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アメリカのスポーツと人種 ジョン・ホバマン(著) - 明石書店
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アメリカのスポーツと人種 (アメリカノスポーツトジンシュ) 黒人身体能力の神話と現実
原書: DARWIN'S ATHLETES: How Sport Has Damaged Black American and Preserved the Myth of Race

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発行:明石書店
四六判
616ページ
上製
定価 6,800円+税
ISBN
978-4-7503-2558-3   COPY
ISBN 13
9784750325583   COPY
ISBN 10h
4-7503-2558-9   COPY
ISBN 10
4750325589   COPY
出版者記号
7503   COPY
Cコード
C0036  
0:一般 0:単行本 36:社会
出版社在庫情報
品切れ・重版未定
初版年月日
2007年5月
書店発売日
登録日
2010年2月18日
最終更新日
2011年1月14日
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紹介

黒人の肉体的能力は他人種よりも優れているという神話はアメリカで広く浸透してきた。だがこの神話の背後には,黒人は知的には劣等であるという観念が潜んでいる。アスレティシズムをとりまくアメリカ社会の人種偏見を鋭く指摘し,注目を集めた話題の書。

目次

謝 辞
マリナー版への序文
序 文
日本語版への序文
序 論――空飛ぶエアジョーダンと人種イメージの力
第一部 ベル曲線の下でするバスケットボール
 第1章 アフリカ系アメリカ人とスポーツへの執着
 第2章 ジャッキー・ロビンソン哀歌――アメリカスポーツの人種的再分離
 第3章 ジョー・ルイスとアルバート・アインシュタインの出会い――黒人知力の運動能力化
 第4章 黒人男性活動家の抑圧
 第5章 「著述は格闘なり」――スポーツと黒人知識人
第二部 プロスペローとキャリバン――人種間競争としてのスポーツ
 第6章 アフリカの驚異
 第7章 植民地スポーツの世界
 第8章 新しい多人種的世界秩序
 第9章 世界最速の白人男性
第三部 ジョン・ヘンリーの解剖――人種的運動能力の探究
 第10章 黒人身体組織の想像
 第11章 「ニグロ」という欠陥型
 第12章 人種生物学に対するアフリカ系アメリカ人の反応
 第13章 黒人の「頑丈さ」と医学的人種主義の起源
 第14章 様々な人種的運動能力説
 第15章 黒人犯罪者のアスリート化
 第16章 人種生物学に対する恐怖
訳者解説
原注/訳注/参考文献/和書参考文献/人名索引/事項索引

前書きなど

訳者解説
 本書は、アメリカスポーツ研究者として健筆を揮うジョン・ホバマンの著書Darwin's Athletes: How Sport Has Damaged Black America and Preserved the Myth of Raceの全訳である。
 まず著者の略歴を記しておく。著者は一九六六年にハバフォード・カレッジを卒業後、カリフォルニア大学バークレー校からスカンジナビア言語・文学を専攻として六九年に修士号、七五年に博士号を取得した。職歴としては、七四年にウィスコンシン大学マジソン校で講師(lecturer)に就任した後、七五年にハーバード大学講師、七六年に同助教授(assistant professor)、七九年にテキサス大学オースティン校助教授、八五年に同准教授(associate professor)、九二年に同教授となり今日に至っている。その間の九四年から九五年には客員教授としてシカゴ大学に在籍し、二〇〇六年九月現在、ドイツ文化学科(Department of Germanic Studies)長の要職にある。本書は著者の四冊目の単著にあたり、それ以前にはSport and Political Ideology (Austin, TX: The University of Texas Press, 1984)、The Olympic Crisis: Sport, Politics, and the Moral Order (New Rochelle, New York: Aristide D. Caratzas, 1986)、Mortal Engines: The Science of Performance and the Dehumanization of Sport (New York: The Free Press, 1992) を出版している。最新著のTestosterone Dreams (California: University of California Press, 2005) では、オリンピックやメジャーリーグを騒がせているドーピング問題に正面から取り組み、話題を呼んでいる。
 Darwin's Athletesの出版(一九九七年)からは既に一〇年近くの歳月が流れ、その間にアメリカスポーツ界はいくつもの大きな変化を経験した。ベースボールやバスケットボールのプロリーグにはそれまでにない規模で外国人選手が流入し、活躍するようになった。また薬物使用問題はオリンピックからアメリカのプロ球界に飛び火し、現在も論争が継続している。スポーツ研究の動向にも、後述するように顕著な変化が起きている。しかしながら本書は、アメリカスポーツ界が直面する困難な問題や危機的状況を的確に捉えたものであり、その主要な論点は、現在なお有効であると考える。それゆえ、本書を翻訳して日本の読者に紹介することには、大きな意義がある。以下では、まず本書の意義を、訳者なりに整理して論じてみたい。

