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議論好きなインド人
対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界
原書: THE ARGUMENTATIVE INDIAN: Writing on Indian History, Culture and Identity
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2008年7月
- 書店発売日
- 2008年7月3日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2012年8月3日
紹介
一昔前はヒンドゥー教の神秘の国、最近ではIT産業と暗算力ばかりが話題になるインド。しかし実は、民主主義と多文化共生の叡智と実践を、三千年にもわたって培ってきた豊かな伝統を誇る。我々が真に学ぶべきインドをノーベル経済学賞受賞の著者が縦横に示す。
目次
まえがき
第I部 声と異端
第1篇 議論好きなインド人
第2篇 不平等、安全の欠如、そして声
第3篇 大きなインド・小さなインド
第4篇 ディアスポラと世界
第II部 文化とコミュニケーション
第5篇 タゴールとかれのインド
第6篇 私たちの文化、かれらの文化
第7篇 インドの諸伝統と西洋の想像力
第8篇 中国とインド
第III部 政治と異議申し立て
第9篇 運命との約束
第10篇 インドにおける階級
第11篇 女と男
第12篇 インドと核爆弾
第IV部 理性とアイデンティティ
第13篇 理性の射程
第14篇 政教分離主義その批判
第15篇 暦から見るインド
第16篇 インド人のアイデンティティ
解説1 対話と異端のインド史(佐藤宏)
解説2 「ケーララ・モデル」とジェンダーの平等をめぐって(粟屋利江)
訳者あとがき
原注
事項索引
人名索引�
前書きなど
解説1 対話と異端のインド史(佐藤宏)
「おしゃべりなインド人」
最近のインド・ブームで世界的な評価があがっているためであろう、インド人の悪口の見本のようなこの言葉は、気のせいか、あまり表だって聴かれることが少なくなった。本書の表題であるThe Argumentative Indian、つまり「議論好きのインド人」が、この悪評を逆手にとった、セン一流の機知に富んだ命名であることは、いうまでもない。インドと多少でも付きあいのある人は、思わずニヤリとするに違いない。
しかし、もともと饒舌は美徳でこそあれ、悪徳ではない。それが相手の存在を無視したものでないかぎり。一方的でない饒舌は、むしろ議論を促し、異なる意見を対峙させ、あらたな対話や合意へと議論をひきあげるうえで重要な役割を果たす。まさに民主主義の根幹にかかわる働きですらある。著者センはそうした「議論好きの伝統」こそが、インド史をつらぬく有力な伝統であると主張する。対話と異端は、インド史の不可欠の要素であった。それゆえ、無神論や不可知論、さらには唯物論までをもふくむ多様な理念が、文字どおりの饗宴を張りつづけてきたのが、インドの歴史である。
「ヒンドゥー教」とか、「精神文化」などがインドの代名詞として用いられてきたことからすれば、この主張はそれ自身「異端」の臭いがする。しかし、本書では、そのような代名詞こそが、「ミニアチュア化されたインド」の視点であり、「外からインドに押しつけられた」イメージであり、歴史の検証に耐えないと力説する。著者アマルティア・セン(一九三三~ )は、一九九八年度ノーベル経済学賞を受賞した「経済学者」であるにもかかわらず、歴史学者、インド古典学者そこのけの該博な知識で、「インドとは何か、インド人とは何か」という難問に、真正面から取りくむ。とりわけ、本書の第I部と第II部に中心的に盛りこまれている主題は、基本的にはそのような内容である。
ただし、センは、ここで、みずからの「専門」を離れて、しばし気ままな余技に興じているのではないだろう。かれがノーベル経済学賞を受賞した根拠をもう一度思い返してみよう。それは、全体としては厚生経済学という専門分野のあらたな地平を切りひらいたこと、具体的には、「社会的選択の理論」、不平等、そして貧困という三分野での理論と分析の画期的なレベルアップを実現したことに対して与えられたものであった。私はこうした分野の専門家ではないから、危ない橋を渡りたくはないが、「社会的選択の理論」におけるセンの貢献が、社会的な決定にいたるプロセスにおける、理性的判断の存立可能性を(判断の根拠となる情報的基礎という重要な問題をふくめ)徹底的に明晰化したことにあると、素人なりに考えている。それがいかに重要な問題であるかは、もし理性的判断が原理的に社会的決定をもたらし得ないとしたら、社会的なものごとを決めるために、それがどのような形であれ、「独裁」や「権威」、あるいは無批判な「伝統」や「盲信」といったものに頼るしかなくなることからもあきらかだろう。自分の運命を何か外部のものに委ねるしかないというのは、人間としては、このうえなく悲しいことである。センの「本業」が、こうした関心と直結しているとしたら、インド史における「対話と異端の伝統」を掘りおこす作業は、「余技」だろうか。
(…後略…)
上記内容は本書刊行時のものです。