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なでしこ 後藤乾一(編) - めこん
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なでしこ (ナデシコ) 巻次:1・2・3 小笠原諸島・父島 大村尋常高等小学校文集(復刻) (オガサワラショトウチチジマオオムラジンジョウコウトウショウガッコウブンシュウフッコク)

教育
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発行:めこん
A5判
縦215mm 横152mm 厚さ78mm
重さ 1935g
1458ページ
3冊組み函入り
定価 8,000円+税
ISBN
978-4-8396-0331-1   COPY
ISBN 13
9784839603311   COPY
ISBN 10h
4-8396-0331-6   COPY
ISBN 10
4839603316   COPY
出版者記号
8396   COPY
Cコード
C0095  
0:一般 0:単行本 95:日本文学、評論、随筆、その他
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2022年10月20日
書店発売日
登録日
2022年10月18日
最終更新日
2022年11月18日
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紹介

1933年(日本、国際連盟脱退)~1937年(日中戦争勃発)~1939年(第2次世界大戦勃発)、日本全土が戦争にのめり込んでいった時代、「南海の楽園」と呼ばれた小笠原諸島の小学生たちは日々、何を思っていたのか。奇跡的に消失を免れた59冊の文集が再現する少年少女たちの日常生活の喜びと哀しみ。

目次

『なでしこ』目次(タイトル執筆者氏名)

なでしこ七月号(No.137)

衛生心得 002
暑中休暇中の心得 003

二年生の綴り方 005
ぼくが大きくなつたら
浅沼庫雄 005 
沖山桂造 005
奥山求 006 
小宮山タケ 006

三年生のつゞり方 007 
私のすきなもの 僕のすきなもの
毎田米子 007
野口晃 006
釜谷秀水 008
長谷川宏 008

尋四綴方 009
通信簿をいたゞくまで 宮崎やす子 009 
‶空をながめて〟石津岩子 009 
‶おぼんが來た〟児玉成美 009
私の姉さん 西村静江 010
夏が來た。 菊池登代 010

尋五綴方 011
おぼん 重田實 011 
夏休み 菊池昭郎 011 
夜のけしき 佐々木トエ 011
考査 間渕ヒサ子 012 
お墓まゐり 川崎末子 012

六年生の綴方 013
夏休。 髙﨑喜久雄 013 
笹口文雄 013
夏休の計画 大犮たつ子 013 
ハイク 西村正一 014 
菊池愛子 014
奥山文子 014 
杉田次郎 014
夏 釜谷輝子 014

高一作文 015
お盆の夕暮 奥山紀子 015 
身体と精神 原田武重 015
今日 大谷幹男 016
お盆 菊池美津 016

髙二の綴方 017
花を見て 小宮山さき 017 
都會と田舎 和田邦康 017
最後の夏休を迎へて 福岡雪子 018

學校日誌より 019 
寄贈 019



なでしこ 九月号(No.138)

尋二つゞりかた 023
私のうち(三篇) 水留邦枝 023 
重田ヤヨヒ 023
壬生恒子 023
柳沼先生(三篇) 小林五郎 023 
横山セツ 023
浅沼榮一 023

尋三の文 025
僕は……。 私は……。
‶ふでいれ〟 磯崎靜夫 025
‶かばん〟 清水完員 025
‶本立〟 鵜澤寛 025
‶石〟 長谷川宏 026
‶ふとん〟 石幡英子 026

尋四綴方 027
私の家 藤滝清 027 
悲しい出來事 石津岩子 027
飛行機遊び 金川幸雄 027
ごろ 宮崎やす子 028

尋五 029
夏休みの思ひ出
よつばり 磯崎時彦 029 
かつを 佐藤平次郎 029
東京 小松寿太郎 030
二学期になつて 板東角男 030

綴方6ネン 031
第二學期を迎へて。 西村正一 031
兵隊さんのごはん 横山丈夫 031
夏休を思ひ出して ケヤサリンセーボレー 032

髙一綴方 033
大演習 横山悟 033 
演習 鵜飼愛子 033
野球の前夜 浅沼啓介 034

髙二の作文 035
二学期を迎へて 内海愛子 035
夏休 福岡雪子 035
夏休の出來事 河野八一 036

專女綴方 037
夜 一年藤滝きみ子 037
一年浅沼一子 037
夏休 二年木村ハナ 038
思出 二年沖山ソメ子

其の後の学校日誌より 039




なでしこ 十月号(No.139)

尋二 043
雨 石津嵩夫 043 
私のうち 淺沼俊 043
きのふ 淺沼誠 044

尋三のつゞり方 045
すべりだい 毎田米 045
土屋せい子 045
お祭 野口晃 046
僕の友達 鵜澤寛 046

尋四綴方 047
お祭 藤滝濱子 047
今朝 菊池登代 047
‶夕方になるまで〟沖山茂子 048 
‶うちのちび〟大道サトエ 048

尋五 049
すべり台 佐々木勇 049
もゝの実拾ひ 田中茂子 049
かはいそうな猫 黒川澄江 050
きりの木 山下員正 050

六年生の綴方 051
私の一番困った事 杉田次郎 051
或る晩の事 石井金雄 051
秋の夜 小祝温子 052
運動會 大犮たつ子 052

髙一綴方 053
支廰に入って 髙木登代子 053
今日の日本 赤井三郎 054
危機迫る太平洋 喜代春 054

髙二の作文 055
吾が好める偉人を論ず。石井義晴 055
吾が將来の希望 持丸勇次郎 055
吾が將来の希望 ヘヌリツキセーボレー 056
吾が好める偉人を論ず 磯崎幸春 056
專女綴方 057
雨 一年 峯元としこ 057
運動會 二年浅沼里子 057
蚊 二年田中フジ 058
秋の詩の一節 一年山田春子 058
俳句 二年 浅沼恵 058

