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先生がアスペルガーって本当ですか?
現役教師の僕が見つけた幸せの法則
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2011年6月
- 書店発売日
- 2011年6月30日
- 登録日
- 2011年7月4日
- 最終更新日
- 2011年9月2日
紹介
物心ついた頃から「変だ、変だ」と言われ、トラブルが絶えなかった「僕」。そして36歳のとき、ついに「アスペルガー症候群」の診断が出た。現役教師の僕が人生のこと、家族のこと、仕事のことなどを振り返り、ユーモアたっぷりに語る痛快自伝。
目次
はじめに
第1章 怪獣サンパチ生まれる
○母のお腹がお気に入り……誕生
○クラス一の力持ち……幼少期
保育園での様子/消えないトラウマ/こっちを見ないで/新居と台風
○一人ぼっちの特権……小学生時代
一、二年生/パニック/心は乙女/音楽との出会い/入院生活/プチ不登校/テレビが先生/習いごと/三、四年生/初めてのつまずき/先生なんて大嫌い/しなきゃいけない症候群/死との対面/将来の夢/五、六年生/そんな僕の勉強法/秘密基地/親友と彼女/おねしょの恐怖
第2章 愛とROCKと暴力のはざまで
○ドラマのようなわが母校……中学生時代
恐怖の部活/バンド結成/女たらし/校内暴力/口は災いのもと/竹馬之友/いじめの恐怖/完璧主義/若すぎる胃潰瘍/進路変更/成績不振
○傘立てに座りながら……高校生時代
農業高校/協調性/僕の居場所/些細な衝動/思い込み/研修旅行/強運/生徒会長
○さらば父よ。さらば母よ……大学生時代
旅立ち/第二の故郷と今田さん/アルバイト/運転免許/ボヘミヤン/自炊のこだわり/キャンパスライフ/グループ制作/サークル/研究室
第3章 就職するなら公務員
○Jターン
就職/採用試験/設計という仕事/職員研修/勘違い
○転職だー!
Uターン/実習助手という仕事/想定外/ややこしい存在/農業教員への志/ビジネス感覚/ジレンマ/友情
○初めての異動
錯覚/時と場合?
○挫折は想定外
監督業/フラッシュバック/焦り/恨みやねたみと不信感
○希望の光
運命的な出会い/特別支援教育/診断/支援者への道/罪ほろぼし/カミングアウト/講演活動/四つのお願い/当事者だというリスク
第4章 僕は転んでもただじゃ起きない
○攻撃は最大の防御
兆し/エネルギー/リベンジ/うつの姿/子どもたちの声/SSRI/うつを治すぞ
第5章 拾う神々に守られて
○五人の味方
妻との出会い/育児休業/僕の担当/僕の子育て/身だしなみ/抑えられないこの気持ち/迷い子/両親への想い/家族のきずな
おわりに
三つの「期待」――解説にかえて(柘植雅義:国立特別支援教育総合研究所)
前書きなど
三つの「期待」――解説にかえて(柘植雅義)
本書は、農業高校を卒業後、大学農学部に進学し、現在、農業学科のある専門高校の実習助手として働いている四十歳の男性の自伝である。学生時代に学んだことを生かし、やりたい仕事に従事し、信頼できる妻と四人の子どもに恵まれ、まさに人生の旬の時期にあって、順風満帆を絵に描いたような人である。
そんな彼が三十六歳の時に、医師からアスペルガー症候群と診断された。実はこのことは、彼の人生にとってのマイナスではなく、逆に、天からのギフト(贈り物)であったのではないか、と思えてくる。
なぜなら、それによって、幼少の頃からの何となく、時にははっきりとした、人への、学校への、社会への、そして自分の人生への不全感のようなものを読み解いていくことにつながったからである。さらに、彼自身、アスペルガー症候群であるからこそ、人にはない良さを感じ始めているようにも思えるからである。
彼との出会いは、今から三~四年前のことである。兵庫教育大学で教授をしていた頃、研究室への突然の連絡だった。会って話を聞いてもらいたい、ということだった。それから数日後、彼は何時間も車を運転して大学にやって来た。平日で、高等学校での勤務をやりくりしてのこと。
最近、アスペルガー症候群と診断されたこと、幼少の頃から現在まで、さまざまな出会いと困難につまずいてきたこと、ご両親のこと、学校の先生のこと、現在の職場のこと、家族のこと、そして将来のことなどについての彼の話は、とてもクリアで、整然と、またリズミカルに進んだ。時折、私は、うなずいたり、質問したりした。発達障害のある人の、幼少の頃から、小学校・中学校時代、高校、そして大学、就職、転職と、その時々のステージにおいて、友人や教師や、親や兄弟や、上司や部下との関係の喜びとつまずきが、実に見事に語られていくのであった。まるで一人の人生の誕生から現在までの写真アルバムを見ているような語りだった。「これはすごい!」と思った。
その一方で、彼の話を聞いているうちに、何か不思議な感じがしてきた。これって、カウンセリングなんだろうか、コンサルティングなんだろうか、それとも単なるおしゃべり?
