書店員向け情報 HELP
書店注文情報
在庫ステータス
取引情報
ヘルベルト・ブロムシュテット自伝
音楽こそわが天命
原書: Mission Musik - Gaspräche mit Julia Spinola
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2018年10月31日
- 書店発売日
- 2018年10月22日
- 登録日
- 2018年9月14日
- 最終更新日
- 2019年2月28日
重版情報
3刷 | 出来予定日: 2023-10-10 |
2刷 | 出来予定日: 2021-08-20 |
MORE | |
LESS |
紹介
90歳を超えるいまなお、年間80回の演奏会を指揮。
当代最高の巨匠指揮者が、音楽と人生、そして信仰を語るはじめての自伝!
「私たちは完全無欠なものに到達することはできません。
しかしそれはつねに頭に浮かんでいるのです。
そして音楽は私たちを救ってくれます。
音楽は崇高なるものの予感を伝えるのです。」
──ヘルベルト・ブロムシュテット
マルケヴィッチ、バーンスタイン、ケージら20世紀の大音楽家たちとの交流、
バッハ、ベートーヴェン、ブルックナーらドイツ音楽の本流へのたゆまぬ献身、
ベルワルド、ステンハマルら祖国スウェーデンの作曲家への尽きせぬ愛情……
シュターツカペレ・ドレスデン、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、
サンフランシスコ交響楽団、NHK交響楽団などの要職を歴任し、
90歳を超えるいまなお、世界中を旅して年間約80回の演奏会を指揮する当代最高のマエストロが、
あたたかく飾りのないことばで、みずからの生涯・音楽・信仰を語りつくす。
目次
日本の読者のみなさんへ(ヘルベルト・ブロムシュテット)
まえがき
イントロダクション
第1章 「もっと賢い音楽をやりたかった」
ドレスデンでのインタヴュー
──シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者としての日々
第2章 「静寂のなかで音楽は根をおろしはじめる」
コペンハーゲンにおけるレオニー・ソニング音楽賞授与
──サンフランシスコ交響楽団の首席指揮者、ハンブルクでの間奏曲、
ゲヴァントハウスのカペルマイスター
第3章 「子どものころから、ちょっと変わっていた」
ヴェルムランドへのドライヴで
──幼年時代、家族、若いころの音楽的感動
第4章 「ユーモアたっぷり。それがいつも救ってくれた」
ライプツィヒでの週末に
──教育、青年時代の芸術的成長、はじめての契約
第5章 「作曲家は最初にして最後の権威である」
ブングストストルプ訪問のさいに
──作品の分析、解釈、オーケストラとのつきあい方
第6章 「つねにみずからを疑いつつ」
ゲヴァントハウス管弦楽団との演奏旅行にて
──芸術家の責任と使命
第7章 「本はともだち」
エーテボリ訪問
──「ヘルベルト・ブロムシュテット・コレクション」と
ヴィルヘルム・ステンハマル論
第8章 「真理を見つけたい」
ルツェルンでの会話
──バッハの比類ない偉大さ、ベートーヴェンにおけるメトロノーム
日本版監修者あとがき
訳者あとがき
年譜
栄職・顕彰
ディスコグラフィー
人名索引
口絵
前書きなど
まえがき
二〇一六年二月、私はベルリンで、ヘルベルト・ブロムシュテットがベルリン・フィルを指揮する演奏会を聴いたが、その演奏に魅了され、熱狂的な批評を書くことになった。
プログラムはアントニン・ドヴォルジャークの交響曲第七番と、もう一曲、それまで聴いたことのなかったスウェーデンの作曲家フランツ・ベルワルドの《サンフォニー・サンギュリエール(風変わりな交響曲)》だった。ベルワルドは、ローベルト・シューマンとフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディの同時代人だが、当時は正当に評価されていなかった作曲家である。私はヘルベルト・ブロムシュテットを、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター(首席指揮者)だった一九九八年から定期的に聴いており、彼の世代のもっとも重要な指揮者のひとりとして、またニュアンスに富んだ音楽表現の巨匠として高く評価していた。しかしそのベルリンでの演奏会は、色とりどりの花が咲き誇るようなドヴォルジャークの交響曲と、オーラを放つ稲光を見るかのような、唯一無二のベルヴァルトの音響世界によって特別な魔力を繰りひろげるもので、私に本書を編みたいという衝動をあたえてくれたのであった。
