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音楽の原理
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2016年11月
- 書店発売日
- 2016年11月24日
- 登録日
- 2016年10月13日
- 最終更新日
- 2021年2月17日
書評掲載情報
2016-12-18 | 朝日新聞 朝刊 |
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紹介
物理学、心理学、認知科学、文化人類学、音楽学、音楽理論……
あらゆる知の領域を越境し、音楽の淵源にせまる!
全音楽人必読!
音楽の謎がいま解明される。
◎本多俊之(サックス奏者、作曲家)
音はなぜ音楽になるのか──。
音楽家なら誰もが抱くこの問いに、答えを出そうとする者が現れようとは!
長年スタジオや音楽の現場で積んだキャリアが、その思想に説得力を与えている。
これは音楽をする者すべてが読むべき書だ。
◎小鍛冶邦隆(作曲家、東京藝術大学教授)
歴史にも哲学にも芸術にも
「普遍」を観ようとした19世紀以前の教養主義は廃れ、
音楽が個人的な思い込みに囚われるようになって久しい。
ここに新たに「音楽の普遍」に挑んだ冒険の書が登場した。
◎片山杜秀(音楽評論家、政治思想史研究)
理論と実践、精神と身体の統合──。
“全体性”の魔に取り憑かれた現代の百科全書。
◎喜多直毅(ヴァイオリン奏者)
著者の演奏や作品に強く惹かれる私だが、
この一冊を通して彼の音楽の源を遡り、哲学に触れ、
よりいっそうその魅力の謎にせまることができた。
そして同じ演奏家としていくつもの発見や気づきを与えられた。
音楽にあふれた日々を送っていても、
いつしかその本質を見失いがちな私にとって、
折に触れて立ち返りたいのが本書である。
音楽という事象や様相の論理的解明はもとより、
演奏と作曲にかんする具体的な示唆やアイディアに富むこの一冊を、
多くの音楽家に強く推薦したい。
目次
序章 展望
第Ⅰ部 原理
第1章 身体性
◉本章の内容
1.1 身体性の属する二つの世界
1.2 外部世界
1.2.1 真理定立の原理
1.2.2 現代物理の上での世界像
1.2.3 力、質量、エネルギー
1.2.4 熱力学
1.2.5 電磁気学
1.2.6 特殊相対性理論
1.2.7 一般相対性理論
1.2.8 量子力学
1.2.9 場の量子論
1.2.10 世界を組織する四つの力
1.2.11 大統一理論、超対称性理論、ひも理論
1.2.12 形式論理的世界
1.2.13 宇宙創生
1.2.14 現象の立ち上がり
1.3 内部世界
1.3.1 生物の誕生
1.3.2 自己組織化
1.3.3 生物
1.3.4 細胞、組織、器官
1.3.5 散逸構造:身体と環世界のかかわり方の様式
1.3.6 身体の指向性
1.3.7 身体のもたらすパースペクティブ
1.3.8 内観、外観、意味
1.3.9 記号の接地
1.3.10 身体性と音楽
第2章 内観
◉本章の内容
2.1 内観と外観
2.2 音
2.3 人体
2.3.1 組織、器官
2.3.2 耳
2.3.3 神経組織
2.3.4 神経系
2.3.5 脳
2.4 内観
2.4.1 人間の情報処理モデル
2.4.2 感覚
2.4.3 内観
2.4.4 情動
2.5 音楽における内観の意味
2.5.1 リアリティ
2.5.2 印象、気分
2.5.3 価値の伝達
2.5.4 音楽に対する追跡の達成
2.5.5 内観の意味的受け取り
2.5.6 リアリティ再考
第3章 外観
◉本章の内容
3.1 外観とは
3.1.1 音響現象と人間の認知システム
3.1.2 指示的意味と具現的意味
3.1.3 認知における外観
3.2 パターン認識、外観の感覚的把握
3.2.1 ウェーバーの法則
3.2.2 分節と統合
3.2.3 プレグナンツの法則
3.3 外観の知覚
3.3.1 図と地
3.3.2 記号体制化
3.4 音響における外観
3.4.1 音の分節化を生む弁別閾
3.4.2 音の構造化
3.4.3 要素の三つの様相:点、群、域
3.4.4 関係化の形式
