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ベトナム:ドイモイと権力 フイ・ドゥック(著) - めこん
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9784839603243

ベトナム:ドイモイと権力
原書: Ben Thang Cuoc

社会科学
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発行:めこん
A5判
縦216mm 横155mm 厚さ32mm
重さ 820g
600ページ
上製
定価 5,000円+税
ISBN
978-4-8396-0324-3   COPY
ISBN 13
9784839603243   COPY
ISBN 10h
4-8396-0324-3   COPY
ISBN 10
4839603243   COPY
出版者記号
8396   COPY
Cコード
C1022
教養 単行本 外国歴史
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2021年5月30日
書店発売日
登録日
2021年5月14日
最終更新日
2021年6月18日
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紹介

日本ではほとんど報道されていないドイモイ(刷新政策)の現実とホー・チ・ミン以降の権力者たちの闘争について、詳細につづられた大著。初めてのベトナム人自身によるベトナム現代史総括『ベトナムの:勝利の裏側』の続編です。『ベトナム:勝利の裏側』と並び、ベトナム現代史の基本書として長く読まれるでしょう。

目次

序言 

ベトナム社会主義共和国 省・都市名(現在) 
ベトナム全図
区・戦区・軍区の区分
本書に登場するベトナムの主要な指導者

第1部 グエン・ヴァン・リンの足跡


第1章 束縛からの解放 
1. 今すべきこと
2.「人文(ニャンヴァン)」という足枷 
3. 南部「解放」 
4. 解き放つ… 

第2章 多元化を求めて 
1. 大学教育の改革 
2. 学生と自発的運動 
3. 東欧情勢  
4. 社会主義を救え 
5.「多元・多党」 
6. チャン・スァン・バィックの解任 
7. 報道界との「蜜月」の終わり 

第3章 リンとキェットの隔たり 
1. ド・ムオイ首相選出の背景 
2. CIMEXCOL社事件(ズオン・ヴァン・バー事件) 
3. 対照的な性格 
4. 2つの結婚 
5. ヴェトバック 
6. キェットの妻チャン・キム・アイン
7. 2人の息子たち 
8. さらなる前進 
9. 妻と友 
10. 実生活とイデオロギー

第4章 ヴォー・グエン・ザップ将軍 
1. ナム・チャウ‐サウ・スー事件 
2. 「南部革命」 
4. テト攻勢とレ・ドゥック・トの野望 
5. 第21号決議 
6. ホーチミン作戦 
7. 「将軍が子宮リングを配る」 

第2部 3人の指導者
 

第5章 市場経済 
1. 平和の再構築 
2. インフレと香水会社タインフオン 
3. 前進 
4. 個人経済の歴史 
5.「市場経済」を学び直す

第6章 三権分立を認めず  
1. 半世紀に4つの憲法 
2. 国会の役割の拡大 
3. 首相と「最高指導者」
4. 省の分割 
5. 司法の「労農化」 
6.「憲法第4条の放棄は自殺行為」 

第7章 三人分権 
1. 3人組 
2. 経済制裁の緩和 
3. 対外関係の多角化 
4. 第2総局
5. 軍の土地 
6. 住宅の払下げ 
7. 南北送電線問題 

第8章 第8回党大会 
1. 前奏曲 
2. 政治局への手紙 
3. グエン・ハー・ファン事件 
4. 指導部3名の留任
5. 指導部の健康問題 

第9章 レ・カー・フィオウと3人の顧問 
1. インターネット時代 
2. 党官僚の配置換え 
3. 中越関係の「16の金文字」 
4. 米越通商協定 
5. ビル・クリントンとレ・カー・フィオウ 
6. 第9回党大会 

第10章 社会主義志向 
1. 国営企業の主導的役割 
2. 市場と立場 
3. ファン・ヴァン・カイ 
4. 不平等な「競技場」 

第11章 次世代の指導部
1. 後継者 
2. 企業集団 
3. ノン・ドゥック・マイン 
4. グエン・ファン・アンの「方策」
5. 全民所有 

付章 戦闘と交渉 
1. 交渉 
2. 再度の和平会談 
3. 「赤い炎の夏」 
4. 和平の機会 
5. B‐52のクリスマス爆撃 
6. 1973年のパリ協定 

