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日本のテレビドキュメンタリーの歴史社会学
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2015年10月
- 書店発売日
- 2015年10月31日
- 登録日
- 2015年11月6日
- 最終更新日
- 2017年9月5日
紹介
1957年、日本初のテレビドキュメンタリー『日本の素顔』(NHK)が誕生した。その歴史的・社会的な背景を当時の先行的かつ日常的なメディアであったラジオ(録音構成)と映画(記録映画)の連続性と非連続性から探りつつ、放送史に果たした役割と意義を体系的に考察。
目次
序章 テレビ研究への新たな地平
一 テレビの「ドキュメンタリー」を考える
二 ドキュメンタリーと「放送空間論」
三 諸概念の定義をめぐって
第Ⅰ章 ドキュメンタリーの芽生え
一 「アノニマスな声」の放送空間
一.一 GHQの組織と放送政策
一.二 占領期の放送空間
一.三 『街頭録音』の放送空間
二 メディア史におけるラジオの『日本の素顔』の意義
二.一 ラジオの「録音構成」、『日本の素顔』の発見
二.二 『日本の素顔』の全編のテーマ
二.三 ラジオの『日本の素顔』の放送空間
三 テレビドキュメンタリーの黎明
三.一 「録音構成」の全盛期
三.二 不安定な政治と好況の経済
三.三 テレビ開局と戸惑い
四 小結――放送空間の連続性
四.一 「無所属番組」と「社会番組」 の出現
四.二 「録音構成」から「フィルム構成」へ
四.三 「ジャーナリズム」という連続性
第Ⅱ章 テレビドキュメンタリーの誕生
一 『日本の素顔』の胎動
一.一 「手上げ」もしくは「余ったモノ」の人集め
一.二 吉田直哉
一.三 「記録映画との決別」と「録音構成の嫡子」
一.四 時代精神
二 『日本の素顔』の放送空間
二.一 素材と表現手法
二.二 「素顔論争」
二.三 殺される「主体」と漂流する『日本の素顔』
第Ⅲ章 民放におけるテレビドキュメンタリーの登場
一 「テレビ」というマスメディアの確立
一.一 テレビ普及
一.二 「世論政策」と「三種の神器」
一.三 映画界とテレビドキュメンタリー
二 『ノンフィクション劇場』の放送空間
二.一 NTV『ノンフィクション劇場』の挑戦
二.二 『ノンフィクション劇場』の明暗
二.三 「戦争」と「放送中止」――「ベトナム海兵大隊戦記」の挫折
三 『ノンフィクション劇場』の意義
四 テレビドキュメンタリーのブーム
第Ⅳ章 戦後東アジアにおける放送空間のダイナミズム
一 一九八〇年代のドキュメンタリー放送空間
二 『シルクロード』(NHK)の衝撃と意義
三 一九九〇年代の中国CCTVのドキュメンタリーの成長と模索
三.一 中国のテレビドキュメンタリーの略史
三.二 CCTVドキュメンタリーチャンネル(CCTV-CH9)の新設と展望
四 二〇〇〇年代の韓国KBSのグローバル化戦略と大型番組制作
五 小結
終章――新たな放送空間のために
あとがき
参考文献・資料
前書きなど
あとがき
今年(二〇一五年)で、放送開始九〇年を迎える。
本書は東京大学大学院人文社会系社会文化専攻社会情報学専門分野の二〇〇〇年度修士学位取得の論文をベースにしながら、大幅に加筆したものである。といっても修論の執筆から既に一五年くらいの歳月が経っている。私は、幸いなことに、修士号の取得の後も日本のメディア研究の畑で研究者の一員として、いまなおメディア研究を続けてきている。そんな私が今更ながら暫く蔵の底に眠らせていた古い原稿を再び読み直し、刊行までを決心したのは、それなりの理由があったからである。
