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眼差しの世界
視覚社会学の展開
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2017年6月
- 書店発売日
- 2017年7月4日
- 登録日
- 2017年6月14日
- 最終更新日
- 2023年12月27日
紹介
各章の内容を簡単に要約すると、見ることの構成的な意義は何を見るのかによって異なってくる。したがって、第一章では「イメージ」を見ることに焦点を合わせ、現実とは既成の事柄ではなくイメージを見ることによって構成されるという点を、イメージの現実からの遠のきと呼び戻しという動的特性、およびイメージが含み持つレトリックの役割、さらにはイメージを見ることと、本物とか真正なこととはいかなる関係に置かれているのかを考慮に入れながら検討している。
次の二つの章は、イメージから「現実」を見ることに論点を移行させ、現実での身体視覚的な移動が何をするのかを問うている
続く三つの章では、一般抽象的なイメージや現実ではなく、「身振り」、「フィギュア」、「フェティッシュ」という個別特殊な事柄に視点を移し、これらを見ることの意義を追って行く。
次の第七章は、前章の効果といった見ることの因果連関を拡張し、見ることによる対象の「接続統合」について触れている。
最後の第八章では、従来の物語的自己の概念に替え、視の移動により顕現するニューラル・パターンを「挿話的自己」として立て、ニューロ・サイエンスとニューロ・フィロソフィーが唱える自己と世界との「一元論」を援用することで、内的な自己と外的な社会や世界を対立的に二分化する「二元論」を打ち消し、見ることは自己、社会、世界を相互に浸透、内属させて共に同時に同一のものとして構成することを示し、全体の内容の補強を行っている。
目次
はじめに ⅰ
第一章 <夢見る瞳>と<旅する眼> 1
一.リトグラフのカイロ 2
二.プレ・トラベル:イメージを見る 4
三.タイム・マシーンとしての「イメージ機械」 12
四.イメージのレトリック 22
五.オン・トラベル:アウラ的真正性 31
六.ポスト・トラベル:グーグル・アース 41
第二章 <視覚>を眺める ― クリナメンによる他性の構築 ― 45
一.丘の上から見れば 46
二.「今宵はずっと二人きり ♡ ♡」 47
三.「聞く」を「見て」、「言葉」を「眺める」 53
四.パレルゴンとしての廃墟 62
五.アルゴス・パノプテスの眼「フォエダス」 69
六.眼差しによる自己決定 84
第三章 凝視の廃位 ― 注目の戴冠 ― 87
一.注目する眼差し 88
二.対自的な「美」と「崇高」 92
三.センチメンタルな「ピクチャレスク」 101
四.雰囲気と情動 108
五.襲来する「対象a」 113
六.メディアのアウラ 125
第四章 <器官なき身体>への眼差し ― 反復・変様・回帰 ― 131
一.帝国という「劇場」 132
二.いまここを越える眼 133
三.「反復」するチョンドンの身振り 140
四.春という身振りの「変様」 151
五.視覚文化とバリでの (^_^;) 159
六.ムーラン・ルージュは「回帰」する 163
第五章 物語の視覚 ― リマソン・ループと<世界制作> ― 171
一.フィギュアは語る 172
二.メタ・ナラティブとミラー・ナラティブ 174
三.パスカルのリマソン 182
四.視覚の「オキシモロン」と「メタレプシス」 190
五.文化の道からメスキータ 203
六.交叉と制作 211
第六章 フェティッシュの視的な効果 213
一.ドゴン族のバンディアガラ断崖 214
二.可視的<フェティッシュ> 215
三.生命化による自己の放擲 220
四.ピグマリオンの「視覚性」 229
五.「しるし」と視的効果 238
六.接続する仮面 246
第七章 接続・接続・接続…… ― 視のプラトーと脱記号 ― 249
一.音の接続統合 250
二.「シークエンス」から「プラトー」へ 251
三.「出来事」の構成、「個体」の生成、「意味」の形成 258
四.プラトーの接続 268
五.接続による「脱記号」 279
第八章 世界の自己化は自己の世界化 ― 視的一元性 ― 281
一.物質・視覚・意識 282
二.脳内モジュールとしての「挿話的自己」 283
三.アイオーンとアレゴリーとアイロニー 291
四.実的定位から存在の連鎖 304
五.「☀ 今日は、晴れ!」 320
あとがき 322
注 325
索引 402
前書きなど
社会学において、見る行為を明確に取り上げた研究は一、二を除いてほとんど見当たらない。近年、画像イメージを取り上げた「視覚文化論」が展開されているが、これらは見ること自体には言及せず、見ている対象の分析が主である。さらに「メディア論」も視覚とは関連しているとはいえ、媒体の性質と機能の分析が中心であって、見る行為を論ずることはない。これに対し、本書は現実やイメージといった対象と、これを伝える媒体に言及しつつも、見る行為そのものを取り上げ、見ること自体と人間や社会との関係、見ることが人や社会をどのように作り上げていくのか、「構成論」的な観点から「視覚社会論」を展開し、見ることの意義を明らかにしていく。
版元から一言
原初、生物は「眼」を備えていなかった。光を感じて反応するものはあったが、網膜をもって対象物の像を明確に捉えるものが出現したのは、およそ五億四千二百万年前のカンブリア紀であった。「見る」という能力を獲得して以降、生物の多様性が爆発的にひき起され、現生動物につながる進化が連綿と続いてきた。それと同様に、人間がさまざまな風景や事物、画像や映像などを太古から見続けてきたことが、時代とともに変わる社会の存在形式と深い関わりを生んできた。昨今のIT分野の発展は、視覚メディアの急速な変化を招き、人々の認識の基盤を、言語を読み時間をかけて思考するよりも、画像や映像を見て瞬時に感得することへと移行させつつある。このような状況にあって、視覚や見る行為自体に焦点を合わせ、その特性を社会学的に明らかにする必要にせまられ、視覚を通した社会学の展開を意図したものである。
上記内容は本書刊行時のものです。