参考文献 
解説(小高泰) 
年表(川﨑拓海) 
索引 

前書きなど

解説


 本書『ベトナム:ドイモイと権力』は、2013年に(Ⅰ)(Ⅱ)の2巻本として出版されたフイ・ドゥック著『勝利した側』(原書名Bên thắng cuộc)の(Ⅱ)の訳書である。2015年に(Ⅰ)を日本語名『ベトナム:勝利の裏側』として世に送り出した訳者の中野亜里さんは、ほどなくして(Ⅱ)の翻訳に着手した。おりしも日本では、従来の経済、投資、貿易関係のみならず、安全保障や労働力移動、医療等の諸分野でもベトナムとの関係強化が喫緊の課題となっており、同時に日本社会の裾野で増大するベトナム人コミュニティとの相互の理解がより一層必要とされる段階に差し掛かっていた。そうした状況において、これまでほとんど詳らかにされて来なかった現代ベトナムの政治・社会の実相を描く本書を中野さんが日本に紹介した意味は大きい。
 本書には、ホー・チ・ミン亡き後のベトナム共産党を継承した指導者たち個々人の生立ちや人となり、政治的素養をはじめ、権力者間の人間関係や政策決定過程、さらには権力闘争のありように多くの紙幅が割かれている。同時に、それらによって否応なしに影響を受けた経済、社会、文化、そして人々の生活の変容過程などが克明に描かれている。その時代区分は主に1980年代半ばから2000年代初頭、すなわち、第6回党大会(1986年末)でドイモイ路線が採択されて以降の約30年間に集中するが、フイ・ドゥック氏は長期の記者活動を通じて知り得た諸事実を紡いでこの比類なき「ベトナムの現状報告書」を完成させた。それは、幾多の惨禍を経た後に国民にもたらされるべきだっただろう様々な普遍的価値の広がりを、国家(党)自身が阻害しているのではないかというフイ・ドゥック氏の素朴な疑問から発せられたものと思う。
 ドイモイが実施されて以降のベトナムは、世界中の企業によって、経済的潜在力溢れる魅力的な投資市場と理解されている。経済的視点から見れば、ベトナムはアジアに残された類稀なフロンティア市場であった。しかし、ここで見落としてはならないことは、極めて多くの人々は当時のベトナムの状況や実態をほとんど知らずにこの国にアプローチしようとしていた点にある。ドイモイを宣言した80年代半ばのベトナムはいわば鎖国状態にあり、内部事情は闇に包まれていた。この国に来るのは特別の用事がある一部の人々のみで、何でもない人がふらりと空港に降り立つことは皆無であった。海外在住ベトナム人も同様に入国はままならなかった。むろん、国内のベトナム人は出国が制限され、そもそも隣の省への移動すら許可証が必要であった。このように、人の往来は言うに及ばず、あらゆる情報が閉ざされた状態において「魅力溢れるフロンティア市場」が語られていったのである。
 80年代当時のベトナムは、北部国境地域では軍事的に中国と対峙し、カンボジアには駐留軍を派兵するなど、国内は臨戦態勢にあった。まず、そこに至るまでの経緯について振り返ってみたい。
かつてのベトナムは、前近代的かつ伝統的価値観や規範が人々の社会関係および精神生活を規定していた。しかし、19世紀半ばから始まるフランス植民地支配時代、フランスに与する人々と抵抗する人々の間での社会の分化などに見られるように、既存の生活様式は変容を迫られた。20世紀初頭に伝統への回帰を望む民族主義者たちが抵抗運動を試みたが、いずれも失敗に終わった。そうした中で、共産主義勢力による革命闘争が徐々に拡大していった。彼らは他の勢力と協同しつつ、次第に抵抗運動の中心的担い手となって政治権力を掌握していった。やがて事態は、インドシナ戦争とフランスの敗北、二分化された国土に誕生した2つの国家、そしてアメリカの本格介入と戦争の拡大へと推移してゆく。それは同一民族間の戦いであると同時に、冷戦構造下での大国間同士の代理戦争であった。そして、アメリカの敗北を契機に、南ベトナム(ベトナム共和国)は泡沫のごとく消滅して忘却されていった。他方、あれほど世界中の注目を浴びた「勝利した側」の北ベトナム(当初はベトナム民主共和国、統一後はベトナム社会主義共和国)は、いつしか近寄り難い閉鎖的国家へと急変し、特定の立場から発信された情報以外に外部の者が知る術はなくなっていった。その要因の1つとして、1975年にベトナム戦争が終結して間を置くことなく、78年のカンボジア進攻、79年に中越戦争が勃発したことがあげられる。
