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ヘルベルト・ブロムシュテット自伝 ヘルベルト・ブロムシュテット(著) - アルテスパブリッシング
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ヘルベルト・ブロムシュテット自伝 音楽こそわが天命
原書: Mission Musik - Gaspräche mit Julia Spinola

四六判
264ページ
上製
価格 2,500円+税
ISBN
978-4-86559-192-7
Cコード
C1073
教養 単行本 音楽・舞踊
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2018年10月31日
書店発売日
登録日
2018年9月14日
最終更新日
2019年2月28日
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紹介

90歳を超えるいまなお、年間80回の演奏会を指揮。
当代最高の巨匠指揮者が、音楽と人生、そして信仰を語るはじめての自伝!

「私たちは完全無欠なものに到達することはできません。
 しかしそれはつねに頭に浮かんでいるのです。
 そして音楽は私たちを救ってくれます。
 音楽は崇高なるものの予感を伝えるのです。」
 ──ヘルベルト・ブロムシュテット

マルケヴィッチ、バーンスタイン、ケージら20世紀の大音楽家たちとの交流、
バッハ、ベートーヴェン、ブルックナーらドイツ音楽の本流へのたゆまぬ献身、
ベルワルド、ステンハマルら祖国スウェーデンの作曲家への尽きせぬ愛情……

シュターツカペレ・ドレスデン、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、
サンフランシスコ交響楽団、NHK交響楽団などの要職を歴任し、
90歳を超えるいまなお、世界中を旅して年間約80回の演奏会を指揮する当代最高のマエストロが、
あたたかく飾りのないことばで、みずからの生涯・音楽・信仰を語りつくす。

目次

日本の読者のみなさんへ(ヘルベルト・ブロムシュテット)
まえがき

イントロダクション

第1章 「もっと賢い音楽をやりたかった」
ドレスデンでのインタヴュー
──シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者としての日々

第2章 「静寂のなかで音楽は根をおろしはじめる」
コペンハーゲンにおけるレオニー・ソニング音楽賞授与
──サンフランシスコ交響楽団の首席指揮者、ハンブルクでの間奏曲、
  ゲヴァントハウスのカペルマイスター