3.4.5 構造
3.4.6 様式
3.5 音楽全体から見た外観の機能と役割
第4章 体制化
◉本章の内容
4.1 認知
4.1.1 基本モデル
4.1.2 記憶
4.1.3 表象
4.1.4 スキーマ
4.1.5 思考
4.1.6 意識
4.1.7 認知システム
4.2 記号
4.2.1 写像
4.2.2 構造
4.2.3 記号論
4.2.4 数/数学
4.2.5 図/視覚表象
4.2.6 言語/聴覚表象
4.2.7 意味符号化としての言語
4.2.8 間主観性
4.2.9 シンボル
4.3 体制化
4.4 体制のうちの外観
4.5 体制のうちの内観
4.6 意味体制化
4.6.1 意味の定立
4.6.2 フレーム、パースペクティブ、概念、思考
4.6.3 音楽の意味体制化の典型的な様式
4.7 体制化の全体構造
第Ⅱ部 コンテクスト
第5章 経験世界・社会・文化
◉ 本章の内容
5.1 経験世界
5.1.1 経験世界の形成要因:自己、自然環境、社会環境
5.1.2 経験世界の構図:世界、自己および人間、実在
5.2 文化
5.2.1 文化とは何か
5.2.2 文化を生み出す要因
5.3 文化の型
5.3.1 人種差
5.3.2 宗教差
5.3.3 宗教以前
5.3.4 宗教の要素と類型
5.3.5 世界の宗教地図
5.4 ゾロアスター教
5.5 ヒンズー教
5.6 仏教
5.7 中国の思想:儒教
5.8 中国の思想:道教
5.9 ユダヤ教
5.10 キリスト教
5.11 イスラム教
5.12 西洋哲学
5.12.1 形而上学としてのギリシャ哲学
5.12.2 デカルト、カント、ヘーゲル:西洋における形而上学の影響
5.12.3 形而上的世界観の超克
5.13 自然科学
5.14 資本主義・新自由主義
5.15 コンテクストと意味
第6章 文化型と音楽
◉本章の内容
6.1 音楽の意味指向性
6.2 ヨーロッパ文化圏
6.2.1 イタリア
6.2.2 スペイン、ポルトガル、バスク
6.2.3 フランス
6.2.4 アルプス地帯
6.2.5 ドイツ、オーストリア
6.2.6 イギリス、アイルランド
6.2.7 デンマーク、スウェーデン、ノルウェー
6.2.8 フィンランド、エストニア、ラトヴィア
6.2.9 ロシア、ウクライナ、ベラルーシ
6.2.10 カフカス地方
6.2.11 ポーランド、リトアニア
6.2.12 ブルガリア
6.2.13 ハンガリー
6.2.14 ルーマニア
6.2.15 旧ユーゴスラヴィア
6.2.16 ギリシャ、アルバニア
6.3 イスラム文化圏
6.3.1 イラン
6.3.2 イラク、その他のアラブ諸国
6.3.3 トルコ
6.3.4 中央アジア
6.3.5 クルド
6.3.6 イスラエル
6.4 南アジア・東南アジア
6.4.1 インド
6.4.2 バングラデシュ
6.4.3 ネパール
6.4.4 チベット文化圏
6.4.5 スリランカ
6.4.6 タイ、カンボジア、ビルマ
6.4.7 ベトナム
6.4.8 インドネシア、東ティモール
6.5 東アジア
6.5.1 中国、モンゴル
6.5.2 朝鮮
6.5.3 日本
6.5.4 ロシア(シベリア、サハ)
6.6 アフリカ
6.6.1 西アフリカ、ニジェール川世界
6.6.2 東アフリカ、ナイル川世界
6.6.3 東アフリカ湾岸都市、スワヒリ世界
6.6.4 中部アフリカ、ザイール川世界
6.6.5 アンゴラ
6.6.6 南部アフリカ、ザンベジ川・リンポポ川世界
6.6.7 南アフリカ
6.7 中南米(ラテン・アメリカ)
6.7.1 メキシコ
6.7.2 コロンビア、ベネズエラ
6.7.3 キューバ
6.7.4 ハイチ
6.7.5 ジャマイカ
6.7.6 トリニダード・トバゴ
6.7.7 ペルー、ボリビア
6.7.8 アルゼンチン
6.7.9 ブラジル
6.8 北アメリカ(アングロ=アメリカ)
6.9 オセアニア
6.10 コンテクストから意味へ
第Ⅲ部 実践
第7章 実践の視界
◉本章の内容
7.1 音楽の企投される場
7.1.1 音楽は、人が生み出した音響によるものでなければならないのか
7.1.2 四つの企投先、三つの消費場
7.1.3 音楽の機能に着目した音楽活用
