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多様性〈いろいろ〉と凝集性〈まとまり〉の社会学
共生社会の考え方
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2025年10月5日
- 書店発売日
- 2025年10月1日
- 登録日
- 2025年8月25日
- 最終更新日
- 2025年10月1日
紹介
「多様性の尊重」と「凝集性の確保」の両立は、いかにしてなされるか。
共生社会をめぐる問題系を明らかにし、社会制度のありようを考える。
*
多様性の尊重が掲げられるなかで、なぜ対立と分断に拍車がかかるのか。
「まとまり」への志向は、なぜ容易にナショナリズムに回収されるのか。
シニシズムとナショナリズムをかいくぐり、
共生社会を支える「凝集性(まとまり)」の
新たな創出に向かう理路を検討する。
目次
本書のねらい──シニシズムとナショナリズムを掻い潜る◉岡本智周
第1章 共生をめぐる論点──社会的凝集性を問う理由◉岡本智周
1. 共生の語られ方
2. 共生の概念規定
3. 共生をめぐる今日的論点
第2章 社会的凝集性の系譜──社会学における概念史◉秋葉亮
1. 集団を自然化、理想化する危険性
2. 社会的次元において凝集性を見る
3. いかにして、社会学は国民国家を自然な社会とみなしたか
4. 国民国家の自然化、理想化を乗り越えて
第3章 「共生」の英語訳を考える──現実の人間社会に根差して◉坂口真康
1. 日本社会以外を想定した「共生」の英語訳
2. 英語圏における「多様性の尊重」と「社会の凝集性」
3. 現実の社会における人びとの「共生」を想定したさいの英語訳
4. 英語圏の個別具体的な事例でみる“living together”
5. 不安定な社会状況のなかで“living together”としての「共生」がもつ意味
コラム① 共生社会と「対話」◉笹野悦子
第4章 多文化共生言説の構造──外国人の排除はいかにして生じるか◉永島郁哉
1. 非共生的な多文化共生政策?
2. 主体・中心たる日本人と、客体・周縁としての外国人
3. 道具化される多様性
4. 多文化共生概念の隘路と可能性
第5章 「国民」概念の見直しがもたらす共生の可能性──沖縄「先住民族論争」を事例に◉熊本博之
1. ネイションをめぐる葛藤
2. アイデンティティをめぐる沖縄の歴史
3. 先住民族論争から見えてくるもの
4.「国民」「国民国家」の見直しによってもたらされるもの
コラム② 知識は他人と共有するからこそ意味がある◉岡本智周
第6章 「選抜の機会」としての学校教育を問いなおす──メリトクラシーの諸問題◉津多成輔
1. 選抜・配分が強化された社会
2. 日本のメリトクラシーの問題
3. 共生社会論に照らしたメリトクラシーの問題
コラム③ 「学校選択の自由」と高校白書づくり運動◉池本紗良
第7章 社会的凝集性をどう確保するか──公設フリースクールの事例から◉小山田建太
1. 問題の所在──社会的凝集性を事例から問う
2.「むすびつくば」と親子の姿
3. 保護者は「むすびつくば」をどうとらえたか
4. 凝集的な共生関係を考える
おわりに──本書の結論と次なる課題◉岡本智周
前書きなど
●本書のねらい──シニシズムとナショナリズムを掻い潜る(抜粋)
本書が目指すのは、共生に関する議論の今日的な焦点を明確にし、その議論をもう一歩、前進させることである。私たちの前著『共生の社会学』では、「社会的カテゴリの更新」という視点から共生をとらえたが、本書では「凝集性(まとまり)の確保」の面に焦点をあてる。多様性の尊重と凝集性の確保を両立させようとするのが共生という現象であり、そのことの困難さを分析し吟味するのが共生社会論であるとするのが、本書の立場である。多様性の尊重のみが強調されれば、個々の利害の対立が先鋭化することにもなる。一方で、既存の「まとまり」に固執するだけでは、新たな共生のかたちを生みだすことはできない。本書では、この「まとまり」の新たな創出についての理路を検討したい。
近年、多様性の尊重の重要性は広く認識され、社会的カテゴリの細分化が進められてきた。だが、それを突きつめた先にどのような社会を形成するのかという議論が手薄になっているのが現状である。「まとまり」についての無自覚さは、集団主義や全体主義と社会的凝集性とが混同される事態を招いている。あるいはまた、社会の秩序や制度を維持する方法を考えるさいに、「これまでなされてきたこと」に素朴に依拠する傾向を残すことになっている。すなわち、既存の社会構造を前提としつつマイノリティの尊重を付加するかたちでの共生が模索されがちである。しかし、それが多様性の尊重と凝集性の確保の両立なのだろうか。本書ではこの問いを起点として、共生社会論を深めたい。
共生をめぐる議論がこのような状況に陥る要因としては、二つのことが考えられる。一つは、理念としての多様性の尊重がそのまま規範化されることで、むしろ対立を助長することである。世界は公正であるべきとする理念が原理主義的な信念に転化するだけでは、具体的な社会運営の実践には結びつかない。現実にはつねに理念との乖離がみられるものだからだ。その結果、理想が実現しないことへの失望が広がり、シニシズムが蔓延する。共生を語ること自体を欺瞞だとするような言説を回避するためには、一歩ずつの漸進的な改善に耐える実直さを取り戻すことが求められる。
もう一つは、ナショナリズムへの回収である。ナショナリズムはわかりやすい「まとまり」として機能しやすく、結果的に共生の議論がその枠内に収まってしまう。これは日本に限らず、アメリカ合衆国をはじめとする諸外国の社会に関しても顕著にみられる現象だろう。「○○国民ファースト」「○○人ファースト」を声高に叫ぶ思考は、結局のところ、人と人のあいだに線を引き、概念化された社会的カテゴリのあいだに積極的に序列性を見出すことになる。共生社会において確保されるべき凝集性のあり方についても、十分な検討がなされる必要がある。
本書ではこうした状況をふまえ、共生社会論をシニシズムとナショナリズムの双方から解放することをねらいとする。
上記内容は本書刊行時のものです。

