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東南アジアのスポーツ・ナショナリズム 早瀬晋三(著) - めこん
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早稲田大学アジア太平洋研究センター研究叢書

東南アジアのスポーツ・ナショナリズム SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年

発行:めこん
A5判
縦210mm 横157mm 厚さ25mm
重さ 625g
386ページ
上製
定価 4,000円+税
ISBN
978-4-8396-0322-9
Cコード
C0030
一般 単行本 社会科学総記
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2020年7月31日
書店発売日
登録日
2020年7月2日
最終更新日
2020年8月18日
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紹介

東南アジアの人たちがオリンピックより熱狂するスポーツ大会がSEA GAMES(シー・ゲーム)です。1959年の第1回バンコク大会から2019年の第30回マニラ大会まで、競技の全容・エピソードと共に、同時代の東南アジアの政治・経済・社会状況をわかりやすく解説してあります。スポーツ・ナショナリズムを背景とする「東南アジア現代史」の平明なテキストでもあり、東南アジア独特のあの曖昧な“ASEAN Way”を理解するのに最適な書です。

目次

東南アジアのスポーツ・ナショナリズム
SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年


略語一覧
ASEANを含むアジア各国地域の規模(2018年)
地図 SEAP GAMES/SEA GAMES開催都市

はじめに

序 1959年の東南アジア諸国

第1章 SEAP GAMES 1959-75年:冷戦体制下のなかでの善隣友好

第1回 タイ(バンコク)大会
 新聞で報道された大会
第2回 ビルマ(ラングーン)大会
 1960-61年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第3回 マレーシア(クアラルンプル)大会
 1962-65年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第4回 タイ(バンコク)大会
 1966-67年の東南アジア 
 新聞で報道された大会     
第5回 ビルマ(ラングーン)大会
 1968-69年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第6回 マレーシア(クアラルンプル)大会 
 1970-71年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第7回 シンガポール大会
 1972-73年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第8回 タイ(バンコク)大会
1974-75年の東南アジア
 新聞で報道された大会
小括

第2章 SEA GAMES 1977-93年:地域主義と商業化

第9回 マレーシア(クアラルンプル)大会
 1976-77年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第10回 インドネシア(ジャカルタ)大会
 1978-79年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第11回 フィリピン(マニラ)大会
 1980-81年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第12回 シンガポール大会
 1982-83年上半期の東南アジア
 新聞で報道された大会
第13回 タイ(バンコク)大会
 1983年下半期-85年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第14回 インドネシア(ジャカルタ)大会
 1986-87年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第15回 マレーシア(クアラルンプル)大会
 1988-89年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第16回 フィリピン(マニラ)大会
 1990-91年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第17回 シンガポール大会
1992-93年の東南アジア
 新聞で報道された大会
小括

第3章 SEA GAMES 1995-2019年:経済発展下のスポーツ・ナショナリズム

第18回 タイ(チェンマイ)大会
 1994-95年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第19回 インドネシア(ジャカルタ)大会
 1996-97年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第20回 ブルネイ大会
 1998-99年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第21回 マレーシア(クアラルンプル)大会
 2000-01年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第22回 ベトナム(ハノイ/ホーチミン)大会
 2002-03年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第23回 フィリピン(マニラ)大会
 2004-05年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第24回 タイ(ナコーンラーチャシーマー)大会
 2006-07年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第25回 ラオス(ビエンチャン)大会
 2008-09年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第26回 インドネシア(ジャカルタ/パレンバン)大会
 2010-11年の東南アジア
 新聞で報道された大会
第27回 ミャンマー(ネピドー)大会
 2012-13年の東南アジア
新聞で報道された大会
第28回 シンガポール大会
 2014-15年上半期の東南アジア
 新聞で報道された大会
第29回マレーシア(クアラルンプル)大会
 2015年下半期-17年8月の東南アジア
 新聞で報道された大会
第30回フィリピン(マニラなど各地)大会
 2017年9月-19年の東南アジア
 新聞で報道された大会
小括

第4章 SEAP GAMES/SEA GAMESに「参加」した日本
 (1)青年海外協力隊などによるスポーツ交流
 (2)民間企業などのスポンサー契約


あとがき

史料
参考文献
年表

資料
資料1 ASEAN各国基本情報
資料2 SEAP GAMES/SEA GAMES開催国、参加国、ASEAN加盟国
資料3 SEAP GAMES/SEA GAMES実施競技
資料4 SEAP GAMES/SEA GAMES国別メダル獲得一覧表
資料5 SEAP GAMES/SEA GAMES男女別参加選手数

