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杉浦日向子と笑いの様式
- 初版年月日
- 2009年10月
- 書店発売日
- 2009年10月1日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2010年6月18日
紹介
NHK「お江戸でござる」などの小粋な語り口で人気を博した江戸の住人・杉浦日向子が亡くなって早4年。生前、親交のあった江戸研究者・田中優子と評論家・佐高信が、知られざる杉浦日向子を語り、その作品の魅力に迫る。歌手・小室等、エッセイスト・吉永みち子も寄稿。
目次
はじめに
1章 杉浦日向子の江戸と笑い
杉浦日向子との出会い
■抵抗人名録・杉浦日向子──佐高信
この世のどこにもない世界
杉浦日向子の漫画作品論
現実にないものを感じる
自信がなくて漫画を止めたのか?
富岡桜文大賞4人組
仕事に妥協は許しません
尽くして裏切られ、その先は
■「懸命に生きる人」江戸文化を体現──田中優子
生きて居直ってほしかった
2章 桜は明日の希望の花
桜は明日の希望の花なんですよ──杉浦日向子
江戸に遊ぶ二人──杉浦日向子×田中優子
出世すごろく地獄図──杉浦日向子×佐高信
日向ちゃん、また一緒に飲もうね──吉永みち子
美人浮世絵師の誕生──佐高信
大横綱ひなちゃんの気迫──小室等
「文庫」の大航海。──杉浦日向子×佐高信
低成長時代を生きる──杉浦日向子×田中優子
国鉄民営・分割を考える──杉浦日向子×中山あい子×佐高信
日向ちゃんの思い出とともに──佐高信
3章 田中優子にとって江戸は異文化である
ミッションスクールで「共産党宣言」
大きなものには拠らない
■抵抗人名録・田中優子──佐高信
チョムスキーとバルトに出会う
アラン・ロブ・グリエの衝撃
林達夫と久野収のドラマトゥルギー
聖フランチェスコと「道」
学問とは、生そのもの
江戸に異文化を感じて
花田清輝と演劇のなかの批評性
■亡者を呼び起こす盂蘭盆会──田中優子
ウィリアム・モリスのユートピア
ホメイニはガンジーになり得るか
江戸、その「記憶」の作法
おわりに
前書きなど
おわりに
杉浦日向子さんの話題は、今までも、佐高さんと話すときにたびたび出ていた。佐高さんは本当に日向子さんがかわいかったようで、妹のことを話しているようだった。世話好きな佐高さんのこと。頼りにされていたことも、嬉しかったようである。
私もさまざま思い出すとともに、あらためて漫画を中断したことが惜しく、また、漫画について私なりの評価をきちんとしなかったことが悔やまれた。やはり、仕事を続けていただきたいかたには、それをはっきり伝えるべきだ。
しかし全体としてこの本は、日向子さんという大きな存在を借りながら、私と佐高さんが自分たちのことを話してしまったような気がする。日向子さんは決して自己主張の強いかたではなかったから、許していただけるのではないか、と勝手に考えている。生きている者は、生きているだけで、ずいぶん勝手な真似をするものだ。
『拝啓藤沢周平様』(イースト・プレス、二〇〇八年)では、藤沢周平という偉大な存在の肩を借りながら、対談をした。どうも私と佐高信は、逝去者を肴に話を煮詰める、という傾向があるようだ。しかもその中で、自分たちのことを話して(話させて)しまう。いいのだろうか? そんなことをして……。しかし対談している時の気持ちを打ち明けると、まさにそこに藤沢周平や杉浦日向子がいて、鼎談をしているような気分なのである。本書の中で私は盂蘭盆会のことを書いているが、まさに一緒に盆踊りを踊っているようなのだ。盆踊りは死者がいないと意味がないし、面白くない。私と佐高信は、もしかしたら逝去者に親和的であり、どこかで自分の死もみつめながら、生きているのかも知れない。
ところで、『拝啓藤沢周平様』では、私が佐高信の「過去」を聞き出した。すると本書の対談の席では、その仕返しのように、佐高さんは私の過去に迫った。しかし前回は恋愛や結婚のような私生活に及んだのだが、今度はそういう気配はみじんもなく、助かった。私にとっては、もたもた歩いてきたこの四〇年、自分の思考の歩みに力を貸してくれた、一本一本の杖を改めて眺めるような気分だった。その結果、さらに良いものを書けるといいのだが、思考の歩みはもっともたついているので、いつ止まってしまうかわからない。
ところで、出来上がったゲラを拝見したら、「こんなにまとも、真面目に話しただろうか」と思うほど、高尚なできになっている。いいかげんに、とつとつと、笑いながら対談していたような気がするからだ。編集をして下さった七つ森書館さんの、評判の凄腕のたまものであろう。対談は編集しだいで、つまらなくも面白くもなる。私自身は、佐高さんと話すことは充分に楽しく、あとはおまかせ、なのだが、赤子を大人に育てるような編集は、さぞかしご苦労であったろうと思う。感謝に堪えない。
もちろん、何の役にも立たない私の青臭いころの話を、こんなに真剣に聞いてくださった佐高さんに、深く感謝している。次は私が佐高さんの思考の足跡に迫る番だが、もっと勉強しておかねばならないだろう。さて、今度はどなたを肴にしようか。
二〇〇九年八月旧盆のころ 田中優子
上記内容は本書刊行時のものです。