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秀吉の虚像と実像
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2016年7月
- 書店発売日
- 2016年6月28日
- 登録日
- 2016年5月21日
- 最終更新日
- 2017年8月24日
書評掲載情報
2016-09-01 |
出版ニュース
2016.9月上旬号 評者: Book Guide欄 |
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紹介
こうすれば秀吉を、もっと面白くつかまえられる!
歴史学と文学のコラボレーションにより、実像も虚像も追究する書。
どのようにして秀吉は「虚像」として語られ、今その「実像」が問われているのか。豊臣秀吉総体を、これからどう捉えていくか。初の試みにして、指針となる書。
実像と虚像、歴史学と文学、どちらも面白く、重要であることが本書により改めて説かれる。単なる秀吉の通史ではない、多様な見方と大きな見通しの確認・発見を目指す。
▼本書で明らかに!
○北政所の名は「ねい」でなく「ねね」と再確認!
○ひょうたんの馬験に隠された秀吉の出生の秘密とは?
○高松城の水攻めは実は沼の大きさに過ぎなかった!
○明からの「日本国王」への任命を一旦は受け入れていた!
○秀吉信仰と地震や靖国との意外なつながりとは?
【本書は、豊臣秀吉を素材に、歴史学が実像編、文学が虚像編を、それぞれの学問スタイルで執筆した。実像編は、主に古文書・古記録を使用して、現在何が、どこまで明らかになっているかを述べた。そのさい、必要に応じて典拠となる古文書・古記録を示している。これに対して虚像編は、一般に流布している歴史常識が、どのような軍記物語によっていかに形成されたのか、その虚像のあり方を浮き彫りにしている。この両者があわさることによって、「実像も虚像も追究する」ことができるのである。それは、豊臣秀吉という人物はもちろん、彼の生きた社会もより深く理解することである。それだけでなく、秀吉死後の時代の姿をも、豊臣秀吉という人物とその伝説を通じて掘り下げることでもある。】…序(堀新)より
執筆は、井上泰至[防衛大学校教授]/堀 新[共立女子大学教授]/湯浅佳子[東京学芸大学教授]/北川 央[大阪城天守閣館長]/太田浩司[長浜市長浜城歴史博物館館長]/柳沢昌紀[中京大学教授]/原田真澄[演劇博物館招聘研究員]/堀 智博[共立女子大学非常勤講師]/菊池庸介[福岡教育大学教授]/谷口 央[首都大学東京教授]/網野可苗[上智大学大学院]/遠藤珠紀[東京大学史料編纂所助教]/森 暁子[お茶の水女子大学研究員]/米谷 均[早稲田大学講師]/金子 拓[東京大学史料編纂所准教授]/丸井貴史[上智大学大学院]/谷 徹也[京都大学助教]/藤沢 毅[尾道市立大学教授]。(執筆順)。
目次
本書の読み方
○序
虚像編・編者より
秀吉の「夢」、語り手の「夢」[井上泰至]
実像編・編者より
実像と虚像、歴史学と文学、どちらも面白い[堀 新]
1 秀吉の生まれと容貌
実像編[堀 新]
生まれ―秀吉の生年月日/天文五年か天文六年か/容貌―木の下の猿関白/猿か禿鼠か/外国人の見た秀吉/むすびに
虚像編[湯浅佳子]
はじめに/出生をめぐる奇瑞/異常誕生譚と特異な容貌/放逸な少年時代/まとめ
2 秀吉の青年時代
実像編[北川 央]
太閤様のご先祖/秀吉の父/秀吉の兄弟姉妹/秀吉生家の生業/家を出た秀吉/秀吉と陰陽師集団
虚像編[湯浅佳子]
はじめに/忠義と信の人、秀吉―『太閤記』巻一より―/策謀家としての秀吉―『真書太閤記』より―/おわりに
3 浅井攻め
実像編[太田浩司]
小谷落城と秀吉/堀・樋口氏の誘降/姉川合戦と秀吉/志賀の陣と秀吉/横山城主として/野一色家の秀吉仕官/箕浦合戦と湖北一向一揆/元亀二年から三年の戦い/虎御前山城の城番へ
虚像編[柳沢昌紀]
理想の信長・秀吉・家康を造形―甫庵『信長記』/竹中重門の『豊鑑』と林家の『将軍家譜』/浅井氏三代の事蹟を記す軍書―『浅井三代記』/智将秀吉の誕生―『絵本太閤記』/万能なる智将へ―『真書太閤記』/『日本戦史・姉川役』と山路愛山の『豊太閤』
