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農と言える日本人
福島発・農業の復興へ
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2014年4月
- 書店発売日
- 2014年4月16日
- 登録日
- 2014年3月19日
- 最終更新日
- 2014年7月2日
紹介
3.11以降の約1000日で250回以上も福島を訪れ、
農家に寄り添って復興を支えてきた著者・渾身の書き下ろし!
農家に学び、共に考え、再生への道を切り開く。
目次
はじめに
第1章 被災地で農家の生の声を聞く
1 現地調査での決断
海水が流れ込む水田――相馬市●稲の作付けを中止――南相馬市●農業者からの協力要請――二本松市東和地区●農業は再開できそうだ●里山の再生を目指して●までいの里を忘れない
2 ゆうきの里の有機農業者たち――二本松市東和地区
ぶれず、めげず、しびらっこく、がんばっぺ●頼りになる事務局長●グリーンツーリズムの旗手は注文のきかねえ料理店の店主●農水省から新規就農へ●阿武隈に溶け込んだウチナーンチュ●こだわりのリンゴ農家
3 地域に有機農業を広げる福島県有機農業ネットワーク
篤農有機農家の想い●田んぼ(tanbo)から飛んだのでトンボ(tonbo)●トンボがリオに飛んだ●原発事故による福島農家の苦悩を世界に発信●農家娘の日々●希望の種を播く●厳しい状況が続く小高区
4 稲作の再開に向けた調査活動――南相馬市太田地区
農地の空間線量率は下がっているけれど……●実証水田での作付けと厳しい結果
5 全村避難からの再生――飯舘村大久保第一集落
集落の汚染マップを作成●自立の村づくりをあきらめない
6 理不尽な現実に立ち向かう後継者
第2章 研究者と農家の協働が生み出す成果
1 研究者の連携による復興プログラム
私たちの基本的姿勢●調査結果を農家に返す中間報告会
2 知ることは生きること
有機農業の適地・東和●詳細な汚染マップが何より大切●ウッドチップと落ち葉を利用した里山(森林)の除染●里山からの水に放射性セシウムが含まれている●土壌と玄米などの放射性セシウム含量の関係●放射性セシウム含量は水口が高い●移行係数は想定より低い●増水時に放射性セシウム含量が増える●ゼオライトや塩化カリウムなどの効果はない●耕作によって空間線量率が下がる●大豆の放射性セシウム汚染と低減対策●桑の木の放射性セシウム抑制対策●稲架掛け乾燥は安全●タケノコは先端部分の放射性セシウム含量が高い
3 上流の放射能汚染が下流の稲作に影響する
4 情報の公開で風評被害を乗り越える
第3章 足尾と水俣に学ぶ
1 初めて公害にノーと言った日本人・田中正造
田中正造の言葉●故郷の偉人への想い
2 農の人の軌跡
自己利益のためには行動しない政治家●農の人として農民に寄り添う●現場で農民に学ぶ谷中学●谷中学から水俣学、そして福島へ
3 水俣病の教訓
化学肥料と爆薬は同根●水俣病の発生と隠蔽の構造●相次ぐ訴訟●踏みにじられた水俣病特措法●語り部の証言と学生の反応●事実は現場にしかない
第4章 科学者の責任と倫理
現場を重視しない研究者●被害者の側に立たない行政●科学者の倫理的責任●現場で農と言える人たちを育てる
おわりに
参考資料
前書きなど
はじめに
原子力発電所は近代文明の象徴であった。二〇一一年三月に起きた東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故は、風評被害も含めて、東日本、とりわけ福島県の第一次産業に莫大な被害をもたらした。それは、東京電力が想定する以上の高さの津波の可能性が指摘されていたにもかかわらず、対応を怠ったことよる人為的な事故である。
それまで、放射性物質による農地や山林の汚染は想定されていなかったため、対処する法律も被害を補償する法律もなかった。農家は自ら被害を証明しなければ、補償されなかったのである。原発事故後、福島県では広範囲に土が汚染され、将来を悩んで自殺する農家もあった。原子力発電所と農業は、決して共存できない。
だが、よく考えてみると、この原発事故以前から、日本の農業は危機的状況にあった。後継者の不足、農地や里山(森林)の荒廃、農薬や化学肥料による生態系の汚染、農産物の安全性に対する不安、農薬散布による農業者の健康への影響……。放射性物質の汚染による農業の危機は、それらを顕在化させたにすぎない。原発事故から三年が過ぎたいま、どれだけの日本人がこの状況に気づき、農業の将来に危機感をもっているだろうか?
