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食道がん診断専門の医者が食道がんになった。 山本 勇(著) - 柏艪舎
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食道がん診断専門の医者が食道がんになった。

発行:柏艪舎
発売:星雲社
四六判
176ページ
並製
定価 1,300円+税
ISBN
978-4-434-25937-1
Cコード
C0095
一般 単行本 日本文学、評論、随筆、その他
出版社在庫情報
在庫あり
書店発売日
登録日
2019年3月7日
最終更新日
2019年4月12日
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紹介

食道がん診断の権威である著者が、自ら食道がんになった体験を綴るエッセイ。

虎の門病院で診断医としての腕を磨いた著者は、七十三歳のときに、気軽に受けた健康診断で食道がん宣告を受ける。本書の魅力は、自分の専門家としての意見を一方的に押しつけるのではなく、客観的に、説得力をもって、ときにはユーモアを交えながら癌治療に立ち向かうところだろう。勇気をもらえること請け合いだ。

目次

・はじめに
・第1章  医者になる
・第2章  食道がんとの出会い
・第3章  診断学の重要性
・第4章  開業の決心
・第5章  食道がんの宣告
・第6章  両親の話
・第7章  死ぬということ
・第8章  私の兄弟と私の家族
・第9章  今後を生きる
・あとがき

前書きなど

はじめに                              
      
私は現在七十三歳になる高齢内科開業医です。
最近六十歳以上の開業医の誤診率が、若い開業医と比べて高いという報告がありました。当然のことながら七十歳以上ともなれば、さらにその率は高くなるわけです。医学の進歩は目覚ましく、高齢の医師は最新の医療知識についていけないのが大きな理由だそうです。
確かに私も、新たな知識を積極的に吸収する努力をしているとは言えません。今まで習い覚えた知識や技術で診療をしている日々なのですから。
私は数年前から、なるべく早く現在の仕事を縮小していこうと考えていました。この歳になると忙しく働くのに疲れたというのが本音ですが、診断能力の衰えによる誤診が増えてしまうことの恐れもその理由の一つでした。そして周囲の友人が定年を迎えて自由気ままに生活をしている様を見て、羨ましいと感じていたからでもあります。そして着々とその準備をしてきたのです。
七十歳を機に、同じ場所で形成外科・皮膚科を開業している娘に院長職を譲り、税理士をしている息子には妹の医院経営を助力してもらえるように経営陣に加わってもらいました。最も苦労したのが私の後継者として内科診療を任せられる医師を見つけることでしたが、それも娘の友人のご主人がやってもいいということになり、この四月からはいよいよ外来診療をやめて、楽隠居の身分になるはずでした。

