書店員向け情報 HELP
風の吹きわける道を歩いて
現代社会運動私史
- 初版年月日
- 2009年1月
- 書店発売日
- 2008年12月20日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2015年8月22日
紹介
1960年代から社会運動に関わりながら思想を紡いできた北海道の哲学者・花崎皋平。60年安保闘争、ベ平連、アイヌ、水俣、ウーマンリブ……。その個人史を辿ることで私たちのいま立つ処を再確認し、今後の手がかりを得る。詳細な年表付き社会民衆運動私史。
目次
はじめに
第一章 ただの市民が声をあげ始めた
六〇年安保闘争までの運動
札幌ベ平連の旗揚げ
ベトナム戦争に意義を唱えた米兵たち
デモ指揮と逮捕
社会の問題を自分の内面に引きつけた学生たち
街頭から地域に根ざした運動へ
第二章 希望の言葉「じゃなかしゃば」
進歩と開発が生みだした水俣と三里塚
魅力的な有珠の漁師たち
電気なしの暗闇暮らし、地べたの暮らし
闘いは地面にしみこむ
人生の幸せって、いい友達がいること
少数派の例示性
第三章 越境する参加民主主義
はじめてのアジア
アジアに輸出される日本の公害
韓国の闘う活動家
第四章 個性的なものは政治的である
「共感」という感覚について
札幌での国際連帯運動
画期的だったピープルズ・プラン21
男女関係のパラダイム変換
「われわれは」から「私は」へ
リブと出会って広がった自由
搾取されつづけてきた女性と自然と植民地
「軍隊論争」で見えてきたこと
母の介護と介護の社会学
第五章 ウレシパモシリの共生
アイヌの流した悲しい血
全道のアイヌ活気づけた有珠のアイヌ漁師たち
つながり始めた世界の先住民族
奪われた思想・文化、自治を取り戻す
採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」
裁判を通じたアイヌ民族の権利獲得の動き
アイヌ民族への差別撤廃の運動
若い世代の文化創造とエスニシティ
第六章 ピープルとしての生き方
「地域を拓く」シンポジウム運動
地域に根ざした長期的ビジョンを
ピープルネスとサブシステンス、スピリチュアリティ
巻末資料
幻の大学の立ち処 北大本館封鎖解除事件裁判の特別弁護人の座をおりて
年表
索引
前書きなど
はじめに
21世紀もすでに10年近く経ちました。20世紀末にソ連東欧圏が崩壊し、米国が超大国一極支配の地位にのしあがるという世界史の大変動がありました。しかし米国が、世界をわが意のままに動かせると思ったとたん、ニューヨークのツインタワーとペンタゴンへのハイジャック攻撃がなされました。怒り狂った米国は、ただちにイラクへの軍事作戦を展開し、いったんは全土を制圧しましたが、イスラム世界全体を敵に回す結果となりました。 その後の事態の推移は省きますが、今日このごろ思うことは、米国一極支配の春はなんと短かかったかということです。現在、中国、インドの台頭、南アメリカ諸国の米国離れ、EUの発言力増大などの現象が顕著になっています。政治的な地位低下と同時に、2008年、米国を震源とする経済の大地震が起こり、 1929年以来の危機の様相を呈していて、米国の威信はますます低下しています。
固く閉ざされていると思われもうひとつの世界への扉がこの激震でゆるんできました。その扉を開きたいと願ってきた私たちにとって、いま求められているのは、その扉を押し開いてもうひとつの世界へと入っていくためのビジョン、そのビジョンを歌う歌や詩、それに曲をつけて演奏する人、笛を吹いて行動へ人を誘い出す笛吹き女、笛吹き男ではないかと思います。
私は年寄になりましたが、笛が吹かれれば、よいしょと腰を上げて行列に加わりたいと思っています。
この本は、さっぽろ自由学校「遊」の2007年度後期講座「花崎皋平が語る現代の社会運動──その歴史と思想」をもとにつくられたものです。この講座の趣旨は、「1960年代後半から現在に至るまでの日本、そして北海道の社会運動について、当事者として運動に関わりながらその思想を紡いできた花崎皋平さんに個人史を交えて語っていただきます。『遊』の活動に関わるさまざまな世代のメンバーが聞き手となります。花崎さんが歩んできた時代を辿りながら、私たちが現在立っている地点を歴史的に再確認し、私たちの今後に向けての手がかりを得ましょう」というものでした。 講座は全六回で、この本の章だては講座の順序どおりです。聞き手は、本多さゆみ、水上さえ、木村嘉代子、都築仁美、小泉雅弘の5人、最後の回はみんなで話し合いました。聞き手の方々には資料を読んで質問を準備してもらって、一方的な話にならないように工夫しました。
私はここでのべたこと以外にも、いろいろな現場や地域、国を訪ねる旅をし、そこから課題を受け取って活動に加えてきました。たとえば、谷口修太郎さんと出会って、被差別部落解放運動の歴史や問題を学びました。在日朝鮮人三世の孫和代さんと知り合い、彼女の導きで、全国各地のハンセン病療養所を訪ね、そこで暮らす回復者の方々の声を聞いて、強制堕胎で取り出された胎児標本の取り扱いについて異議申し立てをする小さな市民運動を起こしたりしました。いまは、本文でものべたとおり、北九州の住民活動家村田久さんと、「田を作る」という地域に根ざして社会変革の長期的なビジョンを考える運動を共にしています。
この本の書名を「風の吹きわける道を歩いて」としたのは、そのような課題と人が呼んでくれ、開いてくれた道を、その呼び声のまにまに歩いてきたように思うからです。それに私は、大学を辞めて最初に作った本に「風はおのが好むところに吹く」という題を付けました。この言葉は聖書から引いた言葉です。私は、自分の著書の中でもこの本に格別の愛着を持っています。人生が百八十度の転換を遂げた時期であり、それ以後今日に至る歩みの出発点であったからです。その本と今度の本を呼応させたいと考えました。
この本は、私個人が作ったのではなく、さっぽろ自由学校「遊」が作らせてくれたものです。講座の企画運営に当たってくれた都築仁美、小泉雅弘、聞き手を務めてくれた方たちに感謝します。
さらに、もっとも感謝しなければならないのは、テープを起こし、原稿に整理し、年表を作ってくれたフリーライターの木村嘉代子さんです。彼女なしにはこの本はできませんでした。記してお礼を申し上げます。
2008年11月 花崎皋平
上記内容は本書刊行時のものです。