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在日韓国人スパイ捏造事件
11人の再審無罪への道程
原書: 발부리 아래의 돌
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2023年5月15日
- 書店発売日
- 2023年5月15日
- 登録日
- 2023年4月17日
- 最終更新日
- 2023年5月23日
紹介
軍事独裁時代の韓国で済州島出身の在日朝鮮人をはじめ11人が北のスパイとしてでっち上げられ、裁判で死刑を含む有罪判決を受けた。民主化後、再審が開かれ、全員の無罪が確定した。一人の被害者の娘が再審を共に闘うなかでとりまとめた11人全員の記録。
目次
推薦のことば
読者のかたへ
日本の読者のかたへ
プロローグ 訃報
第Ⅰ部 声をあげる者は、誰一人残っていなかった
第1章 第1次検挙(1977・2・8~2・18)
備忘録1
第4被告人 金秋白の話 自分の名前を奪われてからやっと密室を出ることができた
第5被告人 金成起の話 ここでの夜は 終わりが見えない
第3被告人 高才元の話 犯罪はそのようにして完成された
第2被告人 金基五の話 この壁は崩れないだろう
第1被告人 姜宇奎の話 祖国は彼からすべてを奪っていった
中央情報部 捜査五局
第2章 第2次検挙(1977・2・22~3・8)
備忘録2
第6被告人 姜容奎の話 罪なき草が身動きもできずただ倒れてゆくだけだった
第7被告人 高元瑢の話 地上で解くことができなければ、天上でも解くことができない
第11被告人 張奉一の話 この世の中、誰に平和な夜が保証されるだろうか
第8被告人 李根満の話 国という苛酷な名前を消したかった
第9被告人 李五生の話 誰のための祖国か
第10被告人 金文奎の話 人生は破壊されて、砦はなかった
再び、金秋白の話 捨てられて忘れられる ある孤独な人類を考えた
中央情報部の南山分室、そして西大門拘置所
第Ⅱ部 神は真実を知るが、最後までお待ちになられる
第1章 報道(1977・3・24)
備忘録3
事件の背景:暗闇のなかでも言葉の灯芯は消えなかった
言論報道:ここにスパイがいる
参考人たちの話:「スパイに包摂された者」と呼ばれた人たち
許玉子(金秋白の妻)の証言
カン・ミソン(仮名、康華玉(姜宇奎の妻)姪)の証言
ク・ソニ(仮名、姜宇奎家の家政婦)の証言
イ・ナムギル(仮名、李五生の知人)の証言
ファン・ジソク(仮名、書道家)の証言
チェ・フィナム(仮名、民芸品店の主人)の証言
イ・ジェスン(仮名、東京江戸川区民団常任顧問)の証言
カン・セヒョン(仮名、K大学仏文学科教授)の証言
姜宇奎さんを救う会
第2章 裁判(1977・4~1978・2)
備忘録4
一審公判 ソウル地裁刑事部(1977年4月15日~6月24日):悪法の時代
被告人姜宇奎と弁護人の主な問答
被告人金秋白と弁護人の主な問答
被告人姜容奎と弁護人の主な問答
被告人高元瑢と弁護人の主な問答
被告人張奉一と弁護人の主な問答
被告人金文奎と弁護人の主な問答
被告人高才元と弁護人の主な問答
被告人金成起と弁護人の主な問答
被告人金成起の弁護人と被告人姜宇奎の補充問答
被告人李根満と弁護人の主な問答
被告人李五生と弁護人の主な問答
被告人李五生の弁護人と被告人高元瑢の補充問答
被告人李五生の弁護人と被告人姜宇奎の補充問答
被告人金基五と弁護人の主な問答
裁判長と被告人姜宇奎の主な問答
控訴審 ソウル高等法院(1977年10月17日~11月3日):絶望から希望をもてるようにしてくれ
被告人姜宇奎と弁護人の主な問答
被告人金基五と弁護人の主な問答
被告人金成起と弁護人の主な問答
被告人李根満と弁護人の主な問答
被告人李五生と弁護人の主な問答
被告人金秋白と弁護人の主な問答
被告人金秋白の弁護人と被告人姜宇奎の補充問答
被告人金秋白と弁護人の主な問答
裁判長と被告人姜宇奎の主な問答
上告審 大法院(1978年2月28日):ついに真実は棄却された
裁判の後
第Ⅲ部 起訴されなかった犯罪は匿名のなかに忘れさる
第1章 真実究明(2005・12~2010・5)
備忘録5
真実究明申請(2005年12月~2006年3月2日):真実・和解のための過去事整理委員会
ホ・ビョンソン(母方のおじ)さんとの面談:2006年1月末、母の家にて
一番上のおばさんとの面談:2006年2月初旬、いとこの兄の家にて
李五生さんとの面談:2006年2月初旬、済州Kホテルコーヒーショップにて
姜容奎さんとの面談:2006年2月初旬、姜容奎さんの家にて
事件記録、情報公開請求:2006年2月
チェ・ヨンスク(金文奎の長男の嫁)さんとの面談:2006年2月中旬、母の家にて
金基五さんとの電話通話:2006年2月末
李根満さんとの面談:2006年2月末、母の家にて
申請書受付:2006年3月2日
