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イサム・ノグチ 庭の芸術への旅
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2018年1月1日
- 書店発売日
- 2017年12月30日
- 登録日
- 2017年11月28日
- 最終更新日
- 2017年12月27日
書評掲載情報
2018-03-03 |
日本経済新聞
朝刊 評者: 赤坂憲雄(学習院大学教授) |
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紹介
抽象彫刻の泰斗イサム・ノグチ。彫刻のみならず、マーサ・グラハムのための舞台美術でも名を馳せたアーティスト。日本人詩人・野口米次郎を父に、作家であるアメリカ人レオニー・ギルモアを母に、1904年ロサンゼルスで生まれた彼は、終生、自らの「居場所」を探して旅をした。若き日は、肖像彫刻で生活費を得ながら、早くも1933年に「プレイマウンテン(遊び山)」を構想。生涯をかけてノグチはこの構想を温めつづける。
1949年、45歳のノグチは奨学金を得るため、ボーリンゲン財団に「レジャー環境の研究についての申請」を提出する。「私は長く、彫刻と社会とのあいだに、新しい関係がつくりだされなければならないと考えてきた」と始まるこの趣意書には、彫刻の意義を問いつつ、レジャー(余暇)環境そのものの質を変えていくのは、美に関する課題であるとした。ノグチは彫刻を媒体として、人々のくつろぎの場、愉しみの場をつくり出そうと試みていた。
1950年に来日したノグチは、建築家・谷口吉郎のもとで、慶應義塾大学・新萬來舎の内装と庭を手がける。団欒の場の創出、日本との短い蜜月のはじまりだ。51年には広島平和公園の2つの橋の欄干の設計を依頼され、その途中に寄った岐阜で「あかり」のイメージとなる岐阜提灯に出会う。52年には、北鎌倉の北大路魯山人の土地の一隅に、新妻となった女優・山口淑子とともに移り住み、焼きものに没頭するノグチ。掌にのるような彫陶作品「私がつくったのではない世界」が生まれる。国籍も年齢も問わず、いつでも誰でも受け入れられる場としての「庭」。ノグチの魂の旅を鎮める「庭」であった。
日本、アメリカ、イタリア、各地で彫刻家としての仕事をしながら、1960年代には、イエール大学バイネッケ稀覯書・写本図書館、チェイス・マンハッタン銀行の沈床園、イスラエルのビリー・ローズ彫刻庭園などの名作を生む。その一方で、ルイス・カーンとの協同によるニューヨークのリヴァー・サイド・ドライヴの公園計画は、実現に至らなかった。ノグチの「公園」が初めて実現したのが65年、大谷幸夫との協同による横浜「こどもの国」であった。
日本では、庵治石で有名な香川県にアトリエを構える。移築された古い民家に手を加えて、ゆるやかな起伏を活かした庭をつくりつつ、「真夜中の太陽」「エナジー・ヴォイド」などの名作がここで生み出された。
札幌のモエレ沼公園マスター・プランを設計した1988年、この年の暮れにノグチは永遠の旅に出る。起伏だけでつくられた庭園。そこは人々のつどう場であり、風であり、身体である。渺々と風をまとうプレイマウンテンがモエレ沼公園に完成したのは、1996年であった。
作品図版55点とともに、インドに始まり、21世紀の庭の芸術を求める旅。
目次
第1章|憧れの家-庭、この彫刻を超えるもの
第2章|影としての「ヒロシマ」――――曲線の意味するもの
第3章|孤独なモダンの響きあい――――北鎌倉の魯山人と
第4章|マンハッタンの闇――――シュルレアリズムの背理
第5章|宇宙庭園という陶彫――――再び鎌倉
第6章|幻の北京――――生命潮流とアジア的バロック
第7章|詩人の部屋から-ノグチのインテリア
第8章|三田山上-未来人の集うアクロポリス
第9章|「どこでもない庭」の現前-草月会館ロビー「天国」
第10章|時間の庭、未来の共感共同体-札幌モエレ沼公園
第11章|ヴィーナスの所在-舞踊する庭、モエレから牟礼
第12章|母への巡礼、あるいは魂の舞踊-高松、牟礼
あとがき
イサム・ノグチ 略年譜
主要参考文献
上記内容は本書刊行時のものです。