4 秀吉の出世
実像編[太田浩司]
秀吉の改姓と名乗りの変化/「木下」から「羽柴」への改姓/「筑前守」の官途を名乗る/播磨侵攻と黒田孝高の幽閉/「筑前守」から「藤吉郎」への後退/秀吉の城下町政策/再び「筑前守」へ/於次秀勝の独立と名乗り/その後の秀吉の叙位任官
虚像編[原田真澄]
秀吉と信長の出会い/墨俣一夜城/願望の鏡としての虚像
5 高松城水攻めと中国大返し
実像編[堀 智博]
はじめに/『高松城水攻め』に至るまでの過程―織田・毛利間戦争/『高松城水攻め』の実態/毛利勢との講和/『中国大返し』の実像/おわりに
虚像編[菊池庸介]
はじめに/『太閤真顕記』における高松城水攻め・中国大返しの構成/高松城水攻め/本能寺の変の発端としての秀吉の応援要請/毛利方との和睦/中国大返し
6 清須会議と天下簒奪
実像編[谷口 央]
清須会議と織田家家督/織田家を支える人々・その立場と運営方法/勝家と秀吉の対立/「織田体制」の改編―秀吉のクーデター―/織田家家督織田信雄と秀吉/秀吉・家康と関東諸氏/小牧長久手の戦い/北国攻めと信雄・家康/家康の臣従と全国統一
虚像編[菊池庸介]
はじめに/山崎の戦/清須会議/大徳寺焼香場―秀吉の天下簒奪
7 秀吉と女性
実像編[堀 智博]
はじめに/ねねの実像/『淀』の実像/秀吉死後のねねと淀/おわりに
虚像編[網野可苗]
悲劇のヒロインにはなれなかった女性/徳川史観の被害者/事件の黒幕には淀/豊臣贔屓≠淀擁護/実録の力/近代文学の中の淀/淀の悪女像を押し出したもの/選ばれた悪女
8 秀吉と天皇
実像編[遠藤珠紀]
聚楽第行幸/『聚楽行幸記』の作成/近世に語られた聚楽第行幸/行幸の行列/公家の家業の興隆/何故「聚楽第行幸」か?
虚像編[森 暁子]
乱世の忠臣/主君利用パターンの類似/つれないそぶり/古代の天皇権威の利用/世論操作のための「忠臣」アイコン
9 秀吉はなぜ関白になったのか
実像編[堀 新]
秀吉の関白任官/このエピソードの問題点/家康の源氏改姓・将軍任官は特殊例/秀吉の関白任官と徳川史観
虚像編[森 暁子]
関白任官の打算/ 「下剋上」の回避/「朝敵」排除の思惑 /「朝敵」の烙印への恨み①―島津氏/「朝敵」の烙印への恨み②―後北条氏/ 枷からの脱却/政敵の排除
10 文禄・慶長の役/壬辰戦争の原因
実像編[米谷 均]
豊臣秀吉の本心を読み解くこと/朝鮮出兵の原因・目的をめぐる諸学説/朝鮮出兵の動機と目的/秀吉が成りたかったもの
虚像編[井上泰至]
「徳川史観」「皇国史観」「帝国史観」/林家とその後―徳川史観の形成/絵入歴史読み物と国学・後期水戸学―皇国史観/帝国史観―幕末の危機意識の中で/ナショナリズムか愛すべき英雄か
11 秀次事件の真相
実像編[金子 拓]
はじめに/秀次事件解釈の新説/秀次事件の発端/秀次の高野山出奔/「公式見解」の形成と秀次切腹/「秀次事件」の成立/秀次の個性
虚像編[丸井貴史]
秀次事件を描いた作品/物語としての秀次事件/殺生関白秀次/秀次の妻妾たち/仏法僧―戦う秀次
12 豊臣政権の政務体制
実像編[谷 徹也]
「五大老」「五奉行」に関する通説/小瀬甫庵『太閤記』の記述/秀吉生前における奉行の役割/秀吉生前における大老の役割/政権内のその他の政務/秀次事件による政務体制の改変/「五大老」「五奉行」制の実態/乖離する名分と実態/そして関ヶ原の戦いへ
虚像編[藤沢 毅]
五大老・五奉行/太閤検地、刀狩りは描かれない/富裕の町人への処罰/武断派と文治派の対立
13 関ヶ原の戦いから大坂の陣へ
実像編[谷 徹也]
大坂の陣への道程/関ヶ原戦後の上方情勢/秀頼の立場/公儀のゆくえ/大坂の陣の始まり/豊臣方の民衆/関ヶ原の戦いからの道程
虚像編[井上泰至]
徳川寄りの軍書/関ヶ原モノの集大成―『関ヶ原軍記大成』/徳川贔屓の構図を引き継ぎ文芸化―『難波戦記』/大坂贔屓への転換―『厭蝕太平楽記』/徳川コードの消失とともに―『名将言行録』と『日本戦史関ヶ原役』/民間史学から歴史小説・近代歌舞伎へ―山路愛山・徳富蘇峰・高安月郊・司馬遼太郎
14 秀吉の神格化
実像編[北川 央]
神になった秀吉/秀吉の神格化と御霊信仰/織田信長の神格化をめぐって/秀吉神格化のモデル/豊国大明神の性格/新八幡と豊国大明神/豊国大明神の多様な信仰/大坂城への勧請/江戸から明治の豊国社