前書きなど

はじめに

 スポーツといえば、オリンピックに出場し世界の頂点をめざすエリート・スポーツと、体力向上・健康維持、仲間との交流を愉しむ市民スポーツとを両端として、そのあいだにいろいろなかかわり方がある。東南アジアでは、オリンピックやアジア競技大会より、1959年以来2年おきに開催されるSEAP GAMES(South East Asian Peninsular Games、東南アジア半島競技大会、1959-75年)/SEA GAMES(South East Asian Games、東南アジア競技大会、1977年- )に関心が集まる。オリンピックではいままで金メダルを獲得したことのない国があり、銅メダルさへ遠い存在の国もある。アジア競技大会でも中国、日本、韓国の3ヶ国の壁が厚く、なかなかメダルに届かない。そのようななかで、SEA GAMESでは勢力伯仲で、近年は開催国が地の利を活かして金メダル獲得数で1位になることが多い。日本の柔道のような「ご当地競技」があり、参加国が少ない競技ではメダルに手が届きやすい。人びとはメダル獲得に熱狂し、否が応でもナショナリズムが高まる。
 大会はオリンピックをはるかに超える競技種目数で、それだけメダルの数も多くなる。だが、あまりに膨れ上がった大会に充分対応できず、大会中はさまざまな問題が噴出する。それでも、大会終了後は「大成功」だったと開催国も参加国も評価して、つぎはアジア競技大会だ、オリンピックだと夢は広がる。しかし、アスリートたちの多くは、夢から覚めると生活に明け暮れる日常生活に戻っていく。スポーツで生計を立てられる人はほとんどいないし、なにより家族との団欒を犠牲にしてまで、スポーツに打ち込むアスリートはいない。SEA GAMESでのメダル獲得は、国の栄誉だけでなく、家族への勲章だ。その家族を犠牲にしてまでスポーツに打ち込むのは、本末転倒である。
 SEA GAMESではさまざまな問題が噴出するにもかかわらず、人びとが愉しむことができるのは、東南アジア諸国を「家族」に見立てているからである。「家族」だから多少のトラブルも許される、そんな安心感のなかで大会が運営されている。2年に1度開催されるので、顔見知りも多い。その居心地のよさは、アジア競技大会やオリンピックでは味わうことができない。
 本書は、その居心地のよさの源が海域東南アジア社会にあると考え、SEA GAMESを通して海域社会を理解することを第1の目的としている。それは、流動性が激しくなったグローバル化社会にも通ずるものである。

