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フランス人とは何か
国籍をめぐる包摂と排除のポリティクス
原書: Qu'est-ce qu'un Français ? : Histoire de la nationalité française depuis la Révolution
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2019年6月20日
- 書店発売日
- 2019年6月20日
- 登録日
- 2019年6月12日
- 最終更新日
- 2019年7月2日
書評掲載情報
2019-10-20 |
毎日新聞
朝刊 評者: 鹿島茂(明治大学教授・仏文学) |
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紹介
国籍とは何か? 生地主義、血統主義、帰化の意味を跡づけ、“危機の時代”におけるユダヤ人の国籍-奪、女性・植民地出身者に対する差別や不平等について緻密に検証。膨大な史料を渉猟し、フランス革命以降の国民/外国人の境界線のゆらぎ、平等・包摂の現代にいたる道程を実証的見地から描き出した圧巻の書。
目次
本書について
本書における訳語について
略号表記一覧
序論
Ⅰ 近代国籍法の構築
1 アンシアン・レジームから民法典へ――フランス人の二つの革命
一七九〇一七九一年――フランス国籍は憲法のなかで規定される
一七九〇一七九五年――フランス人となるための二つの手段および名誉市民権
そして自動的帰化へ……
一八〇三年――民法典に国籍に関する条文が加えられる
血統主義か生地主義か
ボナパルトの敗北
2 生地主義はいかにして導入されたか(一八〇三‐一八八九年)
居住許可という魅力的な資格
さらに困難となる帰化
一八四八年の幕間劇
二重の枷
外国人の子どもと徴兵制――国家的な課題
民法典改正を阻むもの
フランスで生まれた子どもに平等に義務を課すこと
外国人に対する制限措置
一八八九年――フランス本土における共和国的生地主義の再生
3 国民への援軍としての帰化(一八八九‐一九四〇年)
印璽部の登場
一つの目標――第二世代の「統合」
第一次世界大戦――警戒と疑惑と
人口問題という最重要課題
一九二七年――大胆な案をめぐるコンセンサス
「紙の上のフランス人」なのか
人口増加主義 対 出自による選別――一九三〇年代の闘い
難民をストップせよ!
それでも、帰化を!
Ⅱ フランス国籍のエスニック危機
4 ヴィシー――国籍政策におけるレイシズム
挫折した新国籍法案(一九四〇‐一九四三年)
「好ましからざる者」がフランス人になるのを妨げる
帰化取り消しの標的――ユダヤ人
5 容易でなかった共和国的法制への復帰
「自由フランス」による国籍登録
難航するヴィシー「諸法」の廃止
エスニック・アプローチの回帰
ジョルジュ・モコの敗北
新国籍法
帰化 対 監護される子ども
新しい省、新しい基準
一九五三‐一九七三年――リベラリズムの二〇年
6 フランス国籍のアルジェリア危機
北アフリカ系移民の地位を保障するための一〇年(一九七四‐一九八四年)
国籍をめぐる真の争点――第二世代
極端に走る右派
「賢人」委員会
意思を表明する?
新たな綜合を求めて
第Ⅱ部の結論
Ⅲ 比較と実際運用における国籍
7 生地主義 対 血統主義――フランスとドイツの法律を対比させることの誤り
プロイセンの法律にフランスが与えた影響(一八三〇‐一八四二年)
レイシズムも、ナショナリズムもなく――法律家たちの支配
借用と移転
ネーション概念から独立した国籍法
血統主義の人種的ドイツへの同一化――一表象の分析
二〇世紀のドイツ国籍法
移民と国籍――ヨーロッパでみられる収斂
8 差別されたフランス人たち
国籍法における女性の地位――遅ればせの平等
アルジェリアの植民地被支配者
帰化者の欠格
9 どのようにフランス人になり、フランス人であり続けるのか――実際の運用におけるフランス国籍
広く開かれた二つの手続き――結婚……
……そしてフランスでの出生
帰化の矛盾
重国籍の許容
奪、リベラリズムの代償
どのようにフランス国籍を証明するか
全体の結論
謝辞
附録
原注
文献
資料出所
訳者解題
著者の略歴
索引
前書きなど
序論
一人の人物が「自分はフランス人である」と、どんな理屈を付けて証明できるだろうか。フランスに生まれたから、でよいだろうか。親または祖先の一人がフランス人だから、といえばよいのか。だが、そもそもその親や祖先は自身、どのようにしてフランス人になったのか。自身がフランス生まれなのか。当人もフランス人の一親族、一祖先をもっていたのか。フランス人女性と結婚していたのだろうか、それとも帰化していたのか。
一フランス人がそこにいる、とはどういうことなのか。
この問いは今日、身分証明書を更新しなければならないフランス人に対して発せられることがある。その段になって、かれ・彼女らは、自分の国籍を証明できないのに気づき、茫然自失することがある。
ここ二〇年ほどの政治的論争をみると、この問いへの回答は、しばしば歴史または比較に言及していて、さまざまな象徴的表現の矛盾を端なくも明るみに出している。「人は血統によってフランス人になる」と、ヴァレリ・ジスカールデスタンは一八〇四年の民法典に照らして論じる。すると左派は、ノン、「血統、それはヴィシー〔体制〕だ」と応酬する。「人は出生の地によってフランス人となる。それが共和国的原理だ」、と。いや、それは適切ではない、と憲法院は一九九三年に判示した。生地主義(droit du sol)は共和国の基本原理ではない、これが「特に徴兵上の必要に応えるために」フランス法に導入されたのは一八八九年にすぎない、とする。「たとえば投票権などの権利を獲得するには、もはやフランス人である必要はない」と当時主張していた団体もあり、一七九三年のモンタニアール憲法を引き合いに出していた。そして、アラン・フィンケルクロートは、エルネスト・ルナンを参照しながら「人は意志によってフランス人となる。フランス人であることを望めばこそ、だ」と強調した。つまり、血統主義(droit du sang)の母国ドイツに固有のエスニック概念と対照的な、フランス国民の選択的な概念化を行なったルナンを引きながら。
というわけで、今日特に、フランス国籍は、知識の対象としてよりは、表示や信仰の、さらにはステレオタイプの対象として現れている。
(…後略…)
上記内容は本書刊行時のものです。