故田尻先生を憶ふ (藤川生)059
 
學校日誌より 061
寄贈 061






なでしこ 十一月号 NO.140 【表紙】

尋二 065
運動會 井上弘 065 
金川ハナ子 065 
藤滝一郎 066 
太刀岡正江 066

尋三 067  
運動會 磯崎静夫 067 
島野三男藏 067  
高橋静子 067
(尋三児童合作) 068


尋四綴方 069
運動會 藤滝濱子 253  
運動會 大川寛造 069 
運動會 林久子 069 
運動會 奥山憲一 070  
雨 菊池登代 070


尋五綴方 071
運動會 山下員正 071 
展覧會 金原くま 071

六ねん生の綴方 073
運動會の朝 笹本文慶 073 
運動会 石津俊彦 073 
運動會 藤方秀作 074 
扇浦の運動會の朝 笹本曽代子 074

髙一綴方 075
小包 浅沼タツコ 075 
海 沖山鉄雄 075 
三勇士を好む 浅沼寛 076
菊池初枝 076 
菊池美澤 076

髙等二年生の綴方 077
運動会を了へて 持丸勇次郎 077 
大川廣平 077
佐藤ゆき子 077

專女綴方 079
写真 一年 藤滝きみ 079 
目白 一年 間渕種代 079 
或夜 二年 浅沼サト子 080

美擧 081
別項一 お願ひ 昭和八年十月一日 大沼茂子 高須判士長殿
別項二 昭和八年十月 特別辯護人 海軍大尉 朝田肆六 海軍中尉 浅水鐡夫    

感謝 085

その後の学校日誌より 087




なでしこ 十二月号 NO.141 

尋二 091
お正月 横山セツ 091 
ニチエウ 宮川静悠 091 
きのふ 浅沼庫雄 092
ぽすと 江平静男 092

尋三 093 
お正月を待つ。 鵜澤寛 093  
        浅沼和夫 093 
釜谷秀水 094 
菊池久香 094 
石幡英子 094

尋四綴方 095
学校へ行く途中 和田昌明 095 
花火 奥山憲一 095
田中島好子さんの死をいたみその御父さんへ 藤瀧濱子 095 
私は松の木です 菊池かつ 096
夕方 菊池登代 096
田中島好子さんのお父さんへ 林久子 096

尋五の綴方 097
試験 菊池秀行 097 
朝の勉強 益田修 097 
先生約束を忘れないで ビーゲレー 098 
夢 磯崎秀子 098
オハナシ ヘビノヒモ 小松寿太郎 099

六年生の綴方 101
年の暮 江平佐太男 101 
釼道 石津俊彦 101
はいく 菊池英七 101 
はいく ケヤサリンセーボレー101
年の暮 奥山留枝 101 
温子ちやん 中村みつ 102 
かなしい事 奥山文子 102

髙等科第一学年 103
今朝 藤滝やす 103 
歳暮 菊池初枝 103 
朝 沖山鉄雄 104 
年の暮 大谷幹男 104

髙二の作文 105
一年を回顧して 菊池つねみ 105 
年の暮 石田友二 105 
嘘 菊池ヒサ子 105 
神 持丸由 106

專女綴方(十二月) 107
満州の兵隊さんを思う  一年 山田春子 107 
冬が参りました 二年 木村ハナ 108
お正月は目前に 三年 沖山ソメ子 108

寄贈 109






なでしこ 1月号 NO.142 

一ネンノツヅリカタ 113
センサウノコト カガヤハジメ 113 
ヒロシノコト ヤボリエミコ 113 
赤チャンノコト ナカムラツトコ 114
トウキャウノコト アメミヤミエ 114 
オトウトノコト ミヤザキマスコ 114

尋二 115
兒玉孝三 115
金川郁子 115
橋本重男 115 
志村のぶ 116 
長田克介 116

尋三のつゞり方 117
風 吉田亮二 117 
たうばん 野口晃 117 
書道會 島野三男藏 117 
私はフリジヤ 高橋静子 118
夜 石津弘子 118 
夜の空 石津弘子 118

尋四ノ綴方 119
私は道ばたの小石です 笹口芳朗 119 
うちのいさをちやん 藤滝濱子 119 
家の庭 石津岩子 119
此の頃 黒澤あさい 120 
朝 石井美枝子 120

尋五の綴方 121
皇太子殿下 金原くま 121 
書道展らん會 菊池秀行 121 
病気 佐々木勇 122

六年生の綴方 123
朝 西村正一 123 
父知らぬ弟を 石津俊彦 123 
流行性感冒 空家慶次郎 123 
綴方の時間 川﨑すまこ 124
はやり風 小宮山さだ子 124

あけましておめでとうございます 「今年も仲よくね」 (髙一生) 125
年頭の感 小沢トキ 125 
皇太子殿下の御降誕を祝ふ 壬生幸 125 
元旦 笹本忠夫 126 
吾人の覺悟 齋藤留 126
随筆 
石津弘子 
高木鈴江 126 
菊池美津 126

髙二の作文 127
昭和九年を迎へて 板東富乃 127 
同 和田邦康 127 
同 持丸由 128

專女 129
過失 一年 藤滝君子 129 
病氣 一年 峯元トシ子 129 
或夜 二年 浅沼あい子 130

其の後の學校日誌より 131
寄贈 131



なでしこ2月号 競技会紀念号 NO.143 

一ネンノツヅリカタ 135
バントウサン アサヌマカズコ 135 
ツリハマ アサヌママサシ 135 
オ山ノコト マスダユカコ 135
ベンキャウノコト フジタキシヅコ 136 
アズマヤノコト ヒラノマサヨ 136 
山ノコト キクチスエ 136

尋二137
私は、つくゑです。 佐々木松男 137 
私は犬です。 佐々木ミス 137 
私は、どろぼうねずみです。 浅沼敏一 137
私はネコです。 木村タケ 138

尋三のつゞり方 139
手紙 鵜澤寛 139 
朝 奥山登喜子 139 
あかちやん 金川恒男 140 
オホシケ 屋代正弘 140 
こねこ 髙松ツルカ 140

