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虐待が脳を変える 友田 明美(著/文) - 新曜社
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虐待が脳を変える (ギャクタイガノウヲカエル) 脳科学者からのメッセージ (ノウカガクシャカラノメッセージ)

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発行:新曜社
四六判
208ページ
並製
価格 1,800円+税
ISBN
978-4-7885-1545-1   COPY
ISBN 13
9784788515451   COPY
ISBN 10h
4-7885-1545-8   COPY
ISBN 10
4788515458   COPY
出版者記号
7885   COPY
Cコード
C1047  
1:教養 0:単行本 47:医学・歯学・薬学
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2018年1月
書店発売日
登録日
2017年12月8日
最終更新日
2018年1月16日
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書評掲載情報

2018-12-08 日本経済新聞  朝刊
評者: 奥野修司(ノンフィクション作家)
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紹介

科学が語る事実
友田医師が初めて児童虐待の事例に出会ったのは、30年近くも前、救命救急センターで当直していた夜、3歳の男の子が瀕死の状態で運ばれてきたときでした。男の子は、頭部打撲で頭蓋内出血しており、身体には、無数のタバコの火傷跡や傷がありました。その後、虐待された人たちのこころのケアに取り組むと共に、虐待が脳に与える影響を研究してきた友田医師は、虐待が脳を変えてしまうという事実を多くの人に伝え、虐待の恐ろしさを知ってもらうことを使命と考え、研究のかたわら、講演や専門書、新書の出版を通して、啓蒙活動を続けてきました。しかし脳科学の話を、理論やデータを省略せずに一般の人びとにもわかりやすく伝えるのは難しいことです。そこで本書は、友田医師の研究室で働く共著者の藤澤がライターとなり、二人が緊密に議論しながら書かれました。共に子を持つ母親として親の気持ちにも寄り添いながら、科学に興味を持つ人の知的関心にも応える一書です。

目次

虐待が脳を変える 目次

 はじめに―― 児童虐待との関わり

1章 虐待とは
   1 児童虐待の定義
   2 マルトリートメントという考え方

2章 虐待の種類
   1 身体的虐待(フィジカル・アビュース)
   2 性的虐待(セクシャル・アビュース)
   3 ネグレクト
   4 精神的虐待(バーバル・アビュースなど)
   5 DV(ドメスティック・バイオレンス)の目撃
   6 子ども医療虐待(メディカル・チャイルド・アビュース:MCA)

3章 虐待の歴史と現状
   1 アメリカにおける虐待の現状
   2 アメリカにおける虐待対応の歴史
   3 日本における虐待の現状
   4 日本における虐待対応の歴史

4章 愛着障害
   1 愛着理論
   2 愛着障害

5章 思春期・青年期における虐待の影響
   1 虐待と非行・犯罪
   2 虐待といじめ

6章 発達障害の虐待への影響
   1 ADHDと虐待
   2 ASDと虐待
   3 療育

7章 虐待の引き起こす精神疾患
   1 うつ病
   2 不安障害
   3 心的外傷後ストレス障害(PTSD)
   4 解離性障害 
   5 境界性パーソナリティ障害
   6 物質関連障害および嗜好性障害群
   7 非社会性パーソナリティ障害

8章 脳の役割と発達
   1 主な脳領域の役割
   2 ヒトの脳の発達

9章 精神疾患と脳の画像診断
   1 いろいろな画像診断技術
   2 PTSD患者の脳画像解析
   3 うつ病患者の脳画像解析
   4 境界性パーソナリティ障害患者の脳画像解析
   5 解離性障害患者の脳画像解析

10章 虐待経験者の脳画像研究
   1 てんかん
   2 脳波異常
   3 海馬
   4 それ以外の脳領域
   5 左半球と右半球のバランス異常と脳梁

11章 精神トラブルの無い虐待経験者の脳を調べる
   1 性的虐待の影響
   2 バーバル・アビュース(暴言)の影響
   3 体罰(身体的虐待)の影響
   4 DVを目撃することの影響

12章 癒やされない傷
   1 虐待による神経回路への影響
   2 脳の変化はなぜ起きたのか
   3 適応と不適応

13章 虐待は受け継がれる
   1 受け継がれる理由
   2 虐待を断ち切る可能性

14章 癒される傷
   1 脳の感受性期と成長
   2 脳の回復力

15章 現代社会における育児
   1 子育ては本能ではない
   2 インターネットの影響

16章 治療から予防へ
   1 予防の重要性
   2 スキンシップの大切さ

17章 育児に関わる人たちへ
   1 関係性の悪循環
   2 正解のない育児

 あとがき

装幀=新曜社デザイン室

前書きなど

虐待が脳を変える はじめに―児童虐待との深いかかわり

 わたしが医師として児童虐待と初めて出会ったのは、30年以上も前の1987年、まだ鹿児島市立病院の研修医だった頃のことだ。

 救命救急センターで当直していた夜、3歳の男の子が瀕死の状態で運ばれてきた。状態が非常に重かったため、医長も応援に駆けつけた。非常に強い力で何度も殴られたのだろう。男の子は、頭部打撲によって頭蓋内出血していた。身体には、タバコの吸殻で付けられた無数の火傷跡と、新しいものから古いものまで様々な傷があり、虐待を受けたことは一目瞭然だった。すぐに警察へ通報し、それからの3日間、私たちは不眠不休で治療にあたった。日常的にひどい病人やけが人をたくさん見ているわたしたち医療関係者ですら、何かしてあげないとこころが折れてしまいそうであった。しかし、そんなわたしたちの願いもむなしく、その子は3日後に亡くなった。

