版元ドットコム

探せる、使える、本の情報

文芸 新書 社会一般 資格・試験 ビジネス スポーツ・健康 趣味・実用 ゲーム 芸能・タレント テレビ・映画化 芸術 哲学・宗教 歴史・地理 社会科学 教育 自然科学 医学 工業・工学 コンピュータ 語学・辞事典 学参 児童図書 ヤングアダルト 全集 文庫 コミック文庫 コミックス(欠番扱) コミックス(雑誌扱) コミックス(書籍) コミックス(廉価版) ムック 雑誌 増刊 別冊
清末中国の法制近代化と日本人顧問 熊 達雲(著) - 明石書店
.
【利用可】

書店員向け情報 HELP

書店注文情報

注文サイト:

在庫ステータス

在庫あり

取引情報

直接取引:なし

出版社への相談

店頭での販促・拡材・イベントのご相談がありましたらお気軽にご連絡ください。

清末中国の法制近代化と日本人顧問 (シンマツチュウゴクノホウセイキンダイカトニホンジンコモン) 松岡義正と民事関係法の編纂をめぐって (マツオカヨシマサトミンジカンケイホウノヘンサンヲメグッテ)

このエントリーをはてなブックマークに追加
発行:明石書店
A5判
352ページ
上製
価格 5,400円+税
ISBN
978-4-7503-5633-4   COPY
ISBN 13
9784750356334   COPY
ISBN 10h
4-7503-5633-6   COPY
ISBN 10
4750356336   COPY
出版者記号
7503   COPY
Cコード
C0032  
0:一般 0:単行本 32:法律
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2023年11月9日
書店発売日
登録日
2023年10月11日
最終更新日
2023年12月22日
このエントリーをはてなブックマークに追加

紹介

法制近代化が急務であった清末中国は、人材育成と法案起草のため日本人顧問を招聘した。これまで注目度が低かった松岡義正に焦点を当て、彼が中国初の民事訴訟法の起草に果たした役割とその後の中国の法学教育に与えた影響を膨大な史料を照合し明らかにした労作。

目次

 まえがき

第一章 修訂法律館と京師法律学堂の成立
 はじめに
 第一節 修訂法律館の創立経緯
 第二節 修訂法律館の業務内容と組織構造
 第三節 京師法律学堂の創立経緯
 第四節 京師法律学堂の在り方
 おわりに

第二章 日本人教習、法律顧問の招聘経緯――梅謙次郎、岡田朝太郎、小河滋次郎、志田鉀太郎を中心に
 はじめに
 第一節 日本人教習、法律顧問招聘の提起
 第二節 梅謙次郎招聘の失敗
 第三節 岡田朝太郎の招聘経緯
 第四節 小河滋次郎の招聘経緯
 第五節 志田鉀太郎の招聘経緯
 おわりに

第三章 松岡義正の招聘について
 はじめに
 第一節 松岡義正招聘の提起
 第二節 梅謙次郎による松岡義正の推薦
 第三節 沈家本が松岡義正の招聘を受け入れた理由
 おわりに

第四章 京師法律学堂における日本人教習の教育活動
 はじめに
 第一節 講義の内容とテキスト
 第二節 講義の様子
 第三節 学生の成績と進路
 第四節 京師法律学堂に対する評価
 おわりに

第五章 京師法律学堂における民事関係法学の教育と松岡義正
 はじめに
 第一節 『民法総則』に関する講義について
 第二節 物権法の講義について
 第三節 債権法の講義について
 第四節 民事訴訟法の講義について
 第五節 破産法の講義について
 第六節 中国における民事関係法の教育に対する松岡の貢献
 おわりに

第六章 「大清民事訴訟律草案」の編纂と松岡義正
 はじめに
 第一節 「大清民事訴訟律草案」が参考にした外国法はドイツ法かそれとも日本法か
 第二節 「大清民事訴訟律草案」の条文の八五パーセントは「日本民事訴訟法改正案」からの翻訳
 第三節 修訂法律館およびその職員たちと「大清民事訴訟律草案」との関係
 第四節 松岡義正こそ「大清民事訴訟律草案」の原案起草の担当者
 第五節 松岡義正の役割に対する評価
 おわりに

第七章 日本人顧問の中国における滞在期間、待遇と評価
 はじめに
 第一節 日本人顧問の中国における滞在期間
 第二節 日本人顧問の待遇について
 第三節 日本人顧問に対する評価
 おわりに

 あとがき
 主要参考文献
 巻末資料・京師法律学堂第一期生名簿
 索引

前書きなど

まえがき

 日清戦争から清王朝の崩壊、さらには中華民国の樹立直後までの歴史的時期は、日本が中国を侵略し始めた時期であり、中国が全面的に日本に倣い、系統的に日本を経由して西洋諸国の文化や社会管理のシステムを導入しようとした時期でもある。
 日本は明治維新を経て、「文明開化、殖産興業、富国強兵」を標榜し、「殖産興業」「富国強兵」に力を入れるとともに、旧来の制度を刷新し、西洋諸国から新しいガバナンス・システムを導入し、立憲政治を実施するようになった。そのため、三〇余年の間に日本は急速に東洋の強国として台頭し、西洋の強国と肩を並べ、覇権を争う力を手にすることができた。

 (…中略…)