ところが、そんな私が昨年(二〇一八年)三月に内視鏡検査を受けたところ、「食道がん」と診断をされたのです。
二人に一人ががんにかかる時代ですから、この歳になると何が起きてもおかしくはないのでしょうが、よりによって「食道がん」になるとは。
というのは、私は開業前の勤務医時代の大半を「食道がん」と深く関わってきたからです。勤務していた病院での主な仕事は、食道がん患者さんの手術前に、病変の範囲を正確に知るために行われるレントゲン検査であり、当時の私は食道がんX線診断の専門家とも呼ばれていたのです。そんな私が自分の人生の後半になって、自分が最も深く関わってきた「食道がん」と闘うことになったのですから、何か因縁めいたものを感じないわけにはいきませんでした。
ある意味で食道がんを一番よく知る私ですが、これから起こるだろうことをいろいろと考えたとき、まず一番に「死ぬ時期」ということが頭に浮かびました。
食道がんは、がんの中でも手術が難しく、予後の悪い病気です。術後の体力回復も大変で、よほどの早期がんでない限り、再発を起こしやすい厄介な病気なのです。毎年検査を受けていたとはいえ、今回の検査画像を見る限り、三センチほどの隆起がはっきりしており、とても早期がんとは言えませんでした。
だから今回の「がんの宣告」は、自分の死というものが思いのほか身近に迫っているということを教えてくれたような気がしたのです。人間よほどのことが起こらない限り、自分の死を感じることはないのが普通です。私は今まで、心臓の不整脈発作を起こし救急車で運ばれる途中の車内で、このまま不整脈が続けば血栓が飛んで脳梗塞になるのではないかと、思わず両手を動かしてみたりしたことはありましたが、そんなときでも、死の危険を感じてはいませんでした。
がんと診断されたときに自分がどんな反応だったかを思い返してみると、その検査を受けた時期に全く自覚症状がなかったこともあって、あまり深刻に受け止めてはいませんでした。「そうか、ついに自分にも来たか」という思いがまずありましたが、あとは比較的冷静になって、とりあえずきちんと検査をして、現状を把握しなければならないこと、そしてその結果で治療法を選択しなければならないこと、さらにもし思いのほかがんの進行が早くてすでに転移もあり、手術も不可能ということになれば、覚悟を決めなくてはならないだろう、などいろいろと思いを巡らせました。
また、ことの詳細については家族には伝えず、ちょっと怪しいところがあるので虎の門病院で検査をすることになった、とだけ話をしました。なぜ家族に詳しく話さなかったかというと、検査結果が判明するまでの間に余計な心配をしても仕方がないからです。
その後虎の門病院で手術を受け、現在術後の回復期に入っています。自分の医者としての人生の中で食道がんに関わる時間が長く、さらに人生の後半になって自分が食道がんと闘うことになったことを考えると、前述したとおり、いささかの感慨を覚えます。
そんなこんなから、この時点で、自分の人生を振り返ってみようと思い立ったのです。自分はどうして医者になったのか、そしてどのような経緯で食道がんと関わるようになったのか、さらには長く開業医生活を続けてそろそろ楽隠居を考えた矢先にがんの宣告を受け、今後の終末期を自分はどのように生きていくべきなのだろうか。そういったことを自分なりにまとめてみたくなったというわけです。
こういう心境に立ち至ったということは、紛れもなく私が老境に入ったということであり、いたって平凡な人生を歩んできた私の人生などに大した意味があるとは思えません。それでも、もしお目を通していただけるなら、まことに有り難く、感謝申し上げます。



あとがき

医者になったのが一九七一年ですから、もうかれこれ四八年間医者を続けてきたことになります。
勤務医時代に食道がんのX線診断に携わり、四七歳で開業。七三歳になって引退を考えた矢先に、自らが食道がんの宣告を受けました。
先日大学の仲間が私の手術後の状態を心配して集まってくれましたが、集まった八人のうち私を含め三人ががん疾患の手術後、がんの手術待機中が一人、また、がんの疑いで検査中が二人もいました。この歳になると、がんに侵されている友人がいかに多いことか。
今まで私はがんをいかに早期に発見するか、ということばかりを考えてきました。
早く発見して早く手術をすれば助かる病気という考えが根強くあり、裏返せば、発見が遅れれば必ず死ぬものだと考えていたからです。
しかし自分ががんの宣告を受けてから、周囲を見回してみると、私の勉強不足が歴然でした。偶々巡り合った高良毅先生の著書「がんの町医者」を読んでみて、免疫療法に代表される新たな治療法が数多くあることを知りました。そして、がんを撲滅するのではなく、がんと共存して生きるという考え方は、今後の自分にとってとても重要なことのように思っています。
私が手術後二ヶ月を過ぎたころに、次兄から本にしてまとめてはどうかと勧められ、書き始めてからすでに六ヶ月余りが経過しました。
体力も徐々に回復してきて、この一月からは訪問診療も再開する予定にしていました。そんなある日の朝のことです。訪問看護師から電話があり、九五歳になるYさんが呼吸停止の状態とのこと。Yさんはなぜか私を頼りにしてくれて、これまで頑張って通院されていたのですが、一年前に訪問看護を導入することになり、私が最初に往診をしました。自宅のこたつの前で座っていたYさんは、私の顔を見て、「わざわざ先生が来てくれた」ととても喜んでくれたのです。その後看護師が定期的に訪問し、私も月に一回は往診をしていましたが、四月以降は代診の先生にお願いしていました。
Yさんは前日までは家族と普通に話されていたとのこと、朝家族が気づいたときには呼吸が停止していたというのです。九五歳の大往生です。
私が駆けつけたときには、まだ体の温もりが残っている状態でした。
「Yさん、よく頑張ったね、僕を待っていてくれたのかな」と声をかけながら死亡確認をさせてもらいました。ご家族からも「訪問看護師さんにはとてもよくしてもらい、今日は先生が来てくれておばあちゃんはすごく喜んでいると思います」と感謝の言葉をいただきました。
やはりこの仕事は、待っていてくれる方がいる限りは続けていかなくてはと、思いを新たにしたしだいです。

