書店員向け情報 HELP
大林宣彦の映画は歴史、 映画はジャーナリズム。
- 初版年月日
- 2017年12月
- 書店発売日
- 2017年11月27日
- 登録日
- 2017年10月5日
- 最終更新日
- 2017年11月30日
書評掲載情報
2017-12-23 | 日本経済新聞 朝刊 |
MORE | |
LESS |
紹介
女優の原田知世・常盤貴子など、素敵なゲストをむかえて、自作(「ハウス/HOUSE」「瞳の中の訪問者」)を語り、古今の名作の逸話や裏話を語りつくします。大作『大林宣彦のいつか見た映画館』(七つ森書館、衛星劇場で放映中)から生まれた一冊です。
目次
1 作家の戦争体験を知ると、映画のフィロソフィが見えます。──川本三郎・大林宣彦
映画体験も戦争体験も、すべては記憶の中に。
1945年8月15日から、日本はガラッと変わった。
われわれ世代は、完全なGHQの申し子。
民主主義を教えるための、アメリカ映画を浴びて。
映画の技術を使っても、戦争のリアルな再現なんてできない。
作家の戦争体験を知ると、映画のフィロソフィが見える。
ウェインとクーパーの違いは、西部と東部のアイデンティティ。
「シェーン」のアラン・ラッドの影に、ジェームズ・ディーンあり⁈
記憶だけの映画談議には、美しい誤解がある。
映画が、風化しないジャーナリズムであること。
2 映画は、風化しないジャーナリズムです。──常盤貴子・大林宣彦
俳優は、監督のよき素材になることにプライドを持ってほしい。
戦争難民たちが願った、憧れの平和の里がハリウッドだった。
庶民は、笑いやふざけることで、上にある絶対的な権威を批判する。
僕は小津さんの映画、駅馬車に乗った映画だと思う。
映画作家は必ず前の時代のものを「引用」するんです。真似じゃない。
戦争体験を聞けば、その人の映画が全部分かる。
映画はリアルに映像を観るメディアではなくて、想像力で観るのです。
映画は時代に映された鏡です
3 平和の時代の映画作家を始めました。
「HOUSE/ハウス」、「吸血鬼ゴケミドロ」上映のあとに。──犬童一心・樋口尚文・大林宣彦
僕の敗戦少年期、戦争が終わったとき8歳でした。
「HOUSE/ハウス」は、「ベテランの少年」が作った映画。
戦後の混沌の中に筋道をつけて、映画ファンになっていく。
「スター・ウォーズ」の原点は「バイキング」、さらに言えば「大平原」。
8リで映画を作ることで、平和の時代の映画作家を始めた。
「パパ、鏡に写ってる私が、自分を食べに来たら怖いね」。
「この無内容な、バカバカしいままで映画にしてくれませんか」
映画は実験的であって、映画の表現は発明なのです。
「HOUSE/ハウス」は、見事にアマチュア映画です。
キラキラした目の中に、映画があると感じた。
「瞳の中の訪問者」も、映画じゃない映画です。
僕の映画は、スペードを集めている映画なんです。
4 映画は、時代を映す鏡なのです。
「瞳の中の訪問者」「無法松の一生」上映のあとに──犬童一心・手塚眞・小中和哉・大林宣彦
映画が消滅していく現状を、まざまざと感じました。
「無法松」は18分カットされても、なおも日本映画の名作です。
作り手が汗をかくから、観客が感動する。
日常を追いつめて、追いつめて、映画にする。
大林さんは、映画には無いカットをずいぶん観ている。
映画って、ストーリーだけではなくて、語り口も大事。
ヒョウタンツギは、手塚治虫さんの魂みたいなものです。
「瞳の中の訪問者」では、手塚治虫論をやろうではないかと思った。
漫画であることの悲しさと、映画であることの悲しさ。
「漫画がお嫌いな方には、お分かりにならないでしょうが」。
音楽も映画も時間芸術なんです。
蒸気機関車と、音のしないピアノとの出会いがよろこびです。
凛として、戦争中も自由に生きるにはどうすればいいか。
5 嘘から出たまこと、を描くのが映画です。──原田知世・髙柳良一・大林宣彦
「時をかける少女」は、おじさんたちのプライベート映画だったはず。
大林組ってファミリーで、家族みたい。
ここには青春があるんだ、素敵な現場だと思いました。
フレッシュさの秘密は、音楽を通じて自己表現していることです。
「時をかける少女」が、さらに歴史の中の映画として豊かに観られてる。
時は過ぎていくだけではない、やって来るものなんだね。
あとがき
前書きなど
あとがき
カタカタカタカタ、カタカタカタと、アイリス・インで始まる「大林宣彦のいつか見た映画館」(衛星劇場)は、もう9年も続いている人気番組で、先日200回を超えました。映画の前と後に解説をしていますが、これをまとめて昨年『大林宣彦のいつか見た映画館』(七つ森書館)を出版しました。上下2巻、1300ページもあるのですが、この本の出版を記念した対談とトークをまとめたのが本書です。原田知世さんの場合は、衛星劇場20周年記念のスペシャルトークをおさめさせていただきました。
楽しい映画談義におつきあいいただいたみなさん、ありがとうございました。
映画が始まってから120年が経って、映画のドキュメンタリーについて、劇映画について語ることは、映画人の中でも大きなテーマになっています。 映画というものの制度が世界を見ると、どう見えるか。映画の120年の歴史の中で、多くの人たちが映画のフレームを使って現実世界を切り取りながら、フォーカスを合わせたり、パンをしたり、移動したり、演技をしたり、音楽をつけたりしてきたことが、映画の歴史であるということが、今の問題として見えてきますね。
これから映画を撮ろうとしているドキュメンタリストの方々、あるいは劇映画作家の方々のどちらにとっても、そこには狭間や垣根はない。そこには映画というものが存在してしまったから、映画が見た世界がある。君たちはその世界をどう使うか? ということを、ぼくたちは考えるわけです。映画が写してきたものは、例えばいつも戦争であった、諍いであった、権力であった、欲望であったという、人間の醜い部分をだけ写してきたとも思われるんですね。
そういった認識から、映画の平明な目で見れば、人間の欲望よりは、むしろ人間の穏やかな正気が見えてくるのではなかろうかというところに、僕らはいま一所懸命に向き合っているわけですね。いかに映画によってわれわれが人間なるものの正気を取り戻すかということに映画を使ってみようではないか。あの戦争中を知っている年配の作家、戦争を知っている最後の世代であるぼく、さらに戦争を残念ながら知らない若い人たちが、映画を見て学ぶことで、みんなが笑顔で穏やかに、宗教の違いすら、貧富の差すら、文化の違いすら、お互いが理解しあって、許しあって、共に一緒に生きていこうよ、というまさにオンリーワンの世界にいま向かおうとしているといえるのですね。ぼくであるオンリーワンがみたこの世界、この世界の素晴らしさを、みなさんに共に味わっていただこうというあなたの目、キャメラを持った人は、この世の中にいっぱいいらっしゃいます。あなたもそうです、あなたも、あなたも、あなたも……。
みんなでキャメラを持ってこの世界をしっかり見つめ、考えようではありませんか。
映画から新しい、平和な未来を手繰り寄せていきましょうね。
では、明日はいーつくるのかな、カタカタ、カタカタ、カタカタカタカタ…………………。
2017年11月
上記内容は本書刊行時のものです。