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「発達障害」とされる外国人の子どもたち 金 春喜(著) - 明石書店
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「発達障害」とされる外国人の子どもたち (ハッタツショウガイトサレルガイコクジンノコドモタチ) フィリピンから来日したきょうだいをめぐる、10人の大人たちの語り (フィリピンカラライニチシタキョウダイヲメグルジュウニンノオトナタチノカタリ)

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発行:明石書店
四六判
256ページ
並製
価格 2,200円+税
ISBN
978-4-7503-4972-5   COPY
ISBN 13
9784750349725   COPY
ISBN 10h
4-7503-4972-0   COPY
ISBN 10
4750349720   COPY
出版者記号
7503   COPY
Cコード
C0036  
0:一般 0:単行本 36:社会
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2020年2月28日
書店発売日
登録日
2020年1月29日
最終更新日
2020年3月11日
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書評掲載情報

2020-12-12 毎日新聞  朝刊
評者: 岩間陽子(政策研究大学院大学教授・国際政治)
2020-05-23 毎日新聞  朝刊
評者: 岩間陽子(政策研究大学院大学教授・国際政治)
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紹介

外国から来日し、日本語もよくわからない子どもが「発達障害」と診断され、特別支援学級に編入される。近年日本各地で起こっているこの出来事の背景を、フィリピンから来た2人のきょうだいにかかわった教員ら計10人に対するインタビュー調査を通して探る。

目次

 まえがき

序章 外国人児童の「発達障害」に目を向ける
 第1節 見えなくされてきた外国人児童たち
 (1)外国人児童が直面する困難
 (2)特別支援教育に取り込まれる外国人児童
 第2節 「外国人であること」と「障害児とされること」
 第3節 なぜ「フィリピンから来た子ども」なのか
 (1)「外国人児童」とは誰のことか
 (2)フィリピンから来た子どもたちから見えること
 第4節 2人の外国人児童と、10人の大人たちの経験をめぐって

第1章 日本の外国人児童と「発達障害」の児童
 第1節 外国人を迎える地盤
 (1)90年体制、「包括的な移民統合政策」なき日本へ
 (2)90年体制下での2019年の到来
 第2節 外国人児童を迎える日本の学校
 (1)日本語指導が必要な子どもへのカリキュラム
 (2)誰のための制度か
 (3)「日本人のための」学校教育
 第3節 「発達障害」の児童の教育をめぐる状況
 (1)特別支援教育の対象へ
 (2)排除の論理としての働き
 (3)「発達障害」を疑われる外国人児童の説明

第2章 これまでの外国人児童の「発達障害」
 第1節 外国人児童の「発達障害」の見方
 (1)「発達障害を抱える」外国人児童
 (2)外国人児童の「発達障害」が認められる過程
 第2節 思い込みと見過ごしを越えて

第3章 インタビューの詳細
 第1節 インタビューの方法
 (1)インタビューの概要
 (2)10人に話を聴くということ
 第2節 インタビューの対象
 (1)登場人物たち
 (2)登場人物たちを取り巻く環境
 (3)フィリピンから来るということ

第4章 カズキくんとケイタくんの7つの場面
 第1節 カズキくんの4つの場面
 (1)小学6年生、来日直後の様子
 (2)中学1年生、5組編入まで
 (3)中学2年生から3年生、部活動でのカズキくん
 (4)中学3年生、進路選択
 第2節 ケイタくんの3つの場面
 (1)中学1年生、来日直後の様子と5組編入
 (2)中学1年生から3年生、部活動などでのケイタくん
 (3)中学3年生、進路選択
 第3節 高校進学後の2人
 第4節 10通りの〈現実〉

第5章 外国人児童が「発達障害」になる過程
 第1節 「外国人としての困難」と「障害児としての支援」
 第2節 「発達障害」の役回り
 第3節 介在する語彙
 第4節 善意と温情

第6章 「心理学化」で見えなくなるもの
 第1節 「心理学化」により隠されるもの
 第2節 「心理学化」の過程に見る論点
 (1)医療対象化と個人化
 (2)専門家の役割
 (3)象徴的な意味
 (4)専門家の揺らぎと葛藤
 第3節 外国人児童の心理学化
 (1)医療対象化と個人化
 (2)専門家の役割
 (3)象徴的な意味
 (4)外国人児童の心理学化のメカニズム
 第4節 外国人児童の心理学化の意味

終章 外国人児童の「発達障害」に見る日本社会
 第1節 隠された意図と姿
 第2節 外国人児童の「発達障害」の総括
 (1)見えなかったものの解明
 (2)再検討へ
 (3)「ひとまずの理論」を越えて
 (4)過程への着目、複数の声