この当時のベトナムを取り巻く国際環境とは、南北統一に意欲を見せる北ベトナムとインドシナ地域での影響力拡大を意図する中国との葛藤(ベトナムへの援助削減とホアンサ群島占領)、ソ連と対立を深める中国の対米接近、協力関係を深めるベトナムとソ連、東南アジア地域進出を企図する中国のポル・ポトを利用したベトナムへの攻撃、中越国境で頻発する中国側からの挑発行為等であった。ポル・ポトの背景に中国の支援があると悟ったベトナムは、カンボジアに軍事進攻したのみならず親ベトナム政権を樹立したことが、中国の「懲罰」としての中越戦争を招来するきっかけにもなった。国際社会はベトナムのカンボジア進攻を非難し、禁輸措置を講じてベトナムを国際的に孤立させた。ベトナムは戦争終結直後から対米関係正常化を望んだが、「カンボジア問題」の発生はアメリカの態度を硬直化させる要因の1つにもなった。カンボジアと北部地域の2つの国境での軍事的対峙は、逼迫するベトナムの国家財政をさらに圧迫させていった。ソ連・東欧社会主義諸国の政治的変動、中国での天安門事件発生等の国際環境の変化も大きな影響をもたらした。ベトナムは86年にドイモイを採択し、カンボジア志願軍の完全撤退を89年に完了させた。それにともない、中越戦争も終結した。
 このように戦時体制は89年まで継続された。ベトナム人にとって戦争の終息とは75年ではなく89年であった。ドイモイ採択までの間に、ベトナムでは経済状況の悪化にともなう難民流出、南部での旧政権関係者に対する社会主義改造の実施や徹底した資本家階級の資産没収、そして、中央集権的官僚主義的補助金制度(バオカップ)等々の諸政策が社会を著しく硬直化させ疲弊させていった。
 70年代半ばから80年代のベトナムの現状を説明しようとすれば以上のようになるが、それは言葉だけのことで、実際には、この中にあらゆる不条理や恐怖、歪みが含まれていた。当時の国内状況といえば、外部世界と遮断された晦冥の中で陰鬱さに満ちた空間が全体を覆い尽くしていた。フランスやアメリカとの戦争中は中ソの支援を享受できたが、「アメリカへの勝利」に陶酔した直後に新たな戦争が出現し、ソ連は援助を削減していった。国内では「人民内部の敵」に警戒する相互監視社会が維持され、公安協力者網の存在が人々を疑心暗鬼にさせた。中央集権的官僚主義的補助金制度(バオカップ)は、生産・販売現場における無気力感を労働者に根付かせ、創造性や効率性、果ては人間らしい感情表現を失わせた。例えば、国営企業の労働者がよりよい製品づくりを提唱したとしても、生産ノルマが増えるだけにすぎず、誰の得にもならないとされた。国営レストランで働く従業員が客に笑顔を見せる必然性も生まれなかった。
 ドイモイ以前では、全ての食糧(食料)は中央が統制し移動を禁じられていた。配給以外に入手方法をほとんど持たない都市部住民は、官舎の狭い屋内で鶏や豚を飼育した。時折、農村の親戚などから鶏などを得られた時は、周囲に悟られないように潰して香りが飛ばないように注意深く調理し、骨や羽根も見えないように処分した。人々が恐れるのは入手経路を調べられる以外に、近隣や職場、果ては親戚縁者から嫉まれ、不用な話題の対象となり足を引っ張られることであった。地域の行政職員や公安は能力の如何を問わず何年もその地位に留まり、管轄区域住民の家族構成を詳らかに把握していた。
 配給制度の現場では、特権化した物資配給所の従業員が冷淡な態度で人々を見下し、彼らに媚びを売ってようやくましな物が得られた。たいていの食糧(食料)は「赤いコメ」に代表されるように腐食等で傷んだものが多く、量も不十分であった。人々はいわれのない蔑みを浴びる中、陽が上らないうちから長い行列を作って配給を待った。それにもかかわらず、中堅幹部以上に対する配給は丁寧に扱われ、食糧(食料)は上質な部分が確保された。農業合作社では政府が決めた基準で農産品が安く買い叩かれ、合作社社員となった農民の労働意欲を削いでいった。在外ベトナム人は国内に留まった人々からは羨望の眼差しで見られたが、その多くは単なる労働者に過ぎず、裕福でもなかった。しかし、国内の困窮する親族に何とかして物資を送るものの、それを受け取る親族は税関職員に一部を奪われ、告発もできなかった。