 テレビや新聞でしか見聞きしない児童虐待というものが現実にあるのだということを恐怖とともに知るとともに、まだ幼い命を助けられなかったという医師としての無力感を味わった経験であった。また、その子の親が最後まで虐待の事実を否認し続けたという事実も、当時のわたしにとっては衝撃的であった。

 それから何年か経ってわたしも親になり、虐待がもっと身近な問題となった。今は立派に成人し、むしろわたしを支えてくれている子どもたちだが、やはり難しい時期もあった。何をしても泣き続ける、親の言うことをまったく聞かない、理由の無い八つ当たりをされる ・・・。うんざりすることもある。愛してはいても、目の前の子どもがかわいいと思えない時もある。医師としての活動は止めないままに育児をしたので、余裕が無くて手が回らないこともあった。睡眠薬を飲ませてしばらくこのまま眠ってくれたらどんなに楽かしら? などと頭によぎったこともあったぐらいだ。親というものはどんな時にも無条件で子どもを愛し、許すものだという幻想が打ち砕かれていく。手を上げた記憶こそほとんど無いが、わたしのせいで子どもにつらい経験をさせたという思いはそれこそ山のようにある。

 親になってから、研修時代に出会った親からの虐待によって殺された子どものことがまた生々しくよみがえってきた。ひとりの患者さんだった子どもが、今度は自分の子どもや子どもの友だちの姿と重なって見えてきたのだ。かわいい子どもをひどい目にあわせた親に対する許せない気持ち。同時に自分は子どもにそんな思いをさせていないかという不安。多くの親と同様、わたしも自分の育児に自信が持てず、自分の子どもが不幸なのではないかと何度も自問した。

 あの子は、もう親に抱きしめてもらうことはできない。でも、生きていたらもう一度抱きしめてもらえていたのだろうか? 傷ついたこころを癒してもらえたのだろうか? もし、身体が回復していたら、幸せになることができたのだろうか?

 わたしは娘たちをきちんと抱きしめているだろうか? こころを傷つけてはいないだろうか? わたしに育てられる娘たちは幸せだろうか?

 児童虐待がさらに身近に感じられ、ますますほうっておけないと感じるようになった。とは言え、その出来事は医師としてのつらい記憶であり、むしろ目を背けたくなる現実であった。虐待という事象を深く考えるとき、親なら誰でも持っている自分のダークな部分がどうしても見えてくる。正直なところ、積極的に向き合っていきたいという気持ちは無かったし、ましてやそれが自分のライフワークになるなど夢にも思っていなかった。でも、今になってみれば、あの出来事がわたしをここへと導いたのだと思う。

 しばらく小児神経学を勉強していた時、もう一つの転機が訪れた。2003年、小児精神医学を研究するためにアメリカへ留学する機会を得たのである。最先端の脳機能の研究ができるすばらしいチャンスであった。2人の娘と共に、わくわくした気持ちでボストンへと渡った。

 マサチューセッツ州ボストン郊外にあるマクリーン病院の発達生物学的精神科学教室がわたしの受け入れ先であった。マクリーン病院は、ハーバード大学の関連病院の一つであり、全米で有数の高い質を誇る有名な精神科の単科病院である。緑の豊かな広大な敷地に低い病棟が点在している。最先端の技術を持っていることだけではなく、入院患者も富裕層が多く、数多くのセレビリティが入院することでも有名である。映画『ビューティフル・マインド』のモデルであり、ゲーム理論でノーベル経済学賞を受賞したジョン・ナッシュ博士も一時期ここに入院していたと聞いて、少なからず興奮したものだ。

 少し話はそれるが、この病院には、患者さんが退院する際に病院全体でパーティを開いて見送るという風習があった。患者さんの回復をスタッフみんなこころから喜び、お祝いするのだ。患者さんたちも含め、スタッフみんなが大きな家族のようだった。秋になると病院の敷地内の大きな果樹園には、たくさんのリンゴがなった。週末になると、娘たちは大喜びで食べきれないほどのリンゴを摘んだものだ。わたしはそのリンゴでアップルパイを焼いてそのパーティに持参した。今でもアップルパイはわたしの得意料理である。

 このパーティを含め、この病院の医療に対する姿勢は、わたしがここで学んだもっとも大切なことのひとつであった。技術や薬だけでは、精神の病は治らない。人と人の絆がこころの傷を癒すのである。精神病の治療には、最先端の脳科学以上に、豊かな環境と温かい看護が重要なのだ。帰国後の今でも、わたしの教室では年に2回、スタッフだけではなく、その家族も招いて、研究室でパーティをしている。子どもや家族を含めたファミリーの絆を強くすることは、研究や治療、特に児童虐待というテーマを持った研究や治療には非常に大切なことだと信じている。