虚像編[井上泰至]
神社の荒廃とにわか震災神/対外的武威の神として―宣長の古道論の内面化と和歌/征韓論の神話的先例―幕末から明治
○コラム
北政所の実名[堀 新]
刀狩令[堀 新]
太閤検地[谷口 央]
「惣無事」と「惣無事令」[谷口 央]
破り捨てられた? 冊封文書[米谷 均]
二つの「キリシタン禁令」[堀 新]
○付録
秀吉関連作品目録
(軍記・軍書・実録・近代史論・歴史小説)[井上泰至編]
主要秀吉関連演劇作品一覧[原田真澄編]
あとがき[堀 新×井上泰至]
執筆者プロフィール
前書きなど
■虚像編・編者より
秀吉の「夢」、語り手の「夢」.........井上泰至
秀吉とは、どういう「個性」であったのか? 学問的な問いとしては、ひどく困難な課題だが、ひとたび秀吉を軸にこの時代の歴史を語ろうとする時、これは避けては通れない。特に文学上の秀吉像とは、その「個性」についての解釈の歴史そのものだったと言ってよい。こうして「レジェンド」となった秀吉の「個性」といえば―明るさの中にある狡知・機転・精励・寛容・大志、そして、出自の低さからくるコンプレックスと一体の承認願望といった言葉がまずは浮かぶが、詳しくは虚像編の各章によられたい。
露と落ち露と消えにし我が身かな難波のことも夢のまた夢
信長に見出されてから、武将としては異例の幸運に恵まれるが、家族の縁は薄く、しかし妻は賢夫人、晩年側室との間に子に恵まれるがその将来を心配しつつ、この世を去る他はない。人間の抱える矛盾と魅力が、これほど語られてきた存在も、日本の長い歴史で稀有なのである。秀吉が実際そのような個性であったかどうかは今おくとして、本書の章立ては、実像編の編者堀新さんの提案を、丸呑みできたことから見ても、この時期の政治史は秀吉という個性と切っても切り離せないことは明らかだ。
本書の実像編は、一次史料を中心に、高度に精緻な形で構築された秀吉とその活動の「実像」を解き明かしている。虚像編からは、それを鏡とし、バネとして飛躍していった、秀吉を巡る「レジェンド」の成り立ちと、その有りようを確認できる。これまでになかった試みである。
思えば、それは秀吉だからこそ可能であったというべきか。その秘密は、秀吉の異例の出世にある。ひどく身分の低いところから天下人になったという「夢」、それも大きい。当然、条件に恵まれない後世の人々の「夢」を託すことができる。
しかし、裏返せば、彼は本能寺の変の後、山崎の合戦で明智光秀を討つことで突如主役に躍り出たからこそ、「レジェンド」になりえたという見方もできるだろう。そのドラマチックな展開も魅力だが、誰も注目していなかったところに史料は残りにくい。かえってそこにこそ、伝説化の沃野は拡がっている、という逆説がある。
人々は、関白任官・大坂城築城・天下統一・太閤検地・近世京都の整備・二度の外征と、評価はさまざまだが、彼の大仕事の数々と、それに比しては哀れな豊臣家の末路を知っている。ひるがえって、その前半生は謎に満ちたままである。結果、「実はこうであったのだ」「実はそうであったのか」、というふくらましがこれほど期待される政権担当者も、日本史上そうはいなかったのではないか。
このありそうでなかった本の、その先にある問題についても少しふれておきたい。本書を手に取られた方は、実像編の各章が、可能な限り一次史料によって記述がなされ、その学問的な最新の果実にふれて、別の意味で、「実はそうであったのか」と知的興奮を得ることだろう。また、そこから虚像編に進むと、お馴染みの「レジェンド」がどうして生まれていったのかを知って、半ば苦笑いしながら読むことだろう。
しかし、注意して読むと、実像編にあげられた史料の中には、虚像編と同じものが、多くはないがあることに気づくはずである。特に、戦の経緯については一次史料が残りにくく、残されたものは、豊臣家を亡ぼした徳川家の支配の時代の意識を反映していたり、自分の先祖の顕彰を意図して記述されたりするから、虚実の選り分けが難しい。ここにこそ、歴史学の研究者と文学の研究者が共同で討議すべき課題も残っている。本書は、秀吉をめぐる問題系について、新しい視角からの整理がなされていると共に、今後考えるべき問題がそこここに潜んでいるのである。
■実像編・編者より