 2018年6月23日から増水した洞窟に閉じ込められ出られなくなったタイのサッカーチームのコーチ1人、少年12人全員が、7月10日に救出された。7月2日に無事が確認され、8日からダイバー1人が遭難者1人ずつ潜水を助けて救出する作戦が終了した。全世界に報道されるなか、遭難現場に物資を運んだ元タイ海軍特殊部隊のダイバーが潜水中に死亡した。無事を発見したダイバーはイギリス人で、日本の国際協力機構(JICA)や宇宙航空研究開発機構(JAXA)も協力し、救助に貢献した114人の外国人を含む188人がタイから勲章を授与された。そのなかにJICA関係者3人が含まれていた。
 この救出劇に感動した世界のサッカー関係者から、ヨーロッパでのサッカー観戦などの招待の申し出があった。ところが、コーチと少年3人は無国籍で、海外はおろか居住地を出ることも自由にできないことがわかった。タイでは、タイで出生すればタイ国籍を取得できるが、「国境地帯の山岳少数民族や、ミャンマーなどから来る労働者とその家族らのなかには取得要件を満たせず、国籍のない人がいる。親が不法滞在の場合、子供が住民登録されない例も多い」。「無国籍者はタイ政府が把握しているだけでも約68万人いる」。遭難現場のチェンラーイ県は、「タイ、ミャンマー、ラオスが接する「黄金の三角地帯」のため、無国籍者は約12万人に達する」という[『毎日新聞』2018年7月17日]。「黄金の三角地帯」とは、世界最大の麻薬密造地帯のことである。
 本書で、まずこの無国籍問題を取りあげるのは、日本などで考えるような国籍者と無国籍者とのあいだに天と地ほどの大きな違いがないことを示すためである。たしかに今回のように海外に出ようとしたとき、あるいは国内でも試合の遠征に出ようとしたとき、厄介なことになることがある。しかし、地元で日々の生活を送り、サッカーの練習をしているかぎり、取り立てて問題はない。それは、東南アジアの大陸部だけではない。フィリピン南部のミンダナオ島で、サッカーに興じる若者のなかにインドネシア国籍をもつ者がいても不思議ではない。
 2009年に出版され、13年に日本語訳が出て話題になったジェームズ・C・スコット(James C. Scott)『ゾミア-脱国家の世界史』(みすず書房)に描かれた国家の権力を回避し、国境を跨いで自由に移動する民は、いまでも東南アジアのここかしこにいる。王様や都、国家や首都をあまり気にせずに東南アジア研究をしてきた者は、それが当たり前であって、議論するまでもないと考えてきた。だが、グローバル化のなかで国境が注目されるようになると、それまで国境を意識していた人びとが、国境というボーダーを確認したうえで、ボーダーという障壁をなくしボーダーレスな交流を図ろうとするようになった。別のことばで言えば、国籍を確認したうえで自由に国境を越える人びとが増えることになった。ここで問題となったのが、国籍を確認できない者が自由に国境を越えることができなくなったことだ。タイのサッカー少年のなかに無国籍者がいて問題となったのは、このような背景があってのことだった。
 この無国籍者や「不法」滞在者は、国境付近だけではない。タイには数百万人の外国人労働者が登録されているが、その同じ数だけの未登録者がいるといわれている。2017年6月23日、タイは外国人労働者の取り締まりを強化する新法を施行したところ、その摘発から逃れようとしたミャンマー人、カンボジア人、ラオス人が国境に殺到し収拾がつかなくなり、またタイの産業にとってこれらの労働者が不可欠であることが明らかになり、新法の罰則執行を延期せざると得なくなった[早瀬、2018年、175-76頁]。
 このように東南アジアでは、厳格に近代法を適用すると社会が混乱したり麻痺したりすることがある。非公式対話を重視し、人間本位の思いやりのある社会を目指すASEAN(Association of Southeast Asian Nations、東南アジア諸国連合)を理解するには、まず臨機応変に対応するASEAN各国の姿をみる必要がある。その事例のひとつとして、この救出劇を取りあげてみた。
 もうひとつこの救出劇を取りあげた理由は、東南アジアにおけるサッカーの人気である。2020年2月20日発表のFIFA(国際サッカー連盟)のランキングで、世界210ヵ国中、タイは113位で、ASEAN加盟国ではベトナムの94位に次ぐ。以下、フィリピンの124位、ミャンマー136位、マレーシア154位、シンガポール157位、インドネシア173位、カンボジア173位、ラオス188位、ブルネイ191位である(東ティモール196位)。これらの順位だけ見るとそれほどでもないようにみえるが、東南アジアでのサッカー人気はたいへんなもので、本書で取りあげるSEA GAMESのいちばんの目玉はサッカーで、オープニングや有終の美を飾る。タイなどでは、イギリス・プレミアリーグのテレビ中継を、都市地方を問わず、夜昼を問わず続けている。07年に亡命中のタックシン元首相がマンチェスター・シティを買収したことで有名になったが、ほかにもタイ人のオーナーがいるほどである。また、タイ・サッカー協会は、1968年以来、世界各国のナショナル・チームやクラブ・チームを招待して、キングズ・カップ(King's Cup)を毎年(1983、85、2008、11年を除く)主催している。ASEAN各国で、ヨーロッパで活躍する日本人プレーヤーはよく知られており、等身大以上の大きさの看板に出くわすことがある。
 このような事情を知っていれば、救出されたサッカー少年の「ご褒美」が、ヨーロッパのサッカー観戦であったことに驚きはない。日本の新聞各社も、無国籍の4人が異例の速さで8月8日にタイ国籍を示すIDカードを取得したことを報じた。そして、パスポートを交付されて、10月28日にイギリス・プレミアリーグの強豪マンチェスター・ユナイテッドの試合を観戦した。世界でもっとも人気があるといわれるサッカーで、イギリス・プレミアリーグの社会貢献活動は活発で、タイのサッカー少年の招待は、その一環としてなされたことは容易に想像がつく。それは放映権料などのビジネスのためだけでなく、選手の発掘、さらには引退後の選手のコーチとしての就任先へとつながる。日本のJリーグ選手の東南アジアへの派遣活動も活発で、それが近年東南アジアのナショナル・チームの日本人コーチの就任につながっている。

