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戦争を通すな!
- 初版年月日
- 2015年9月
- 書店発売日
- 2015年9月17日
- 登録日
- 2015年7月30日
- 最終更新日
- 2016年5月25日
紹介
“NO PASARAN!―奴らを通すな!”
ファシズムの台頭に対抗して、スペインの市民は、この言葉をスローガンに立ち上がった。平和という名の戦争を、絶対に許してはならないと、右翼・左翼の両翼が、いま手をつなぎ立ち上がる。アメリカ移民で特攻隊の父を持つ福島みずほさんと、「生長の家」の教えに育った鈴木邦男さんが、「戦争はいやだ」の1点で交錯する。
目次
Prologue ──夢を持て、理想を語れ! 鈴木邦男
Chapter1 愛国有理
還ってきた日章旗/アメリカ移民のファミリーヒストリー
父の戦後は、余生だったのかもしれない/左翼革命の恐怖
天皇はなぜタブーなのか/愛国心は自己申告/幻想・錯覚の国家
ヘイトスピーチは警察の別働隊/産経・読売は、右翼が嫌い
女性保守のマーケット/日本会議は何を目指しているのか
右翼の街宣は、公安の予算とり
Chapter2 NO PASARAN!
戦争は平和/兵役で奨学金返済/言葉を奪われるな
靖国神社という問題/二枚舌も外交交渉のうち
自由なき自主憲法より、自由ある押しつけ憲法がいい
日本の男に憲法24条はつくれない/易姓革命の島、沖縄独立論
死刑廃止は日本の伝統文化/多様でなければ、生きられない
日の丸が泣いている
Epilogue ──自由を奪われるな 福島みずほ
前書きなど
あとがき
鈴木邦男さんは、大変優しい人ですね。いつもニコニコしていて、怒っている顔を見たことがありません。右翼の人に、集会などで会ったことがありますし、話をしたことがありますが、友人はいませんでした。鈴木邦男さんは、私の唯一の右翼の友人かもしれません。地方都市で行った講演会をはじめ、私のパーティーやさまざまな集まりに来てくださって、そのマメさと優しさにびっくりしています。
いつも話をしているようで、真っ正面から、何時間も何時間も話をすることがありませんでした。今回、ゆっくり話ができて、本当に楽しかったし、充実をしていました。右翼と左翼の激突、つかみ合いの喧嘩になるかと思いきや、そんなことにはならなかったことが、ちょっぴり惜しいところです。しかし、共通項と共通項でないことが明確になりました。共通項のほうが大きいんですね。天皇制については、考え方が違うでしょう。しかし、愛国心、侵略、解釈改憲、戦争法案について、明文改憲、ヘイトスピーチ、自由や民主主義の制限、秘密保護法についての考え方など、とても近いか共通しています。
鈴木邦男さんが、自分のことを右翼だと思っておらずに、大学時代に、人に右翼と呼ばれて、自分が右翼なのだと思ったということがよくわかります。私も、自分のことはよくわからず、左翼か、右翼かと聞かれれば、右翼ではないので、左翼なのかと思いますが、自分がバリバリの左翼だという気持ちはそんなにはないのです。鈴木邦男さんが、右翼を代表しているわけではなく、私も左翼を代表しているわけではないので、つかみ合いの喧嘩になるというのではなかったのかもしれません。鈴木邦男さんが、もののよくわかった人なので、つかみ合いの喧嘩にならなかったのでしょうか。しかし、立場は、もともと非常に違っていたはずなのに、いろんなことをざっくばらんに聞き、話し合いができて、心から感謝をしています。
*
私は、右翼の人に対して聞きたいことがありました。なぜ、街中で大きな街宣車で、大音響で走るのか。愛国心を前面に出し、なぜ、排外主義に走るのか。愛国心というのであれば、米軍基地に苦しむ沖縄の人たちに寄り添わないのか。愛国者というのであれば、もっと違う行動をとるのではないか。とるべきではないか、などなど。
なぜわたしが政治に関わるかといえば、この社会を変えたいからです。自分にとって、他の人にとって、多くの人にとって住みにくい社会をもっと住みやすくしたいからです。自分や他者に対するもの思いというのは、多かれ、少なかれ、誰もが抱いていることではないでしょうか。愛国心を一部の人の者たちが独占し、他の人たちが、愛国心がないと批判をされ、国粋的なものが幅をきかせるというのは明確に間違っています。鈴木邦男さんは、愛国心というものが間違った使われ方をし、間違った方向へ導く危険なものであると指摘しています。その通りです。
鈴木邦男さんとの対談は、戦争法案などが議論になっているなかで行われました。今までの自民党政権は、集団的自衛権の行使は、憲法違反だとしてきました。安倍内閣は、集団的自衛権の行使を合憲とした初めての内閣です。海外で、戦場で、武力行使をする、つまり戦闘行為をすることを初めて可能とし、また、後方支援という名のもとに、戦場の隣で弾薬を提供できるそんな法案が戦争法案です。
日本国憲法下で、憲法違反の法律を作り、戦争することを可能にし、その後、明文改憲することも着々と準備しています。私は、憲法改悪、戦争のできる国にすることに反対ですが、日本国憲法がありながら、憲法違反の法律を作り、戦争に参加することはさらに問題です。憲法が憲法でなくなるわけですから。最高権力者である総理大臣が、憲法を無視することができるのであれば、なんだってできてしまいます。
具体的に、ドンパチ戦争することにはもちろん反対ですが、戦争するずっと手前の段階で、自由や民主主義が制限されていく、メディアや教育が権力によってコントロールされていくことに、大変大きな危惧を感じています。
私が、参議院の予算委員会で発言をした「戦争法案」という言葉は、自民党から不適切であるとして削除要求を受けました。私が削除要求を拒否をし、結局、平行線のまま議事録がアップされました。これは、国会議員の言葉狩りです。本当に戦争するようになったら、「戦争反対」と国会で質問したら、不適切と言われるのではないでしょうか。
右か左か、戦争に賛成か反対か、戦争法に賛成か反対かという対立軸とは別のところで、右であれ、左であれ、ほとんどの国民の自由や民主主義が制限されていく、そんな社会はごめんです。民主主義が寡占化され、ほんのひと握りの人たちが権力を独占し、情報コントロールし、人々を抑え込んでいく──そんな社会が作られつつあります。
しかし、逆に、この社会を変えたい、自分たちこそ民主主義の主人公である、お任せ民主主義では大変なことになると考える様々な人たちが、発信し、行動をしています。
日本国憲法は前文で、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と語っています。為政者たちは、自分たちの都合の良いように政治を動かそうとする。それに対して、被害者や加害者になることはごめんだと市民が声をあげている、そんな時代の節目に私たちがいます。
スペインで、フランコ政権に反対した人々は、「NO PASARAN! 奴らを通すな」と反ファシズム統一戦線で、闘いました。自由や民主主義を制限し、破壊をしようとする者達に対抗し、闘うために、さまざまな人たちと手をつなぎたいと心から思っています。
その一人が間違いなく鈴木邦男さんです。頭ごなしに抑圧される社会、理屈が通らない社会、一部の為政者が勝手に決める社会はごめんだと手をつないでいきます。
2015年8月15日 福島みずほ
上記内容は本書刊行時のものです。