7.1.4 生産者自身という消費場
7.1.5 他者という消費場
7.1.6 間主観構造
7.2 方位の確定
7.2.1 企投意図
7.2.2 外観の形成
7.2.3 内観の喚起
7.2.4 再び、意味
第8章 作曲
◉本章の内容
8.1 作曲以前
8.2 バランス
8.3 二つの作曲:システムの創出か、システムからの創出か
8.4 既存の作曲技法
8.4.1 西洋音楽:機能和声法
8.4.2 西洋音楽:対位法
8.4.3 ジャズ
8.4.4 スペイン・フラメンコ
8.4.5 イラン芸術音楽
8.4.6 インド古典音楽
8.4.7 日本音楽
8.4.8 インドネシアの音楽
8.5 作曲技法の創出
8.5.1 構造の階層
8.5.2 論理、実験、偶然
8.5.3 音響素材の確定
8.5.4 関係構造化の創出1:分節の形式
8.5.5 関係構造化の創出2:関係構造化
8.5.6 要素のまとまり
8.5.7 基本システムの創出
8.5.8 規則の設定
第9章 演奏
◉本章の内容
9.1 演奏の志向するものの同定
9.2 音響の制御
9.2.1 身体と発音源の相互作用:発音源
9.2.2 身体
9.2.3 呼吸
9.2.4 呼吸のコントロール
9.3 運動の習得
9.3.1 骨格系
9.3.2 筋肉系
9.3.3 運動における身体の各部位の連合
9.3.4 筋骨格系から見た運動の連合
9.3.5 中枢神経系と運動の構造
9.3.6 運動指令システムの定着
9.3.7 運動習得のメソッド
9.4 演奏の習得
9.4.1 ソルフェージュ
9.4.2 アドリブ・システム
9.4.3 楽器演奏法
9.4.4 表現、バランス、構成力
第10章 実践
◉ 本章の内容
10.1 コンディショニング
10.1.1 身体の活性時間帯と睡眠の調節
10.1.2 食事
10.1.3 呼吸
10.1.4 覚醒水準
10.1.5 ウォーム・アップとクール・ダウン
10.2 実践
10.2.1 意識コントロール
10.2.2 覚醒水準の維持
10.2.3 集中
10.2.4 ミス、トラブルに対して
終章 志向性に向けて
参考文献
前書きなど
音楽とは何か、本書はこれに答えようとするものである。この作業に取り掛かろうとした動機が、二つある。
第一は、音楽とは何かという問いに対し、納得のいく説明をしている記述が見つからなかったことである。説明どころか、この問いへの取り組み自体がほとんどない。理由は、音楽がさまざまな要素を統合したものとしてあるがゆえ、説明が困難なのだろう。分野や部分論としては、音楽には優れた作品も研究もある。しかし、分野を掘り進めるという作業では、全体を獲得することはむずかしい。音楽を成立せしめている要素は複数にわたり、また要素の中には専門的な知識や技術を要求される物もある。また、要素のみならず、結果として現象してくる音楽も、さまざまな様相を見せるものである。要素から全体にアクセスするには、専門化や分野化というアプローチではなく、学際的なアプローチをする必要がある。音楽の重要な要素でありながら、いまだ音楽理解の埒外に置かれたままにある知は多い。また、音楽の机上にあげられていないものは、要素だけではない。音楽の定立してくる構造ですら、一般に認識されているとはいいがたい。音楽は専門化されすぎ、核心が見えなくなっているのではないか。音楽に関する汎的な知を更新すること、これが本書の第一のねらいである。
第二の動機は、音楽が持っている志向性を示すことである。単純に言えば、音楽の意味するところの極みにあるもの、この提示を試みる。音楽は、複数の要素を統合してなるという構造を持っている。この構造が、音楽に志向性を付与したのではないかと思える。言語の机上のみから音楽を語るのであれば、あるいはその反対に、感覚的な印象のみから音楽を語るのであれば、音楽の志向性などいくらでも定義できるだろう。しかし、さまざまな要因から成立するものに、それほど多くの交点が発生しうるだろうか。音楽を成立させるためには、少なくとも、音響現象、その感覚的把握、構造的把握、意味把握、実践、これらの要素を必要とするだろう。音響現象が無ければ、以降の把握はありえない。かりに感覚的把握がなくても同じことだ。