尋四綴方 141
福岡雪子さんをおもふ 石津岩子 141   
           奥山憲一 141 
藤滝清 142

尋五の綴方 143
電話 板東角男  143
競技會 海野輝雄 143 
とり小屋 木村サヨ 144 
朝早く 黒川澄江 144

尋六の綴方 145
競技会 児玉章一 145 
俳句 浅沼鉄夫 145
競技会を終へて 藤方秀作 145 
同 イーデスワシントン 145
同 日高とい子 146 
同 菊池愛子 146

髙一綴方 147
二月二十二日 壬生幸 147 
幼かりし日 浅沼泰男 147 
清書 奥山紀子 148 
三月十日 奥山貞美 148
榮えよ日本 菊池初枝 148

卒業生送別競技会後記 FY生 149

昭和八年度競技会成績及ビレコード対照表 154

髙二の作文 155
競技会を了へて…… 菊池つねみ 155 
同 佐藤忠七 155 
同 和田邦康 156 
同 板東富乃 156


昭和九年を迎へて 故福岡雪子 157 
故福岡雪子さんを憶ふ。 菊池ヒサ子 157

福岡雪子さんを弔ふ 159

專女 161
雪ちやん 一年 藤滝きみ子 161 
早朝の教室 二年 浅沼忠  161
或日のこと 二年 田中フジ 162
送別競技會 二年 沖山ソメ子 162

其の後の學校日誌より 163









なでしこ第百四十四号 

ジン一 167
エンソク ヨロコビニミチテ、ツヅリマシタ 
マノヨシコ 167 
ホリグチヤスノブ 167 
ササグチイハ子 167
ヨコヤマヨシフミ 168 
テラダクニコ 168

尋二 169
石津嵩夫 169 
イサベラ  169
浅沼庫雄 170 
石田テル 170

尋三 171
僕が大きくなつたら 清水完員 171 
私の手 奥山スエノ 171 
妹 奥山登喜子 171 
私はありです。 髙橋静子 172

尋四の綴方 173
卒業生を送る 奥山憲一 173 
同じく 笹口芳朗 173 
同じく 宮崎やす子 174 
同じく 菊池登代 174

尋五綴方 175
國旗 菊池昭郎 175 
仝 安川富貴子 175 
仝 村松富貴 175 
大きくなつたら 原田正道 176 
洋生兄さん 重田実 176

尋六の作文 177
尋常科を終へるに臨んで 杉田次郎 177 
同 空家慶次郎 177 
同 小宮山キク 177 
同 笹口文雄 178

高一作文 179
非常時日本は海上より 大塚好男 179
卒業生を送る 菊池初枝 179
登校前 奥山貞美 180
我等の日の丸 大川富 180

髙二の作文  
卒業に臨みて 大川広平 181
金川春吉 181
雨宮得蔵 181
日高登 181
橋本与一郎 181
佐藤忠七 181
石井義晴 181
黒川秀市 182
和田邦康 182
佐々木憲二 182
石田友二 182
持丸勇次郎 182
河野入一 182
畠山久子 183
菊池つね 183
木下シヅヨ 183
江平奈加子 183
浅沼鈴子 183
内海愛子 183
永野トヨ 183
佐藤ゆきよ 184
浅沼輝子 184
稲田はつ子 184
山下まき子 184
小宮山サキ 184
佐々木コミエ 184
菊池久子 184

專女綴方 185
卒業生を送る 一年 山田春子 185
卒業に臨みて 三年 185
□ 一年 浅沼一子 186
□ 二年 浅井キヨ子 186

其の後の学校日誌より 187
寄贈 187




なでしこ NO.145 

二ネン 191
ワラビトリ 石幡秀子 191
三カヅキ山 浅沼良吉 191
サカイウラ オキヤマテツジ 192
キャウダイ ヤボリエミ子 192

尋三の綴方 193
三年生になつて 奥山求 193
横山セツ 193
石津嵩夫 193
神澤とみ子 193
横山秀雄 194
重田弥生 194
藤滝一郎 194

四年生の綴方 195
“四年生になつた。” 磯崎静夫 195
後藤茂義 195
土屋せい子 196
“私たちの學校” 内海幸子 196

尋五綴方 197
潮干狩 藤滝清 197
私は一銭です。 菊池登代 197
野球 浅沼陽 197
五年生になりました。 藤滝浜子 198

尋六の綴方 199
僕等は六年生 海野輝雄 199
仝 藤井不二雄 199
卒業式の感 小松寿太郎 199
潮干狩 毎田みつ 200

髙一 201
兒玉章一 201
大友たつ子 201
鈴木芳雄 201 
小祝温子 202
日髙とい子 202

高二綴方 203
力 原田武重 203
春 藤滝やす 203
傳染病 上部國男 203
非常時小笠原島 菊池美津 204
愛林デー 壬生幸 204
小笠原島民の覺悟 多和田喜代春 204

專女綴方 205
春が来た 一年 小祝ます 205
お作法 一年 菊池ヒサ子 206
愛子 206
ゆき 206
とし子 206

昭和八年度學事統計(昭和九年三月廿四日) 207
學校編制表 大村尋常高等小学校(昭和九年四月) 208
寄贈 209



なでしこ NO.146 

二年生 213
二年生 シブヤキヨシ 213
いぬ オホヌマキンノスケ 213
ヒヨコノコト アサヌマキヨコ 213
おばあさん アサヌマカズ子 214

3年生の綴方 215
私たちの學校 諸田光子 215
私は木です 浅沼敏一 215
バリケン イサベラ 215
私のうち 宮川静悠 215
私のうち 金川郁子 216
私のうち 浅沼俊 216
私はくじらです。 豊島隆二 216

