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手のひらの五円玉 私がイエナプランと出会うまで
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 書店発売日
- 2020年10月15日
- 登録日
- 2020年6月12日
- 最終更新日
- 2020年10月22日
紹介
本書は誌面の大半を割いて、まずわたし自身がイエナプランと出会うまでに、日本とそれ以外の国で、わたしの心に大きなものを残してくれた人々との出会いについて書いています。イエナプランをすでにご存知のみなさんには、「ああ、そういう出会いがあったからイエナプランに惹かれたのだな」とか「イエナプランを通してリヒテルズ直子が伝えようとしているのは、そういうことだったのか」という風に読んでいただけるとうれしく思います。また、イエナプランをまだあまりご存じでないみなさんには、できることなら、本書でわたしのさまざまな人々との出会いを追体験して、イエナプランへの一つの導入としていただければ幸いです。(著者はじめにより)
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目次
はじめに
第1章育んでくれた故郷の人々
最後まで人生を楽しんで生きた母
戦火の下で「舞え」と言った祖父
高祖父の墓参りと咸宜園
跳び箱を最初から
直子を世界に翔ばせなさい
諦めるなら10年してから
遊んでくればいいと言われて留学へ
第2章海の向こうでめぐりあいし会いし人と社会
マレーシアのインド人家庭に下宿して
ラジャとラオ
30年後のロガヤとの再会
厳しい自然と人間の限界
政情不安を生きのびる
抑圧を生きるインディオたち
第3章アメリカンスクールでの子育て奮闘記
入学第一週目で怒り大爆発
子どもは学校で我慢を学ぶもの?
100%教員の自由裁量
保護者を大切にする学校
第4章オランダという国
わたしが求めているものって何?
教育を作る学校と学校を選ぶ親
違いを受け入れ違いを伸ばす学校
なん度でもやり直せるオランダ社会
社会がみんなで子どもを育てる
啓蒙とは鵜呑みにしないこと
第5章わたしが出会ったイエナプランナーたち
真の探究を教えてくれたケース
戦士と差別を生まない学校をめざして
リーン校長の「学習する学校」
共に生き、子どもを輝かす
水の流れを変える川の石のように
インクルーシブな社会は学校から
終章子どもへの関わり方11のヒント
①安心で楽しい毎日を
②子どもの力を信じて
③間違いと失敗は成長のベスト・チャンス
④ホンモノに触れられる豊かな環境を
⑤子どもと話そう
⑥消費者でなく生産者に
⑦努力を褒めよう
⑧競争でなく協働を褒めよう
⑨子どもを舞台に
⑩心のコンパスを信じよう
⑪大人たちが垣根を越えて
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目次
目次
はじめに
第1章育んでくれた故郷の人々
最後まで人生を楽しんで生きた母
戦火の下で「舞え」と言った祖父
高祖父の墓参りと咸宜園
跳び箱を最初から
直子を世界に翔ばせなさい
諦めるなら10年してから
遊んでくればいいと言われて留学へ
第2章海の向こうでめぐりあいし会いし人と社会
マレーシアのインド人家庭に下宿して
ラジャとラオ
30年後のロガヤとの再会
厳しい自然と人間の限界
政情不安を生きのびる
抑圧を生きるインディオたち
第3章アメリカンスクールでの子育て奮闘記
入学第一週目で怒り大爆発
子どもは学校で我慢を学ぶもの?
100%教員の自由裁量
保護者を大切にする学校
第4章オランダという国
わたしが求めているものって何?