第3章 「子どものころから、ちょっと変わっていた」
ヴェルムランドへのドライヴで
──幼年時代、家族、若いころの音楽的感動

第4章 「ユーモアたっぷり。それがいつも救ってくれた」
ライプツィヒでの週末に
──教育、青年時代の芸術的成長、はじめての契約

第5章 「作曲家は最初にして最後の権威である」
ブングストストルプ訪問のさいに
──作品の分析、解釈、オーケストラとのつきあい方

第6章 「つねにみずからを疑いつつ」
ゲヴァントハウス管弦楽団との演奏旅行にて
──芸術家の責任と使命

第7章 「本はともだち」
エーテボリ訪問
──「ヘルベルト・ブロムシュテット・コレクション」と
  ヴィルヘルム・ステンハマル論

第8章 「真理を見つけたい」
ルツェルンでの会話
──バッハの比類ない偉大さ、ベートーヴェンにおけるメトロノーム

日本版監修者あとがき
訳者あとがき

年譜
栄職・顕彰
ディスコグラフィー
人名索引

口絵

前書きなど

まえがき

 二〇一六年二月、私はベルリンで、ヘルベルト・ブロムシュテットがベルリン・フィルを指揮する演奏会を聴いたが、その演奏に魅了され、熱狂的な批評を書くことになった。
 プログラムはアントニン・ドヴォルジャークの交響曲第七番と、もう一曲、それまで聴いたことのなかったスウェーデンの作曲家フランツ・ベルワルドの《サンフォニー・サンギュリエール(風変わりな交響曲)》だった。ベルワルドは、ローベルト・シューマンとフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディの同時代人だが、当時は正当に評価されていなかった作曲家である。私はヘルベルト・ブロムシュテットを、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター(首席指揮者)だった一九九八年から定期的に聴いており、彼の世代のもっとも重要な指揮者のひとりとして、またニュアンスに富んだ音楽表現の巨匠として高く評価していた。しかしそのベルリンでの演奏会は、色とりどりの花が咲き誇るようなドヴォルジャークの交響曲と、オーラを放つ稲光を見るかのような、唯一無二のベルヴァルトの音響世界によって特別な魔力を繰りひろげるもので、私に本書を編みたいという衝動をあたえてくれたのであった。
 本書は私がヘルベルト・ブロムシュテットとさまざまな場所で交わしたかずかずの会話から生まれたものである。私は彼が仕事の拠点としているさまざまな場で、またきわめて多様な状況下で観察することができるように、半年にわたってこの多忙な指揮者のびっしりとつまった予定や旅程に都合をあわせた。こうして私は、ヘルベルト・ブロムシュテットの人生と、芸術家としてのキャリアにとって重要な意味をもつ場所へと旅することになったのである。
 コペンハーゲンは、初期のノーシェピン交響楽団、オスロ管弦楽団に続いて、若い首席指揮者ブロムシュテットが世界的キャリアにいたる三番目の拠点であった。コペンハーゲンでは、一九六七年から七七年までデンマーク放送交響楽団を指揮していたのである。二〇一六年四月、彼はこの地でレオニー・ソニング音楽賞を受賞した。今回私は、オーケストラのリハーサルや演奏会で、さらにレオニー・ソニング音楽財団の若い奨学生のために、指揮のマスタークラスで指導する彼の姿を目のあたりにすることができた。
 いまではザクセン・シュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン州立管弦楽団)とよばれるドレスデン・シュターツカペレの首席指揮者時代は、ヘルベルト・ブロムシュテットの芸術的発展のなかでもっとも重要な時期に数えられる。彼は一九七五年から八五年まで「公式」にこの任務をはたすことになるが、それに先立つ七〇年から、彼の言葉によると「秘密の」首席指揮者として活動していたのであった。二〇一六年五月、ザクセン・シュターツカペレ・ドレスデンはゼンパー歌劇場での演奏会のあと、彼を名誉指揮者に任命した。
 その月の少し後、私はブロムシュテットを、ザクセン州のもうひとつの大都市で、彼の経歴において特筆すべき位置をしめるライプツィヒに訪ねた。この地で彼は、一九九八年に第一八代首席指揮者に就任していらい、二世紀半にわたる楽団の歴史に大きな影響をあたえたゲヴァントハウス管弦楽団と二回の公演をおこなった。二〇一六年の夏、ライプツィヒでの二つの公演のあと、ブロムシュテットはゲヴァントハウス管弦楽団とともに、ザルツブルク音楽祭、エディンバラ音楽祭、ロンドン・プロムス、ルツェルン音楽祭、ロッテルダムでの公演を含む演奏旅行をおこない、私も同行をゆるされた。そのさい私は、さまざまな演奏会場、指揮者の楽屋、飛行機やリムジンのなか、あるいはホテルのロビーでたっぷりと話を聞くことができただけでなく、ヘルベルト・ブロムシュテットの日常の仕事やゲヴァントハウス管弦楽団の音楽家たちとの交流を、心躍らせながら垣間見たのである。
 本書の執筆中、私は彼を二回にわたってルツェルンの自宅に訪ねた。さらに夏休みには、スウェーデン西部の小都市ヌーラ近郊にあるブングストストルプに旅し、彼を訪ねた。ブロムシュテットの義母の家族が所有していた典型的なスウェーデンの木造家屋に、いまでは彼の末娘クリスティーナが住んでいる。ブロムシュテットの夏の書斎は、母屋のわきに湖をのぞんで建てられた小さな木造家屋のなかにある。ブングスストルプから私たちは、彼が幼少時に祖父母のもとで夏を過ごしたというヴェルムランドまで足をのばした。本書の各章は、これらの訪問と会話の様子をあらわしている。
 ドレスデンとライプツィヒという二つの偉大な伝統的オーケストラと過ごした年月のあいだに、ヘルベルト・ブロムシュテットは、一九八五年から九五年まではサンフランシスコ管弦楽団、また九六年から九八年まではハンブルク北ドイツ放送交響楽団﹇現NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団﹈に拠点を移しながら、それぞれの首席指揮者を務めた。それだけでなく、一九七七年から八三年までは、ドレスデンでの任務のかたわら、ストックホルムでスウェーデン放送管弦楽団の指揮をしていた。われわれが本書に取り組んでいるあいだ、サンフランシスコ、ハンブルク、ストックホルムは、ブロムシュテットの旅程に入っていなかった。
 ブロムシュテットは、二〇〇五年にゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者の地位を退いてから、フリーの指揮者として多忙に活動している。定期的に指揮している大オーケストラには、上記のほかにウィーン・フィルハーモニー、バンベルク交響楽団、東京のNHK交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、パリ管弦楽団,ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ボストン交響楽団、シカゴ交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、ロサンジェルス・フィルハーモニック、ベルリン・フィルハーモニーがあげられる。
 本書に収められた会話のテーマはきわめて多様である。本書は、ひとつには二〇一七年七月一一日のヘルベルト・ブロムシュテット九〇歳の誕生日に向けて執筆され、彼のこれまでの人生とすでに六〇年を超えるその芸術的キャリア│それは一九五四年二月三日、ストックホルムでのデビュー・コンサートから始まった│のなかから、少なくとももっとも重要な部分を描こうとしたものである。それだけでなく、芸術および指揮という職人仕事や個々の作曲家について、さらには国際的な音楽興行のことが、しばしば話題となった。
 第1章から第4章まではヘルベルト・ブロムシュテットの家族の背景と芸術的成長過程が中心である。ここで彼は、幼年時代にはストックホルムでトール・マンに、そしてザルツブルクでイーゴリ・マルケヴィッチに、タングルウッドではレナード・バーンスタインのもとで学んだ学生時代について、あるいはジョン・ケージといっしょにキノコ狩りをしたときのこと、北欧、ドレスデン、サンフランシスコ、ライプツィヒのオーケストラとの年月について語っている。
 第5章でブロムシュテットは指揮者の仕事場への扉を開き、音楽作品を分析し伝える技術、そしてオーケストラの心理学の基礎にかんする洞察をみせている。
 第6章では、彼は信仰深い音楽家として、宗教的・人間的確信と同時に分かちがたく結びついた芸術的エートスについて述べている。ヘルベルト・ブロムシュテットは、偉大な音楽作品に隠された豊かな財宝の使徒であることを自覚している。このような意味で、音楽は彼のミッション(使命・伝道)なのである。
 第7章と第8章では、それぞれ異なったかたちをとって、ヘルベルト・ブロムシュテットの精神世界が具体的に姿を現す。ブロムシュテットの蔵書は三万冊の書籍と楽譜を擁ようし、その大部分がすでに「ヘルベルト・ブロムシュテット・コレクション」と称する完結したコレクションとして、エーテボリ大学に所蔵されている。このコレクションを見て歩きながら、ブロムシュテットは彼の宝物について語った。同じくエーテボリでは、一九〇七年から一五年間にわたり同地でエーテボリ交響楽団首席指揮者として活躍したスウェーデンの作曲家ヴィルヘルム・ステンハマルにたいする彼の新たな感動について話してくれた。本書を締めくくるのは、もっとも偉大な作曲家で、彼の精神的伴侶でもあるヨハン・ゼバスティアン・バッハとルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンをめぐる会話である。