 ロシアが日本に敗れたことは再び中国に衝撃を与え、中国を強くするには日本のような立憲体制が必要だというエリート層の強い意見を受け入れ、清朝廷は日本を手本とする立憲体制の導入を極めて不本意ながら決定した。
 この時期は中国の社会的発展史上、極めて激動の時代である。日清戦争の後、中国では戊戌維新、新政の展開、立憲体制への模索、辛亥革命、中華民国の樹立、帝制の復活劇など、人々に眩暈を覚えさせる活劇が相次いで上演された。この中で、歴史に逆行しようとする帝政復活という活劇以外においては、さまざまなネガティブなところもあったが、その目的はおよそ、日本に倣うことによって、守旧的で立ち後れた封建的な中国でいかにして社会的転換を実現し、国家の振興、国民の安住、社会の近代化を実現するかにあった。この過程で、中国が日本政府および民間から多かれ少なかれ支援と協力を得たことは確かである。以上の歴史をみれば、この時期は中日関係史上、恩讐が交錯した時代であったともいえよう。
 中国はこのような一連の社会モデルチェンジの模索の中で、日本と切っても切り離せない関係にあった。中国社会は残酷な現実に直面しなければならなかった。つまり、日本は昔の学生として先生を遠くに置き去りにして、闊歩して前へ前へと進んでいる。一方、昔の先生はよちよち歩き、時代の足取りについていけず、後れを取って西洋列強にバッシングされる存在となった。中国はその現実を変えるには、頭を下げ、虚心坦懐に、昔の学生でもあり、今のかたきでもある日本に知的援助を頼らなければならなかった。このような中で、中国は次の四つの方式をとり日本から教わることにしたと考えられる。
 留学生の派遣、日本の書籍の翻訳・出版、官民の日本視察の派遣、日本からの教習・顧問の招聘がそれであろう。以上の四つの措置について、それぞれ調査、検証が行われ、研究書籍、報告書が数多く刊行されている。ここでは、本書の主題とかかわりのある日本からの教習・顧問の招聘について簡単に言及しておきたい。
 第三章を読めばわかるように、中国が日本から教習など知的・人的資源を導入し始めたのは日清戦争の後である。ただ、一九〇二年の「欽定学堂規約」と一九〇三年の「奏定学堂規約」の相次ぐ公布に伴い、近代洋式学堂が全国で続々と開設され、各地で現代科学の課程を講義する教員が大量に不足していたことによる必要性により、同文同種といわれる日本から大量に教習を招聘するようになったと思われる。特に一九〇五年に日本が日露戦争に勝利したことの刺激により、中国は日本を見倣う熱意が高まり、同年、科挙試験の廃止、一九〇六年の官制改革の働きに加えて、日本人教習の招聘が急速に増加し、一九〇五~一九〇六年だけで五〇〇~六〇〇人に達し、一九〇八年にはピークに達し、計五五五人をも招聘した。この傾向は一九一一年まで一一年間続いた。

 (…中略…)

 これらの教習の中で、教習以上の役割を果たした人もいることは否定できない。直隷総督府学務司学事顧問の渡辺龍聖、京師法律学堂教習兼修訂法律館「調査員」の岡田朝太郎、松岡義正、小河滋次郎、志田鉀太郎らは教習として、学生にそれぞれの専門課程を教えるだけでなく、中国の諸改革事業に対してコンサルティングとアドバイスを提供する任務を与えられていた。彼らは中国各級の役所の要望に応じてさまざまな専門的な知識を提供した。川島浪速が一九〇二年に粛親王に提出した「警察意見稿」は中国の近代警察制度の確立に対して重要な役割を果たしたと思われる。

 (…中略…)

 本書が検証の対象を岡田朝太郎、松岡義正、小河滋次郎、志田鉀太郎に選定し、中国政府が彼らを顧問として招聘する経緯、目的、および彼らが顧問を務めていた期間に担当した具体的な仕事などのミクロ領域について研究と分析を加えた理由は三つ挙げられる。

 (…中略…)

第三に、彼らが当時果たしていた大きな役割と比べると、中国での知名度が低く、中には忘れ去られているものもある。松岡義正は岡田朝太郎、小河滋次郎、志田鉀太郎と同じく修訂法律館の顧問でありながら、最も多くの法律案の起草を担当したにもかかわらず、その寄与は中国の民衆にあまり認知されていなかったようである。これは中国文化にある「滴水の恩を受くる人、必ずや湧泉であい報ゆるべし」(水を飲むとき井戸を掘ってくれた人を忘れるな)という古訓に合致しない。本書の書名を『清末中国の法制近代化と日本人顧問――松岡義正と民事関係法の編纂をめぐって』としたのはそのためである。
 ただし、本書は清朝末期の近代法制構築過程におけるすべての日本人顧問の役割を全面的かつ系統的に分析し、検討することを目的とした書物ではなく、中国ないし日本の学術界で注目度が低かった松岡義正の具体的な活動に焦点を絞って検証を繰り広げたものである。このような筆者の個別的検証が、清末における中国社会の転換を模索する中で日本の顧問たちが果たした全体的な役割を理解することに役立つことがあれば幸いである。

著者プロフィール

熊 達雲  (ユウ タツウン)  (

山梨学院大学大学院社会科学研究科、同大学法学部特任教授、同大学孔子学院院長、国際共同研究センターセンター長。早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程修了、博士(政治学)。主な著書に、『近代中国官民の日本視察』(成文堂、1998年)、『法制度からみる現代中国の統治機構――その支配の実態と課題』(明石書店、2014年)、『現代中国政治概論――そのダイナミズムと内包する課題』(共編、明石書店、2015年)、『アジア共同体の構築――実践と課題』(編著、日本僑報社、2021年)などがある。

上記内容は本書刊行時のものです。