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取引情報
1945 保戸島の夏
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2011年8月
- 書店発売日
- 2011年7月25日
- 登録日
- 2011年6月23日
- 最終更新日
- 2019年12月10日
紹介
本書は、大分県の保戸島で起こった実話から創作。終戦間際の7月25日に島民127名が亡くなった。小学校が爆撃され犠牲者のほとんどが子どもたちだったのだ。学校と確信しての爆撃だった事実。戦争のおろかさを訴え、心揺さぶる。
目次
1 保戸島へ
2 ひらがな帳
3 しょんべんたれ
4 林先生
5 永末先生の出征
6 海軍監視所
7 強化学習
8 写生禁止
9 遠足へいこう
10 臼杵公園
11 約束
12 京城
13 子らはどこへいった
14 学校爆撃
15 『子らを偲びて』
前書きなど
この物語は大分県津久見市の保戸島で、ほんとうに起こったことを題材として書いた作品です。主人公の得重正信は本名得丸正信先生です。
三年前に夫との共著『筑紫れくいえむ』という本を出版しましたが、そのとき『日本の空襲・九州編』 (三省堂)をめくっていたら、年表欄に一行だけ「昭和二十年七月二十五日大分県保戸島死者百二十七名」とありました。これはいったい何なのだろう? と思ったのが、この作品を書くきっかけでした。
私はかつて家族とともに大分市に三年住んでいましたが、このような事実はまったく知りませんでした。知人や隣人からも聞いたことはありません。
すぐに保戸島にいきました。
学校の爆撃を知り、当時の在校生や保護者、先生を訪ね歩くうちに、「保戸島国民学校で先生をしていた人が、戦後六十年余も毎年欠かさず慰霊祭にきてくれている」と保戸島の人が教えてくださいました。
その人が得丸先生でした。
大分市郊外の先生のお宅に伺ってお話を聞くうちに『子らをしのびて』という手記を出版されていたことも知りました。爆撃のことは余すことなく書かれていました。しかしご自分のことはご謙遜で少しだけでした。
当時はお元気で、大分市の郊外で奥様のミチ子さんと経営しておられた宮河内幼稚園を、ご子息の憲司氏に譲られたあとでした。
ご自宅でお話をお聞きしているとき「おじいちゃんせんせー」と、子どもたちが何人ものぞいていきました。ご夫妻はとても慕われておいでのようでした。保戸島の子らへの思いが幼稚園の開園につながったのではと思ったことでした。
教育者として幼児教育の大切さを語られる先生と接しているうち、得丸先生をこそ主人公にして書きたい、との思いが夏雲のようにわいてきたのです。
「朝鮮竜山の陸軍官舎から、北辺警備はどこまでいかれたんでしょう?」とか、「ノンフィクションはやはり無理です。創作として書かせてください」とか何度も電話でおたずねしたり、ご了解を得たりしたものでした。
そして、奥様からの突然の訃報でした。
「えーっ、そんな……。しまった! どうしたらいいの」といったきり、頭の中がクラクラしました。
先生の温顔を思い浮かべながらも、自分の能力のなさが悔しく、少しずつしか文章をつづることができませんでした。資料もお借りしたままです。ご存命中になんとか間に合わせることができなかったのかと、いま歯ぎしりする思いです。正信先生、どうかどうかお許しください。
保戸島では当時の在校生や保護者、漁協の役員さん、お寺のご住職、そして旅館の女将さんにまで、お話をききました。また機銃掃射でけがをし、いまだに大分、別府市の病院に入院中の方にもお会いしました。貴重なお話を聞かせていただき、ほんとうにありがとうございました。
私が書いたものの中ではもっとも長く、迷うことの多い作品でしたが「六年生くらいの子は読めますよ、読んでもらいましょう!」と励まし、ご助言くださった解放出版社編集部の綱美恵さん、お声をきくたびに元気がでました。心から感謝申し上げます。
最後になりましたが表紙の絵を描いてくださいました中川洋典さん、ぴったしの素敵な絵、きっと子どもも大人もこの本を手に取ってくれることでしょう。ありがとうございました。
2011年6月 坂井ひろ子
上記内容は本書刊行時のものです。