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もし君が君を信じられなくなっても
不登校生徒が集まる音楽学校
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2024年12月3日
- 書店発売日
- 2024年12月6日
- 登録日
- 2024年10月30日
- 最終更新日
- 2024年12月16日
書評掲載情報
2024-12-28 | 西日本新聞 |
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紹介
不登校の児童生徒数は全国で約30万人に上り、増加傾向にある。いじめ、発達障害、ひきこもりなど、背後にはさまざまな事情が横たわる。それらの傷をパテで埋めるのではなく、人生の模様として生かそうとする音楽学校が福岡市にあった。音楽×教育という前例のない試みが、心を閉ざした子どもたちに化学反応を促した。
開校した2001年、入学式に集まった子どもの多くは不登校を経験していた。音楽のプロ養成という理念よりも、高校卒業資格が取れるという〝付録〟が本人や保護者に刺さったのだ。
著者の毛利直之氏は、同校創設者で元ミュージシャン。教育分野では素人ながら、素人だからこその気づきを基に、音楽による自己表現を土台に社会性を養っていくスタイルを見いだした。
本書は「学校を辞めたい」「特性」といったキーワードごとに、開校以来20年間の事例をまとめ、実践的なアプローチを紹介。卒業生で歌手の手嶌葵さんも登場する。また、新入生の1年間を追った定点観測も収録。自己肯定感の育み方をテーマにした詩人との対談もある。
音楽と本気で向き合い自信を取り戻した子どもたちの足跡が、今悩んでいる君の1歩目になる-。そんなヒントが詰まった一冊だ。
目次
3P はじめに
11P 第1章 音楽学校
33P 第2章 事例
34P 1「いじめ」に遭ったとき
①解離性障害と診断された少女
41P ②注意をしたら標的に ー手嶌葵さんの場合ー
48P 2 子どもが「学校を辞める」と言ったとき
55P 3「死にたい」と思ったとき
60P 4「特性」に悩んだとき
①感情が伝わらない
66P ②こだわりが強すぎる
72P 5「依存症」になったとき
81P 6「親の役割」について
84P 7「自己肯定感」を高めたいとき
90P ー友達と、変わった
91P ー親も、変わった
92P 8「社会性」を養いたいとき
97P 9「夢・目標」を持ちたいとき
①音楽が導く教師への道
105P ②ウイークポイントのそばにある「答え」
113P 第3章 定点観測
114P 2020~22年 命を“消費”する日々
118P 中退、精神科入院を経て
123P 23年4月 18歳“2度目の高校生”に
128P 5月 自分の“取扱説明書”を携え
132P 6月 「よそはよそ」じゃない
137P 7月~夏休み 引きこもっていた部屋は、もう
143P 9月 「高校の登校記録」更新
147P 10月 友達できた実りの秋
151P 11月 「父のような人になりたい」
156P 12月 癒やしの“止まり木”ではない
159P 24年1月 学校が命を守る避難先に
166P 2月~春休み どこまでやれるかチャレンジ
175P 第4章 教育と音楽
176P 学校教育の目的って何だろう
178P 望まれる教育環境とは
180P 音楽が持つ「精神性」と「大衆性」
183P ロックの精神性とは
185P 音楽を使った表現教育について
189P 音楽が持つ力と可能性
191P 第5章 対談 「自己肯定感と表現 保護者にできること」
202P おわりに
前書きなど
「これくらいの仕事がちょうどいいんです。責任もないし、辞めたくなったらいつでも辞められますから」コンビニでアルバイトをしながら暮らしているという青年はこう言って、「結婚する気はないから」と付け加えた。服装は清潔にしているし、真面目そうに見える。少し遠慮しながら「夢は?」と訊いてみると「そんなもんありませんよ」と鼻で笑われてしまった。
夢や目標など持たず、ほどほどに生きていくという、こうした考え方や生き方を否定するつもりはない。それが自らの意思で積極的に選択した〝幸せのあり方〟であるのなら、他人がとやかく言うことでもないだろう。しかし、おそらくそうではないのだろう。それは彼の表情や態度が物語っていた。まるでこれまでの競争社会に疲れたからと、たまたま通りかかったバスに乗り、行先は確かめないまま「仕方ないじゃないですか」とつぶやいた――私にはそう映ったのだ。バスの中には大人や社会に対しての漠とした不信感だけが漂っている。
ロック・ポップスを学びながら高校の卒業資格が取得できる音楽学校「C&S音楽学院」(以下CS、生徒たちは皆そう呼ぶ)を2001年、福岡市に開校した。3学年合わせて70~80人程度の小さな学校だったが、いつもその8割近くを不登校経験者が占めていた。いじめや発達障害に苦しんできた生徒や、長い引きこもりを経験した生徒もいた。
長い人生の中のほんの一時期、ただ学校に行けなかったという理由で、「あなたを殺して私も死ぬ」というところまで追いつめられるご家庭があることも初めて知った。手首から肩口まで続くかのようなリストカットの痕を見せた女の子もいた。ある生徒は「俺は小学校のとき、学校の先生にいじめられたんだ。こうでもしなけりゃ生きてこられなかったんだ」と号泣した。
さまざまな問題・課題を抱えて入学して来る生徒たち。しかしよく見ると、彼ら、彼女らが抱えていたものの多くは、私たち大人や、この社会が抱えている問題・課題そのものだった。生徒たちは、ただその影響を受けていたのだ。
いじめや不登校、引きこもり、自殺…。それらを子どもたちや学校、家庭の問題と限定して議論してきたから解決の糸口は見えてこなかったのではないだろうか。
私は教育者ではなく、一介のミュージシャンにすぎない。
しかし、教育の素人だからこそ気付けたことがあるのではないか、と思う。子どもたちの鋭敏で傷つきやすい「感受性」や、他とまざり合うことを嫌う独特な「個性」、妥協することを知らない「こだわり」といった、これまで不登校の原因となったと思われる性質が、音楽と出合い、まるで化学反応を起すように輝き出すのを目の当たりにしてきた。
彼ら、彼女らを苦しめてきたのは〝音楽的才能〟だったのかもしれない。この発見は、壁の傷をパテで埋めようとする教育ではなく、壁の素材を活かしながら、その傷を魅力に変えていくという、ダイナミックでドラマチックな教育の展開を可能にした。ゆっくりと、しかし確かに生徒たちは音楽というフィールドの中で自信を回復していった。
生徒たちは「こんな自分でも表現できる音楽がある」から、「こんな自分だからこそ表現できる音楽がある」に変わり、やがて「こんな自分にしか表現できない音楽がある」へと確信を深めていった。
そして、なぜ人に優しくしないといけないのか、なぜ自分自身を信頼しなければいけないのか…大切なことは全部音楽が教えてくれた。CSは音楽を学ぶ学校ではなく、音楽そのものが学校だったのだ。
私は21年3月に学院長の任を終え、CSは高等専修学校「C&S学院」に生まれ変わった。ここに綴った20年間の生徒たちとの記録が、迷いと悩み、苦しみの中にいる子どもたちのささやかではあるが確かな「希望」となることを心から願っている。
上記内容は本書刊行時のものです。