 様々な伝統的習慣や信仰は否定され、新たなシステムの下で息を潜めていった。社会主義社会への移行時期に差がある南部では、地位や資産を失った人々の不満が鬱積していた。ところが、そうした状況は実は北部でも変わりなかったのである。資本主義の芽を摘み取るために、革命に貢献した民族ブルジョワジーですらも家屋・資産を事実上没収された。そうした家屋は富の再分配として「革命や戦争に貢献した」複数の見知らぬ家族・遺族にあてがわれることも一般的だった。しかし、縁もゆかりもなく、経済的に困窮した者同士がある日突然同じ屋根の下で暮らす生活がいかなるものか、為政者たちは想像したことがあっただろうか。総じて、民生の安定に寄与するために存在するはずの国家は、あまりにもその機能を発揮できなかった。ドイモイに踏み込むために幾重もの障壁が立ち塞がり、党はようやくドイモイ路線を採択した。しかし、民生は限界値に達しており、ドイモイの選択はむしろ必然であっただろう。
 極端なまでの閉鎖的環境下で籠に閉じ込められた人々は、ドイモイの名の下で籠の外に飛び立つことを容認された。その代わりに補助金や配給制度はなくなり、自力で経済活動を行なうことが条件であった。籠の間口は以前よりは広げられたが、人々は飛び方を教わっていなかったために、どう飛び出してよいか戸惑うばかりであった。加えて、長期にわたって根付いた警戒心から「本当に籠から飛び出していいのか」という疑いの念で慎重に周囲を見渡す必要があった。人々がすぐなすべきことは人間らしい尊厳の回復とそれを担保するための生活改善だったが、その実現方法は個々が自ら探し求めなければならなかった。そうやって与えられた制限付きの自由の中で、人々は失われた時間を取り戻すかの如く、息せき切って残された人生を一気に謳歌し始めた。ドイモイの恩恵は人々に等しく与えられるものであるが、市場経済制度に馴染まない人々は極めて多かった。経済格差が広がる中で、特に、順法意識等を含む教育を十分に受ける機会がない農村出身者たちは、例えば海外出稼ぎ者(日本では主に技能実習生)や家族経営的なサービス業に象徴されるような労働者として生活改善を追求した。それまでもベトナム社会は混迷を極めていたが、新たなステージはそれに劣ることなく混沌としたものだったのである。そして、それは今日まで続いている。
 むろん、生きる希望を見出すこと自体が困難だったドイモイ前と後とは全く違うと、彼らの多くは考えていることだろう。現在、人々に付与されているのは主に経済活動の自由である。言論の自由は以前と比較すればよくなったが、それは未だに党の指導に手中にある。「勝利した側」は、国内での出版が困難であることを熟知するフイ・ドゥック氏によってアメリカで刊行された(その後、同氏は帰国し現在に至る)。この書がなければ、私たちは「ドイモイの人」で名高いグエン・ヴァン・リンがいかなる思想の持ち主だったのか知る由もなかった。世界に名だたるヴォー・グエン・ザップ大将がいかにして一部の指導者たちによる恣意的な圧力を被ったのか、あるいは、社会主義の逸脱を盾に市場経済促進の速度を抑制させる権力構造の実相も知り得なかった。
 とはいえ、本書は、この国の内情を暴露した類いの書では決してない。かつてエーリヒ・マリア・レマルクは『西部戦線異常なし』の冒頭に「この書は訴えでもなければ告白でもない…ある時代を報告する試みにすぎない」と記した。その言葉を借りるならば、当書は、まさに人々の自由と幸福よりイデオロギーを政策形成の基盤にしたベトナム共産党の姿と、それに人生を委ねられた人々のあり様を報告した韋編である。言うまでもなく、現在のベトナムの政治状況は、フイ・ドゥック氏や中野亜里氏の断決をたやすく承認する段階にはまだ達していない。さりとて、本書の出現が、ベトナム社会の底流に待ち受ける、覚醒した市民たちに少なからずの希望をもたらしたことも否定し得ない事実であろう。

