲輪
第二章 東曲輪
第三章 帯曲輪
第四章 近代・現代の城下町

第四部 城下町と交通
第一章 口・橋・道
第二章 船 溜

「小倉城と城下町」関連年表
資料解説
主要参考文献
編集体制・執筆者・協力機関

前書きなど

 小倉城は毛利元就が永禄十二(一五六九)年「小倉津に平城を構えた」ことに始まった。その後高橋氏・森(毛利)氏を経て、関ヶ原合戦後に細川氏が入り、当主である細川忠興が中津から小倉に拠点を移し、天守を築き、東西両曲輪と帯曲輪から成る広大な「惣構」を有する小倉城と城下町を築いた。忠興の後を継いだ細川忠利が小倉藩政の基礎を整えた。
 三代将軍徳川家光の時代に細川氏が熊本藩に移ると、初代将軍徳川家康の曾孫で譜代大名の小笠原忠真が小倉藩主となった。小笠原氏は譜代大名でありながら転封されず、また「小笠原騒動」と「白黒騒動」という二つの御家騒動(小倉城第一の試練)があったにもかかわらず、改易や減転封されることもなく、幕末に至るまで小倉藩を治めた。
 小倉城は「九州咽喉の地」に築かれ、周辺の外様大藩を譜代大名の小笠原氏が監視する「九州御目付」としての拠点となった「要城」であった。また層塔型の独自な天守と広大な惣構を有し、陸海を往来する人々からその威容を讚えられる「名城」として知られた。しかし天保八(一八三七)年に天守は焼失し(第二の試練)、再建されずに幕末に至った。
 幕末の長州征討戦争で、譜代大名の小倉藩は幕府軍の先鋒を務めたが戦況不振の中で孤立して、慶応二(一八六六)年八月一日に小倉城を自焼し、田川郡香春へと撤退した。これは「作戦」だったが、結果的には大混乱に陥った。この時に西曲輪の大半と東曲輪の武家屋敷の一部が焼失した(第三の試練)。小倉城下町と企救郡は長州藩や新政府(日田県)の預り支配を受けた。
 明治以降小倉城は「存城」=軍用地となり、軍隊が入り、軍事施設が立地して、軍都小倉・北九州の中心として原爆投下目標になった(第四の試練)。昭和二十(一九四五)年敗戦後は連合国軍に接収されたが、昭和三十四年までに返還され、その後は公園となり、様々な公的施設が立地して、小倉市さらに北九州市の中心地となった。また返還と同じ昭和三十四年には鉄筋コンクリート造りの復興天守が建設されたが、層塔型の天守に本来はなかった破風が付けられた(第五の試練)。
 この間、旧小倉城下町では鉄道や軌道が敷設、道路が開削され、海岸・河岸の埋め立ても進行した。近年は公的施設に加えて大型商業施設や高層住宅が建設されるなど開発の波にさらされてきた(第六の試練)。このように小倉城は様々な「試練」を受けてきたが、それらを乗り越え、大きな変貌を遂げて現在に至っている。
 小倉城は幕末に小倉藩が「敗けて焼いて逃げた」城というイメージが根強くあり、昭和戦後の復興天守は本来の姿とは異なると批判されるなど多分に評判が良いとはいえない。しかし前者については本来「作戦」だったし、譜代大名としてやむを得ない面があった。後者についても「戦後復興」や「高度成長」の時代における人々の期待の表現であった。海外からを含めて多くの来城者があるのも令和元(二〇一九)年に「還暦」を迎えた復興天守の存在があればこそに違いない。
 小倉城の「歴史資源」としての価値と魅力を向上させるためには、何よりも現在に至る「歴史」を知る(見直す)こと、また開発によって失われていった中でも現在に伝わる遺構や関連資料を大切に保存・活用していくことが肝要であろう。(本書「小倉城とは何かー様々な「試練」を乗り越えて」より)

上記内容は本書刊行時のものです。