意味把握がなくとも音響の受け取りはありうるが、もしそれで良いのであれば、電車の走る音だって音楽になるだろう。音楽の重要な要素となっている音響現象や感覚器官のあり方というものは、任意に規定しうるものではなく、音楽成立以前にすでに確定している。こうした確定要素の統合としてあるものを、恣意的に成立させることなどできるのだろうか。音楽が確定的な要素に根ざすものである以上、その志向する先は、それほど広くない範囲のうちに成立するだろう。範囲が限定されているのであれば、最後に音楽が到達する領域が何であるか、これは記述しうるのではないか。結果として音楽に付随することになる志向性を示すこと、これが本書の第二のねらいである。
本書を書き進めるにあたって、まずは考察の対象となる音楽の範囲を明確にしておく。本書では、考察の対象となる表象の形式を音響に絞り込む。歌や舞曲といったものも間違いなく音楽の一種であるが、その表象形式には音響でないもの(たとえば、言葉や身体運動というもの)が含まれる。こういうものを考察の過程で参照するのはやぶさかではないが、しかしそれを考察の主対象にしてしまうと、いわば音楽とそれ以外のものの間に発生する現象の考察ということになってしまい、音楽それそのものの考察からは外れてしまう。歌や舞曲を音楽と見なさないということではなく、その考察の対象を音響に絞り込む、こういうことである。
また、直接に音楽体験がなされているということを、音楽の前提にする。音楽というものは、知覚から意味把握までのさまざまな場に成立するものである。しかし、感覚的な受け取りを除外してしまって良いのであれば、音楽は実際に体験されていなくとも良い物になってしまう。しかし、それを本当に音楽と呼べるだろうか。意味だけを抽出するにしても、それは直接の音楽体験から取り出されるべきである。また、音楽の受け取りには、意味的な受け取りには還元できないものがあることも、直接体験を前提とする理由になっている。
表象形式が音響である音楽でありさえすれば、考察対象とする音楽を限定しない。無論、すべての音楽に触れることは物理的に不可能であるが、しかし「音楽」と書いておきながら、考察の対象を特定の範囲に限定することは避ける、ということである。たとえば「音楽」と謳っておきながら、その考察対象が実際にはクラシックに限られる書籍などは少なくないが、そういうことはしない。実際にある音響から音楽の根本にあるものを帰納するためには、さまざまなあらわれを見せる音楽を観察する必要がある。音楽の多様性を見るにもっともふさわしいのは、他の音楽と接触する以前の音楽を見ることである。接触してしまうと、音楽の形式が統一されてしまう可能性がある。歴史的に言えば、欧米による植民地政策以前にあった地域音楽は、現在参照することのできる最良のサンプルであるように思われる。
最終的には、音楽を「今、ここ」という視点へと還元して見つめる。これは、第二の目的である「音楽の志向性」を考える際に、非常に重要となる方法論である。現在のパースペクティブへの還元は、あくまで最終段階でなされることであって、つねにこうした視点から音楽を見つめるというわけではないが、あらゆる事象は、主体との関係性から価値化されるものである。ベートーヴェンの音楽を、当時の歴史的あるいは文化的背景から測ることは可能であるし、またそのような視点から音楽を測らないことには、音響に圧縮された情報を引き出すことはむずかしいだろう。しかしそれですら、「今、ここ」に築かれる関係構造化の準備作業なのである。体験後に、体験以前にもどることはできない。体験としてある音楽にとって、「今」は不可避なパースペクティブである。音響とのかかわりを前提とする音楽の現象において、それがかりに五百年前にデザインされた音楽であったとしても、それを具象し体感しているのは現在以外にはあり得ない。
本書の目的を果たすため、以下の手順で論を進めることにする。まず記述内容であるが、これを原理、コンテクスト(音楽の背景にあることによって、音楽を定義するところのもの)、実践の三つに分ける。