本書は私がヘルベルト・ブロムシュテットとさまざまな場所で交わしたかずかずの会話から生まれたものである。私は彼が仕事の拠点としているさまざまな場で、またきわめて多様な状況下で観察することができるように、半年にわたってこの多忙な指揮者のびっしりとつまった予定や旅程に都合をあわせた。こうして私は、ヘルベルト・ブロムシュテットの人生と、芸術家としてのキャリアにとって重要な意味をもつ場所へと旅することになったのである。
コペンハーゲンは、初期のノーシェピン交響楽団、オスロ管弦楽団に続いて、若い首席指揮者ブロムシュテットが世界的キャリアにいたる三番目の拠点であった。コペンハーゲンでは、一九六七年から七七年までデンマーク放送交響楽団を指揮していたのである。二〇一六年四月、彼はこの地でレオニー・ソニング音楽賞を受賞した。今回私は、オーケストラのリハーサルや演奏会で、さらにレオニー・ソニング音楽財団の若い奨学生のために、指揮のマスタークラスで指導する彼の姿を目のあたりにすることができた。
いまではザクセン・シュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン州立管弦楽団)とよばれるドレスデン・シュターツカペレの首席指揮者時代は、ヘルベルト・ブロムシュテットの芸術的発展のなかでもっとも重要な時期に数えられる。彼は一九七五年から八五年まで「公式」にこの任務をはたすことになるが、それに先立つ七〇年から、彼の言葉によると「秘密の」首席指揮者として活動していたのであった。二〇一六年五月、ザクセン・シュターツカペレ・ドレスデンはゼンパー歌劇場での演奏会のあと、彼を名誉指揮者に任命した。
その月の少し後、私はブロムシュテットを、ザクセン州のもうひとつの大都市で、彼の経歴において特筆すべき位置をしめるライプツィヒに訪ねた。この地で彼は、一九九八年に第一八代首席指揮者に就任していらい、二世紀半にわたる楽団の歴史に大きな影響をあたえたゲヴァントハウス管弦楽団と二回の公演をおこなった。二〇一六年の夏、ライプツィヒでの二つの公演のあと、ブロムシュテットはゲヴァントハウス管弦楽団とともに、ザルツブルク音楽祭、エディンバラ音楽祭、ロンドン・プロムス、ルツェルン音楽祭、ロッテルダムでの公演を含む演奏旅行をおこない、私も同行をゆるされた。そのさい私は、さまざまな演奏会場、指揮者の楽屋、飛行機やリムジンのなか、あるいはホテルのロビーでたっぷりと話を聞くことができただけでなく、ヘルベルト・ブロムシュテットの日常の仕事やゲヴァントハウス管弦楽団の音楽家たちとの交流を、心躍らせながら垣間見たのである。
本書の執筆中、私は彼を二回にわたってルツェルンの自宅に訪ねた。さらに夏休みには、スウェーデン西部の小都市ヌーラ近郊にあるブングストストルプに旅し、彼を訪ねた。ブロムシュテットの義母の家族が所有していた典型的なスウェーデンの木造家屋に、いまでは彼の末娘クリスティーナが住んでいる。ブロムシュテットの夏の書斎は、母屋のわきに湖をのぞんで建てられた小さな木造家屋のなかにある。ブングスストルプから私たちは、彼が幼少時に祖父母のもとで夏を過ごしたというヴェルムランドまで足をのばした。本書の各章は、これらの訪問と会話の様子をあらわしている。
ドレスデンとライプツィヒという二つの偉大な伝統的オーケストラと過ごした年月のあいだに、ヘルベルト・ブロムシュテットは、一九八五年から九五年まではサンフランシスコ管弦楽団、また九六年から九八年まではハンブルク北ドイツ放送交響楽団﹇現NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団﹈に拠点を移しながら、それぞれの首席指揮者を務めた。それだけでなく、一九七七年から八三年までは、ドレスデンでの任務のかたわら、ストックホルムでスウェーデン放送管弦楽団の指揮をしていた。われわれが本書に取り組んでいるあいだ、サンフランシスコ、ハンブルク、ストックホルムは、ブロムシュテットの旅程に入っていなかった。