真和委調査1期(2006年3月~2008年5月):調査開始決定
真和委調査2期(2008年5月~2010年5月):真実究明決定
「姜宇奎さんを救う会」の会報との出会い:2009年9月
姜宇奎さんの家族との出会い:2009年11月、日本にて
真実究明:2010年5月
真実・和解のための過去事整理委員会(真和委)の活動
第2章 再審(2010・6~2016・6)
備忘録6
再審準備(2010年6月~同年10月):ともに歩む道
再審請求、開始(2010年10月~2013年11月):一日千秋、嘆願
小泉義秀さんの嘆願書――2014年2月28日
佐藤靖子さんの嘆願書――2014年2月28日
小泉順子さんの嘆願書――2014年2月28日
再審公判、宣告、判決確定(2014年5月~2016年6月):無罪
第一回公判 2014年5月28日
第二回公判 2014年7月2日
第三回公判 2014年8月13日
第四回公判 2014年9月24日
第五回公判 2014年10月22日
宣告 2014年12月19日
上告 2014年12月23日
確定判決 2016年6月9日
エピローグ つまずきの石
姜宇奎の娘、姜菊姫の思い
本書刊行に寄せて 姜宇奎さんを救う会
翻訳を終えて 斉藤圭子
解説 冤罪ではなく、国家権力による「スパイ』捏造事件[李昤京]
付録 資料
「姜宇奎さんを救う会」活動日誌――再審無罪判決を勝ちとるまで
前書きなど
読者のかたへ
一九七七年三月二十四日、「在日僑胞実業家スパイ団」事件が新聞の一面トップに躍り出ました。私の父をはじめとする十一名の市民の名前が中央情報部の描いた「スパイ団組織図」にはいっていました(後掲十八頁参照)。スパイと名指しされたかたの大部分は済州島出身であり、そのなかには共和党国会議員の秘書、セマウル運動(一九六〇年代に始まった政府主導の村づくり)指導者、再建国民運動本部の地域幹部、中央情報部の職員だったかたもいて、戦没軍警遺族のかた、花郎武功勲章・国民勲章木蓮章を受けた方もいました。その方々はみな無念の獄中生活をなさり、社会的に排除された人生を送らなければなりませんでした。
父は療養中に病院で亡くなったとずっと聞かされていた私は、二十歳をずいぶん越えてやっと、前記の「スパイ団」事件について知ることになりました。「スパイ団」の一員だという濡れ衣を着せられ実刑を受けた父は、刑務所で倒れ亡くなったのです。
私たちに愛情深く色々な話を優しく聞かせてくれた父でした。私は父の死の原因を明らかにして父が語れなかった話を続けようと心を決めました。
しかし私に与えられたのは、数枚の色あせた判決文、検索で見つけた当時の新聞記事、そして母が取っておいた嘆願書などの記録物しかありませんでした。一体何のために私の父をはじめ十一名の父たちはスパイにでっち上げられたのでしょうか?
私は失われた父の話を探すために出立しました。先が見えない旅程でしたが、思いもよらない助力者たちに会うことができ、挫けそうなときには勇気をもって道を歩んでいった先人たちに想いを馳せました。
(…中略…)
バラバラだった被害者たちが一堂に会しました。たがいの事情に耳を傾けました。身の毛もよだつほどうんざりする拷問の記憶、破壊された生を説明する主語と目的語を明確にしはじめました。そして真実を究明して無罪を得るための旅程をともにしました。
被害者たちが集まって「真実・和解のための過去事整理委員会」(以下、真和委)に真実究明申請書を提出してから四年が経って真実究明決定を得ました。さらに六年経って裁判所の再審で無罪判決を受けました。しかし真実究明決定や再審無罪判決は、被害者たちの辛苦を解決してくれる「魔法」ではありませんでした。過去をとり戻すこともできず、深い傷を回復させることもできませんでした。それにもかかわらず被害者たちは、十年の闘いを通して、自分の過去を克服するための「真実の証言者」になり、判決文の「無罪」を超えて、自らが「真実の記録」になりました。
(…中略…)
二〇〇六年、真和委に真実究明を申請してから再審無罪判決確定まで十年以上ものあいだ、見て、聞いて、感じて、分かちあったことを記録しました。何が起きたのかを私自身が理解するために、真和委に真実究明申請の根拠を用意するために、再審で無罪の証拠を見つけるために事件の被害者一人ひとりに会って証言を記録し、記事や関連資料を探しました。再審を終えて、中央情報部と検察の捜査記録、真和委の調査記録、一万枚以上を一枚一枚めくり整理しました。捜査記録のようにでっち上げられた内容の脈絡を把握するためには一部推論に頼るしかない部分もありましたが、他の資料などと読み比べて事件の被害者たちが経験した事柄を緻密に読み解こうとしました。
いまようやく、父が私に残した話を一冊に上梓します。虹の向こうの世界を夢見るだけでは、私たちの今を立て直すことはできません。過去への旅程を一緒にすることで、私たちが一歩前に進むことを願っています。
(…後略…)
上記内容は本書刊行時のものです。