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古代に真実を求めて 古田史学の会(編) - 明石書店
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古代に真実を求めて (コダイニシンジツヲモトメテ)

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発行:明石書店
A5判
292ページ
並製
定価 2,800円+税
ISBN
978-4-7503-4051-7   COPY
ISBN 13
9784750340517   COPY
ISBN 10h
4-7503-4051-0   COPY
ISBN 10
4750340510   COPY
出版者記号
7503   COPY
Cコード
C0321  
0:一般 3:全集・双書 21:日本歴史
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2014年8月
書店発売日
登録日
2014年8月18日
最終更新日
2014年8月18日
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紹介

米寿を迎えた古田武彦氏が史料批判の方法や近年の問題関心を語る講演録「『邪馬壹国』の本質と史料批判」「歴史の中の再認識」と、古田氏が展開した論理から『魏志倭人伝』を分析・論証した「邪馬壹国の所在と魏使の行程」「奴国はどこに」などの論文を収録。

目次


巻頭言 会員論集・第十七集発刊に当たって[水野孝夫]


Ⅰ 米寿によせて

古田氏感想
 米寿に臨んで――歴史と学問の方法[古田武彦]

特別メッセージ
 論理の導くところに「筑紫時代」あり[荻上紘一]
 謹賀古田先生米寿[安藤哲朗]
 古田先生の米寿にあたり[藤沢徹]
 青春の「古田屋先生」[北村明也]
 米寿のお祝い[今井俊圀]
 古田武彦先生の米寿の記念に添えて[原廣通]
 古田先生の米寿を心からお祝い申し上げます[竹内強]
 古田武彦先生が米寿をお迎えになられたことを衷心よりお祝い申し上げます[竹田覚]
 古田武彦先生の米寿を祝う[阿部誠一]


Ⅱ 特別掲載

 「邪馬壹国」の本質と史料批判[古田武彦]
 歴史の中の再認識――論理の導くところへ行こうではないか。―たとえそれがいずこに至ろうとも―[古田武彦]


Ⅲ 研究論文

 聖徳太子の伝記の中の九州年号[岡下英男]
 邪馬壹国の所在と魏使の行程――『魏志倭人伝』の里程・里数は正しかった[正木裕]
 奴国はどこに[中村通敏]
 須恵器編年と前期難波宮――白石太一郎氏の提起を考える[服部静尚]
 天武天皇の謎――斉明天皇と天武天皇は果たして親子か[合田洋一]
 歴史概念としての「東夷」について[張莉・出野正]
 『赤渕神社縁起』の史料批判[古賀達也]
 白雉改元の宮殿――「賀正礼」の史料批判[古賀達也]
 「廣瀬」「龍田」記事について――「灌仏会」、「盂蘭盆会」との関係において[阿部周一]


Ⅳ 付録――会則/原稿募集要項/他

 古田史学の会・会則
 「古田史学の会」全国世話人・地域の会 名簿
 第十八集投稿募集要項/古田史学の会 会員募集
 編集後記

前書きなど

編集後記

▼『岩波講座 日本歴史』の第1巻『原始・古代1』が2013年11月に刊行されました。興味深い記述がありましたので、触れてみたいと思います。
①、〈長年の懸案であった邪馬台国の所在地問題が解決に近づいたのも、奈良盆地を中心に分布する初期の大型前方後円墳の出現年代が三世紀中葉に遡ることを明らかにした考古学研究の進展の結果といってよかろう。〉(月報1「考古学と古代文献史学のあいだ」白石太一郎)
②、〈二一世紀を迎えて十年余がたち、9・11同時多発テロや金融危機をへて国際環境も世界認識も大きく変わり、学問の世界でも従来のパラダイムが崩壊して方向性を失いつつある。(中略)こうした中で、今こそ歴史的考察が求められているのではないだろうか。〉(「刊行にあたって」Ⅴ頁)
③、〈なお、宋版以来の現行の『三国志』テキストには「邪馬台国」ではなく「邪馬壹国」の表記がなされていることを重視する見解もある。しかしながら、『三国志』よりも史料として後世において使用頻度が高かった三史(『史記』『漢書』『後漢書』)の一つである『後漢書』には、「邪馬台国」の表記がなされている。『隋書』にも「其の地勢は東高くして西下り、邪馬堆に都す。即ち魏志の所謂邪馬台なる者なり」とあることから、宋版以前に「台(臺)」から「壱(壹)」へ誤刻されたことが想定される。〉(「倭国の成立と東アジア」仁藤敦史 144頁)
④、〈景初三年、正始元年など、卑弥呼遣使にまつわる魏の年号を有する者が含まれる事からも、三角縁神獣鏡を「銅鏡一〇〇枚」の最有力候補と見なすのが最も妥当である。中国において出土がない点については、僻遠の地からはるばる入貢した卑弥呼に対して、魏皇帝が特別に製作した神獣鏡を賜物として与えたという説明になろう。〉(「前方後円墳の成立」福永伸哉 183頁)
⑤、〈その比定の方法は、主に記紀が伝える天皇の名や系譜と、『宋書』倭国伝が記す五王の名や系譜とを比較することによって行われ、現在、斉、興、武の三王については、それぞれ允恭・安康・雄略の各天皇に相当するとみることでほぼ異論がない。〉(「倭の五王と列島支配」田中史生 237頁)

▼まさに①は「邪馬台国」近畿説の勝利宣言と言えるでしょう。
▼そして②でいう「従来の崩壊したパラダイム」が③④⑤において、堂々と登場しています。『岩波講座 日本歴史』は崩壊したパラダイムによって歴史を考察しようとしているのです。
▼研究者にあらぬ文教官僚たちの既得権益確保のための作文が氾濫するなかで、古田武彦の著作がますます輝きを増しています。学界はいつの間にか、古田武彦を応援してくれているようです。(古谷)

上記内容は本書刊行時のものです。