 本書の目的である海域東南アジア社会の理解は、たとえば「合意すれども実行しない」などと揶揄されるASEANとの交流のように容易ではなく、その困難さを代表することばとして、ASEAN方式とかASEAN流とかよばれる「ASEAN Way」がある。「ASEAN Way」と聞くと、「ひどい目に遭った」ことのあるASEAN外の人は顔をしかめ、ASEANの人はニヤニヤなんともいえない親しみのある笑みを浮かべる。本書は、その差を埋めようと試みるものでもある。
 「ASEAN Way」を公式に定義したものはないが、「主権平等原則、内政不干渉原則、コンセンサス方式による意志決定、非公式性を重視する制度設計、紛争を無理に解決せず棚上げすることで友好を保とうとする姿勢」などが構成要素としてあげられ、なかでも内政不干渉原則とコンセンサス方式が核となる[黒柳ほか編、2015年、90頁]。
 「ASEAN Way」は、流動性が激しく対人関係を重視する海域世界の価値観に、その源がある。ヒトやモノの移動が日常的で、「よそ者」は新たな知識や技術などをもたらし、外来のモノは自分たちの生活を豊かで楽しいものにしてくれる歓迎すべきものである、という考えが基本にある。温帯の陸域の定着農耕民のような排他性はない。「ASEAN Way」は、歓迎すべき機会を失わないための生活の知恵であり、移動性のある山地民も共有できる価値観である。
 具体的には、1959年以来、63年を除いて隔年ごとに着実に開催されているSEAP GAMES/SEA GAMESを事例として、東南アジアの現代史を理解しながら、国際関係論だけでは充分にわからない「ASEAN Way」をみていく。競技大会の参加国、開催国をみていくと、すべてではないがASEAN加盟前に参加し、議長国になる前に開催国になっていることに気づく。当然大会参加国は、東南アジア諸国だけであるから意識せずに「ASEAN Way」でやっていける。また、孤立しがちだったビルマ(1989年ミャンマーと改称)は第1回から1度も欠かすことなく参加し、2年に1度、確実にほかの東南アジア諸国と交流をもっていた。この間、ビルマはアジア競技大会には82年第9回ニュー・デリー大会と86年第10回ソウル大会に参加していない。従来のASEAN理解は、公式な会議を経て報告されたものに基づいていた。だが、「非公式性を重視する」ASEANでは、重要なことが非公式対話のなかで決められる。その場のひとつが、ASEANに加盟していない国ぐにを含めたスポーツ大会であった。
 そんなASEANも、EU(欧州連合)のような「実行力のある」組織になろうと検討したことがあった。2005年のASEAN首脳会議で憲章の草案を提言することを目的として設置された「賢人会議」は、「ASEAN Way」の大胆な見直しを提言した。だが、加盟国の一部が激しく反発し、「ASEAN Way」は維持された[黒柳ほか編、2015年、126-28頁]。厳密にすると、冒頭で述べた無国籍のサッカー少年の行き場がなくなり、このスポーツ大会にも参加できなくなるからである。08年に発行したASEAN憲章第1条で「人間本位(people-oriented)のASEANを促進する」と明記され、第40条で規定されたASEANの祝歌はそれまで使われていた「ASEAN統一の歌」にかわって「ASEAN Way」が採用された。EUの域内貿易が60%を超え、50%以下の国がほとんどないのにたいして、貿易量の比較的多い1967年にASEANが創設されたときの原加盟5ヵ国のそれぞれの域内貿易は20%台かそれ以下で、中国、日本、アメリカ、EUとバランスのよい関係を保っている。EUのような拘束力はなく、柔軟度が高い[早瀬、2020a年]。