四年生 217 
“僕のくせ”“私のくせ”
鵜沢寛 217
浅沼和夫 217
奥山スエノ 217
佐山和子 218

尋五綴方 219
此頃 井上喜美 219
私達の學藝會の順番 □ 219
旗取り 黒澤あさい 220

尋六の綴方 221
清君 山下員正 221
誠三郎君 笹本清 221
鈴木芳雄君 海野輝雄 221
友達のおさむ 金川美次 222

高一 223
杉田次郎 223
大友たつ子 224
小宮山基夫 224
金川美代 224

髙二綴方 225
五月二十七日 木村幸男 225
ねずみ 奥山紀子 225
幼き頃 髙木鈴江 226

專女綴り方 227
物事 専一 小祝ます 227
月の海辺に 専二 山田春子 227
玉壺氷心 専一 佐藤ゆき子 228

電氣についての心得 230
□保護者会予算書 231
昭和八年度大村尋常小学校児童保護者会決算書 233
學校日誌 235
六月の暦 235



なでしこ 六月号 NO.147 

ニネンノツヅリカタ 239
ビャウキ 國井昭夫 239
びゃうき みやざきます 239
ビャウキ カガヤハジメ 240
びゃうき ひらのまさ 240

Ⅲ年生の綴方 241
鯉のぼり 浅沼庫雄 241
でんきのこと 河野正夫 241
でんき 浅沼誠 241
私はかれんだーです 諸田光子 242
でんき 菊池キヨ 242

尋四綴方 243
吉田亮二 243
和田清 243
野口晃 243
奥山登喜子 244

尋五ノ綴方 245
父島の虫 児玉成美 245
手紙 石津岩子 245
あつくなるにつれて 沖山茂子 245
昨夜 西村静江 246

尋六の作文 247
綴方 森下やす子 247
電氣 大沼茂子 247
人の顔 和田とみ子 247
夏の夕べ 磯崎秀子 248
おい魚君 高松晴男248
人間の命 小松壽太郎 248

髙一 249
潜水夫 高﨑喜久雄 249
朝の教室 奥山サキ子 249
我が大村 浅沼鉄夫 249
親孝行 奥山留枝 250

高二乃綴方 251
エヂソン 横山悟 251
テニス 斉藤留 251
人生 沖山鉄雄 251
海の夕 菊池初枝 252
水 奥山貞美 252

專女綴方 253
この頃 一年 内美愛子 253
或る日の妹 一年 菊池ヒサ子 253
夏が來た 二年 藤滝きみ子 253
□ 二年 浅沼一子 254
アララギ五月号より 254
岡麓
斎藤茂吉
土屋文明
結城哀草果

寄贈御礼 255
學校日誌より 255

なでしこ7月号 NO.148 

暑中休暇中の心得 258
皆さんの学校に集まる日割 258

じん二つゞりかた 259
私はふで入 てらだくに子 259
ぼくは犬です 大ぬまきんのすけ 259
私はふで入 ふじたきしづ子 260

尋三の綴方 261
日曜 重田弥生 261
日曜日のこと 太刀岡正江 261
日曜日 河野政男 262
私たちの先生 石田タミ 262

尋四の綴方 263
とけい 菊池和美 263
満州のへいたいさんへ 石津弘子 263
満州のへいたいさんへ。 清水完員 264
夏休 土屋せい子 264

尋五綴方 265
夏の朝 黒澤あさい 265
海のながめ 林久子 265
夏 藤瀧濱子 265
夏 平野重直 266
夏の朝 藤瀧清 266
夏 石津岩子 266
夏 石井愛子 267
夏 村松壽子 267
参考文 算術の試験 267

尋六の綴方 269
あゝ東郷元師 佐々木勇 269
僕の希望 菊池秀行 269
扇浦の一日 菊池昭郎 269
妙な名前 小野キヨ子 270
私のすきなもの 小祝セキ 270

髙一の作文 271
満州の守備隊に居る叔父への手紙 西村正一 271
同 ケヤサリンセーボレー 271
同 石井金雄 271
同 笹本曽代子 271
同 横山丈夫 272
同 奥山文子 272

髙等科第二學年綴方 273
不可能 浅沼寛 273
夕方 菊池ステ子 273
波 玉置夏雄 274
夜の空 間渕ユキ 274
釣り 笹本忠夫274

專女綴方 275
朝顔の芽 一年 内海愛子 275
質問 一年 佐々木コミエ 275
亡き父を慕ひて 二年 山田春子 276
夏の夜 二年 藤滝きみ 276

寄贈 277
學校日誌より 277


ナデシコ九月号 満州事変 NO.149 

二ネン 282
なつやすみのこと すゞきみきや 281
中村ツト子 281
くも 笹口岩子 282

尋三 283
「トンネル」 尋三 壬生恒子 283
おばあさんのみおくり 尋三 □祐一郎 283
私のお人形 尋三 服部きぬ子 284
私のとり 尋三 イサベラ 284

尋四綴方 285
僕のうち 佐々木晴治 285
エビ 黒川増男 285
はと 髙橋静子286

尋五ノ綴方 287
船の旅 鶴千賀子 287
こみばへとり 奥山宣夫 287
先生のお土産を待つ 藤瀧濱子 288

尋六の綴方 289
僕等の少年團日記 浅沼良次 289
二學期の心得 板東角男 289
三日月山 重田實 289
海 安川富貴子 290
兄の帰郷 金原くま 290