ちょうど、大学院生とか、他大学の知り合いの研究者などが、突然(?)研究室にやってきて、研究のこととか、学校での実践のこと、あるいは教育行政のこととか、そして、時には人生相談とかを受ける感覚のような気がした。初対面ではなく、何か、以前からの知り合いで、たまたま何かの話題について話を聞いている、といった感じであった。
彼が研究室にやってきて、三十分以上が過ぎ、彼からの話も一段落した頃、彼にこんなことを話しかけてみた。「本でも書いてみたら?」。すると彼はきょとんとした表情で「本ですか?」と不思議そうに答えたが、私は、「そう、あなたの自伝です。今あなたが私に話してくれたことは、私だけではもったいない。もっと多くの人に話すべきことだと思う」などと続けた。
やがて、数日して、彼から連絡が来た。「自伝を書こうと思うが、どうしたらよいか」というものだった。まず、あらすじ(話の柱)、つまり構成を考えてみてはどうかと伝えた。それからしばらくして、自伝のフレームが届いた。そして、それから数年、とうとう自伝が完成したのである。
本書は、誕生から、幼少期、小学校、中学校、高等学校、大学、就職、転職、そして、現在という時系列の構成となっている。第1章は、怪獣サンパチ生まれる、というタイトルで、誕生、幼少期、そして、小学校時代をたどる。第2章は、愛とROCKと暴力のはざまで、というタイトルで、中学生時代、高校生時代、そして、大学生時代をたどる。第3章は、就職するなら公務員、というタイトルで、Jターン、転職、初めての異動、挫折、そして、希望の光と続く。第4章は、僕は転んでもただじゃ起きない、というタイトル、そして最終章である第5章は、拾う神々に守られて、というタイトルとなっている。
本書は、発達障害のある子どもの教育に携わっている人、これから教育関係の職に就こうと大学で勉強している学生、発達障害のある人とともに働いている職場の人に特に手に取ってもらいたい。そしてまた、発達障害のある子の子育てをしている人、発達障害のある友人がいる人、そして一般市民の人にもぜひ読んでもらいたいと思う。さらには発達障害に直接関わる専門家や研究者、教育行政に携わっている人にも、とても興味深い内容であると思う。つまり読み手を限らないいろいろな読み方ができると思う。
発達障害のある人の自伝といえば、ドナ・ウィリアムズ氏の『自閉症だったわたしへ』を思い浮かべる人も多いことだろう。本では読んだことはあったが、二〇〇七年九月に、兵庫教育大学が主催校として、日本特殊教育学会の年次大会を神戸国際会議場で開催した際の、メインスピーカーとして彼女を招聘した。タイトルは「ドナの個人遍歴――障害から可能性への道のり」というものだった。この「可能性」という表現がなんとも前向きで好きだった。
この他にも、諸外国では、発達障害のある人の自伝がいくつか出版されている。なぜか女性が多いように思う。自伝の意義は大きい。特に、障害のある人の自伝は、親や教育関係者、研究者や行政担当者など、多くの立場の者にとって一層重要な資料ともなると思う。日本においても、本書のような本格的な自伝が出版されるに至ったことを心よりうれしく思う。しかも男性だ。
最後に、彼への期待を述べてみようと思う。高校時代に先生から「君には大いに期待しているよ」と言われたことが書かれている。そのことを帰宅して父親に伝えると「めちゃくちゃ喜んだ」という。その様子を、彼は一層喜ばしく感じたに違いない。彼は、父親から大いに期待された息子であることが、高校の面接試験の帰り道、車の中で父親からの言葉「ずいぶん馬鹿にされてしまったなあ。見返してやれよ」から想像される。実は、本書には、この「期待」という語が繰り返し出てくる。さらに「期待」に通じるような言葉はもっと多く登場する。それは、「僕は、必要とされることこそが一番の幸せだと思っている」(はじめに)からなのだろう。
私も彼への期待を述べてみたい。三つ。
一つ目は、発達障害という特性を持つことは、実は天からの「ギフト(贈り物)」だという考えを大切にしてほしい。ドナ・ウィリアムズ風に言えば、「可能性」である。そして、そのように考えることの良さを、たくさんの人々に伝えていってもらいたい。
二つ目は、勤務校のみならず全国の高校生に、発達障害についての理解を深め、発達障害の良き支援者として仕立て上げることに取り組んでもらいたい。大人や社会人になる直前の、この高校時代という世代の子どもたちへの働きかけの意味はきっと大きいはずだ。
三つ目は、発達障害のある一人の当事者として、そしてまた時には他の当事者とともに、発達障害のある子どもの教育のさらなる充実に向けて、さまざまな発言をしていってほしいと思う。当事者の立場から大きな夢を語ってほしいと思う。その夢が実現するよう、教師や、研究者や、教育行政の担当者に、良い影響や良い刺激を与えてもらいたい。
これらは、彼が「おわりに」に書いている「夢」とも大いに重なると思う。
上記内容は本書刊行時のものです。