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証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集 Ⅱ
南・北・在日コリア編 下
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2010年5月
- 書店発売日
- 2010年5月26日
- 登録日
- 2010年10月29日
- 最終更新日
- 2013年11月6日
紹介
アジア各地で声をあげ、被害を語ってきたサバイバーの声を記録し、一人でも多くの人びとに被害者に出会いたい。「慰安婦」問題を一括して見るのではなく、個々の体験と被害に向き合うことで、そこに浮かび上がる「慰安婦」制度の実態をとらえ直すための証言集。
目次
はじめに
朝鮮人「慰安婦」連行地マップ
I 証言
1.朴酉年――日本軍「慰安婦」から米軍「慰安婦」に
2.沈達蓮――姉さんと一緒に連れていかれて
[コラム]沈達蓮さんと「国民基金」詐取(山口明子)
3.吉元玉――風にまかせ、打ち寄せる波にまかせて、歳月はたってしまった
4.文玉珠――二度も同じ目にあうなんて
[コラム]ビルマで証明された文玉珠さんの記憶(森川万智子)
5.張秀月――女工だった私がだまされて「慰安婦」に
6.金福童――広東、香港、シンガポール、インドネシアを転々として
[資料紹介]看護婦にされた「慰安婦」たち(林博史)
7.金君子――巡査の家の養女になって
8.金ソラン――誰にも会いたくない
[コラム]尋問記録に重なり合うソランさんの証言(西野瑠美子)
9.李相玉――慰安所は監獄そのものだった
10.姜日出――心の内に埋め込んだことを語ろうとすると、私の胸も引き裂かれる
11.李宗女――逃亡の懲らしめに、体を火で焼かれた
12.ペ奉奇――沖縄「赤瓦の家」の慰安所で
[コラム]沖縄戦を生き抜いた朝鮮人「慰安婦」(林博史)
13.河床淑――かしこい人はみんな死んで、ぼんやり者ばかりが生き残った
[コラム]武漢に河床淑さんを訪ねて(金富子)
14.金順玉――東寧の慰安所に入れられて
II 解説
1.朝鮮人「慰安婦」の被害から見る植民地主義(宋連玉)
一.「慰安婦」証言に見る特徴
二.朝鮮人から見た植民地期経済と家族の崩壊
三.朝鮮人女性の就業状況
四.植民地権力の性管理政策とジェンダーの分断
五.朝鮮人「慰安婦」の被害から見る植民地主義
2.植民地後に続く韓国人日本軍「慰安婦」被害(梁鉉娥)
I 序論
II 終戦直後の状況
III 身体に残る傷
一.現在の外傷
二.過去の傷跡
三.生殖器疾患の現在的効果
IV 精神的な傷跡
一.外傷後ストレス障害(Post Traumatic Stress Disorder)
二.精神身体的障害(psychosomatic disorder)
V 社会的な傷
一.家族関係の破綻
二.独身または不安定な同棲
三.子どもとの関係
四.労働と貧困
VI 結論:被害(trauma)の性格
3.女性人権運動としての挺対協運動(鄭鎮星)
問題提起
韓国女性運動による軍「慰安婦」問題のイシュー化
“誰”のための運動なのか:運動の範囲
歴史的事実の発見が優先:今も続いている作業
“被害者”の人権と尊厳性回復のために
被害者ための“具体的な”解決策を求めて
より幅広い社会運動への寄与
社会全般の学習のために:博物館建立の意味
結び
[コラム]韓国の女性たちの性暴力との闘い(池田恵理子)
III 資料編
■資料1■ 「慰安婦」関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
■資料2■ アメリカ下院の「慰安婦」謝罪要求決議 H.RES.121
■資料3■ 韓国国会の日本軍「慰安婦」被害者の名誉回復のための公式謝罪及び賠償を求める決議
■資料4■ 欧州議会の「慰安婦」謝罪・賠償要求決議
あとがき
前書きなど
はじめに
(…前略…)
「生きた証人がここにいる!」
一九九一年八月に姿を現し、日本政府を告発した韓国の金学順さんのこの言葉は、長くて重い沈黙の扉を開きました。あれから二〇年近い歳月が流れましたが、この間、「慰安婦」問題は国際社会の人々の関心事となり、真の解決を願う声は世界的に広がりました。このなかで、「慰安婦」問題の認識に「女性に対する暴力」の視点が定着し、「慰安婦」問題は戦後補償問題と共に、女性の人権の問題として深められていきました。人々を動かし、認識を育て、歴史を動かしてきたのは、紛れもなくサバイバーたちの勇気ある証言、正義と真実を求める闘いでした。被害者の証言が人々を突き動かし、社会を動かし、沈黙の歴史を破ったのです。
資料館をオープンして特別展を重ねる中で、アジア各地で声を上げ、被害を語ってきたサバイバーたちの声を記録し、一人でも多くの人々に被害者に出会ってほしい。「慰安婦」問題を一括して語るのではなく、一人ひとりの被害者の体験に耳を傾け、一人ひとりの被害に向き合い、そこから浮かび上がる「慰安婦」制度の実態を知ってほしい。そんな思いから、アジア「慰安婦」証言集の企画が動き出しました。
