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大西 祝
闘う哲学者の生涯
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2013年1月
- 書店発売日
- 2013年1月31日
- 登録日
- 2012年12月20日
- 最終更新日
- 2013年7月9日
紹介
明治時代に活躍した岡山市出身の哲学者の評伝。父母が熱心なキリスト教徒であったため同志社英学校(同志社大学)に入学、新島襄より受洗を受ける。東京帝国大学(東京大学)で学び、哲学を研究。36歳の若さで急逝した。彼の研究は後世に大きな影響を与え、西田幾多郎の『善の研究』は大西の『倫理学』と綱島の『病間録』の課題を引き継いだものといわれ、「日本哲学の父」「日本のカント」とも評される。
目次
序 大西祝とは何者ぞ
第1章 木全、大西家の人々
(1)父母とその家系
(2)祝の二人の兄
(3)伯父・中川横太郎~文明開化の魁
(4)大西絹~女子教育の先駆者
第2章 岡山とキリスト教
(1)小学で学ぶ
(2)岡山へのキリスト教伝来とテーラー
(3)県令高崎五六と宣教師たち
(4)岡山教会の設立
(5)金森通倫と岡山での布教
第3章 同志社に学ぶ
(1)揺籃期の同志社
(2)大西の心の師~山崎為徳
(3)大西の和歌の師~池袋清風
(4)同志社での交友
第4章 東京大学に学ぶ
(1)東京大学予備門3三年次に編入
(2)東京大学での学生生活
(3)東京大学の教師陣と講義
(4)大学院進学と二人の師
(5)論壇へのデビュ
(6)論壇へのデビュー
(7)批評あるいは批評主義
(8)批評主義の源泉~カントとアーノルド
(9)「良心起源論」を著す
第5章 東京専門学校(現早稲田大学)の教壇に立つ
(1)東京専門学校の講師となる
(2)薫陶を受けた教え子たち
(3)薫陶を受けた教え子たち
(4)夏目漱石の招聘、大西の結婚
(5)キリスト教受容に変化、丁酉倫理会設立
第6章 欧州留学、帰国と死
(1)欧州留学へ旅発つ
(2)病に3度冒される
(3)志半ばで無念の帰国
(4)病に苛む苦悩の日々
(5)故郷岡山で逝く
(6)記念碑建立と遺族
(7)大西祝の功績と追憶~その1
(8)大西の功績と追憶~その2
余滴 描かれた大西祝~
島崎藤村、徳富蘆花、倉田百三、山路愛山の作品から
島崎藤村「桜の実の熟する時」(昭和3~4年)
徳冨蘆花「冨士」(大正年~昭和3年刊行)
倉田百三「愛と認識との出発」(大正年)
山路愛山「読史論集序」(明治年刊行)
大西祝略年譜
前書きなど
大西祝とは何者ぞ
大西祝(はじめ)は幕末の岡山に生まれ、開学間もない同志社に学び、次いで東京大学で哲学を修め、早稲田大学の前身東京専門学校の教壇に立ち、西欧に留学するものの病に冒され帰国。京都帝国大学初代文科大学長に推されるが病癒えず、郷里にて明治33年に36年の生涯を終えた一哲学者。その思索の成果は没後に「大西博士全集」全7巻として刊行された。
彼は、西欧化が叫ばれる時代にあって、厳密な批判精神により精緻な思考を重ね、「良心起源論」を世に問い、また、日本人の手になる初の本格的な西洋哲学史を刊行し、そしてまた、倫理学を著した。
一方、彼は、国家主義、国粋主義が台頭する風潮にあって、学問と思想、宗教の自由を決然と主張し、権威に阿ることなく清冽健全な精神を堅持し、真理を追究する姿勢にはいささかのぶれもなかった。だが、その名を知る人は郷土においても少ない。怒濤の如く押し寄せる西欧の思想と格闘し、国家という権威を笠に着たナショナリストたちと果敢に論戦を交え、そしてまた、病と闘ったその年36年余りの生涯を、近代岡山の世相、周囲の人たち、揺籃期アカデミズムの点景などを織り込みながら足跡を追ってみたい。
版元から一言
明治時代に活躍した岡山市出身の哲学者の評伝。彼の研究は後世に大きな影響を与え、西田幾多郎の『善の研究』は大西の『倫理学』と綱島の『病間録』の課題を引き継いだものといわれ、「日本哲学の父」「日本のカント」とも評される。
上記内容は本書刊行時のものです。