髙等科第一學年 291 
夏休みの一日 西村正一 291
イーデスワシントン 291
笹口文雄 291
佐藤ふみ 292
浅沼三男 292
橋本八重子 292

髙二綴方 293
常夏の島 壬生幸 293
夕暮 木村幸男 293
夜の町 横山悟 293
捨てられた花 菊池美津 294

綴方専修女學校 295
夏休ををへて 一年 菊池つねみ 295
一年 江平奈加子 295
二年 峯元トシ子 296
昨夜のバッタ 二年 間渕種代 296

大村尋常髙等小學校創立五十周年記念 297
式次 297
小学校児童総代祝辞 雨宮敏雄 300
祝辞 □浅沼□
祝辞 大村小学校同窓会員総代 宮内二郎 302

御寄贈 303
学校だより 303




なでしこ10月号 NO.150 

ジン一ツヅリカタ 307
ダイエンシフ ナガタイヅヲ 307
ミヤノハマ イシヅトクコ 308
サル オクヤマヨシコ 308

岩子ちゃん 二年生 309
雨宮ミエ 309
浅沼清子 309
岩子ちゃんのさいごのつゞり方 しゃうか 310

尋三 311
「くものす」 浅沼庫雄 311
「とん吉のうた」 沖山桂造 311
「おまつり」 兒玉孝三 312
「グンカンユウギ」 浅沼榮一 312

尋四の綴方 313
“秋” 鵜澤寛 313
“秋” 吉田亮二 313
“ひさちゃんの死” 高橋静子 314
“博之のおもひで” 菊池久香 314

尋五綴方 315
秋 鶴千賀子 315
児童劇 ままごとあぞび 藤瀧浜子 315
るすばん 黒澤あさい 316

尋六 317
秋の海 菊池英行 317
秋の野山 横尾こづえ 317
十五夜 森下ヤス子 318
でんぐ熱 毎田美津 318
でんぐ熱 藤井不二雄 318

高等科第一學年 319
笹本文慶 319
菊池愛子 319
江平佐太郎 320
菊池芳香 320
石津俊彦 320

髙二作文 321
病氣 髙木登代子 321
人生 上部國男 321
或る一夜 中沢セツ子 322
立てよ國民 奥山貞美 322

專女綴方 323
鯨 一年 菊池ヒサ子 323
お祭 一年 稲田はつ子 323
或夜 一年 菊池つねみ 324
或夜 二年 山田春子 324

御寄贈 325
學校日誌より 325



なでしこ 十一月號 

火の用心 328

ジン一 ウンドウクワイ 329
末松洋子 329
西村喜美子 330
市木晃 330

二ねんつゞりかた 331
うんどうくわいの朝 てらだくに子 331
かけっこ。 あさぬまかず子 331
よるのできごと 横山芳文 332

尋三 333 
私のくせ
其一 大沼榮一 333
其ニ 浅沼庫雄 333
其三 服部きぬ子 333
其四 壬生恒子 334
其五 石田多美 334
今では 水留邦枝 334

尋四 335 
運動會 菊池照子 335
釜谷秀水 335
池田光 336

尋五綴方 十一月 337
私の家 林久子 337
私は海の水です 笹口芳朗 337
雨の夜 藤瀧浜子 337
非常時小笠原島 奥山宣夫 338
一匹の蟻 石井愛子 338

尋六の綴方 339
防護團の演習 黒川三義 339
運動會 小祝セキ 339
徒競走 藤原好子 339
唱歌をうたひながら 横尾こづえ 340
机の中 石井良郎 340
親子リレー 浅沼良次 340

髙一 341
運動會を待つ時の心持 峯元茂 341
運動會 小宮山キク 341
マラソン 山下光次郎 341
運動會 小宮山さだ子 342

髙等科第二學年綴方 343
夜の淋しさ 屋代花遊 343
運動会の朝 赤井三郎 343
優勝旗 浅沼タツコ 344
夕方 菊池秀勝 344

專女 345
都の友へ 一年 菊池つねみ 345
運動會 一年 小祝マス 345
一年 内海愛子 346

運動會を詠ず H生 347
準備の日

運動會の朝
尋一の徒競走
日の丸萬歳
徒競走
親心
両校選手リレー
宝拾ひ
苦心
攻城
村祭り
櫻の精
協議費完納競争
対抗リレー
親子リレー
最後

御寄贈 349
學校日誌より 349






なでしこ 十二月號 NO.152 

十二月の歴史 352

ジン一 ツヅリカタ 353
カッパ 小宮山とし 353
ヨッパラヒ 西村喜美子 353
ヲドリ 和田愛子 355
キリノミカッセン 渡邊三朝 356

尋二つゞり方 357
おばあさんの思出 川崎ヲケイ 357
お父さん 宮崎ます子 357
お母さま 笹本正子 358

三年のツヅリ方(其一) 359
防火デー 横山秀雄 359
友だちのお手紙 諸田光子 360

三年のつゞり方 其ニ 361
書き取(十二月八日) 田代美穂 361
書き取(十一月二十二日) 太刀岡正江 362

四年生  363
指 後藤茂義 363
浅沼和夫 363
清水完員 364
石津弘子 364

尋五綴方 365
さびしい夜 石津岩子 365
朝の海 鶴千賀子 365
お正月を待つ 沖山茂子 365
お金 小宮山ツル 366
和田昌明 366

尋六の綴方 367
東北地方のきゝんにて 菊池昭郎 367
苦心 浅沼行雄 367
反省 沖山政香 367
将來の希望のきまらない僕 藤田正行 368
お正月 重田實 368

高一 369 
卒業後の事を今より考へて見る 藤方秀作 369
川﨑すま子 369
空家慶次郎 369
河野ミヨシ 369
浅沼誠一 370
大友たつ子 370
荒籾滋 370
小祝温子 370

髙二綴方 371
年末の所感 浅沼寛 371
帰路 鵜飼愛子 371
胆力の養成 佐々木悟朗 372
煙 大塚次雄 372
一本の針 浅沼タツコ 372

專女綴方 373
年末所感 一年 菊池つねみ 373
流れ星 一年 畠山久子 373
指輪の行方 二年 藤滝きみ 374
聞くも涙を覚えます S 374

【なでしこ2・3の目次は略】

前書きなど

まえがき


 このたび復刻・公刊されることになった『なでしこ』は、公益財団法人・小笠原協会(一九六五年五月設立、詳細は『小笠原協会創立五十周年史』二〇一六年、を参照)が所蔵する、戦前期父島の大村尋常高等小学校の学校誌一三七号から一八九号(昭和八年七月~昭和十四年二月)全五九冊である。