本書の第Ⅰ部では、音楽の原理を扱う。最初に、音楽の立脚している場を、音響の現象している場と、それをとらえるわれわれの身体という形に二分し、この関係性を身体論の視点からとらえる(第1章│身体性)。以降は、この関係構造の中で音楽の成立するいくつかの場を、それぞれ見ていく。まずは、音響やわれわれといった現象がどのように立ち上がり、それがわれわれにどのように感じられるか、この記述から始める。音響を聴いたときの感触、これは現象に対する身体の気づきのひとつであり、内観と呼ばれる(第2章│内観)。次に、外的事象を構造的に受け取るわれわれの外部世界への気づきをとらえる。われわれは、音響を響きの感じとしてだけでなく、それぞれの音響の関係構造化という形に整序してとらえるシステムを持っている。このとき、音楽のとらえられる場は、感覚情報から、記号体制化の段階へとシフトしている。旋律と伴奏といった音楽のとらえ方などは、音響の関係構造化の一例である(第3章│外観)。内観や外観として受け取られた音楽が、どのように、またなにゆえに意味化されるか。音楽を形成していくさまざまな要因が、どのように関係化して音楽総体を作り上げていくか、次の章ではこれを見つめる(第4章│体制化)。
第Ⅱ部では、音楽のコンテクストを扱う。コンテクストとは、音楽の背景にあることによって、音楽を定義することになるもののすべてである。コンテクストは、音楽の意味だけでなく、その内観や外観、あるいは体制化のされ方までをも強く規制する。コンテクストとなるものは、個人に属するものと、文化に属するものに大別できる。個人に属するもののすべてを記述することは不可能であるので、本書では、文化に属する物の例を、とくに強く見ていく。具体的には、ある文化の持つ方向性やエピステーメ、これをとらえる。こうした作業は、音楽をとらえるさまざまな視点や枠というものを見えやすくしてくれるだろう(第5章│経験世界・社会・文化)。さらに、世界のさまざまな文化の中に生きている音楽を観察する。これによって、ある文化のうちでの音楽の受け取られ方を把握し、音楽が伝達してきたものを還元的に捕縛する(第6章│音楽の類型)。
第Ⅲ部は、音楽の実践に関する記述である。音楽の表象としてある音響は、それが人間によって生み出されたものであるという前提にある。表象の形成という実践がなければ、あらゆる音楽論はむなしい。実践篇の中心課題は、本書の第二の目的であった、音楽が志向するものを示すことでもあり、また実践においてはじめて開かれることになる音楽の重要な局面を示唆することでもある。実践のためには、最初に音楽の方向性を決定する必要がある(第7章│実践の視界)。方向性が決定した後には、それを音響という表象形式に還元する必要がある。表象の形成を関係構造という視点から試みる作業、つまり作曲である(第8章│作曲)。作曲によってデザインされた関係構造は、演奏によって、内観の誘発、外観の形成、意味の象徴というすべてを含んだ音響に還元される(第9章│演奏)。誰もがより良い実践を果たせるわけではない。しかし、少しでも良く実践するための方法論というものはある。プロの音楽家は、人にできないような曲芸を身につけているわけではなく、ある運動を可能にできる方法を用いることによって、演奏を体制化している。音楽を実践するためには、自分の身体のコンディションや、身体の運動というものを、実践にふさわしい形で体制化することである。ここには音響の統制だけでなく、自己の統制、身体の拡張、身体がかかわる世界の拡張、これらすべての認識なども含まれる。このような形で、音楽にさらなる意味が付け加えられる(第10章│実践)。
音楽とは、音楽にかかわる物の全体として創発するものである。全体としてある音楽というものをとらえるためには、われわれは音楽に関係づけられた知の範囲を、もう少し拡張する必要があるのではないだろうか。そして、音楽の全的な把握の果てに、われわれはひとつの認識を与えられることになるのではないか。部分を見つめているうちは、音楽は恣意的なものに映るかもしれない。しかし全体をつかんだ時点から、音楽はある一点を指し示しているように見えてくる。その構造だけではなく、その認識までとらえること。音楽を理解するとは、そういうことだろう。口でいうのはやさしいが、これを体現することはむずかしい。しかし、音楽というものの入り口に導くこと、音楽の本質にあるものを予感させること、ここまでは何とか本書によって果たせたものと信じる。
上記内容は本書刊行時のものです。