◎本書の意義
 アメリカ合衆国(以下アメリカ)はスポーツ大国として知られている。オリンピックにおけるメダル獲得競争においてアメリカは常に首位か、首位に迫る地位を確保してきたし、国内の三大プロフェッショナルスポーツであるベースボール、アメリカンフットボール、バスケットボールを、国境を越えて世界各地に浸透させ、スペクテータスポーツとしての市場を築き上げてきた。多くの競技において選手層はとても厚く、選手たちの技量は、国際的にみてもトップレベルの位置にあるといってよい。
 そのスポーツ大国にとって、もはや不可欠ともいえるヒーローの群像を構成しているのが、「黒人」(以下では、アフリカ系アメリカ人またはアフリカを出自とする移民と同じ意味で用いる)アスリートである。オリンピックでもっとも注目を集めるいくつかの種目(とりわけ陸上競技の短距離種目)や三大スポーツの動向は、黒人アスリートの存在抜きには語れないかの観さえある。一例として、世界最速の人間を決する陸上競技男子短距離種目(一〇〇メートル、二〇〇メートル、四〇〇メートル)を取り上げてみたい。二〇〇四年のアテネ・オリンピックにおける同種目のメダリスト総勢九名のうちアメリカ国籍の選手は八名であり、驚くべきことにそのうちの七名が黒人であった。三大スポーツに視点を移しても、それぞれにおいて抜きん出た実力の保有者の多くは黒人である。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)の二〇〇五年シーズンでアメリカン、ナショナル両リーグ合わせての最高打率、最多本塁打、最高打点、最多盗塁をそれぞれ記録したデレック・リー、アンドルー・ジョーンズ、デイビッド・オルティス、ショーン・フィギンス、あるいはNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)の二〇〇五年シーズンで最大ラッシュヤード数、最大レシーブヤード数、最多サック回数をそれぞれ達成したショーン・アレグザンダー、スティーブ・スミス、デレック・バージェス、さらにはNBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)の二〇〇五年シーズンで最多得点、試合平均最多リバウンド、試合平均最多ブロック、試合平均最多スチールにそれぞれ輝いたコービー・ブライアント、ケビン・ガーネット、マーカス・キャンビー、ジェラルド・ウォーラスはすべて黒人である。以上は黒人アスレティシズム(運動能力・身体能力)の卓越を象徴する選手たちのほんの一部にすぎないが、これだけでも、その傑出ぶりが窺えるというものである。
 出版直後から、本書が注目を浴び、論争の的となった理由は、著者が黒人アスレティシズムの優越に敬意を表するわけでも、またそれを称揚するわけでもなく、アスレティシズムの興隆にこそ、アフリカ系アメリカ人という人間集団にとっての陥穽が潜んでいると断じている点にあるといえるだろう。本書の論点のうち、アメリカで最大の争点となったものを要約すると、次のようになる。根底に「精神対肉体、知力対体力」という二元論が潜む西洋文化において、肉体的営為であるスポーツでアフリカ系アメリカ人が秀でることによって、人々は、黒人の肉体的優越を承認する代償として黒人の知的・精神的劣等をも信じるようになり、人種的ステレオタイプが強化されることになる。このステレオタイプは、人種を問わずアメリカ人一般に広く浸透している。その結果、黒人の児童は、アスレティシズムを自分たちの天職であるかのようにみなして、アスリートになることを志望するようになり、その多くが勉強に費やすべき時間や労力をスポーツに投入するようになる。このような志向と価値観のあり方は、「スポーツ・フィグゼーション(スポーツへの固執・執着)」とでも呼ぶべきもので、病理的でさえある。こうした状況は、「一世紀前にはみられなかったもの」であり、「過去一〇〇年間すべての認知エリート集団から黒人が締め出され、『人種的英雄』が欠乏したことの、直接的帰結」にほかならない。
 本書の出版前夜にあたる一九九〇代中葉という時代には、ゴルフ界の神童タイガー・ウッズのマスターズ優勝やジャッキー・ロビンソンのメジャーデビュー五〇周年など、アフリカ系アメリカ人にとって歓喜し、祝福すべき出来事が続き、スポーツジャーナリズムによる黒人アスレティシズム礼賛は、過熱の一途をたどっていた。本書はそんな風潮に批判の一矢を放った。黒人アスリートブームに、冷や水を浴びせたといっても決して過言ではない。出版後、本書はいくつかの主要誌・紙書評で高く評価されたが、アフリカ系アメリカ人の間では、厳しい批判に晒された。本書をめぐる全国的な論争が巻き起こり、シンポジウムやワークショップの舞台で論及された。いうまでもなく、著者が白人であるという事実も、本書に対する風当たりを強くした一因であった。しかし、その喧騒は日本には十分に届かなかったようである。黒人アスレティシズムを先天的な性質とみなしたり、「人種」的特性として単純に賛嘆したりする風潮は、わが国ではなお根強く存続している。そうした態度を鋭く告発する本書は、日本のアメリカスポーツファンに、自らの思い込みに対する、批判的な再検討を促さずにはおかないだろう。