 一 時代的背景
 東京都唯一の亜熱帯地方である小笠原諸島。その中心父島は、東京・竹芝桟橋から南へ約一千キロ、黒潮に洗われる人口約二六九三人(二〇二二年六月現在、母島人口は約四五二人)の島である。二〇一一年に世界遺産に登録されたことが示すように(日本で四番目)、小笠原諸島は海陸の豊かな自然に恵まれ、訪れる人々を魅了してやまない。
 この小笠原諸島が日本の領土となったのは、一八七六(明治九)年十月のことである(硫黄諸島は一八九一年)。当初は内務省所管であったが、一八八〇年十一月から前大戦終結まで、東京府の管轄下に置かれてきた。歴史をさかのぼると、徳川幕府は、延宝三(一六七五)年、同諸島に巡察使を派遣し、「此島大日本之内也」の標識を建てたり、あるいは一八世紀後半に『三国通覧図説』を著した林子平ら先覚の経綸家たちが、当時無人島(むにんしま)と呼ばれた小笠原諸島の開拓を唱えたりした。しかしながら、基本的に「鎖国」を国策とする幕府当局からは、かえって危険思想視されてきた事実は広く知られている。この小笠原諸島に初めて定住することになったのは、日本人ではなく、一八三〇年にハワイから移り住んだ三〇人に満たない欧米系、カナカ系(太平洋諸島の諸民族の総称)の小さな集団であった。彼らは主として漁業を生業としたほか、一九世紀前半の捕鯨ブームに乗って寄港する欧米諸国の捕鯨船相手に交易活動を行うなど、半ば自給自足的な生活基盤を築いていった。こうした先住者の子孫たちと、明治初期以来この地に移り住んだ日本人との競存・共存関係が、小笠原諸島の近現代史を貫く大きな特徴の一つとなってきた。
 日本の版図に入って以降、自然条件に恵まれ天産豊かと喧伝されたこの地の開拓・開発をめざし、八丈島を主とする伊豆諸島をはじめ、東京等関東一円からの移住人口も、年々増加していった。小笠原諸島の全体の人口推移を概観すると、一九世紀最後の年一九〇〇(明治三三)年には早くも五五五〇人を数え、その後五千人を下回る時代が続いたものの、第一次世界大戦を機にふたたび五千人を超えるようになり、「大東亜戦争」勃発前年の一九四〇年(昭和十五年=「皇紀二六〇〇年」祭)には、七四六二人(内硫黄諸島住民は一〇五一人を占める)。こうした人口増を支えたのは、年間を通し温暖な気候を利用してのサトウキビや各種蔬菜、熱帯果実、そしてデリス、コカ等の国際市場でも需要が大きかった薬用植物の栽培であった。
 定住者人口が一定規模に達する中で、東京府当局(含現地出張所)や学齢期の児童をもつ住民の間からは、当然のことながら、学校教育の充実を求める声が高まってくる。またそれに先立ち、学校前史として一八七八(明治十一)年には、当時東京府の出張所が置かれた父島・扇浦地区には、「仮小学校」という名の学校が設置された。同年の仮小学校生徒数をみると、日本人十二名(男女各六名)、外国人五名(全員男子)の計十七名が在籍していた(以下の記述は、主として東京都立教育研究所編『東京都教育史通史編1』一九九四年に依拠)。
 その後東京府出張所は、一八八四年に扇浦から天然の良港・二見港をもつ大村地区に移転し、それに伴って、仮小学校という学校名も、大村学校と改称された。この学校が、『なでしこ』の発行母体となる大村尋常高等小学校のルーツである。同時に通学不便をきたすことになる扇浦の学童のために、翌年扇浦学校が開校した。父島以外をみてみると、第二の島母島には、一年後の一八八六(明治十九)年に沖村に母島学校、北村に北村学校が誕生した。さらに大正期に入り一九一三年になると、七百人近い人口に達していた硫黄島にも、唯一の学校として大正尋常(一八年尋常高等)小学校が発足をみた(一九二五年時点の同校生徒数は、尋常科二一二人、高等科三四名。同校については元教員の中村栄寿編(協力硫黄島同窓会)『硫黄島―村は消えた 戦前の歴史をたどる』一九八三年、私家版、参照)。ちなみに父島に設けられた大村学校、扇浦学校両校の発足時のデータをみると、両校とも教員は一名、生徒数は前者は二十四名(男子十四、女子十名)、後者は二十六名(男子十一、女子十五名)であった。
 定住人口も増加し、産業基盤も次第に整備されつつあった小笠原諸島の近現代史の中で、一つの重要な転換点となったのは、第一次世界大戦(一九一四~一九一八年)の終結まもない一九一九年十二月に、父島に要塞の設置が決定をみたことである。前年八月の陸軍決定「父島要塞設置要綱」に基づくものであったが、そこでは「海上及空中ヨリスル敵ノ攻撃ニ対シ我海軍ト相俟テ二見港〔大村〕ヲ援護ス」ることが、父島要塞の重要任務とされた。この背景には、五大国の一員となった日本が、第一次世界大戦後、小笠原諸島の南方に広がる旧ドイツ領ミクロネシア(南洋群島)を事実上統治下に置き、太平洋パワーとして勢力を拡大することに対する列強、とりわけアメリカの対日警戒心の深まりがあった。
 他方、こうした対米関係のきしみが生じる中で、日本は一九二三年二月の「帝国国防方針」改訂において、ロシアに代わりアメリカを第一仮想敵国とする方針を打ち出すに至った。こうして一九二三年三月、大村に父島要塞司令部が設置され、かつそれらの秘密防護のために、父島憲兵分駐所が設けられた。それ以降、人口数千人規模の「南海の楽園」とも形容された小笠原には、憲兵が常駐することになる。こうした中で、外国人の来島や彼らが欧米系住民と接触をすることに、きびしい監視の目が向けられるようになる(当時の社会状況については、石原俊『近代日本と小笠原諸島―移動民の島々と帝国』平凡社、二〇〇七年、石井良則『戦前期の小笠原諸島―その光と影』龍溪書舎、二〇一九年、等を参照)。
 アジア太平洋世界で重要な地政学的意味をもつに至った小笠原諸島をとりまく国際環境は、一九三〇年代に入ると、より緊張の度をますようになる。満州事変(一九三一年九月)、上海事変(一九三二年一月)、さらには国際連盟からの脱退通告(一九三三年三月)に象徴される日本の対外強硬路線は、同時に日本国内の「国家的危機」意識の高揚と不可分のものとなってくる。このことは、太平洋に屹立する小笠原諸島でも、とりわけ強く意識されるようになる。本『なでしこ』の対象となっている時期は、まさに国際連盟脱退直後に始まり、日中戦争の泥沼化、そして将来の東南アジア侵攻作戦を想定したといわれる日本軍の海南島上陸(一九三九年二月)までの期間である。
 そうした中で、日中戦争勃発直後、東京市は、「集団非常時指導要綱」を発布し、皇室への崇拝、時局認識の強化、作業の訓練・武道の重視等を府下の小学校に徹底させた。そうした時代環境が、『なでしこ』中の学童たちの作文からも生々しくうかがわれ、より一層読み手の興味を引く要因となっている。
 ちなみに筆者の手元にある、文部省『高等小学修身書巻二児童用』(一九三八年十二月)の第三課「国民の誠忠」の、次の一節を紹介しておきたい(同書、十頁)。「我等は国家の独立と繁栄のためには、全力を尽くして之に当らなければならない。万一我が国威が傷つけられる恐れがある時は、国民たる者は身体を捧げて国家を防衛すべきである。これは国家非常の時に於て君に忠を至す道である。」
 『なでしこ』は、まさに「国威が傷つけられる恐れがある」と認識された時代の産物であることを、改めて確認しておきたい。詳細は大里知子氏による本資料「解説」、および本文誌面に譲ることとし、一例のみを紹介しておきたい。『なでしこ』第一五七号(一九三五年六月号)で、尋常四年の男子生徒は、こう誓っていた。「いくら大和だましひがあつても天皇陛下の御恩をわすれないで忠義をつくさなければなりません。僕は大きくなつたら立派な日本人となつて天皇陛下に忠義をつくさうとこころざしを立てています。大日本帝国ばんざーい。」