「慰安婦」問題を記憶し、何があったのか、なぜ、このようなことが起きたのかを考えていくことは、被害者たちの尊厳の回復のために不可欠な営みであると同時に、二度とこのような犯罪を繰り返さないための貴重な歴史の教訓です。本シリーズを「未来への記憶」としたのは、そのような思いからです。
「女たちの戦争と平和資料館」では、二〇〇六年春から「置き去りにされた朝鮮人『慰安婦』展」を開催しました。日本の敗戦(=朝鮮の解放)から六〇年という途方も無い長い歳月が流れましたが、日本の敗戦時に日本軍により置き去りにされた朝鮮人「慰安婦」の中には、未だに祖国に帰ることができず、連行された地で暮らしています。差別と闘いながらも日本政府を相手に裁判を起こし、日本で暮らしている女性もいる。宋神道さん(南北在日コリア編 I に収録)も、そのお一人です。
女性国際戦犯法廷で「生きているうちに故郷に帰りたい」と訴え、その三年後の二〇〇三年に帰国が叶ったものの、人生の大半を中国で暮らした河床淑さんは、中国に残してきた娘たちと離れ離れになった生活の寂しさも手伝い、二〇〇五年に再び武漢に帰っていきました。夢にまで見た故郷でしたが、数十年の空白を経た故郷は、無残にも河さんの生活の場ではなくなってしまったのです。姜出日さんが帰国したのは二〇〇〇年、金順玉さんが韓国に帰ってきたのは二〇〇五年、戦後六〇年を経てのことでした。ペ奉奇さんは連行された沖縄で戦後の長い歳月を暮し、一九九一年に沖縄で亡くなりました。
一方、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の李相玉さん、張秀月さんは、日朝国交回復がなされていないため、女性国際戦犯法廷以来、来日して日本の人々の前で証言する機会をもつことはできませんでした。北朝鮮の被害者は、日本政府の責任はもとより、人々の関心からも置き去りにされてきたのです。
この数年、多くの被害女性たちが亡くなられ、高齢になって病気を抱え、あるいは体力が弱り、以前のように日本に来て証言を行うことはできなくなってしまいました。そんななか、二〇〇七年、二〇〇八年には姜出日さんや吉元玉さんが来日され、お元気な姿を見せてくださいました。
こうした女性たちの正義の実現を訴える粘り強い闘いは世界の人々を立ち上がらせ、二〇〇七年には米下院議会をはじめ欧州議会、カナダ下院議会、オランダ下院議会で日本政府に対する勧告がなされました。また二〇〇八年には韓国国会と台湾立法院などでも日本に公式の謝罪と国家賠償を求める決議が採択されるなど、「慰安婦」問題の真の解決を求める国際世論はいっそう高まっています。
一方、日本でも世界各国議会の決議採択を受けて、二〇〇八年に宝塚市議会が意見書を採択したのをはじめとして、二〇一〇年には我孫子市議会、吹田市議会と、三月末現在で二〇の市議会で、被害者の尊厳回復のための真相究明・公的な謝罪と賠償、歴史教育などを求める意見書が採択されました。しかし、日本政府は一向にこうした声に耳を傾けようとせず、法的責任はサンフランシスコ平和条約や二国間条約で解決済みであり、河野官房長官談話で謝罪は行っており、女性のためのアジア平和国民基金で道義的責任は果たしたと、日本軍「慰安婦」問題は終ったかのような主張を続けています。しかし、「慰安婦」強制否定論や暴言は依然として止むことはなく、被害者にとって納得する「謝罪」も賠償も行われてはいません。
八〇歳を過ぎた被害女性たちの体力は急速に衰えていますが、正義の実現を訴える闘いは、今も続いています。本著では、こうした朝鮮人「慰安婦」と尊厳の回復の「置き去り」に光を当て、「慰安婦」とは何かを問いかけ、その深層に迫ります。
第一部に収録した南北コリア、そして在日の被害者の証言は、日本の植民地支配の下で性奴隷にされた朝鮮人「慰安婦」の歴史的背景と慰安所での生々しい実態を浮かび上がらせます。第二部の解説には、証言をより理解するために、朝鮮人「慰安婦」の被害と植民地主義、現在に続く被害、韓国の「慰安婦」問題解決運動に関する論考を収録しました。
本著は、シリーズ『未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集』の第二巻(南・北・在日コリア編下巻)です。第一巻(同上巻)と併せて読んでいただければ、朝鮮人「慰安婦」の甚大な被害の実相に迫ることができるでしょう。第二巻の刊行が予定より大幅に遅れましたことを、心からお詫び申し上げます。
この証言集が被害者との出会いの場となり、サバイバーたちの証言が、多くの皆さんのの心に届き、「慰安婦」問題を深く考える入り口になることを、心から願っています。
二〇一〇年五月 責任編集 西野瑠美子・金富子
上記内容は本書刊行時のものです。