 ヘルベルト・ブロムシュテット氏には、尽きることのないエネルギーと忍耐と喜びをもって、長時間にわたり霊感ゆたかな会話にお付き合いいただき、みずからの人生を惜しみなく示してくださったことに、心から感謝申し上げたい。約五〇時間にわたるインタヴューの録音という豊かな源泉から、もっとも重要な会話を本書のために選んだ。ブングストストルプで心を開いて私を迎え、宿を提供してくださったヘルベルト・ブロムシュテットのご家族にもまた感謝申し上げる。ブロムシュテットのマネージャーである「ガスタイク芸術家マネジメント」のロタール・シャッケ氏とその協力者エーファ・オズワルト氏のご援助にも御礼申し上げたい。ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽祭ツアーのあいだ、示唆に富む会話をしてくださった同団総監督アンドレアス・シュルツ氏にも感謝申し上げる。ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽家各位にも、タイトな日程にもかかわらず、つねに親切でオープンに会話に応じてくださったことに感謝したい。「アッチェントゥス・レーベル」の支配人パウル・スマチュニー氏には、CDやDVDの寛大なご提供に御礼申し上げる。最後にヘンシェル出版社のズザンネ・ファン・フォルクセン氏、アニカ・バッハ氏、ユルゲン・アルネ・バッハ氏にも感謝を申し上げたい。