 二 戦争勃発と「強制疎開」、そして施政権返還
 大村尋常高等小学校は、開戦九か月前の一九四一(昭和十六年)三月、文部省の国民学校令に基づいて全国の公立小学校同様、大村国民学校と改称される。そして開戦を迎えると、学校を取り巻く環境は一変し、軍事訓練と皇国意識の高揚を両軸とし、南島の生徒たちを「非常時日本」に挺身する人材として養成することに教育の重点が置かれるようになった。
 他方、この間戦局は日本にとって次第に悪化し、一九四四(昭和十九)年七月には、南洋群島の要衝サイパン島が米軍によって陥落させられる。その結果、サイパン島と至近の距離にある硫黄島のみならず、小笠原諸島全域に深刻な危機感が急速に広がってくる。この状況下、米軍の攻撃に対処すべく、学童を含む一般住民の島外への疎開が緊急検討されるようになる。小笠原諸島におけるその最初の動きは、一九四四年三月八日、島庁当局から警視庁警務課長宛てに打電された、次のような電報であった(島庁独自の判断ではなく、要塞司令部、海軍警備隊、憲兵隊とも密接な事前の協議があったと考えられる)。「防空法施行令第八条ノ二ニ該当スル一千五百名ヲ四月末日迄ニ逐次内地ニ引揚グル準備中」。ついで四月七日に至り、東京都(一九四三年六月、府改め)は、軍を含む関係方面と協議の上、「島嶼住民引揚実施要領」を決定する(「強制疎開に至る一連の政策的流れについては、東京都『東京都戦災史』一九五三年、を参照)。
 このような経緯が示すように、小笠原諸島からの学童を含む住民の疎開は、基本的には多くの場合、自発的な形での離島ではなく、政府・軍部・東京都当局の行政指導という形で具体化していった。一九四四年四月から六月十二日までの三回の疎開は、「疎開勧告」に基づくものであったが、その後六月三十日以降七月二十九日までの計五回は、「強制疎開」によるものであった(東京都立教育研究所編、前掲書、六八二頁)。このようにして、全体を通じ六八八六名の人たちの多くは、断腸の思いで生まれ育った故郷の島に別れを告げることになった。小笠原協会の機関誌『小笠原』は、これまでしばしば、疎開した(させられた)旧島民の体験の聞き取り調査記録を掲載してきた。とりわけ烈しい地上戦の場となった硫黄島で、軍命により残留を命じられ戦死した成人男子の遺族からは、三回にわたり詳細な聞き取り調査を上梓している(第五九号(二〇一四年)、第六〇号(二〇一五年)、第六五号(二〇二〇年)を参照)。またその他の特集号でも、『小笠原』誌は父島・母島で当時学童であった旧島民の方々の聞き取り記録を紹介しており、いずれもきわめて資料的価値の高い証言となっている。
 日本の敗戦からまもない一九四六(昭和二十一)年一月二九日、GHQ(連合国軍最高司令部)は、日本政府の行政範囲を、日本本土と周辺の諸小島に限定すると決定し、小笠原諸島は沖縄諸島・奄美諸島と共に米国の直接軍政下に組み込まれることになる。「勧告疎開」・「強制疎開」により父島、母島、硫黄島を去ることを余儀なくされた旧島民は(ただしアメリカ側は、島民社会を分断させる形で、一九四六年十月欧米系島民には帰島を許可した)、翌年七月いち早く小笠原島・硫黄島帰郷促進連盟を結成し、帰島運動さらには施政権返還を日米両国政府に求める運動を積極的に展開する(この間の経緯については、『小笠原協会創立五十周年誌』参照)。
 しかしながら、東西冷戦下のアメリカの極東戦略という厚い壁に阻まれ、運動は容易には進展しなかった。アメリカ政府(とくに海軍)は、「極東における脅威と緊張の状態が存する限り」小笠原諸島の現状を維持するとの、いわゆるブルースカイ・ポジション論を容易に崩そうとはしなかった。
 ベトナム戦争の末期、アメリカが小笠原諸島の施政権返還に踏み切るまでには戦後二十年が経過したが、ようやく一九六八(昭和四三)年四月五日に、日米両国政府の間で「小笠原諸島返還協定」が調印をみた(ただし、かつて一千名の人口を有した硫黄島は、事実上自衛隊の管理下におかれ、旧島民の帰島は今なお認められていない)。奄美諸島の施政権返還から十五年後、そして沖縄返還に先立つ四年前のことであった。