ブロムシュテットは、二〇〇五年にゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者の地位を退いてから、フリーの指揮者として多忙に活動している。定期的に指揮している大オーケストラには、上記のほかにウィーン・フィルハーモニー、バンベルク交響楽団、東京のNHK交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、パリ管弦楽団,ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ボストン交響楽団、シカゴ交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、ロサンジェルス・フィルハーモニック、ベルリン・フィルハーモニーがあげられる。
本書に収められた会話のテーマはきわめて多様である。本書は、ひとつには二〇一七年七月一一日のヘルベルト・ブロムシュテット九〇歳の誕生日に向けて執筆され、彼のこれまでの人生とすでに六〇年を超えるその芸術的キャリア│それは一九五四年二月三日、ストックホルムでのデビュー・コンサートから始まった│のなかから、少なくとももっとも重要な部分を描こうとしたものである。それだけでなく、芸術および指揮という職人仕事や個々の作曲家について、さらには国際的な音楽興行のことが、しばしば話題となった。
第1章から第4章まではヘルベルト・ブロムシュテットの家族の背景と芸術的成長過程が中心である。ここで彼は、幼年時代にはストックホルムでトール・マンに、そしてザルツブルクでイーゴリ・マルケヴィッチに、タングルウッドではレナード・バーンスタインのもとで学んだ学生時代について、あるいはジョン・ケージといっしょにキノコ狩りをしたときのこと、北欧、ドレスデン、サンフランシスコ、ライプツィヒのオーケストラとの年月について語っている。
第5章でブロムシュテットは指揮者の仕事場への扉を開き、音楽作品を分析し伝える技術、そしてオーケストラの心理学の基礎にかんする洞察をみせている。
第6章では、彼は信仰深い音楽家として、宗教的・人間的確信と同時に分かちがたく結びついた芸術的エートスについて述べている。ヘルベルト・ブロムシュテットは、偉大な音楽作品に隠された豊かな財宝の使徒であることを自覚している。このような意味で、音楽は彼のミッション(使命・伝道)なのである。
第7章と第8章では、それぞれ異なったかたちをとって、ヘルベルト・ブロムシュテットの精神世界が具体的に姿を現す。ブロムシュテットの蔵書は三万冊の書籍と楽譜を擁ようし、その大部分がすでに「ヘルベルト・ブロムシュテット・コレクション」と称する完結したコレクションとして、エーテボリ大学に所蔵されている。このコレクションを見て歩きながら、ブロムシュテットは彼の宝物について語った。同じくエーテボリでは、一九〇七年から一五年間にわたり同地でエーテボリ交響楽団首席指揮者として活躍したスウェーデンの作曲家ヴィルヘルム・ステンハマルにたいする彼の新たな感動について話してくれた。本書を締めくくるのは、もっとも偉大な作曲家で、彼の精神的伴侶でもあるヨハン・ゼバスティアン・バッハとルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンをめぐる会話である。
ヘルベルト・ブロムシュテット氏には、尽きることのないエネルギーと忍耐と喜びをもって、長時間にわたり霊感ゆたかな会話にお付き合いいただき、みずからの人生を惜しみなく示してくださったことに、心から感謝申し上げたい。約五〇時間にわたるインタヴューの録音という豊かな源泉から、もっとも重要な会話を本書のために選んだ。ブングストストルプで心を開いて私を迎え、宿を提供してくださったヘルベルト・ブロムシュテットのご家族にもまた感謝申し上げる。ブロムシュテットのマネージャーである「ガスタイク芸術家マネジメント」のロタール・シャッケ氏とその協力者エーファ・オズワルト氏のご援助にも御礼申し上げたい。ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽祭ツアーのあいだ、示唆に富む会話をしてくださった同団総監督アンドレアス・シュルツ氏にも感謝申し上げる。ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽家各位にも、タイトな日程にもかかわらず、つねに親切でオープンに会話に応じてくださったことに感謝したい。「アッチェントゥス・レーベル」の支配人パウル・スマチュニー氏には、CDやDVDの寛大なご提供に御礼申し上げる。最後にヘンシェル出版社のズザンネ・ファン・フォルクセン氏、アニカ・バッハ氏、ユルゲン・アルネ・バッハ氏にも感謝を申し上げたい。
ユリア・スピノーラ
ベルリンにて、二〇一七年一月
上記内容は本書刊行時のものです。