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混血列島論
ポスト民俗学の試み
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2018年3月
- 書店発売日
- 2018年3月24日
- 登録日
- 2018年3月6日
- 最終更新日
- 2018年9月11日
紹介
わたしたちは混血している。
サントリー学芸賞受賞の批評家が、文学、映像、フォークロア研究を交差させながら、太平洋の島嶼という視点で日本列島(ヤポネシア)に宿る文化の混淆性を掘り起こす、新たな民俗学。
サハリンから蝦夷、沖縄、台湾まで。
異なる文化の邂逅を追って。
批評、映像、民族学といった分野を越境しながら、さまざまな著作や翻訳を発表している映像作家・批評家の金子遊。
いまもっとも注目されている気鋭の書き手の最新著作にして重要論集がついに刊行。
小説家の島尾敏雄は、日本列島から南西諸島にかけての島々を「ヤポネシア」と呼び、日本国ではなく日本列島として捉えようとした。 そして、民俗学者の谷川健一は、この「ヤポネシア」全体に見られる文化や民俗を、朝鮮半島や大陸、そして台湾、フィリピン、インドシナやマレーなどの半島、インドネシアの島々との関係で考えようとした。
日本列島や南西諸島を構成する島々は、最初から「日本」であったわけではない。さまざまな種族が、さまざまな文化様式や時代性をもってまだら状に混在し、それぞれの地方における歴史は独自で異質な時間の系列を進んできた。
それが列島のヤポネシアという本来の姿であり、混淆的である日本列島人や「混血列島」のあるがままの姿なのである。
谷川健一の思想にみちびかれて、ヤポネシアとしての日本に、さまざまな異質性と重層性をはらんだ、あるがままの「混血列島」を再発見する画期的著作。
目次
prologue 混血列島論
Ⅰ 旧植民地をめぐる旅
対岸のアラベスク―マイケル・タウシグと樺太先住民
首を狩るひと―鳥居龍蔵の台湾フィールド写真
接木の王国―アカ族から新嘗祭へ
Ⅱ マイノリティの人類学
悪魔祓い―映像でよみがえるアイヌの呪術
草葺き小屋のイザベラ・バード」
砂川のインディアン―亀井文夫とデニス・バンクス
Ⅲ 海人のフォークロア
オホーツク 漁る人びと 土本典昭論
交雑する池間島 伊良波盛男の詩
竹富島の神司―神秘体験の聞き書き
Ⅳ ヤポネシアに谺する女声
花綵列島の独唱曲 島尾ミホ
大神島の媼亡ければ
戦時の人類学 ルース・ベネディクト
Epilogue 巫娼たちの渚 奄美大島
あとがき
前書きなど
多系列で異質な時間を単系列の時間という一本の糸に撚り合わせていったのが「日本」であり、そのために支配層が腐心し、ときによっては、糊塗と偽造をもあえて辞さなかったのが「日本」の歴史である。したがって、撚り合わせた糸をもう一度撚りもどす作業、つまり「ヤポネシアの日本化」を「日本のヤポネシア化」へと還元していく努力が要請される。
まさに谷川健一の思想のひとつが、この「日本のヤポネシア化」であるといえよう。わたしたちが無批判にいだいてしまっている日本列島への歴史認識を、同質的で均等性をもつと幻想される「日本」から、それぞれが異質で不均等でたがいに混ざりあうような島々の連なりである「ヤポネシア」の歴史空間へとシフトしていくのだ。そんなことは本当に可能なのだろうか。たとえば、ヤポネシアをサハリン、千島列島、日本列島、小笠原諸島、マリアナ諸島、南西諸島、台湾などを含む、太平洋上の大きな島弧として見るとき、このヤポネシア世界が世界中のほかの地域と比べても、面積がせまい割には南北の長い緯度にわたって分布していることがわかる。
(本書「prologue 混血列島論」より抜粋)
上記内容は本書刊行時のものです。