 アフリカ系アメリカ人のスポーツに対する執着を歴史的な現象として冷めた目で分析し、病理的であると突き放す著者の立場は、本質主義と社会的構築主義の間で繰り広げられている黒人アスレティシズムの起源論争、すなわち黒人運動能力の起源として先天的要因と後天的要因のいずれを重視するかについての論争において一定のポジションを示唆するものでもある。この点も、本書の意義として見落とすことはできない。日本では既にジョン・エンタイン著『黒人アスリートはなぜ強い』が翻訳されている。幾重もの留保をつけているとはいえ、同著が遺伝説に与する論調で貫かれていることは否定すべくもない。エンタインの持論である、卓越した黒人アスレティシズムを形成する決定的な要因は遺伝子にあるとする説は、日本人の黒人アスリート観に少なからず影響を与えたと思われる。対照的に本書は、歴史学や文化研究の方法論に依拠して、本質主義的解釈に物申す書であるといえるだろう。
 起源論争に対する著者の立場は、次の二つの記述に反映されている。まず、「黒人アスリートの優越を示唆する待望の科学的証拠」は、「一定の運動種目における実績の不均衡が暗示的であるとはいえ、いまだ存在しない」と述べ、本質主義を牽制している。黒人アスレティシズムが形成されるメカニズムは、遺伝学や生理学のいずれによってもいまだ解明されておらず、短絡的な考察や投機的な思考は極力回避すべきであるという主張が、本論の中で明らかにされる。現時点で、黒人アスレティシズムの先天的要因を肯定するものは、著者の言葉を借りるなら、「タブロイド科学」に従事しているにすぎないことになる。次に、「黒人アスリートが台頭し、生物的に優越するという信念が強化されている現状は、アフリカ人と西洋人が遭遇した時にそれぞれが果たした役割が、歴史的に逆転したことを示唆する」と主張することによって、黒人アスリートが優勢なスポーツ界の現状は、歴史の一局面にすぎないと議論する。
 しかしながら、著者は自然科学を敵視しているわけでも、自然科学による探求を否定しているわけでもないことにも留意する必要がある。著者の提唱する「ポストリベラル」アプローチは、むしろ人文科学や社会科学の研究者に自然科学に歩み寄るよう奨励するものであろうといえよう。
 日本ではもちろんのことアメリカにおいてさえ、本書のごとくアフリカ系アメリカ人のスポーツへの関わりを批判する書はめったに著されることがなかった。その背景には、少なくとも二つの大きな障壁が存在していたといえるだろう。その一つは、スポーツを研究対象として取り上げることに対する、アカデミズムによる軽視あるいは蔑視である。今日、アメリカの社会や文化においてスポーツが大きな役割を果たしている事実に照らすと考え難いことだが、研究者の多くは、スポーツを真剣な研究の対象とみなしてこなかった。社会学者がスポーツを継子扱いする状況は、ロバート・ワシントンとデイビッド・カレが紹介する次のエピソードに端的に示されている。二人があるカリキュラム委員会に、「スポーツと社会」と題する授業を提案した時のことである。同僚から、「どうしてそんなテーマを取り上げるのか。スポーツ新聞の紙面を読めばそれで十分じゃないか」と反対されたというのである。また二人は、二〇〇〇年の全米社会学会(American Sociological Association)の年次大会では、スポーツ社会学のセッションが皆無だったのみならず、セッション総数五七七のうち、「レジャー/スポーツ/レクリエーション」というカテゴリーに属するものはたったの五つであったというエピソードも披露している。
 もう一つの障壁は、人種に対するタブー意識と関わっている。スポーツが、人種統合を他の領域に先駆けて実現させたという記憶は、これまでに幾多の教科書や概説書で想起されてきた。しかし、「統合」の実態がいかなるものであるかについての深い分析はなおざりにされてきた。著者の言葉を借りるなら、アメリカのスポーツ界は「スポーツライターがめったに取り上げることのない人種化された世界」であり、「人種的運動能力という問題は恐怖という帳で包まれたタブー」のままなのである。
 冒頭で紹介したように、著者はスカンジナビア言語・文学で博士課程を修め、ドイツ文化学科に籍を置いている。このような学歴や職籍がスポーツ研究者として例外的であることはいうまでもない。スポーツアカデミズムの中で異質ともいえる経歴をもち、アウトサイダーの位置に身を置いている著者だからこそ、二重の障壁を克服することが可能であったといえるのかもしれない。