ユリア・スピノーラ
ベルリンにて、二〇一七年一月

著者プロフィール

ヘルベルト・ブロムシュテット  (ヘルベルト ブロムシュテット)  (

1927年、スウェーデン人の両親のもとに米国マサチューセッツ州スプリングフィールドで生まれる。父は牧師、母はピアニスト。2歳でスウェーデンに戻るも、父の転勤によりフィンランド、スウェーデンの各地を転々とする。同級生よりも2年早く17歳で高校卒業試験に合格し、ストックホルム王立音楽院に進学。専攻は音楽教育、オルガン、合唱指揮であった。その後指揮をT.マンのクラスで学びつつ、奨学金を得てザルツブルクでI.マルケヴィッチの指揮クラスにも3度参加。さらにウプサラ大学で音楽学、心理学、宗教学を専攻。その後再度アメリカに渡り、L.バーンスタインの薫陶を受ける。スウェーデン中東部ノーシェピンの交響楽団を皮切りに、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、デンマーク放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者を歴任。コペンハーゲン時代にシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者を兼任し、その後サンフランシスコ交響楽団、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団(現NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で首席指揮者や音楽監督をつとめた。2005年以降はフリーの指揮者として世界最高峰のオーケストラのかずかずに客演。NHK交響楽団の桂冠名誉指揮者として毎年来日公演もおこなっている。

ユリア・スピノーラ  (ユリア スピノーラ)  (聞き手

ミュンヘン生まれの音楽学者、音楽ジャーナリスト。高校卒業後、演劇を3年間学んだあと、音楽学、言語学、哲学、社会学を専攻。2000-13年『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』紙の音楽編集者をつとめたのち、13年以降はフリーの音楽評論家として『南ドイツ新聞』『新チューリヒ新聞』、ドイチュラントフンク(ドイツ放送)を中心に活動している。著書に『現代の大指揮者(Die großen Dirigenten unserer Zeit)』(2005)、『マリス・ヤンソンス 無条件の響き(Mariss Jansons, Der Klang des Unbedingten)』(2007)などがある。

力武 京子  (リキタケ キョウコ)  (

大阪大学大学院言語文化研究科准教授。1957年神戸市生まれ(旧姓塩川)。東京外国語大学ドイツ語学科、同大学院ゲルマン系言語専攻でドイツ語・ドイツ文学を専攻。在学中マールブルク大学に留学し、ドイツ語学と音楽学を学んだ。専門は外国語教育、とくにIT技術を活用した外国語学習について。論文に「外国語学習のICT活用とアクティブラーニングの実現に向けて」「身近なICTツールによる協働協調学習とすきま学習の試み──iPadとスマートフォンを使用した2年生の授業の例」(以上大阪大学言語文化共同研究プロジェクト)など。翻訳にJ.ゼルケ『女たちは書く──ドイツ・オーストリア・スイス現代女性作家の素顔』(共訳、三修社、1991)、C.フローロス「アルバン・ベルクの室内協奏曲の秘められたプログラム──意味論的分析」(日本アルバン・ベルク協会編『ベルク年報(2)』所収、1988)などがある。

樋口 隆一  (ヒグチ リュウイチ)  (日本語版監修

1946年東京生まれ。音楽学者・指揮者。明治学院大学名誉教授。DAAD友の会会長。音楽三田会会長。慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒、同大学院博士課程在学中にドイツ学術交流会(DAAD)奨学生としてドイツ留学。テュービンゲン大学でG.フォン・ダーデルセン、U.ジーゲレに師事。1979年、バッハのカンタータにかんする研究(『新バッハ全集』Ⅰ/34)で同大学哲学博士。A.スムスキーに指揮法を師事し、シュトゥットガルト聖母マリア教会で合唱指揮者をつとめた。帰国後、音楽学者、指揮者、評論家として多彩な活動を展開。2000年、明治学院バッハ・アカデミーを設立し、芸術監督に就任。2006年、ライプツィヒ国際バッハ音楽祭に出演したほか、13年にはベルリン・コンツェルトハウスにて山田耕筰《秋の宴》、高田三郎《水のいのち》をドイツ初演。著書に『バッハの人生とカンタータ』『バッハ探究』『バッハから広がる世界』(以上春秋社)、『バッハ』(新潮文庫)、『バッハ カンタータ研究』(音楽之友社)、『バッハの風景』(小学館)ほか、CDにバッハ《マタイ受難曲》《ヨハネ受難曲》、ベートーヴェン 交響曲第9番、《ミサ・ソレムニス》ほか多数。1988年、京都音楽賞研究評論部門賞、89年、辻荘一賞、2002年、オーストリア学術芸術功労十字章、15年、テオドル・ベルヒェム賞を授与された。2007-12年、国際音楽学会日本代表理事、12-17年、同副会長。2017年、第20回国際音楽学会東京大会組織副委員長・プログラム委員長(2018年、日本政府観光局国際会議誘致・開催貢献賞受賞)。

上記内容は本書刊行時のものです。