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OKINAWA 1965
- 初版年月日
- 2018年4月
- 書店発売日
- 2018年3月23日
- 登録日
- 2018年2月8日
- 最終更新日
- 2018年4月4日
紹介
1960年代、沖縄。祖国復帰行進、非暴力を掲げた平和運動、戦争の現実を知る立場から基地問題を訴えた元海兵隊員─さまざまな思いが交錯するなか、やがて沖縄は本土復帰を果たす。しかし、それは本物の平和の到来とは程遠いものだった。そして現在、私たちは沖縄が歩んできた歴史とどう向き合っているのだろうか……。
ドキュメンタリー映画『OKINAWA1965』の制作をとおして見えてきた沖縄の姿、そこに生きるひとびとのことばを記録し、沖縄、そして日本の未来をさぐる。
目次
序 章 僕らは沖縄にどう向き合うか(都鳥伸也)
映画『OKINAWA1965』撮影行程
第1章 1965年・沖縄
歴史を見つめること
取材の始まり
沖縄戦の痕跡をめぐる
死者たちの魂を帰すために
戦跡が語りかける歴史
過去と現在
少女轢殺の現場から
第2章 非暴力の旗のもとに
反戦、平和、福祉
伊江島へ
最大の責任は日本にある
誰もが安心して暮らせる社会を
生き残りたいなら基地を手放せ
誰も不幸になってはいけない
「わしが生きているあいだには土地は帰らない」
元海兵隊員として反戦平和を訴える
すべての国に憲法九条があってほしい
罪を罪と認めること
つながる命のメッセージ
第3章 証言・本土復帰前夜
海上パレードが思い起こさせたこと
〝島ぐるみ闘争〟から〝オール沖縄〟へ──伊礼一美さんの証言
命がけの脱出──嬉野京子さんの証言
われわれは軍需産業の奴隷である──具志堅徹さんの証言
沖縄をふたたび戦場にしてはならない──古堅実吉さんの証言
奪われた土地をめぐるたたかい──阿波根昌秀さんの証言
若い世代に思いを引き継いでいくために──仲里利信さんの証言
沖縄政治のうねりのなかで──山城達雄さんの証言
反戦地主のこれまで、そしてこれから──池原秀明さんの証言
忘れえぬ米軍機墜落事故の記憶──伊波宏俊さんの証言
第4章 そして、現在
若い世代の問題意識
スイッチが入る瞬間
立場の対立から離れて
繰り返される事件・事故
現在の政治状況のなかで
無関心が社会を動かしてしまう恐怖
沖縄の終わりなきたたかい
あとがき
前書きなど
おわりにーー映画『OKINAWA1965』を製作して
本書には、僕たち兄弟が映画『OKINAWA1965』の製作をとおして、どのように沖縄と接し何を感じたか、どんな人たちと出会っていったかが書かれている。そのなかには映画に登場しない方々も多く、こうして書籍としてインタビューの言葉が残されることはとても有難い。
だが、残念ながら本書に収録されている内容もそのすべてではなく、文字数の都合等で収めきれなかった要素もある。たとえば、伊礼一美さんのサトウキビ畑でうかがった少年時代の話、一九六五年の祖国復帰行進で嬉野さんとともに歩いた外間久子さんの話、比嘉末子さんのお宅で撮影したゆんたくの様子、一九八四年から毎週金曜日に沖縄県庁前でおこなわれている金曜日昼休みデモの様子、などである。
それから、証言者ではないが、三月の第二次撮影の際はロケ車を現地のドライバーさんに運転していただいた。一〇日間にわたるロケは、沖縄の道を知り尽くしたこのドライバーさんの協力があったからこそ成立したものだ。
本文や映画内では紹介できなかったので、ここにそれらのことを記しておきたいと思う。
さて、本書の企画だが、これは日本映画学校で僕たちと同期だった佐野亨くんの発案によるものである。映画学校を卒業したのち出版の仕事をしていた彼が、試写会で『OKINAWA1965』を観てくれたあと、「映画でカットしてしまった人たちのインタビューも含めて本をつくれないだろうか」と提案してくれたのだ。
お読みいただければわかるとおり、本書は映画『OKINAWA1965』とはまったく異なる構成であり、本書を読んだからといって映画を観なくてもよい、ということではない。だから、映画をご覧になるよりも先に本書を手に取った方には是非映画もご覧いただきたいし、先に映画をご覧になった方にも是非本書を手に取っていただきたい。昔の角川映画のキャッチコピーではないが、「読んでから観るか、観てから読むか」は皆さんにおまかせしたいと思う。
こうして振り返ってみると、『OKINAWA1965』の製作過程は、ほとんど沖縄問題についての予備知識がないまっさらな若者たちが、嬉野京子さんをはじめとする人との出会いをもとに沖縄の過去と現在に触れ、理解を深めていく過程でもあった。実際、撮影をとおして出会った沖縄の何もかもが僕たちにとっては新鮮なものだった。
もしかしたら、それは沖縄問題に精通している人たちからすれば、「誰でも知っている」ことなのかもしれない。だが、おそらくはそれは、沖縄問題に興味をもたないすべての人たちが「知らない」ことだ。
考えてみれば、いまや沖縄は南国の一級リゾート地であり、ある意味、本土の人間にとってはあこがれの地でもある。
そのような場所に〝影〟の部分があることは、いまだ本土にはじゅうぶん伝えられていないと言っていい。伝えられているとしても、それは過去のことであり、現在とは関係ない、という認識がほとんどなのではないだろうか。
