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粘着の人 ストーカーという名の宿痾
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2024年3月20日
- 書店発売日
- 2024年3月11日
- 登録日
- 2023年12月15日
- 最終更新日
- 2024年3月10日
目次
はじめに ストーカーとは何者か
第一章 見捨てられる恐怖
■目覚め■かあちゃん■ダメな子■捨てられる■死ね、くそばばあ■自分の居場所■燃えてしまえ■はじめての彼女■少年院へ
第二章 ストーカー気質
■就職■運命の人■再会■侵入■逃がさない■懇願■海の向こうで
第三章 暴走する欲望
■告白■自宅を探す■話し合い■準備■逮捕■本番はここから■ストーカーじゃない
第四章 あぶりだされる本性
■メディアからの取材■発作■ミイラ
第五章 裏切りの警告
■口頭警告■更生支援施設へ
■絶縁■待ち伏せ■書面警告
第六章 粘着
■“希望”■「二度と会いたくない」■殺そうと思った■地獄の苦しみ■変化
第七章 実名、顔出し、そして
■私の役目■自分を晒す覚悟■活動の広がり
おわりに 私はもうストーカーではないのか
前書きなど
ストーカー殺人――。
また起きてしまった。
どれだけ繰り返されれば、ストーカーによる凶行はなくなるのだろうか。
ストーカー事件が社会に与える衝撃はとても大きい。被害者が警察に何度も相談していたにもかかわらず、守りきれずに、悲しい結末を迎えることが多いからだろう。
そのため事件のたびに、
「警察がもっと早く、しっかり対応すべき」
「刑罰をもっと厳しくすべき」
といった議論が繰り返されてきた。
その議論が最初に巻き起こったのが一九九九年に埼玉県【さいたまけん】桶川市【おけがわし】で起きたストーカー殺人事件だった。事件の衝撃とともに、警察のずさんな対応が社会問題にもなった。すぐさま翌年の二〇〇〇年にはストーカー規制法が成立。ストーカー行為自体が犯罪となった。
以来、事件が起きるたびに警察の対応の不手際、法律の不備などさまざまな問題点が浮き彫りになり、法律の改正、警察での対応の改善などが行われてきた。
以来、四半世紀もの時が流れた。
しかし、ストーカーによる凶悪事件は毎年のように起こり続けている。警察の対応に改善すべき問題があることは間違いない。法律をより良いものにしていく必要性も感じる。ただそれだけではこの先もずっと解決しないだろうことに薄々気付いている人もいるはずだ。
では何が足りないのか。
私は議論を進めるうえで最初に知るべき重要な視点が抜け落ちていると感じている。
それはストーカーの本質、つまりストーカーとは何者かということに目が向けられていないということ。つまり、多くの人はストーカー自体を軽く考えたまま、議論が進められてきたのではないかと思うのだ。
「そんなキモいやつのことなんて知りたくないし、知る必要もない」
「さっさと捕まえて、刑務所に放り込んでおけばいい」
苦しんでいる被害者がかわいそうだと思う気持ちはわかる。被害者のことを思えば、加害者がどうなったってかまわないと思うのも理解できる。
しかし、その考えだけでは根本的な解決には至らない。むしろその考えだけでいる限り、必ず次の事件がどこかで起きる。その考えが悲劇を生むきっかけにさえなるかもしれない。
そしてなにより、その考えだけでは被害者を本当の意味で救うことにはならない。
現行法において、ストーカーに与えられる刑罰は一番重い場合で懲役二年、罰金二百万円。これを軽いと考えるか、重いと捉えるかは人それぞれになると思うが、実際にここまでの刑罰を受けることはまれだ。
通常、警察にストーカー被害を訴えても即逮捕になるケースはほぼない。
まず口頭や文書による警告、さらに違反するようなら接近の禁止命令が出される。
多くの場合、警告や禁止命令によって付きまとい、待ち伏せ、電話、メール、SNSなど、それまで執拗【しつよう】に続いていたストーカー行為は、ぴたりと止まる。
被害者はそこで一旦は安堵感を得るかもしれない。そのまま平穏な時間が続いていくことで、ひとまずの解決に至ることにもなる。警察の介入が一定の効果を発揮して、ストーカー行為を辞める人間が多数いることは確かだ。
しかしストーカーの心の中は別物だ。頭で理解し、考えて行動できるほどドライじゃない。もっともっとウェットでどろりとしていて、いつまでたっても生々しい。その思いに悶【もだ】えながら、自分の殻に閉じこもっていく。相手からの拒絶に対するストーカーの思考や感情は、ひと言で片付けられるほど単純なものではない。その粘着性は想像をはるかに超えていく。
そしてその内なる感情をうまく抑えられず、表面化させる人間もいる。
それは一週間後かもしれない。三カ月後に爆発させるかもしれない。もしくは一年後、三年後……。あるいはたった半日後には被害者の前に立っているかもしれない。
いつあらわになるかわからないし、どんな形で噴出してくるかもわからない。やっかいなことに、ずっと何も起こらないままかもしれない。
それは被害者には決してうかがい知ることができない部分でもある。警察に届ければパトロールを強化してくれるだろう。電話をすれば駆けつけてもくれるだろう。しかし行動しないストーカーに手出しはできない。心の中の粘着度合いを測ることは、だれにもできないのだ。
つまり法律でどれだけ罰則を強化しようとも、警察がどれほど厳しく介入しようとも、ストーカーの身勝手な思い一つで状況は一瞬にして変わる。被害者の前では何も起こらない平穏な時間が流れるなかで、ストーカーは発露を求めて蠢【うごめ】き続けている。
そして、やるやつは、やる。刑務所に収監されようとも、たとえ死刑になるとしても。
“粘着の人”に警察や法律は関係ない。
だからこそ、私は言いたい。ストーカー加害者のことをだれもが知るべきだ、と。
被害者目線から見た加害者を語れる人はいても、ストーカー加害者の視点で語れる人はまずいない。加害者として他人から批判や好奇の目を向けられることを好む人間などいないからだ。
それでも唯一語れる当事者がいる。
私だ。
現在の私はストーカー加害者の更生支援をしているが、過去の私はストーカーだった。相手を「殺そう」と思ったことさえある。
だから私は身をもって知っている。被害者や世間からは見ることのできないストーカー加害者の粘着性を。
恐怖、苦悩、孤独、無力感、怒り、嘆き……。ストーカー事件が起こるたび、私の中に生々しく呼び起こされるあの醜猥【しゅうわい】な感覚にはぞっとせずにはいられない……。
ストーカーは怖い。本当に怖い……。
上記内容は本書刊行時のものです。