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ローマ百景 II マリオ・プラーツ(著) - ありな書房
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9784756606938

ローマ百景 II (ローマヒャッケイツー) 建築と美術と文学と
原書: PANOPTICON ROMANO SECONDO

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発行:ありな書房
A5判
336ページ
上製
定価 4,800円+税
ISBN
978-4-7566-0693-8   COPY
ISBN 13
9784756606938   COPY
ISBN 10h
4-7566-0693-8   COPY
ISBN 10
4756606938   COPY
出版者記号
7566   COPY
Cコード
C0070  
0:一般 0:単行本 70:芸術総記
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2006年9月
書店発売日
登録日
2015年8月22日
最終更新日
2015年8月22日
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紹介

 原題『パノプティコン・ロマーノ・セコンド』の「パノプティコン」とは、ギリシア語の「パン」(すべて)と「オプティコン」(視覚的なもの)との合成語であり、英国の法学者・哲学者のジェレミー・ベンサム(一七四八―一八三二)が考案した、囚人に知られずに周囲の独房を監視できる円形の刑務所とともに、望遠鏡と顕微鏡との両方の機能をもった望遠顕微鏡をも表わす言葉である。すなわち本書は、ローマという都市の「看守」を自認するプラーツが、遠くは望遠鏡を覗き、近くは顕微鏡で観察した報告集とでも評することができるだろう。本書に含まれている全二四編は、書評という形式を借りたローマに関する建築と美術と文学の秀逸なエッセイである。他のプラーツの著作と同様に、ローマをめぐって書かれた滋養に富むが、少しばかり辛口の都市文化論というつもりで、個々の論考――無論、それぞれはそれなりに手強いのであるが――を味わい、楽しむと良い。

目次

亡き街路のためのパヴァーヌ
パラッツォ・プリーモリ
ローマの景観
ローマの城壁
ローマのテヴェレ川
ローマの大理石
ルネサンスのローマ
偽書によりて
ローマの広場
ローマのパラッツォ
パラッツォ・スパーダ
パラッツォ・ブラスキ
ヴィッラとカステッロ
ベルニーニをめぐる形而上学と事実
サンティ・ルーカ・エ・マルティーナ聖堂
ローマの至宝の芸術
ローマのフランス人
ピラネージとフランスの芸術家たち
略  奪
G・G・ベッリ、没後百年
クペールスの時代のローマ
二人の黄昏派の年代記に見るローマ
ローマのオステリア
ローマの口
ジュリア通りの碩学、マリオ・プラーツ――あとがきにかえて 伊藤博明
人名/著作名/美術作品名/地名/モニュメント名 索引

著者プロフィール

マリオ・プラーツ  (マリオ・プラーツ)  (

 マリオ・プラーツは一八九六年九月六日にローマで、父のルチアーノ・プラーツと母ジュリア・マルシャーノのもとに生まれた。父の祖先はスイス系で、一六世紀にヴァッレ・ダオスタに移住してきた。他方、母の家系はオリヴィエートの領主であったマルシャーノ伯に遡る。プラーツが生まれてすぐに、父が仕事の関係でスイスに移住したため、彼も幼年期を同地で過ごす。しかし一九〇〇年に父が急死したために、プラーツは母とともにフィレンツェに移り、母方の叔父アルチビアーデ・ディ・マルシャーノ伯のもとに滞在し、一九一四年まで同地の中・高校に通った。翌年法学を勉強するためにボローニャ大学に入学するが、一年を過ごしたのみで、ローマ大学に転学する。そして、一九一八年に国際法の論文を提出して同大学を卒業する。
 そののちプラーツは、言語学と文学に対して強い関心を抱くようになり、一九一八年にフィレンツェに戻って勉学を再開した。一九二〇年に彼は、フィレンツェ大学文学部のジャーコモ・パローディのもとにガブリエーレ・ダンヌンツィオの言語に関する論文を提出した。次に、彼の関心はイギリス文学へと向かい、一九二三年には外務省から奨学金を得て、大英図書館で研究に励み、その成果は二五年に刊行された『イギリスにおける一七世紀主義とマリーノ主義』(Seicentismo e Marinismo in Inghilterra)に結実する。彼は一九二三年の末からリヴァプール大学でイタリア語を教えはじめ、イギリス滞在は八年に及ぶことになる。一九三〇年には、彼の主著の一つである『ロマン主義文学における肉体と死と悪魔』(La carne, la morte e il diavolo nella lettaratura romantica)の初版が刊行される。この著作は英語版がオックスフォード大学出版局から『ロマン主義的苦悩』(Romantic Agony)というタイトルで刊行され(一九三三年)、英語圏におけるプラーツの名を一挙に高めることになった。
 一九三二年に、マンチェスター大学からイタリア文学の教授職への、またローマ大学からイギリス文学の教授職への就任の依頼があり、プラーツは後者の権利を留保したままで、その後の二年間をマンチェスター大学で過ごした。三三年に彼は、スコットランド人のヴィヴィアン・アイルズと結婚した。彼女は当時二四才であり、プラーツとはオックスフォードで知り合い、マンチェスター大学イタリア語講師を務めていた。プラーツは、彼女との間に娘のルチーアをもうけたが(三八年)、四三年に離婚している。なお、三四年には、第二の主著というべき、一七世紀のエンブレム文学を対象とした『綺想主義研究』(Studi sul concettismo)が刊行されている。これもまた、英語増補版『一七世紀イメジャリー研究』(Studies in Seventeenth-Century Imagery, 1947)によって、斯界に広く知られることになる。
 一九三四年にプラーツは妻とともにローマに移って、ジュリア通りのパラッツォ・リッチに居を定める。そののち、彼は七〇才で定年退職するまでローマ大学で教鞭を執りつつ、精力的に研究と批評活動にいそしむことになる。一九六九年、プラーツは三〇数年住んだパラッツォ・リッチを去り、パラッツォ・プリーモリの最上階に移る。このパラッツォはプリーモリ財団の所有になるもので、彼は数年前から同財団の理事長を務めていた。そして、一九八二年三月二三日、プラーツはローマにおいて、八六歳で没した。現在、彼が暮らした住居は、そのコレクションとともに「プラーツ博物館」(Il Museo Mario Praz)として公開されている(Palazzo Primoli, Via Zanardelli 1, 00186 Roma)。

伊藤博明  (イトウヒロアキ)  (監訳

ルネサンスとバロックにおけるイタリア文化史の日本における第1人者

上記内容は本書刊行時のものです。