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イタリア・オペラを疑え!
名作・歌手・指揮者の真実をあぶり出す
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2018年2月
- 書店発売日
- 2018年2月10日
- 登録日
- 2018年1月12日
- 最終更新日
- 2018年5月31日
紹介
疑ってこそ見えてくる。それがイタリア・オペラの真の魅力!
ロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニ、ヴェルディ、プッチーニ……あの名作の真の姿とは?
朝岡聡さん(コンサート・ソムリエ)推薦!
「これぞオペラの“快”説書、目からウロコの面白さ!
〈不常識〉に眺めれば、芸術はかくも新鮮で刺激的なのです」
◎「いまが旬」の歌手・指揮者にインタビュー&取材を敢行!
ヴィットーリオ・グリゴーロ(テノール歌手)
フアン・ディエゴ・フローレス(テノール歌手)
レオ・ヌッチ(バリトン歌手)
脇園彩(メッゾソプラノ歌手)
ミケーレ・マリオッティ(指揮者)
ダニエーレ・ルスティオーニ(指揮者)
アンドレア・バッティストーニ(指揮者)
「イタリア・オペラについて当たり前のようにいわれていることを、
ひとつひとつ疑って、
常識と思われている「非常識」のベールをはがしていくのである。
そうすれば想像を超えた豊穣な世界が目の前にあらわれ、
だれもが心うばわれると私は信じている。」
(序章より)
目次
まえがき
序章 虐げられてきたイタリア・オペラの地位を疑え!
ドイツ人の栄誉のための音楽史
ドイツの民族派のよりどころ、ヘーゲルのロッシーニ賛
常識を疑って先入観から自由になろう
第1章 イタリア・オペラの常識を疑え!
1 イタリア・オペラならではの「官能性」の意外なよりどころ
ロッシーニとワーグナーの共通点
イタリア人は声を発する場所がちがう
2 いろいろな「エディション」があるオペラの正しい楽しみかた
マクベスがいまわのきわにモノローグを歌ったわけ
蛇足に思える音楽にも意味がある
3 「ベルカント」というやっかいな語とのつきあいかた
一八四〇年ごろまでの歌唱様式のこと
二つの意味のどちらをさしているか、要注意!
4 二人の天才、ロッシーニとミケランジェロの意外な共通点
普遍的だから転用できる
現実を超えた表現の絶対性
5 水と油のようで影響しあっていたロッシーニとベートーヴェン
両者の音楽は遠くない!
「第九」に勝るとも劣らない
6 速攻でオペラを書きあげてもドニゼッティはいい加減ではなかった
作曲技術がずば抜けて高かった
感情を惜しみなく注ぎこんだ
7 「ロッシーニ・ルネサンス」が進んで「ヴェルディ・ルネサンス」が進まない理由
ヴェルディが意図しなかった「演奏慣習」が踏襲される
上演が途絶えなかったばかりに
8 ゆがめられてきた「ベルカント」の最新現場レポート
二十世紀の「伝統」を踏襲した《ノルマ》
初期ロマン派の響きに近づいたヴェネツィアの《ルチア》
9 《ラ・トラヴィアータ》初演をあえて「失敗」としたヴェルディの戦略
遅れに遅れた台本制作と作曲
ヴィオレッタは完璧に歌い絶賛されていた
10 「設定を現代に移したほうがリアリティをえられる」のウソ
検閲に翻弄された《仮面舞踏会》
「いま」の反映よりも「音楽の力」
11 スペクタクルの代名詞《アイーダ》は室内楽的なオペラだった
悲劇的な前奏曲が《アイーダ》の本質を語っていた
悲劇の静謐さを強調するための輝かしい凱旋
12 米軍人の「慰安婦」だった蝶々さんはプッチーニの理想の女性
政治性を薄めたかった
愛や情熱こそがモラル
第2章 イタリア・オペラの歴史を疑え!
1 装飾過多なのに「バロック・オペラ」がモダンに聴こえる理由
ロマン派音楽よりロックに近い
響きすぎない楽器の鋭い音でリズムがきわだつ
2 言葉と音楽が乖離したロッシーニ《ランスへの旅》の価値
言葉と音楽を一体化させたくなかった
美酒と美食が似あうオペラ
3 「ベルカントの最高傑作」のはずなのにベルカントから乖離していた《ノルマ》
ノルマはメッゾソプラノでアダルジーザはソプラノ
理想的なバルトリの歌唱
4 《愛の妙薬》と《ドン・パスクワーレ》にみるオペラ・ブッファの進化
愛のために死ぬことができる
田園とブルジョワ
5 ヴェルディ《ナブッコ》は「愛国的オペラ」ではなかった
ヘブライ人の合唱に聴衆は熱狂しなかった
バリトン、ジョルジョ・ロンコーニの勝利
6 ヴェルディ初期のマイナーオペラはこんなにすばらしい
演奏機会が少なくてよかった三つの点
すぐれた演奏でよみがえる崇高な歴史劇
7 ヴェルディといっしょに成長した出世オペラ《ドン・カルロ》
数々のエディションの存在
ヴェルディも墓場にもっていったか?
8 二つの《オテッロ》のそれぞれの価値
台本に対する評価の差
「ベルカント」と「強靭な朗唱」
9 歴史劇《アンドレア・シェニエ》がなぜ庶民の日常を描いた「ヴェリズモ」か
「道徳」から「肉欲」へ
「現実」を雄弁に表現しようとした結果
10 原作と異なる《ラ・ボエーム》のミミが創作されるまで
自由奔放で男と男のあいだを渡り歩くミミ
書きなおしにつぐ書きなおしで創作された「理想」
個人的な関心事に生きるヒロインたち
11 ロッシーニ最後のイタリア・オペラとプッチーニ最後のオペラのあいだにあるもの
ベルカントの展覧会と大出力のスーパーカー
異なる様式のオペラをつづけざまに楽しめる幸せ
第3章 イタリア・オペラの歌手と指揮者を疑え!