 急逝された中野亜里さんは一貫してベトナム民族の来し方行く末を案じ、与り知らない政治構造によって社会の端に追いやられた多くの民草のために行動した勇気ある人だった。遺稿となったこの書物に携われたことを、ベトナムの血を引くひとりとして心から光栄に思う。なお、本書は、出版社めこんの桑原晨氏の深い理解と惜しみない支援があってこそ刊行されたものである。索引をはじめとする細やかな作業は、学部時代から修士課程まで中野亜里さんに傅いてきた愛弟子である川崎拓海氏が受け持った。小高は中野亜里さんに代わって二校以降の校正を担当し、表装のイメージや文中で用いられる写真の選定などを桑原氏と共に行なった。
 拓殖大学国際学部特任教授 小高泰

著者プロフィール

フイ・ドゥック  (フイ ドゥック)  (

1962年生まれ。1979年3月ベトナム人民軍入隊。1984~1988年軍の専門家としてカンボジアで勤務。1988~2009年、党の主要メディアの記者を務めるが、人権問題・民主主義の立場から政府に批判的な論評を発表するようになる。本書もベトナムでは発禁となり、アメリカで発行された。しかし、綿密な取材と調査研究に基づいた評論はベトナムでも高く評価され、2013年に帰国後はホーチミン市でフリーランスのジャーナリストとして活動。主にFacebookを通じて情報発信を続けている。中国ならとっくに拘束されているだろうが、ある程度自由に意見を発表できるのはベトナムのいいところ。

中野亜里  (ナカノアリ)  (

1960年滋賀県大津市に生まれる。慶応義塾大学法学研究科博士課程満期退学。博士(法学)。2010年より大東文化大学国際関係学部教授。ベトナムの近・現代の政治・外交史、近年の民主化をめぐる諸問題を研究。著書に『現代ベトナムの政治と外交』(暁印書館、2006年)、『ベトナムの人権――多元的民主化の可能性』(福村出版、2009年)、編著に『ベトナム戦争の「戦後」』(めこん、2005年)、訳書にフイ・ドゥック著『ベトナム:勝利の裏側』(めこん、2015年)、中川明子の筆名でタイン・ティン著『ベトナム革命の内幕』(めこん、1997年)、『ベトナム革命の素顔』(めこん、2002年)などがある。慶應義塾外国語学校、早稲田大学、日本ベトナム友好協会でベトナム語クラスを担当。民主化を望む在日ベトナム人コミュニーティとの親交を重ね、中部テイグエン地方で発生したボーキサイト開発による環境破壊問題を中心に、ベトナム知識人や宗教者、少数民族やメディア関係者等、社会的公平を求める人々の現状を調査、研究する。同時に、ミャンマー等における民主化運動・人権状況にも精通する。2021年1月9日死去。

上記内容は本書刊行時のものです。