 そして、選手として参加する者がいなかった日本との関係も、SEAP GAMES/SEA GAMESを通して発展した。青年海外協力隊員などが指導にあたり、目標に競技大会でのメダル獲得があげられた。柔道は多くの大会で競技種目になり柔道畳が寄贈され、そのほか国際大会で使用できるスポーツ用品が日本から輸入された。競技場建設やインフラ整備にもかかわり、日本製の自動車やオートバイが選手村と会場などを往き来した。用具、飲料、電気製品メーカーなどが公式スポンサーになって売り込みに奔走した。審判として派遣される者もおり、監督やコーチなど現地スタッフとして参加する者もいる。大会前に、日本で強化合宿するチームも出てきた。日本との時代ごとのかかわりも、このスポーツ大会を通してみえてくる。近年は、混血者や参加国の国籍を取って出場する者も出てきた。
 なによりも、SEA GAMESに熱狂する人びとから、東南アジアの息吹や身近なスポーツの愉しみ方が伝わってくる。生まれてからこの方、経済成長を知らない日本の若者も、成長するアジアの一員として「参加」してみてはどうだろうか。東南アジアの人びとを見る眼が違ってくるかもしれない。SEA GAMESでは、開催国の「ご当地競技」で多くの金メダルを獲得し、フェアではないとの批判が聞かれる。だが、日本も東京オリンピック2020で過去最多の1964年東京オリンピックの16の倍近い30の金メダルの獲得を予測するが、そのうち13(全15種目中)は新採用の男女混合を含む柔道である。近年最少の3つしか金メダルがとれなかった1996年のオリンピックでは、3つとも柔道種目だった。「ご当地競技」がないと、大会は地元で盛りあがらない。もうひとつ「ご当地競技」が重要なのは、国際的な競技種目の標準化が進むなかで、それぞれの国・地域の伝統的なスポーツが廃れることなく、SEA GAMESの競技種目になったことで、むしろ内外で発展する契機になっていることだ(いっぽうで、採用されなかったものは廃れることになるが)。
 本書では、SEAP GAMES/SEA GAMESを1959-75年、1977-93年、1995-2019年の3期にわけ、それぞれ特徴をあらわす副題を付けた。この時期区分は、東南アジアだけでなく世界的動向にもあてはまる。国連のスポーツ関連政策を整理すると、1952-94年、1995-2000年、2001年から現在と、3期にわけることができる。1976年にユネスコが第1回「体育・スポーツ担当等国際会議」を開催し、78年に「ユネスコ体育・スポーツ国際憲章」を採択して節目になったことを考え、1995-99年にASEAN加盟国が増え過渡期となったと捉えると、2つの時期区分は一致する。東南アジアのスポーツ大会は、世界のなかで考える事例にもなる[柾本、2015年]。
 なお、本書の執筆が可能になったのは、近年、近代スポーツ研究が進んだことがある。まず、本書の内容とかなり重なるサイモン・クリーク(Simon Creak)の一連の研究がある。クリークは、スポーツを通して東南アジアの地域主義の重要性に目を向けるいっぽう[Creak 2013][Creak 2017]、個別に2009年のラオス大会[Creak 2015、Chapter 8]、13年のミャンマー大会[Creak 2014]を考察し、国家との関係も論じている。つぎに、東南アジアより規模の大きいアジア競技大会については、1974年第7回イラン大会までを扱ったステファン・ヒューブナー(Stefan Hübner)の研究があり、英文原著が出版された翌年に日本語訳が出版された[ヒューブナー、2017年]。日本については、その訳者のひとり、高嶋航の帝国日本、軍隊とスポーツの関連性をめぐる研究がある[高嶋、2012年][高嶋、2015年]。また、近年、スポーツによる国際協力や社会貢献が注目され、国連、政府開発援助(ODA)から非政府組織(NGO)、企業の社会的責任(CSR: Corporate Social Responsibility)による活動まで幅広くおこなわれている[齋藤ほか編、2015年][小林、2016年]。