現に『OKINAWA1965』にたずさわったスタッフ・キャストが、口をそろえて「初めて知ることばかりだった」と発言していることにもそれがあらわれていると言っていいだろう。
特に印象深かったのは、撮影期間中に、助監督の藤崎仁志が「知ってしまうと、もうただの観光地として沖縄を見られなくなってしまいますね」とつぶやいたことだった。
藤崎の言葉が示すように、撮影が進めば進むほど僕たちは、いかに自分たちが無知であったかを突きつけられた。
だが、知らないことは恥ずかしいことではない。事実を知っていく過程こそが『OKINAWA1965』をつくるうえでもっとも重要な点だったのではないか、と思っている。
僕が大切にしている考え方のひとつに、ソクラテスの〝無知の知〟がある。文字通り〝無知であることを知っていることが重要である〟という考え方である。ソクラテスは「人は、つい知らないことを恥ずかしいことだと思ってしまいがちだが、自分が無知であることを自覚し、知ろうとする姿勢が重要なのだ」と説き、自身も、無知であるがゆえに相手との問答をとおして真実を探求していったという。
つまり、わるいのは知らないことではなく、知ろうとしないこと、あるいは知ったかぶりをすることなのだ。それは映画製作、ことにドキュメンタリー映画においては重要となる。だから、僕はつねに〝無知の知〟という言葉を心の隅に置くよう心がけている。
今回の映画製作においても、僕たちが沖縄問題についてまっさらな状態だったために、取材を受けてくれた方々も壁をつくることなく、素直に自分たちの考え方をカメラの前で語ってくれた。『OKINAWA1965』にはそのよさが出ていると思うし、客観的な視点が見やすさをつくり、〝初心者向け〟の作品として映画を成り立たせているのではないかと思う。
実は正直なところ、僕はこれまでつくられてきた高江や辺野古のゲート前を中心とした沖縄のドキュメンタリー映画が苦手だった。
これらの映画は、運動の内部に入り込み、時間をかけた取材がなされているので、日々のたたかいのディテールや人々の思いがダイレクトに伝わるよさがあるのだが、その反面、運動に入り込みすぎて、まったく予備知識のない人たちにとっては暴力的な印象や悲壮感だけが印象に残ってしまい、結果、フラットな立場にいる人たちを遠ざけてしまっているのではないか、と感じたのである。
二〇一八年二月四日の名護市長選挙で、オール沖縄陣営の稲嶺進さんがやぶれた。敗因のひとつとして、若者を中心とした無関心層の票が対抗馬に流れたことが大きかった、といわれている。やはり大事なのは、新しい仲間をいかにつくっていくか、ということなのだ。選挙の結果を受けて、僕はあらためてそう思った。
僕は以前から、こうした平和運動の裾野を広げなければならないと感じていたので、『OKINAWA1965』を製作するにあたっては、極力フラットな立場の人たちにも関心をもってもらえるように、と考えて構成した。ゲート前や大浦湾での機動隊や海上保安庁との激しいやりとりの場面を抑えめにし、映画全体をインタビューやナレーションを中心とした冷静な雰囲気で構成しているのはそのためだ。
上映時間も九五分とコンパクトに収めているので、沖縄問題に対して取っつきづらい印象をもっている方は是非、本作を〝入門篇〟としていただければ幸いである。
さて、こうして初めて本格的に沖縄に触れ、一本の作品をつくり終えた僕たちだが、もちろん、この一作だけですべてがつかめたわけではない。取材をとおしてまだまだ知りたいこと、気になることがたくさん出てきている。特に、沖縄の若者たちがどのように基地問題をとらえ、向き合っているのかという点については、まだたしかな答えをつかみきれていない。
いま、僕たちは、次の映画を製作することで、ふたたび沖縄と向き合いたいと考えている。
タイトルは『私たちが生まれた島』。
二十代から四十代の若い世代に視点を置き、彼らがどのように現在の沖縄を生きているのかを見つめるドキュメンタリーだ。ある意味では、『OKINAWA1965』に登場する城間真弓さんら若者たちを〝主人公〟にした続篇ともいえる作品である。
アレン・ネルソンさんは生前、嬉野さんに「生まれたときから基地に囲まれていて、基地しか知らない、その子どもの成長を考えてみろよ」と語っていたそうだが、僕自身、基地に囲まれて育った沖縄の人たちの〝リアル〟をもっと知りたい、と思っている。これからの未来を担う世代である彼らの言葉には、きっと現在の混沌を解決へと導くためのヒントが隠れているはず、と感じるからだ。
まだ構想段階だが、本書が発行される頃には『OKINAWA1965』の上映活動と並行して、製作に入っていることだろう。
『私たちが生まれた島』が無事完成するためには、資金的な面から言っても『OKINAWA1965』の成功が必須である。両作品とも皆様の応援を心よりお願い申し上げて、あとがきを締めさせていただきたいと思う。
最後になりましたが、『OKINAWA1965』にご協力いただいたすべての方々と、本書の出版を快諾してくださった七つ森書館の皆さん、そして出版実現のために尽力し、根気よく編集作業にあたってくれた佐野亨くんに心より感謝します。
2018年2月18日 都鳥伸也
上記内容は本書刊行時のものです。