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花に水をやってくれないかい?
日本軍「慰安婦」にされたファン・クムジュの物語
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2012年6月
- 書店発売日
- 2012年7月5日
- 登録日
- 2012年6月18日
- 最終更新日
- 2023年10月10日
紹介
植民地下の朝鮮で、日本軍の慰安婦にされた少女ファン・クムジュの半生を描いた物語。著者のイ・ギュヒは、今に続く性暴力の問題でもあると日本の読者に語りかけている。
目次
作者のことば―「花オンマ(花のお母さん)を忘れないで5
日本の読者へ―ファン・クムジュハルモニを愛する人たち8
1507号室はなんだかヘンだ12
2鬼神ハルモニ18
3うっかりだまされていた25
4「イアンフ」って何?31
5変わってしまったキム・ウンビ37
6留守の家で48
7わたしの故郷 ソンペンイ(ハルモニの話 その1)55
8咸興のお母さん(ハルモニの話 その2)66
9汽車に乗って(ハルモニの話 その3)73
10生きのびなくては(ハルモニの話 その4)80
11お母さんになる(ハルモニの話 その5)87
12もう1度慰安婦ハルモニになって
(ハルモニの話 その6)96
13砂時計のように1人、また1人と、
亡くなっていくハルモニ100
14ソンペンイへ行く道111
15ハルモニのチョクツリ122
1635個の鉢だけが残って126
10代の読者のみなさんへ140
日本軍「慰安婦」とは158
日本軍「慰安婦」問題関連年表160
前書きなど
作者のことば
「花オンマ(花のお母さん)」のことを忘れないで
何年か前の夏だった。ソウルの江西区に住んでいられるファン・クムジュ(黄錦周)ハルモニを訪ねるわたしの足どりは重かった。夏の空気がじっとりと湿気をふくんで肌にまとわりついた。日本大使館の前で水曜デモが開かれるたびに、堅く閉ざされた鉄の門に向かって誰よりも激しく抗議の声をあげているあのハルモニが、わたしを喜んで迎えてくれるだろうかと心配と不安でいっぱいだったからだ。
ハルモニとふだんから親しくしているイ・ヒジャさんの背中に隠れるようにして家に入ったわたしを、水曜デモの時とは違って穏やかな温かい笑顔でハルモニが迎えてくださった。ハルモニが入れてくださった冷たい麦茶を飲みながら、わたしは部屋の中を見回した。ハルモニについての新聞記事や、アメリカや日本などで証言した時の写真、証言を聞いて感動した人たちから送られてきたたくさんのプレゼントが部屋にあふれていた。
でも、なによりもわたしの心をひきつけたのは、ベランダにあふれるほどの植木鉢だった。
「この子たちは、わたしを見るといつもニコニコ笑うんだよ。そして、わたしが出かける時に『かあさんは出かけてくるから、いい子にしているんだよ』と言うと、わかったとうなずくんだよ。だから、わたしはこの子たちの母さんさ、花のお母さんなんだよ!」
ハルモニは顔いっぱいに笑みをたたえて言った。
その後、わたしは何度も訪ねていってハルモニと話をした。ハルモニの話を聞いてわかったことがある。花たちは、日本軍に踏みにじられる以前の美しい娘時代を思いださせてくれるものであり、「慰安婦」にさせられたことによって子どもを産めない身体になってしまったハルモニにとってかわいい子どもなんだということだ。
ある日、ハルモニがエプロンからしわくちゃの紙を1枚取り出して、わたしに見せてくれた。その紙には、故郷の家の住所が書かれていた。子ども時代に楽しく駆け回った故郷の家を一日とて忘れたことはないけれど、「慰安婦」にされたことが恥ずかしくて今まで1度も帰れなかった懐かしい故郷ソンペンイの住所だった。
わたしはいつか、イ・ヒジャさんと一緒にハルモニを故郷にお連れしたいと思った。
ある日都合がついたわたしたちはソンペインに出かけた。車が村に入ると、ハルモニは浮き浮きした表情になった。
「みんなそのままだ! あそこだ、わたしが住んでいた家だ」
車から降りると、ハルモニは一気に家のほうへ駆けていった。
ソンペンイから帰って来てほどなくして、あの時の少女のようなハルモニの笑顔はもう見られなくなった。寝ても覚めても日本政府の謝罪を求めて活動してきたハルモニが、認知症になって釜山の老人ホームに入ってしまわれたのだ。砂時計の砂粒がすっかり下に落ちてしまったように、これまでのことがなにもかもハルモニの記憶から抜け落ちてしまったのだ。
しばらく前、ある新聞に写真入でハルモニの記事が掲載された。老人ホームでつくねんと座るハルモニの横に赤い花束が置かれていた。わたしは目頭が熱くなってきた。ハルモニは認知症になってしまわれても、花のようだった娘時代と自分が花たちのお母さんであることだけは覚えていらっしゃるのだ。
いつか、この本と花束を持って釜山の老人ホームのハルモニに会いに行こう。
ハルモニがわたしのことを思い出せなくても、それは悲しくはない。ただ、年老いた日本軍「慰安婦」ハルモニたちが悔しくて無念な思いを晴らせないまま、1人、2人と亡くなっていっていることと、ハルモニたちのことがだんだん忘れられていくことが、悲しい。この本を読んだ人たちが、「慰安婦」ハルモニたちの悲痛な体験と、ハルモニたちがいまも心に悲しみと痛みを抱えて生きていることを忘れないでほしい。そうすることで、お亡くなりになったハルモニたちや、いま生きていらっしゃるハルモニたちの心を少しでもお慰めできるようにと願っています。
2010年8月 イ・キュヒ
上記内容は本書刊行時のものです。