  三 『なでしこ』の奇跡的保存
 以上、『なでしこ』をお読みいただく際の背景説明をさせていただいたが、以下ではこの大村尋常高等小学校の校誌の復刻・刊行に至る経緯につき、一言触れておきたい。
 東南アジア近現代史を専攻する編者は、小笠原諸島を直接の研究対象とするものではないが、かねてから、近代日本の「南進」研究との関連で、機会があれば小笠原諸島の歴史とその文化・社会について勉強したいと願っていた。そしてその第一歩として今から数年前、港区竹芝ターミナル内の(公財)小笠原協会をお訪ねし(当時の会長は鍋島茂樹氏)、さまざまなご教示をいただくと共に、各種の所蔵資料を拝見させていただいた。 
 その基本資料の一つが、協会発足当時から年に四回刊行され、今日に至っている四色刷り四頁の機関紙『小笠原』であった。丁寧に整理されたその機関紙を、創刊号から興味深く読み進める内に、第一一三号(一九九一年六月三〇日号)第三面トップに掲げられた、石津道保記「文集『なでしこ』発見される!」という記事にクギづけになった。評者にとって、まさに宝物に出会った感を覚えた。その折の快い興奮を思い出しつつ、この記事の全文を紹介させていただきたい。
 「この度、昭和八年七月から十四年二月に至る間の文集〝なでしこ〟五十九冊が発見されました。〝なでしこ〟は旧父島大村小学校で、八月を除く毎月発行されたもので、昭和八年七月の時点で一三七号となっているので、それよりも十年以上前から発行されていたことになります。全冊保存されていたとすると、大変な部数になりますが、昭和十九年の強制引揚げを経ているので、そのような可能性は考えられません。
 これまでに、二部か三部を大切に保存していた人はありますが、五十九部[冊]という多量を保存していた例はありません。
 この五十九部は、昭和八年から十四年まで父島大村に滞在していた、坪井肇さんのお母さんの千代子さんが、現在まで大切に保存されたものです。戦時中の空襲と、戦後の混乱を経て、東京板橋の街の中で、殆ど傷むこともなく、ひっそりと五十八年もの長い間保存されていたことは、奇蹟と言ってよいと思います。坪井千代子さんの驚くべき几帳面さが、この貴重な資料を残すという奇蹟を生んだのです。
 ページを繰ると、既に老令にさしかかった人たちの幼な顔が思い出されます。そして、あの内地から遠く離れた小さな島にも、戦時色が色濃く流れていることと、当時の豊かな自然の中での子供らの生活が偲ばれます。
 寄贈された坪井さんの御好意に報いるために、永く保存したいと思います。」
 
 上述した一九三〇年代後半以降、戦争、強制疎開、二十年以上にわたる不慣れな内地での戦後生活という小笠原諸島の旧住民の方々の多大な困難に想いを致すとき、この記事が指摘するように、これだけの量の『なでしこ』が現存していたことは、「奇蹟」と言ってよいであろう。それだけに初めて同誌を手にとって以来、編者はなんとかして現存号を復刻・公刊し、小笠原諸島に関係・関心のある方々のみならず、近現代日本の歴史の一面を知る好個の資料として、広く一般社会に還元できればとの思いを強く抱いた。またそのことによって、『なでしこ』を大切に保存し続け、そして小笠原協会への寄贈を思い立たれた故坪井千代子様のご好意に応えることができるのでは、と考えた。
 この個人的な思いを小笠原協会にお伝えしたところ、当時の会長鍋島茂樹氏、事務局長の林眞一郎氏・菊地輝雄氏から、あたたかいご賛同とご協力をいただくことができた。さらにその後を継がれた現会長の渋井信和氏、佐藤豪介常務理事、齋藤邦雄事務局長からも、引き続き全面的なお力添えをいただき、今回の刊行にたどりついた次第である。
 なお本書で使わせていただいた写真は、二葉以外はすべて石井良則氏から提供を受けたものである。長年にわたり父島・母島で教鞭をとられ、ご退職後も母島を拠点に小笠原研究に取り組まれてきた石井氏に、関係者一同深甚なる謝意を表したい。
 また総計一五〇〇ページに達する浩翰な資料を出版するに際しては、予想を上回る経費が見込まれたが、この点については、編者の旧勤務校である早稲田大学アジア太平洋研究センター所長・黒田一雄教授の力強いサポートを得て、同センター「原口記念アジア研究基金」から全面的な出版助成をいただくことができた。この企画の意義を認め助成をご承認いただいた、黒田所長をはじめ同基金運営委員会の諸先生、そして煩雑な事務手続きを的確に処理していただいた同研究センター事務所の太田幸子さんにも心からの謝意を申し上げたい。
 最後になったが、この貴重な資料『なでしこ』を一読され、その文化的公共財としての価値を評価し、出版を快諾していただいた、(株)めこん社長桑原晨氏の熱意溢れるご努力にも、改めて御礼を申し上げたい。
 
             二〇二二年七月二十日    後藤乾一

追記 本書に収録されていない『なでしこ』を一部でもお持ちの方がおられましたら、公益財団法人・小笠原協会あてご連絡いただければ幸甚に存じます。
〒105―0022 東京都港区海岸1―12―2 竹芝客船ターミナル2階

著者プロフィール

後藤乾一  (ゴトウケンイチ)  (

1943年生まれ。早稲田大学名誉教授、(公財)小笠原協会評議員。近年の著書として、『近代日本の「南進」と沖縄』(岩波書店、2015年)、『「南進」する人びとの近現代史――小笠原諸島・沖縄・インドネシア』(龍溪書舎、2019年)、「日本の南進と大東亜共栄圏』(めこん、2022年)。

大里知子  (オオザトトモコ)  (

1968年生まれ。法政大学沖縄文化研究所専任所員・准教授。
1968年、小笠原諸島の施政権が日本に返還されたのち、戸籍整備を担当した父の仕事の関係で約1年間父島にて幼少期を過ごした。

上記内容は本書刊行時のものです。