 本書で使用した資料は、SEAP GAMES/SEA GAMESについては開催国の英字新聞を中心とし、1958年の設立以来、アジア各国の代表的新聞を航空便で購入しているアジア経済研究所図書館所蔵のものを利用した。なかには、欠落したり画像状態がよくなかったりで、利用できなかったものもあり、一部は国会図書館、オーストラリア国立図書館などで補った。開催国の新聞を銘記した後の記述は、とくに断らないかぎり、その新聞の記事に従っている。また、開催国以外の視点から見る必要があり、ビルマ/ミャンマーの新聞を参照した。2003年以降のミャンマーの新聞については、オーストラリア国立図書館のオンラインを利用した。日本の新聞の報道は限られており、SEA GAMESの重要性に気づいた記者は1980年代にひとりいただけであるが、東南アジアの視点とは違うものがあるため参考にした。
 SEA GAMES連盟(South East Asian Games Federation)のホームページに大会ごとのまとめがあり、また大会ごとに終了後「オフィシャル・レポート」が発行されているにもかかわらず、開催国発行の新聞に頼ったのは、ホームページも「オフィシャル・レポート」も正確さに欠けるからである。ホームページに記載された開催月日に間違ったものがあり、メダル獲得数では参加国のものがまったくなかったり、数字が大きく違っていたり、合計数値があわなかったりしたものがある。ホームページを参考にして書いたウィキペディアなどにも間違ったものがある。競技数や種目数、競技者数や役員数もはっきりしない。多少の誤差は、メダル獲得数であれば大会終了後の薬物検査で陽性が出てメダルを剥奪されたものがある。また、公開競技を加えたものは、メダル獲得数、競技数・種目数で違いが出る。競技者数や役員数は直前までわからなかったり、実際には開催国に来なかったり来ても欠場した者がいるし、国籍問題などで出場資格がないとされた者もいる。このような状況で、そもそも正確に把握することの意味を見いだせなかった大会組織委員会があったことが想像される。大会にかかった予算や会場の建設費用、警備の人数、入場者数などの数字が本書に出てくるが、あくまでも目安として参考になるにすぎない。なお、スポンサーについては、ウィキペディアに掲載されたものが目安にしやすいので引用したが、新聞や「オフィシャル・レポート」に大会ロゴ入りで掲載された広告が、確実性が高いと考え参考にした。
 「新聞で報道された大会」の前に記載した、大会開催前2年間の東南アジアの動向については、1963年のアジア経済研究所動向分析部設立後、はじめ月刊「アジアの動向」、70年版から『アジア動向年報』(1970-81年度版、1988年度版- )『アジア・中東動向年報』(1982-87年度版)として出版されたものを利用した。「年報」は、オンラインで利用できる。「年報」以前のものについては、『朝日年鑑』(1955-69年版)を利用した。経済成長率については、とくに断らないかぎり、GDP(国内総生産)実質成長率のことであるが、一度公表されたものが修正されることがあり、グラフと違う場合がある。GDPおよび貿易統計について詳しくは、[早瀬、2020a年]を参照。なお、東南アジアの各国の元首のスペル、在職期間などについては、巻末資料1を参照。
 各大会が開催される前の2年間の動向を追ったことで、本書は東南アジアあるいは各国の通史のなかで、地域のスポーツ大会の歴史を追うことになった。東南アジアの国民国家形成と地域主義については別に論じた[早瀬、2020b年]が、本書は第一次世界大戦を契機として、伝統的国家である「マンダラ国家」から近代的国家である国民国家形成へと移行していった通史[早瀬、2012年]の続篇として読むこともできる。『マンダラ国家から国民国家へ』という書名は、正確に言えば「マンダラ国家から国民国家へ……」で、「……」は「近代国家になるはずが、そうはいかないものが残った」である。それが「ASEAN Way」で、本書を読めばASEANがEUと違うように、東南アジア各国もヨーロッパの近代国家と違うものを感じることだろう。

版元から一言

日本ではあまり知られていませんが、SEA GAMES(シー・ゲーム)は東南アジアの人たちがオリンピックより熱狂するスポーツ大会です。1959年の第1回から2020年の第30回までの大会の全容を紹介した初めての本です。同時代の東南アジアの政治・経済・社会状況をわかりやすく解説してあるので、平易な東南アジア現代史のテキストとしても最適です。

著者プロフィール

早瀬晋三  (ハヤセシンゾウ)  (

1955 年岡山県津山市生まれ。1980年東京大学文学部東洋史学科卒業。1984年西豪州マードック大学Ph. D.。 現在早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。
【専門】海域東南アジア民族史、近現代アジア・日本関係史。
【主要著書】『グローバル化する靖国問題――東南アジアからの問い』(岩波書店、2018年)、『フィリピン近現代史のなかの日本人――植民地社会の形成と移民・商品』(東京大学出版会、2012 年)、『マンダラ国家から国民国家へ――東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(人文書院、2012 年),『海域イスラーム社会の歴史――ミンダナオ・エスノヒストリー』(岩波書店、2003 年。第20 回「大平正芳記念賞」受賞)など。
書評ブログ:http://shayase88.livedoor.blog/

上記内容は本書刊行時のものです。