書店員向け情報 HELP
出版者情報
占領下のエンタテイナー
日系カナダ人俳優&歌手・中村哲が生きた時代
- 初版年月日
- 2020年12月7日
- 書店発売日
- 2020年12月2日
- 登録日
- 2020年11月6日
- 最終更新日
- 2020年11月21日
書評掲載情報
2021-01-30 |
毎日新聞
朝刊 評者: 川本三郎(評論家) |
2021-01-23 | 朝日新聞 朝刊 |
MORE | |
LESS |
紹介
中村哲という俳優兼歌手がいたことを覚えているだろうか。
もう忘れられている存在かもしれないが、戦後ある時期の日本で一世を風靡した存在だった。
カナダ生まれの日系二世で英語が堪能、そして本格的に声楽を学んだ歌のうまい歌手。
とくにアメリカ占領下の戦争直後の昭和二十年代、そしてその影響が残る三十年代においては
同種の二世タレントがもてはやされたが、そのなかでも傑出した存在だった。
この本は氏の息子である著者が父親の事績をたどったノンフィクションであり、
あまり紹介されていない終戦後の占領日本を関係者取材や父親の遺した多くの資料、
写真類や関係資料を読み解いて書き表した本である。
中村哲(さとし)は1908年カナダのバンクーバー出身の日系カナダ人二世。
声楽を学び、来日翌年の41年に藤原歌劇団『カルメン』でオペラ歌手としてデビュー。
42年には東宝と専属契約を結び俳優としても活動。戦後は英語力を生かし、
進駐軍クラブで「日本のアル・ジョルスン」と呼ばれて人気を博す一方、
『レッド・サン』など数多くの国際的な合作映画に出演。
また、海外ミュージシャン日本公演の司会やCMモデルなどでも活躍した。1992年没。
簡単にまとめれば以上のようになる。しかし、カナダと日本の間は戦争で敵対関係にあり、
戦争時代をはさんでとても複雑な状況に立たされた。これは多くの日系移民が直面した問題であった。
中村哲はその時代状況をたくましく、持ち前の陽気さと人の好さで逆手に取って生き抜いた男であった。
家族を大事にし、良い友人知己を得て、寿命を全うするまで戦後日本の芸能界で個性を発揮しつづけた。
『モスラ』や『美女と液体人間』などの東宝のSF映画の常連、あるいは『東京暗黒街 竹の家』
『東京ファイル212』といった日米合作映画になんとなく怪しげな三国人役で出演している。
一時のジャズブームでは進駐軍クラブを中心に都会のキャバレー、クラブで売れっ子だった。
今でも続く占領軍の影響、植民地日本のアメリカナイズされた文化のルーツを知ることはとても興味深い。
何がその時おきていたのかの検証に役立つだけでなく、面白い評伝として傑出している。
写真資料を見るだけでも一見の価値がある。
目次
プロローグ──PPMのCDに残されていた懐かしい父の声
一章 バンクーバーのホームラン王
パウエル・ストリートの日本人
父の仕事は「土地売買通弁業」
カナダ国民として英語教育を受ける
日系人野球チーム「朝日軍」の登場
グラウンドには差別がない!