福島県の浜通り(太平洋と阿武隈(あ ぶ くま)高地にはさまれた地域)と中通り(阿武隈高地と奥羽山脈にはさまれた地域)は、古くから数年間隔でオホーツク海高気圧の影響による冷たい「やませ(偏東風)」が夏に吹き、冷害を受けやすかった。そこで、江戸時代から長年、冷害を克服するために、稲の品種改良や冷害に強い苗づくり、灌漑(温かい水の利用)、排水(水田に水を溜めて温かくするために水を多く流さない)、肥料の工夫(里山(森林)の落ち葉、草や家畜糞尿の有機物の利用)、農具や農耕馬の改良などの努力を続けてきた。それは必然的に、里山(森林)、家畜と人間が共生する有畜複合家族農業の発展につながっていく。
明治時代後期の福島県の資料によると、会津ではイネの品種だけで約六〇種あり、早稲(わ せ)、中稲(なか て)、晩稲(おく て)と植える時期が異なる稲を水田や地域ごとに分散して栽培し、冷害を軽減してきた。こうした自然と共生する農業の知恵と工夫は、農業近代化が進んだ一九六〇年代以降も家族農業を中心に脈々と受け継がれている。
また、朝晩と日中の温度差が大きく、晩秋から早春には霜がおりるため、病原性の微生物や昆虫が生育しにくい。したがって、病原菌や害虫の発生が少なく、野菜の味がよい。それゆえ、農薬や化学肥料を使用しない地域資源循環型の有機農業も盛んである。『会津農書』(佐瀬次右衛門著、全三巻、一六八四年)に代表されるように、地域資源を利用する優れた民間技術も少なくない。
私たち新潟大学・茨城大学・横浜国立大学・東京農工大学などの研究者有志はこの間、原発事故以前からさまざまな特徴ある取り組みを続けてきた二本松市東和地区、南相馬市、飯舘村などの復興を、農家に寄り添いながら、お手伝いしてきた。ただし、危機的なのは農業だけではない。私たちの活動を紹介した「教育ルネサンス」(『読売新聞』二〇一三年一二月七日)では、東京農業大学初代学長・横井時敬先生の言葉「農学栄えて農業滅ぶ」に言及し、こう述べていた。
「多くの教員が『大豆のデオキシリボ核酸(DNA)はわかっても、植物としての大豆を知らない学生は珍しくない』と指摘する事態が広がっている」
これは、学生だけでなく農学研究者にも当てはまる。現代の農学研究・農学教育も危機的状況にある。
福島県、そして東日本の農業の復興と振興は、農業現場と結びついた本来の農学の復権でなければならない。私たちは、この本来の農学を原発事故後の調査研究を通じて学んできた。
現場には、地域には、私たちが大学では学べない農業の本質がある。人間と自然を育てる「農業の力」がある。そして、人間も含めてすべての生き物を育てる農家の力がある。自然生態系に則った農業の継続によって「自然が育ち」、農家が自然を丹念に観察して「作物を育てる」ことで「人間も育つ」。その結果として、協同で地域資源を利用しながら農家が自立していく。すなわち、「地域が育つ」。いま、農業の力が農業の復興・振興を後押ししている。
農学の本質を目指す私は、福島での調査・研究をとおして農業の力に改めて驚き、それを謙虚に受けとめ、農家とともに歩みつつある。農業の「育てる」力を基礎として、「農と言える」人たちを「育てる」ことこそ、いまの日本農業に必要だ。
二〇一一年五月から二〇一四年二月まで、私は福島県を二五〇回以上訪問した。通算滞在日数は約三〇〇日間に及ぶ。その過程で、多くの「農と言える」人たちと出会い、この本で紹介したいと思った。
この本は、福島を応援したいと考えている人たち、農業・農学を学びたい・学んでいる人たち、農業で自立を目指す人たち、農業を大切にしたい人たち、農業を誇りに思いたい人たちに、ぜひ読んでいただきたい。私はこの本をとおして、現場で謙虚に農家の声を聞き、農地や自然の現象に目を向けることの大切さが伝わり、それによって実践的な研究が発展して、本来の農学を確立できると確信している。
上記内容は本書刊行時のものです。