◎本書の構成と主要な論点
 本書は、二つの序文と序論からなる導入部と、三部からなる本論によって構成されている。各部は複数の章からなり、それぞれの章は部全体のテーマに異なる角度から取り組んでいる。各部のテーマに通底する書籍全体の主題をあえて表現するなら、次のようなものとなろう。スポーツにおける人種・民族的差異がもつ意味と、それが果たす役割を、アメリカ国内レベルと国際レベルで、植民地時代とポストコロニアルの現代それぞれの時空において検討するならば、いずれのレベル、いずれの時空においても、有色人アスリートがその技量における優劣にかかわらず、白人によるステレオタイプ言説によって表象され、白人が所有し、経営する組織によって管理され、統制され、利潤追求のための資源として扱われてきたことは明らかである。このように主張する本書は、勝れて抗議と告発の書であるということができるだろう。

(中略)

 折から、日本はバスケットボール男子世界選手権大会の開催国となり、一次リーグB組でアンゴラ代表に手痛い敗北を喫した。モニターが映し出すイメージはまさに肌の黒い人に対する、肌の黄色い人の敗北であり、この勝負は日本人の人種ステレオタイプを強化する役割を果たしたかもしれない。本書が、試合結果や得失点よりも、こうしたステレオタイプが構築され、言説となって伝達されるメカニズムに対する注意を喚起する一助となれば幸いである。

二〇〇六年晩夏、二〇一六年オリンピック大会東京招致への期待が高まるなかで

著者プロフィール

ジョン・ホバマン  (ホバマン,ジョン)  (

テキサス大学オースティン校教授。カリフォルニア大学バークレー校博士課程修了。博士(Ph.D.スカンジナビア言語・文学専攻)。シカゴ大学客員教授(1994-95年)。ヨーロッパの思想史・文化史を専門とするかたわら、スポーツと人種に関する思想と歴史をテーマとする著作を数多く発表。主著にThe Olympic Crisis: Sport, Politics, and the Moral Order (New Rochelle, New York: Aristide D. Caratzas, 1986)、Mortal Engines: The Science of Performance and the Dehumanization of Sport(New York: The Free Press, 1992)、Testosterone Dreams (California: University of California Press, 2005)などがある。

川島 浩平  (カワシマ コウヘイ)  (

武蔵大学人文学部英米比較文化学科教授。米国ブラウン大学博士課程修了。博士(Ph.D.歴史学)。ブラウン大学客員研究員(2005-06年)。専門はアメリカの歴史と文化(特にスポーツ)における人種表象。著書に『都市コミュニティと階級・エスニシティ──ボストン・バックベイ地区の形成と変容、1850─1940』(単著、御茶の水書房、2002年)、『教養としてのスポーツ人類学』(共著、大修館書店、2004年)、『クラブが創った国アメリカ 結社の世界史5』(共著、山川出版社、2005年)など。

上記内容は本書刊行時のものです。