1 テノールのとんでもない超高音がベッリーニの《清教徒》に頻出する理由
胸声と頭声を接続させていた
実演で自然なハイF!
2 グリゴーロにみるテノールの、そして歌手の危機の克服法
キャリアは「ノー」といってはじまる
過去にポップスで大成功
3 変わり目にいるフローレスへの危惧と期待
三分を超える拍手とブラーヴォ
難役を二十年歌いつづけた声の成熟
4 レオ・ヌッチの歌に衰え知らずのまま円熟味が加わる理由
衰えない声と円熟の表現が両立
まわり道をしたからこそのいま
5 日本人歌手が活躍する道を《蝶々夫人》にさぐる
プッチーニが望んだのは叙情的な声
イタリア人の生理と日本人の生理
6 イタリア人若手指揮者「三羽烏」それぞれもち味はこんなにちがう
「芸術の民族主義」を嫌うルスティオーニ
十九世紀末から二十世紀を好むバッティストーニ
7 日本人「脇園彩」は世界のメッゾソプラノになれるか
日本人離れした知性と意識の高さ
大スターになる可能性
終章 「オペラを博物館に入れるな」の意味を疑え!
音楽をささえる演出の満足度
ヴェルディを読みかえるむずかしさ
「博物館に入れる」のほんとうの意味
オペラも博物館に入れてはいけない
おわりに
参考文献/索引
前書きなど
まえがき
イタリア・オペラの位置づけは複雑かつ微妙である。
そもそもオペラというジャンルに対して、高尚で敷居が高いものだと思いこんでいる人が多い。しかし、じっさいはどうか。オペラの主題は多くの場合が恋愛であり、なかでも不倫がめだつ。
たとえばモーツァルトがロレンツォ・ダ・ポンテのイタリア語台本に作曲したいわゆるダ・ポンテ三部作は、天才音楽家の芸術的営為の頂点のように語られるが、描かれているのは所詮は不倫。《フィガロの結婚》では、スザンナに手を出そうとするアルマヴィーヴァ伯爵にはロジーナという妻がいるし、人妻のロジーナはケルビーノという若い男にねらわれている。《ドン・ジョヴァンニ》では、ジョヴァンニが関係をもった二千人を超える女性のなかに数多くの人妻がふくまれていることが、レポレッロの「カタログの歌」から明らかで、ジョヴァンニは不倫の常習犯なのだ。《コジ・ファン・トゥッテ》は、主役の男女四人は独身ではあるけれど、二人の女性はフィアンセがいながら「別の男」と結ばれようとするのだから、これも不倫に準じるといえる。
高尚どころか、ワイドショーのように卑俗だといったほうが、まだ近いのではないだろうか。すくなくとも敷居が高いからと腰が引けるような世界ではない。
その一方で、オペラは交響曲にくらべて格下だという思いこみも根づよい。とりわけイタリア・オペラは、耳に心地よいメロディーと内容のない技巧的な歌によって、感覚に訴えるだけの薄っぺらな音楽だととらえるむきがある。その証拠に、ロッシーニは同じ音楽をなんども使いまわし、ドニゼッティは短期間にオペラを粗製乱造し、ヴェルディのオーケストレーションはズンチャッチャが繰りかえされ単純で、同じ年に生まれたワーグナーとくらべるべくもない──というのである。
なじみのない人からは、むやみに買いかぶられて敬遠され、音楽好きからは実像以上に軽く見られている。すでにイタリア・オペラの魅力の虜になっている人にはどうでもいい話かもしれないが、じつは周囲は疑いの眼差しに囲まれ、連帯の輪を広げにくい状況だといえる。
かくいう私は、すでに魅せられてひさしいが、イタリア・オペラが置かれた八方ふさがりともいうべき状況に、忸怩たる思いをいだいてきた。ひとつは、難しくないのだから味わわなければもったいない、という気もち。もうひとつは、ロッシーニのどこが軽薄なのか。ドニゼッティのなにがいい加減なのか。ヴェルディが低級だとはなんたるいい草だろう。そもそもオペラがどうして交響曲の格下に置かれなければならないのか。イタリア音楽がドイツ音楽に劣るだなんて歴史を知っているのか──。そんな思いである。
要は、イタリア・オペラは、その世界に近づいたことがない人からも、音楽になじみがある人からも、もっといえば、音楽を学んでいる人や専門にしている人からも、誤解されている。いいかえれば先入観が蔓延し、それにとらわれている人がめだつ。だったら先入観を解いてやろうではないか、というのが本書の主旨である。そのためには巷間いわれていることを、まず疑ってみるところからはじめるしかない。
序章では、オペラを主軸にイタリアがリードしてきた音楽の歴史がドイツ人によって歪曲された事実を明らかにした。第一章には、オペラの世界の「常識」がいかに誤った先入観に左右されているかを示した。第二章は、おなじ手法をオペラ史の「常識」へと広げた。第三章は演奏家にかんする「常識」にいどんだ。そして終章では、今日「常識」となりつつある読みかえ演出のブームに釘をさした。
常識に異をとなえたからといって、奇をてらったところはない。また、どの項から読んでいただいてもかまわないように書かれている。オペラの入門者はもちろん、必ずしもオペラに詳しくない音楽ファンにも楽しんでもらえるはずだ。また、イタリア・オペラのコアなファンや演奏家の方々のさらなる関心も喚起できるのではないかと思う。
疑って、疑いぬいて、イタリア・オペラの豊かな世界に魅了される人がひとりでも増えれば、これ以上のよろこびはない。
上記内容は本書刊行時のものです。