哲、バンクーバーのホームラン王になる
野球が一世と二世の溝を埋めてくれた
肩を壊して朝日軍を退団
ポップミュージックに熱中、歌手を目指す
声楽教師ギデオン・ヒックス氏の大恩
マフィアの秘密クラブで独唱、大喝采
日系人オペラ歌手、中村哲の誕生
オペラ歌手愛ちゃん、斎田愛子
ホテルを解雇され、日本での歌手デビューを決意
第二章 日本の映画の世界へ
日本での初リサイタルは評判上々
自分では気づかなかった微妙な訛り
訛りをなおすために日活の演技者養成所へ
太平洋戦争の勃発が哲の夢を打ち砕いた
やむなく映画俳優へ「転進」
カナダの家族が強制収容所へ送られる
『ハワイ・マレー沖海戦』で映画初出演
「アメリカの力はそんなもんじゃない」
大部屋の美人女優と相思相愛の仲に
いっそアメリカ人に生まれたいと少女は願った
この非常時に敵国人との結婚なんて
『あの旗を撃て』でフィリピン・ロケへ
新婦は手縫いのウェディングドレスで
「怪しい三国人」「謎の東洋人」役の始まり
『ゼロ・アワー』のスタッフに
英語の飛び交うスタジオは洋楽の解放区
日本で初めておこなわれたDJ放送
待望の長女が誕生、一家をかまえる
空襲下の東京でもささやかな楽しみ
広島の金江村への疎開
相次ぐ空襲下、終戦を迎える
第三章 占領下の日本で大活躍
疎開先で歌や英語を教える
収容所の日本人たちへの厳しい通達
焦土の東京へ出て、すんなり東宝と再契約
故郷ではサリーの兵隊姿にビックリ
カナダから送還されてきた老いた両親
哲も出演していた『額縁ショー』
英語で歌えることで大ブレイク
進駐軍クラブが格好の稼ぎ場所
将校クラブではトップシンガーの扱い
風格があったですよ、拍手も大変なもんでした
連合軍専用列車で母を広島へ
捕まった大家を進駐軍のコネで救う
「東京ローズ」裁判でサンフランシスコへ
イエロー・ジャーナリズムによる反逆者の汚名
長女の命、マッカーサーのサインで救われる
なぜ戸栗さんだけが裁かれたのか
トンデモ映画ばかりだった日米合作映画
江古田にカナダ風の邸宅をつくる
アル・ジョルスン・フリークの青年が弟子入り志願
ジャズ・ブームに乗って大繁盛
哀切、斎田愛子の夭折
『蝶々夫人』の撮影でイタリアへ
藤原歌劇団アメリカ公演の話
アメリカ映画のオファーを断って公演へ
公演のギャラは支払われなかった
こんなにいい役、どうして断ったの?
第四章 あくまでオペラ歌手として
妻を不安にさせたクラシックへのこだわり
映画不況で専属料が大幅ダウン
起死回生を狙って二度目のリサイタルを開く
満場の拍手も新しいオファーはなかった
永島達司からMCの依頼を受ける
海外ミュージシャンのMCに新境地
「呼び屋」を近代的ビジネスにした永島達司
三船の『五十万人の遺産』でまたもや「謎の男」
フランク・シナトラの『勇者のみ』で英語指導
誤った日本趣味を訂正する
男一匹、決心しなきゃならないときもある
歌一本に懸け、石井音楽事務所に所属を移す
労音、民音の組織力が頼り
みんなフォークが押し流していった
労音は衰え「時代は変わる」
家計のために、サチがミセス・モデルに
哲のまったく知らなかった世界的人気バンド
私は当時PPMに夢中だった
小室等はLP三枚すり潰してPPMをコピーした
PPMから直々にサインをもらった
早川雪洲と間違えられているカローラのCM
第五章 日本人として生きる
年金制度のあるカナダへ行けば、もう大丈夫と思い込む
一家そろってカナダへ移住を決断
私の作った歌が『あなたのメロディー』に入賞
カナダ行きの餞別は森山良子の歌
昔のバンクーバーはもう跡形もなかった
カナダでできることは何もない
いまから言葉を覚えたって、しょうがない
甥の言葉が帰国を決断させた
せっかくの入学資格がパアに
戻ってきて住んだのは小さな家
ニューオータニの館内放送で復帰
人柄のよさが哲を困窮から救った
サチの過剰な不安に振り回された中村家
『レッド・サン』の大ヒットで溜飲を下げる
私はすっかり日本人のようになってしまいました
NHKで十八番の『スワニー』を熱唱
エピローグ
あとがき
中村哲 出演作品リスト
主要参考文献
検索用キーワード
占領時代
東宝怪獣映画
日米合作映画
バンクーバー朝日軍
日系カナダ移民
日本のジャズ歌手
上記内容は本書刊行時のものです。