まず、およそ九〇年の歴史がある日本の放送において、確かに研究の内容や領域は広がってきたと思われるが、その成果は未だに不十分ではないかという懸念が挙げられる。そういった懸念と放送分野のメディア研究者としての責任感が肩を押してくれた。学び出したばかりの頃まとめた拙論であるものの、日本の放送が一つの節目を迎えた今、テレビドキュメンタリーに関連する体系的なまとめを出版する必要性への切実な思いがあった。
第二に、今の二一世紀のデジタルメディア時代を生きる若手の研究者たちや学生たちに放送を理解する上で少しでも手助けになって欲しいという素朴な願いが挙げられる。近年日本も放送アーカイブスの整備が進んできているが、私が修士論文を書いていた一九九九年の時点において、全ての映像資料や制作者への聞き取りなどの資料集めは、自分の足だけが頼りであって、今と相当異なった研究環境であった。しかしながら、そういった当時の環境で生まれたこの原稿が、デジタルメディア時代に慣れきった今の若手の研究者たちには、もう一つの時代背景を理解できるヒントを与えるのではないかと考えた。本文において、そういった研究状況の足跡はできるだけ修正や加工せず当時のままで残そうと努めた。
第三に、テレビ放送草創期の放送史と日本の社会への記憶を留めておきたかった点が挙げられる。文中にも書いてあるが、本書の中心素材は一九五〇年代に誕生した日本初の本格的なテレビドキュメンタリー・シリーズ番組である『日本の素顔』である。その番組を最初の段階から企画・制作した中心的人物の一人が吉田直哉氏である。修論をまとめていた一九九九年、当時はまだ放送関連の資料が非常に不足していたので、論文の執筆のためには、どうしても草創期の放送人たちにお会いして具体的な事情を直に確認する作業が必要であった。既に定年退任されていた吉田氏は、当時、咽頭ガンの闘病で静養中であった。それにもかかわらず、吉田氏は生意気な小娘のような私のインタビューの依頼に快く応じてくださり、ご自宅にまで二回も招いて頂き、長い時間を付き合ってくださった。声は聞こえてこないほど細くなっていたが、時間の流れを忘れたかの如く、放送草創期の思い出話を楽しく語っていた吉田氏の「情熱」に胸を打たれた。その後もう十年以上の歳月が過ぎている。今の私がいるのは、声を絞りながら惜しまず応援してくださった吉田氏のおかげである。全てはそこから始まったと言っても過言ではない。とても遅くなってしまったが、今は故人になった吉田氏に心より深い感謝を申し上げたい。
その他にも私は、とても沢山の日本の放送人の方々に助けられてきた。『街頭録音』のメイン・アナウンサーを務めた藤倉修一氏からは貴重なGHQ時代の私蔵の資料を提供頂いた。また、ラジオ東京の中村登紀夫氏からは草創期の民間ラジオ局と民間テレビ局の事情について資料の提供と詳細な説明を頂いた。その他にも『日本の素顔』に関わっていた高瀬広居氏や、尾西清重氏、平光淳之助氏など、その他、ご協力を頂いた放送関係者全ての方々に、この場を借りて、改めて心よりお礼を申し上げたい。
それから、院生になった時から長い間お世話になってきた指導教官である東京大学大学院社会情報研究所(現情報学環)の水越伸教授をはじめ、修士課程の授業での教えや修論の審査員としてお世話になった花田達朗教授(現早稲田大学教授)と姜尚中教授(現東京大学名誉教授)にお礼を申し上げたい。また、院生時代の同僚や先輩後輩などの学友にも友情を表したい。
また本書は二〇一五年度佛教大学出版助成金のご支援によるものである。記して謝意を表したい。
最後になるが、原稿の執筆から数年が過ぎてしまったものの、このように世の中に披露できることになったのは、私の刊行の意思にご理解と惜しまないご協力をくださった大江道雅さんのおかげである。大江さんをはじめ、いろんな面においてお世話になってきた明石書店の関係者及び乱文を分かりやすく編集してくださった岡留洋文さんに、心より深く感謝する。
二〇一五年八月三〇日 崔銀姫
上記内容は本書刊行時のものです。