 参考文献
 あとがき

前書きなど

まえがき

 私が嫌いなのは、祖父母や母親が日本で直面したトラブルや困難を話し、不平不満を言うことだった。彼らの語る、在日コリアンとしての差別経験を始めとした困難は、いまや何不自由なく日本人の友人たちに囲まれてしあわせに生きる私にとっては、古くさくて耳障りなものでしかなかった。そんなことを聞かなければ私は、自分が外国人の家族に生まれたことを思い出さずに済む。私はしあわせなままなのだ。
 小学1年生で日本の公立学校に通い始めたとき、日本人の友達が私をからかった。それで私は父親に、「どうして私ばっかり、韓国人だからってからかわれないといけないの」と文句を言った。父親は、「それは、あなたが韓国人だからじゃないよ。あなたがもっとみんなに優しくすれば、みんなはあなたが韓国人だからって、からかったりはしなくなるよ」と答えた。なるほどと思って、以来、私はなるべく「優しく」過ごすようにした。
 いまにして思えば、父親の言ったことは、半分あっていて、半分あっていない。たしかにそれ以来、私にはたくさんの友達ができて、誰にも「韓国人だから」といっていじめられることはなくなった。まして、大学時代の友人は言う、「そう言えば、あなたって韓国人だったね」。私が「優しくすれば」、友達はできるし、みんなは私が外国人だということを忘れてくれる。けれども、父親が提案した思い込みは、自らが「韓国人だから」ということで困りごとを抱えることがあるのをごまかすこともできるものだったろうと思う。外国人だからということに結びつく何かを、外国人であるという以外の何か、優しさの不足とか、心や気持ちの問題のようなものにすり替えて考えることは、私にとっても父親にとっても、きっとすごく気楽なことだった。
 気楽なままの私は、大学院に入学した。もともとは子どもに強い関心を持っていたので、子どもとかかわれるならば、というぐらいの気持ちで、入学直後から、外国人児童に向けた学習支援のボランティア活動に参加し始めた。主にフィリピンから来日した児童たちに、日本語の学習や日々の宿題のサポートをするものだと聞いていた。ボランティアに参加し始めた当初、はりきって一番乗りで教室に到着した私は、電気のつけ方がわからず、真っ暗な教室でみんなを待っていた。ある生徒がその次に教室に着いて、「電気、つけますか」と、スイッチの場所を私に教えてくれた。そのときのことを、私ははっきりと覚えている。その生徒はその後、「発達障害だ」ということで、特別支援学校に進学することとなった。
 以来、「昔話」と思っていた祖父母の話を、もうはっきりとは思い出せないけれども、その口ぶりを、よく思い出すようになっている。昔話ではなかった。そう思って私は、ときに切迫した思いを持つ。もし、時代がずれていて、私の祖父母や両親の時代にも、「発達障害だ」と言われることがあったとしたら。彼らが障害者として処遇されることになっていたとしたら。そうだったら、私はいま、どこにいるだろうか。
 もちろん、障害者あるいは健常者として生きることに是非や優劣をつけるというのではない。しかし、それでも、日本に生きる「外国人としての困難」に向き合うことはされずに、抵抗できない子どもの時代に障害者としての道を歩むよう決められることを思うと、わだかまりが残る。彼らは「同じ障害」を持つ人々と、何をどこまで共有できるというのだろうか。
 自分が外国人の家族に生まれたことを忘れ、家族が経験した困難の語りに耳を塞ぐのは、とても気楽で平和だった。そうすれば、問題なんて存在しないところに生きている気分になれる。けれども、そうすること自体、何かを見えなくする仕組みに乗っかり、誰かを見えないままにすることに加担していたのだろうと、いまになってみれば、そう思う。およそ20年と、そういう態度をとってきた者が、ここ1年や2年、反省してみたところで、言えることなど限りがあるだろう。けれども、20年の思い込みに気づかせてくれた生徒たちと、20年もの間、自らが目をそむけつづけてきた祖父母たちのことを思って、私はこの本を書き始めた。これによって、私が見聞きした苦難の繰り返しの終わりに近づくことに、少しでも貢献できればと願いつつ。

 (…後略…)

著者プロフィール

金 春喜  (キン チュニ)  (

1995年東京生まれ。京都大学大学院文学研究科修士課程修了、修士(文学)。専攻は社会学。現在、日本経済新聞社の記者。

上記内容は本書刊行時のものです。