山本メディカルセンターの恒例行事ですが、昨年暮れにも忘年会を持ちました。そのときの集合写真は巻頭にあります。全員参加となると六十名を越える大所帯のため、逗子市内に場所を見つけるのが難しく、鎌倉の由比ガ浜にある会場にて開催しました。
真理子院長は私よりはるかに頑張り屋で、専門の形成外科以外に皮膚科、分子栄養学なども勉強して、医院の拡充を図っています。
形成外科は美容整形に走りやすいから注意するようにと、私が最初に縛りを入れてしまいましたので、彼女もやりにくかったと思いますが、分子栄養学の認定医資格を取得して、それを皮膚科の、特にアトピー治療に役立てたり、女性には不可分の美容効果を高めるための勉強をしているようです。分子栄養学とは今までのカロリー中心の栄養学とは異なり、分子レベルで個々の栄養素、ミネラルの過不足をみていく医学で、今まで原因がよくわからなかったいろいろな疾患に対しても効果があると言われています。
さらにこの分子栄養学を調べてみると、活性酸素の除去、高蛋白、高ビタミンの摂取の三つが重要だと言われており、これは前述した高良毅先生の本にも書かれている抗がん治療としての、高濃度ビタミンC点滴療法や活性酸素の除去と同じことに気づきました。
今までがん治療は、手術療法、化学療法(抗がん剤)、放射線療法が主たるものと考えていましたが、この分子栄養学に則った食事を続けることは、がんにかかりにくい体質を作り出す重要な手段なのではないでしょうか。

そんな真理子院長の努力の甲斐あって、最近では皮膚科の患者さんの数が増加して、待合室の椅子が不足する事態が生じています。そこで真理子院長は、医院近くに待合室を兼ねたカフェを作り、そこで診療受付もできるようにして、ゆっくりとお茶でも飲みながら待っていただくことを考えているようです。これは皮膚科だからできることかもしれませんが、さらにその場所で、この分子栄養学を基礎とした食事を提供できるような空間を作る計画も進めています。
もう医院経営に私の出る幕はなさそうです。

私の現状はというと、十月に行った術後六ヶ月の検査では特に異常がなく、十一月には二週間に及ぶ海外旅行にも出かけてきました。ゴルフも術後二ヶ月ほどして、ハーフラウンドだけを回ることから徐々に再開し、一月に入ってからはすでに五回もラウンドできるまでになりました。その平均スコアは88・8ですからまずまずでしょう。
そして咳の発作も収まってきましたので、バンド活動の再開も計画しています。ただ、どうしても体重は増えず、鏡に映った姿はあばら骨が目立ち、脂肪がとれてへこんだお腹は、皮膚がたるんで見苦しい状態です。
そこで、十月からは筋力トレーニングも始めています。まずは軽い重量で、下肢と上半身の運動を交互に行い、最近ではふくらはぎが太くなってきましたし、上腕から肩回りにも筋肉が少しついてきた感じがしています。
このような良好な状態がいつまで続くのか、これは誰にもわかりませんが、がんと向き合う方法は多種多様にあることを知った今、将来を悲観的にあれこれと心配するのではなく、前向きに生きていこうと考えています。

皆様に読んでいただくには、あまりにも心許無い内容ですが、私の医者としての思いや、現在の心境を少しでもご理解いただけたら幸いです。

平成三一年春

著者プロフィール

山本 勇  (ヤマモト イサム)  (

1945年生まれ。1971年千葉大学医学部卒業。
内科系研修医終了後、順天堂大学消化器内科、虎の門病院放射線診断学科、帝京大学市原病院放射線科に勤務。
1993年逗子に「山本メディカルセンター」開業。
「街中の画像診断センター」として各種画像診断を行う傍ら、一般内科診療、人間ドックを行い、最近訪問看護ステーションを立ち上げた。

医学博士、消化器がん検診学会終身認定医。
     日本消化器病学会認定医(返上)
     日本消化器内視鏡学会専門医(返上)

上記内容は本書刊行時のものです。