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ラオス農山村地域研究
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2008年3月
- 書店発売日
- 2008年3月28日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2015年8月22日
紹介
日本のラオス研究の頂点に立つ書。地理学・植物学・社会人類学などの気鋭の研究者が綿密なフィールドワークをもとに多様なラオスの農山村の実態を明らかにし、その問題点を掘り下げる。専門書ではあるが、さまざまな工夫で読みやすくなっており、ラオス概説としての要素も大きい。
目次
第1章 ラオスをとらえる視点
第2章 消えゆく水牛
第3章 民族関係と民族アイデンティティ
第4章 水田を拓く人々
第5章 水田の多面的機能
第6章 土地森林分配事業をめぐる問題
第7章 森林事業による森の変容
第8章 非木材産物と焼畑
第9章 焼畑とともに暮らす
第10章 開発援助と中国経済のはざまで
第11章 商品作物の導入と農山村の変容
前書きなど
まえがき 横山 智
今でこそ、ラオスの農山村でフィールドワークをしている研究者は多い。しかし、つい最近まで、ラオスの農山村には、行くことすらできなかった。
私が初めてラオスを訪れたのは、今から一六年前の一九九二年である。青年海外協力隊員として、首都ヴィエンチャンで二年間生活したが、ヴィエンチャン以外の土地をほとんど知らずに帰国した。当時のラオスでは、人の移動が厳しく規制され、県境を越える際には通行許可証が必要であった。しかも、私のような外国人に対して、許可証は簡単には発行されなかった。
一九九四年に、その状況が大きく変わった。タイとラオスを隔てていたメコン川に友好橋が開通したことで、外国人旅行者に観光査証が発行され、通行許可証が廃止された。つまり、だれでも、ある程度自由にラオス国内を移動できるようになった。社会主義に転じた一九七五年以降、閉ざされてきたラオスの農山村が、一九年ぶりに外国人に開放されたのである。
これで、農山村に行けるようにはなった。しかし、フィールドワークすることは、まだまだ困難であった。一九九六年に北部の農山村でフィールドワークを試みたが、一人では村に入ることができず、結局、国連開発計画の助けを借りて、そのプロジェクト対象地で研究をさせてもらった。開発援助のための調査は許されても、学術目的の調査に対しては理解が得られない状態が続いたのである。
ところが、二〇〇〇年に文部省の派遣でラオス国立大学に留学した時には、状況はかなり改善されていた。調査地に設定したのは、道路でのアクセスができず、川伝いにボートでしか行けないような北部の村であった。最初だけは大学の先生と一緒に郡長に挨拶に行ったが、その後は私一人で村に入ることが許可された。つまり、ラオス農山村でフィールドワークができる環境が整ったのは、ここ七、八年のことなのである。
このような経過をへて、ラオスでのフィールドワークを心待ちにしていた研究者たちが、いよいよ本格的に動き出した。そのうちのひとつが、総合地球環境学研究所の「アジア・熱帯モンスーン地域における地域生態史の統合的研究: 一九四五―二〇〇五」(平成一五~二〇年度)である。ラオスを中心とする東南アジア大陸部を対象としたこのプロジェクト研究には、秋道智彌教授をリーダーにのべ一〇〇名近い研究者が参加した。
本書の執筆者一五名のうち一二名は、このプロジェクトの森林農業班のメンバーとして、ラオス農山村でフィールドワークを実施してきた。本書は、その研究成果を公表し、社会に広く還元することを目的として企画したものである。さらに、ラオス農山村の実態を伝えるために不可欠なトピックを加えるため、プロジェクトのメンバー以外にも、ラオスで豊富な調査経験を持つ三名の研究者が執筆に加わった。その結果、農学、林学、民族植物学、土壌学、農業経済学、社会学、地理学、文化人類学、歴史学の九つの学問分野にまたがる一五名の執筆者が協働して、本書を執筆することとなった。
ラオスは、他の東南アジア諸国に比べると、研究蓄積そのものが少ない。特に、最近までフィールドワークができなかった農山村の研究は、緒に就いたばかりである。外国語で書かれた書籍を含めても、ラオス農山村をここまで多面的に、かつ広範囲に論じた類書はない。本書は、多分野の研究者がラオス各地でフィールドワークを行ない、そこで見て聞いて、そして感じたことを手がかりに、ラオス農山村の多様な姿を探った、初めての専門書である。
版元から一言
明らかに現段階での日本のラオス研究の頂点に立つ本です。
上記内容は本書刊行時のものです。