教育を作る学校と学校を選ぶ親
違いを受け入れ違いを伸ばす学校
なん度でもやり直せるオランダ社会
社会がみんなで子どもを育てる
啓蒙とは鵜呑みにしないこと
第5章わたしが出会ったイエナプランナーたち
真の探究を教えてくれたケース
戦士と差別を生まない学校をめざして
リーン校長の「学習する学校」
共に生き、子どもを輝かす
水の流れを変える川の石のように
インクルーシブな社会は学校から
終章子どもへの関わり方11のヒント
①安心で楽しい毎日を
②子どもの力を信じて
③間違いと失敗は成長のベスト・チャンス
④ホンモノに触れられる豊かな環境を
⑤子どもと話そう
⑥消費者でなく生産者に
⑦努力を褒めよう
⑧競争でなく協働を褒めよう
⑨子どもを舞台に
⑩心のコンパスを信じよう
⑪大人たちが垣根を越えて
前書きなど
はじめに
今でも時折、自分の小さな手のひらに乗っていた穴の開いた五円玉を思い出します。多分、小学一年生くらいだったと思いますが、初めて一人でバスに乗ってほんの一つ先の停留所までお使いに行ったときのことです。あの日から一人で移動する範囲が少しずつ広がっていきました。そして、六〇年近くたった今、わたしはフランスのとある過疎の村でこの文章を綴っています。ずいぶん遠くまで来たものです。ここに至るまで、日本中リュックを背負って旅し、一九歳ではじめてヨーロッパを訪れ、韓国や香港にも行き、やがてマレーシアに留学。そこで出会ったオランダ人の夫と共に、一〇年余りの歳月、ケニア、コスタリカ、ボリビアでも暮らしました。四一歳で夫の国オランダに住み始め、その後二〇年余りオランダとフランスの間を往来する生活をし、今はフランスに軸足を置いて生活しています。
ふり返ってみると、あの日の五円玉は「自立」の象徴だったのでしょう。とても不思議なことに、あの五円玉を握りしめていた日ほど、大人になってから日本を離れて他所の国に行った日のこと、そのときに感じた緊張をあまりよく覚えていません。わたしにとって、自分の行動範囲は、あの五円玉の日に初めて両親に守られて暮らしていた実家を起点として、少しずつ同心円状に広がっていっただけで、ことのほか「外国に行くぞ」「海外に出るぞ」という覚悟のようなものはありませんでした。
人はよく「海外では違うのでしょうね」「やっぱり欧米はそうなんですね」「日本はやはり独自の文化がありますから」などと言います。そうした言葉を聞くたびに、何か腑に落ちないものを感じるのです。日本の国境だけが、やたらに高くそびえ立つ壁のように感じられるからです。わたしは、そういう壁をあまり実感したことがありません。海外だの欧米だのと、国外の人々や文化を十把一絡げにして日本と区別することや、日本には独自の文化があるといいながら、あたかも日本中の人が同じものの考え方をするかのように言うことには強い違和感を覚えます。
わたしが書くものに対して「外国のことばかり何でもいいように書いて」と非難めいたことを言う人がたまにいます。言われてみればそうかもしれません。でも、わたしはその人が見ている「外国」を、自分の世界の外にあるものだとは思っていないのです。わたしにとって、五円玉を握りしめていた日から徐々に広がっていった世界は「国境」などというもので仕切られる世界ではありません。わたしは、世界の中で、地球の上で生きているのです。だから「世界のどこかで、こんなことがあるんだよ。ねえ、こういう風に考えている人、こんな風にやっている人があそこにいるよ」と、自分が生まれ落ちた土地の人にも伝えたい、そう思っているだけです。多くの場合、人の欠点や悪いところを指摘するのは、無意識のうちに、それを通して自分がやっていることや考えていることを肯定したいときではないでしょうか。他人を否定し自分だけを肯定していても、学べることはあまりない気がします。ほかの人がしている良いことに目を向けることは、自分自身をふり返る上で良い視点になります。
「学び」とはなんでしょうか。わたしにとって「学び」とは、周りの世界を理解し、その世界を自身の中に取り入れ、それまでは知らなかった新しい知識や経験を自分の中で消化して、さらにより大きく一歩を踏み出して生きていくための指針を得るプロセスです。学校で学ぶ言語や数や論理や地理や歴史や実験・観察の仕方などは、自分の世界をより広げ、より良く生きていくために、周りの世界を理解し自分のうちに取り入れていくためのツールなのです。そう考えるとわたしの本当の学びは、日本人かどうかとか、日本のことか外国のことかなどにかかわらず、自分が行動範囲を広げながらさまざまな場所で出会った人々、そしてその人たちとの対話から得たものだったと思います。
わたしはこの一五年ほどの間、オランダで出会った「イエナプラン」を日本に普及するために力を尽くしています。新教育やオルタナティブ教育と呼ばれるものは世界にたくさんありますが、なぜか、イエナプランと出会ったときに「これこそわたしが求めていた教育だ」と直感しました。この直感の後ろには、それまでわたしが出会い、わたしを育んでくれた人たちが残してくれたさまざまなメッセージがありました。
そういうわけで、
本書は誌面の大半を割いて、まずわたし自身がイエナプランと出会うまでに、日本とそれ以外の国で、わたしの心に大きなものを残してくれた人々との出会いについて書いています。イエナプランをすでにご存知のみなさんには、「ああ、そういう出会いがあったからイエナプランに惹かれたのだな」とか「イエナプランを通してリヒテルズ直子が伝えようとしているのは、そういうことだったのか」という風に読んでいただけるとうれしく思います。また、イエナプランをまだあまりご存じでないみなさんには、できることなら、本書でわたしのさまざまな人々との出会いを追体験して、イエナプランへの一つの導入としていただければ幸いです。(著者はじめにより)
上記内容は本書刊行時のものです。