 しかし、その素晴らしい環境を一歩出ると、そこにはアメリカの厳しい現実があった。アメリカは、虐待大国と揶揄されることもあるぐらい、児童虐待の多い国である。テレビをつけると、悲惨な児童虐待の事件が目に入る。実際、毎年アメリカの児童福祉局には、300万件以上の虐待やネグレクト(養育の放棄や怠慢)の通報があり、そのうち100万件以上には虐待の明らかな証拠があるという。当時の日本では、まだまだクローズアップされはじめたばかりの問題であった。

 マクリーン病院でのわたしのボスは、マーチン・H・タイチャーであった。わたしの永遠の師匠の一人である。タイチャーは、小児神経科医から精神科医に転身し、虐待が脳に与える影響を研究していた。面接で初めて先生に会った時、先生はこう言った。「子どもの時に厳しい虐待を受けると脳の一部がうまく発達できなくなってしまう。そういった脳の傷を負ってしまった子どもたちは、大人になってからも精神的なトラブルで悲惨な人生を背負うことになる。」この言葉が、わたしのその後の仕事人生を変えることになった。

 タイチャーに最初に与えられた課題「子ども時代に悲惨な虐待を受けた経験をもつ人の脳に〝子ども時代の虐待のエピソードがどういった影響を及ぼしていくのか、その過程や成り立ちに迫る〟」は、アメリカでの3年間だけでなく、わたしの一生の課題となり、今も追い続けている。日本に戻って12年が経った今でも、日米科学技術協力事業「脳研究」分野グループ共同研究の日本側代表者として、日本とアメリカボストンを頻回に行き来しながら、虐待と脳についての研究を続け、タイチャーともたびたび共同研究を行っている。毎年、日米のどちらかで一緒に講演活動などをしながら近況報告するのが恒例行事だ。

 わたしがアメリカに渡った頃、日本では児童虐待が話題となることはまだまだ少なかったが、2017年の現在では大きな社会問題のひとつである。児童相談所への相談件数は増加の一途をたどり、テレビでは虐待に関する痛ましいニュースが毎日のように流れる。まるで留学当初のアメリカのようだ。児童虐待によって生じる社会的な経費や損失は、2012年度で少なくとも年間1兆6000億円にのぼるという試算も発表された。児童虐待が子どものこころに与える影響だけでも重大であることはもちろんだが、虐待が当事者のみならず、社会全体の問題であることを示す事実である。

 その一方で、まだまだ虐待を科学の側面から研究するといった活動はほとんど無いのが現状である。現在のところ、虐待が脳に与える影響を研究しているのは、わたしの所属する福井大学子どものこころの発達研究センター以外には知らない。

 わたしは、この14年間、日本で虐待された人たちのこころのケアに取り組むと共に、虐待が脳に与える影響を様々な方向から研究してきた。そこで得られた結果は、虐待が脳を変えてしまうという事実。楽しいものではない。しかし、それでもその事実を多くの人に伝え、虐待の恐ろしさを知ってもらうことがわたしの使命だと考えている。実際に虐待を未然に防ぎ、影響を最小限にしていくためには、医療や福祉だけでは不十分であり、たくさんの人がお互いに支えあわなければならない。

 わたしは、児童虐待でこころに傷を受け、遠い昔の経験によって残された傷によって悲しい運命と戦っている人をたくさん診てきた。そんな傷を負わせた多くの親とも対峙してきた。虐待と言うとどんなにひどい親ばかりいるのだろうと思われるだろうが、実際には、子どもを良くしようと必死でがんばっている普通の親もたくさんいるのだ。そんな親がなぜ子どもの身体やこころを傷つけるような酷いことができるのか? その答えはわたし自身の中にもあると思うし、多くの人がこころの中に抱きながら子どもを育てていることであろう。

 わたしは、2人の娘の親でもある。虐待の子どもに与える傷について研究しているものとしては、「わたしはこんな立派に子どもを育てた! 虐待などありえない!」と胸を張りたいところだが、実際のところ、親としてのわたしは情けない限りである。自身の子育てに関しては、今では自分の足で立っている娘たちに与えることができたものを誇りにするより、背負わせてしまったかもしれないものを反省するばかりである。あの時のあの行動は不適切であった、こんな子育てをしたわたしが虐待についてえらそうに話をしていいものだろうか? と考えてしまうこともある。

 完璧ではない親のひとりとして、虐待の被害者と加害者の両方をたくさん診てきた医師として、今わかっていることをできるだけ多くの人に伝えたいと思う。虐待について知れば知るほど、考えれば考えるほど、わからなくなることが増える。永遠に答えなど出ないのではないだろうかとも思う。虐待の残す傷を伝えたところで、その虐待自体を止める手段を見つけなければ何になるのだろう? と考えることもある。それでも研究活動と啓蒙活動を続けているのは、科学の示す証拠をできるだけ多くの人に知ってもらうことが、虐待を抑制する力になるに違いないと信じているからである。

上記内容は本書刊行時のものです。