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プレイガイドジャーナルよ
1971~1985
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2017年4月
- 書店発売日
- 2017年4月25日
- 登録日
- 2017年3月29日
- 最終更新日
- 2017年4月26日
書評掲載情報
2017-07-27 |
読売新聞
夕刊 2017/07/27 大阪本社版 評者: 大阪本社文化部 木須井麻子 |
2017-07-05 |
毎日新聞
夕刊 大阪本社版 評者: 高尾 具成 |
2017-06-09 |
週刊ポスト
6月9日 評者: (馬)さん |
2017-05-28 | 産經新聞 5月28日 大阪本社版 |
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紹介
前作『プレイガイドジャーナルへの道』に続く第二弾完結編。1971年の創刊
から85年に著者が離れるまでの「プレイガイドジャーナル」15年間と、同誌
に携わった多くの人びとを描く。当時の様々な関西カルチャー・シーンと絡
み合い、時代を共有した月刊情報誌の生の姿を記録した70年代同時代史。
◉オビ文=田川 律。
目次
序章 創刊からの2年間 1971年7月~1973年6月 編集長・村元武
第1章 野崎町の春 1973年7月~1976年6月 編集長・林信夫
情報と読み物とに広がり。「ぷがじゃマガジン」刊行(74年11月)/
京阪神「青春街図」が出そろった有文社と単行本企画/ニコニココ
ンサート(74年1月)と音楽イベント/第1回「アメリカ夏の陣」(74
年7月)と海外旅行企画/「フィルムワーク」(75年1月)と映画上映
/つかこうへい『ストリッパー物語』(75年5月)と演劇公演/モリ
スフォーム「さらば大阪」(75年6月)/「フォークリポート」わいせ
つ裁判一審無罪(76年3月)/「WOW・WOW」創刊(75年8月)/事務所を
ミナミへ移転(75年12月)
第2章 盛夏の清水町 1976年7月~1980年2月 編集長・山口由美子
増ページで特集・デザイン・表紙ともに充実/単行本出版に踏み切
り『バイトくん』(77年11月)がヒット/3年目以降の「アメリカ夏
の陣」/第1回「ネパール冬の陣」(76年12月)/ミナミの地に根づ
く新事業/続く「フィルムワーク」とドイツ映画祭、新進映画監督
躍進/東京ヴォードヴィルショー(77年1月)登場と拡大する演劇公演
/ついに春一番コンサート最終回(79年5月)、音楽イベントの縮小/
「フォークリポート」わいせつ裁判、控訴審と最高裁判決/離散し
入れ替わっていく編集部。有文社、クリエイト大阪のその後
第3章 塩町の秋 1980年3月~1982年12月 編集長・森晴樹~村上知彦
B6ポケット判サイズ、最後の3年間(80年から82年)/チャンネルゼロ
の動き/単行本出版部門のその後/映画『ガキ帝国』製作と公開(81
年2月)/新事業の展開、海外旅行企画の終わり/好調続く演劇公演
/ますます困難になる音楽イベント/大きな判型を選ぶ道筋と「マ
ガジン83」プロジェクト
第4章 塩町・厳冬 1983年1月~1985年9月 編集長・村上知彦~小堀純
B5判「プレイガイドジャーナル」スタート(83年1月)/映画上映、演
劇公演、単行本の取り組み/「パキスタン自由遊覧」(83年12月)/
「21世紀ディレクターズユニオン」旗揚げ(83年4月)/拡大路線が苦
戦、編集長交代と元気な演劇公演/単行本を突破口にと/再建計画が
進んだが壊れる(85年2月)/新しい経営陣に移行(85年9月)/マイナー
かメジャーか
あとがき
前書きなど
前著『プレイガイドジャーナルへの道』を書く前、
まわりの人からは「プレイガイドジャーナル」の歴
史を書くべきだと勧められていた。それを僕の考え
で1968年の大阪労音事務局と1969年の「フ
ォークリポート」編集時代から書きはじめ、この雑
誌に関してはとっかかりしかふれられなかった。こ
こに約束を果たせたことで、ほっとしています。
「プレイガイドジャーナル」の1
5年間、苦楽をとも
にしてきた多くの仲間たちに感謝します。30年後の
今から見れば、ほんの一瞬のようでもあるし、長い
一編の物語のようでもあります。同時代を生きた読
者の方々も含めて、往時を振りかえるとき、断章で
も思い出していただければ幸いです。
「あとがき」より
関連リンク
上記内容は本書刊行時のものです。