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小柴一良写真集 FUKUSHIMA
小鳥はもう鳴かない
- 初版年月日
- 2018年12月
- 書店発売日
- 2018年11月30日
- 登録日
- 2018年10月17日
- 最終更新日
- 2018年12月13日
紹介
大震災から8年、FUKUSHIMAを200点の写真で綴る
「公害の原点」と言われる水俣を40年にわたって撮影した。
2011年3月11日「有史以来最大の公害」の福島原発事故が起きた。2015年明けてすぐ、福島の川内村で、ある葬式の撮影が可能だという話を聞いた。ロケハン用の小さなカメラを持って現地に向かった。
目次
はじめに
Ⅰ 「豊かさ」の受難
Ⅱ 子供たち
Ⅲ 被曝の大地
放射能汚染と棄民の国 小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
「水俣」と「福島」とを撮る写真家 西村幹夫(ジャーナリスト)
複合災害としての福島第一原子力発電所事故 加畑貴義(弁護士)
前書きなど
はじめに
「公害の原点」と言われる水俣を長年にわたって撮影した。
2011年3月11日「有史以来最大の公害」の福島原発事故が起きた。2015年が明けてすぐ、福島の川内村である葬式の撮影が可能だという話を聞いた。ロケハン用の小さなカメラを持って現地に向かった。
補償金をめぐる親子・兄弟の確執、高級車を買って毎日パチンコに行く人、家を新築した人、海外旅行の一家、補償金の格差による近隣との諍い、建設業者、車販売店、家電量販店、洋服店等あらゆる商人が金に群がった。南相馬市のある区長は地獄だったと当時を振り返った。
「補償金バブル経済」、半世紀前の水俣と同じではないか。
福島からの被災者が避難先のスーパーの駐車場が満杯で苦労して入れたのに、帰る時には福島ナンバー車は避けられていた。その周りは空いていた。また福島の被災者が他県に転居した時、車のプレートから福島の文字が消えたことにホッとしたという。なぜ被害者が差別され、非難され、無視され、放置されなければならないのか。多数の利益のためなら少数者の意見などは無視されて良いのか。
優れた技術力で作られた日本の原発は絶対に事故は起きない。官民挙げての言説を繰り返し聞かされ、気がつけば日本国土に54基の原発が作られていた。電力事業者やその周辺の協力者は1つの原子炉につき100万年に1回以下の確率でしか福島クラスのような過酷事故が起きないと推定していた。しかしこの50年でスリーマイル、チェルノブイリ、福島と事故は起きた。
1950年頃、水俣の茂道や湯堂集落では海に魚が浮き、猫が狂い、カラスが落ちた。その3年後、劇症患者が続発。その2年後、乳児に脳性マヒに似た症状が続発した(1962年胎児性水俣病と診定)。その後、被害は拡大、今に続く。
福島の飯舘村で老人2人が「近頃、小鳥の声を聴かなくなった」。三春町では「春になると、車に轢かれてペシャンコになった蛇をよく見たが 最近は見かけなくなった」。いわきの人は「竹の色が黄色っぽくなり、鮮やかな緑でなくなったような気がする」という話をした。
人間は好き勝手なことをして、ほかの生き物のことは考えない。環境を破壊する。近代科学文明は人間を幸福にするのか。福島の傷は深い。
目に見える風景は何の変化もない。静けさの中にある日常で不気味な何かが進行しているように思えてならない。
世の中は 地獄のうえの 花見かな 小林一茶
2018年11月 小柴一良
版元から一言
写真家・桑原史成氏推薦!
「原発福島」と「水俣」が繋がる現実に、震撼させられる現代の姿。
上記内容は本書刊行時のものです。