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人生の途上で聴力を失うということ
心のマネジメントから補聴器、人工内耳、最新医療まで
原書: Shouting Won't Help: Why I--and 50 Million Other Americans--Can't Hear You
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2016年1月
- 書店発売日
- 2016年1月5日
- 登録日
- 2015年12月17日
- 最終更新日
- 2016年6月2日
紹介
30歳で聴力の低下を感じた著者。年齢とともに耳がどんどん悪くなり、日常生活に支障が出るようになった。50歳で補聴器をつけ、その後人工内耳も埋め込み、必死のリハビリを続けてきた。そのかたわら、難聴について取材しまとめたのが本書である。多数の専門家や難聴を抱える人々の話を織り交ぜて、中途失聴者の心の問題や治療法、日常生活での工夫をすべきなのかを提示する。
目次
はじめに
1 音が消えていく
Voice 鳥の居場所がわからない
2 理由をさがさずにはいられない
Voice 本当は親切な人にも、ぼくはちゃんと頼らなかった
3 騒音なんて気にしてなかった
Voice 人を寄せつけないために、難聴を利用する人もいます
4 隠れた障害・隠せる障害
Voice 失聴したって死にはしなかった。「生存者」になったんです
5 隠せばよけいに悪くなる
Voice 持ってるもので生きるしかない
6 補聴器、この恥ずかしきもの
Voice 曲は頭の中で聞こえています。だから作曲は続けています
7 値段が高いのにはわけがある
Voice あえて自分をさらけ出す方が楽になれます
8 人工内耳
Voice 障害が重い人の方がうまくいく。軽い人こそがっかりしがち
9 リハビリ落ちこぼれ
Voice 今の私は、自分はなんて恵まれてるんだろう、と思うのです
10 聞こえるふりをして働く
Voice どこのオーケストラにも難聴の団員は必ずいます
11 耳鳴りと目まい
Voice なんでも思いどおりに、というわがままとは手が切れました
12 再生医療はいつできる
Voice 話を聞かない分析家より、聞こえない分析家の方がよほどまし
おわりに
訳者あとがき
註
前書きなど
はじめに
(…前略…)
本書の構成は、おおまかに私の障害の進行に沿っている。まずは三〇歳のときに左側だけ聞こえにくくなり、その後の年月で何度も聴力が落ちていったところからはじまる。第一章では最初の聴力低下がどんなふうにはじまり、私がどんな影響を受けたかを記している。
症状が進むにつれ、私は原因を知りたいという思いに囚われた。説明がほしい。聴力の低下を止めるヒントがほしい。主治医にくい下がっても説明は得られなかったので、次々と専門家をたずね歩いた。何が悪かったのか説明できる人がどこかにいないかと思ったのだ。第二章では、難聴のさまざまな原因について論じている。インターネットをはじめて、おおぜいの神経耳科や耳鼻咽喉科の先生方に話を聞く一方、自分の過去もふり返ってみた。専門家のみなさんは親切で、音の聞こえるしくみや、聞こえなくなる原因の数々をていねいに教えてくださった。私の過去からも、仮説だけは得られた。それでも結局、原因は今もわかっていない。
聞こえが悪くなる原因として最も多いのは、騒音である。それだけに、調べれば調べるほど私は怖くなった。現代人は自分で自分を傷つけている。人は音を愛するが、音はわれわれの聴力を奪う。第三章では、騒がしい環境について考えてみた。競技場は互いに「うちこそいちばんやかましい」と競い合うし、レストランでは騒音を活気の演出として利用する。ショッピングモールの騒音。ゲームやおもちゃ、機械の音。家庭だけでなく、空港や病院の待合室でもつけっ放しのテレビの音。場内放送、館内放送のスピーカー。細かい改善を重ねていこうという提案もしてみた。たとえば、乗り物の案内もスピーカーで放送するのでなくLEDの掲示板にしたら、聴力低下という不幸をかなり減らせるかもしれない。公共の政策では騒音問題をあまり重視していないが、その結果は重大だ。皮肉なことに、聴力低下の原因となる騒音は、すでに聴力が低下して補聴器を使っている人をさらに苦しめている。補聴器では不要な音を無視することができないからだ。少なからぬ聴覚障害者にとって、騒音は不安だけでなく、ときには身体的痛みの源にもなっている。
聴覚障害は聖書の時代からずっと、ケガレとして扱われてきた。第四章では、このケガレの意識が現代にまで続いている理由を探る。こうした意識は障害当事者を苦しめている割に、それ以外の人たちはなかなか気づかないし、認めようとしない。
第五章では、うつ状態、不眠、心臓病、認知症など、聴力の下がった人々に多い他の疾患や障害について考える。難聴は人間関係をひき裂くし、障害による失業も、原因の一位は聴覚障害なのだ。
六章から九章で取り上げる補聴器や人工内耳には、それぞれの長所と短所がある。補聴器のコストをめぐる議論、機能への不満、補聴器が高いのは不当な搾取ではないのかという疑問などについて考察していく。一方、人工内耳の利用者はまだ少ないが、生まれつき耳の聞こえない子供たちだけでなく途中で聴力を失った成人にもしだいに普及しつつある。ある人にとっては、人工内耳はまさに奇跡だ。私の場合、条件つきの奇跡だった。それまで何も聞こえなかったのが、耐えられるレベルになったのだから。だが本物には及びもつかない。人工内耳への不満は、いくらかは機器そのものへの不満、いくらかはこんなものを必要とするほど悪くなったことを認めたくないからでもある。結局、あまりにもうまくいかないため、私は聴覚リハビリを受けることになった。音声を聞きとることをもう一度学ぶという、やっかいなプログラムである。
アメリカには「障害をもつアメリカ人法」という法律があるにもかかわらず、聴覚障害者は職場でのり越えがたい障壁にぶつかることになる。第一〇章ではこの点をとり上げた。私は二〇年にわたり、ニューヨークタイムズの編集者として激しい競争にもまれてきた。その二〇年のうちの少なからぬ年月は深刻な障害を人に隠して働いてきたわけだが、それもとうとう立ちゆかなくなり、バイアウトを持ちかけられたのを機に退職した。私のアイデンティティは仕事と分かちがたく結びついていただけに、最初は根なし草になった気分だったが、最終的には、個人としても職業人としても、聴覚障害のおかげで自由になることができたのだ。とはいえ、誰もがやりがいのある別の仕事に出会えるとはかぎらない。聞こえにくい人々が職場でどんな苦労をしているか、もっと理解が広まってほしいものだ。その一方、技術がますます進歩して、職場がもっとアクセシブルな場になってほしいとも思う。
耳の不調といえば、聴力の低下だけが単独で起きることはむしろ珍しく、耳鳴りや目まいが重複するのがふつうなので、第一一章ではこの二つを取り上げる。重症の人だと、聞こえないことよりこちらの方がつらいというし、治りにくいことも難聴同様だ。
史上初めて、難聴の生物学的な治療も、単なる可能性の話ではなく、現実味を帯びる時代となった。第一二章を書くための準備は、インタビューも調べものも興奮の連続だった。治療法の開発のために必要なステップのうち、すでに達成されているものがこんなにあると知ることになったのだから。遺伝子治療、分子治療、幹細胞技術、有毛細胞の再生といった分野の研究は、息をのむばかりのスピードで進んでいる。向こう一〇年のうちには、私と同じような感音性難聴が猛威をふるう時代が終焉へとむかいはじめるのかもしれない。
(…後略…)
上記内容は本書刊行時のものです。