実像と虚像、歴史学と文学、どちらも面白い.........堀 新
歴史学、ことに文献史学の分野では、伝統的に「実証性」を重んじる。さまざまな文献史料があるが、歴史学が重視するのは古文書・古記録であり、これらを一次史料という。戦国時代(ここでは織豊期を含める)でいえば、戦国武将の書状や知行宛行状、戦国武将や公家の日記、さらには検地帳や分国法などである。宣教師の記録や、『李朝実録』などの外国史料も活用される。その一方で、戦前までは多用されていた小瀬甫庵『太閤記』や『川角太閤記』等の軍記物語、いわゆる文学作品は編纂物であるために二次史料とされたうえ、「誤謬が多い」と烙印を押され、歴史研究において使用されることはほとんどなくなっている。たまに言及されていても、「太閤記のここが間違っている」といった内容ばかりであるから、歴史研究者の多くが文学作品だけでなく、文学研究から疎遠になるのは当然である。その結果、「実像を追究する」歴史学と、「虚像を楽しむ」文学という、歴史学側が身勝手な境界線を引いてしまった感がある。こうして、同じく戦国時代を専門としながら、歴史学と文学は「近くて遠い」関係になってしまった。
こうした距離感は、もちろん個人的には近しい関係もあったが、戦国時代研究においては、数十年間続いていたように思う。こうしたなか、文学研究は作品テキストの徹底的な読み込みを進めていった。軍記物語は実在する合戦や人物を扱った作品であるから、前述した身勝手な境界線で言えば、「虚像を楽しむ」ためには「実像を追究する」必要がある。その過程で、戦国社会や人物の実像に迫る成果をあげていき、「実像も追究する」文学として、歴史学の領域にどんどん迫り始めたのである。
いっぽう歴史学においても、古文書・古記録にも間違いや、本人が書いたからこその虚偽や誇張もあり、それを踏まえて古文書・古記録を分析しなければならない。「誤謬が多い」ことは、検討対象から外す理由にはならないのである。こうして再び、軍記物語等の文学作品に注目し始めたのである。この点については、以下の文章が参考になろう。
日記と文書のみでどれほどのことが語りうるのか。日記と文書だけではその記述自体を理解することすら容易ではなく、戦国軍記と称される編纂物によって筋道を辿りながら、年次や個々の固有名詞を比定することから始めて、漸く内容が把握されるというのが実のところである。つまり一次史料こそといいながら、実は二次史料によって一次史料を解釈しているのである。
(大桑斉「石山合戦編年史料をめぐる諸問題」〈真宗史料刊行会編『大系真宗史料』文書記録編12石山合戦、法蔵館、二〇一〇年〉)
こうした状況は、石山合戦だけでなく、戦国時代研究全般に該当しよう。これを克服するためには、文学作品に真摯に向き合うしかない。「虚像も追究する」歴史学である。この転換によって、戦国時代の実像をより深く捉える道が開けて来るだろう。
こうして、歴史学と文学双方の動きから、両者は再び近づいてきた。学際的研究の必要性が叫ばれて久しいから、むしろ遅すぎたくらいである。ただし、現在はまだ「近くて遠くない」程度の関係であるから、歴史学・文学いずれもが実像と虚像を十分に追究したうえで執筆する段階にはない。それは、「近くて本当に近い」関係になった時まで取っておくことにしたい。
そこで本書は、豊臣秀吉を素材に、歴史学が実像編、文学が虚像編を、それぞれの学問スタイルで執筆した。実像編は、主に古文書・古記録を使用して、現在何が、どこまで明らかになっているかを述べた。そのさい、必要に応じて典拠となる古文書・古記録を示している。これに対して虚像編は、一般に流布している歴史常識が、どのような軍記物語によっていかに形成されたのか、その虚像のあり方を浮き彫りにしている。この両者があわさることによって、「実像も虚像も追究する」ことができるのである。それは、豊臣秀吉という人物はもちろん、彼の生きた社会もより深く理解することである。それだけでなく、秀吉死後の時代の姿をも、豊臣秀吉という人物とその伝説を通じて掘り下げることでもある。
「実像も虚像も追究する」歴史学と文学のコラボレーションには、このような大きな可能性と魅力がある。実像と虚像、歴史学と文学、どちらも面白いし重要なのである。本書がそれを十二分に発揮できていないことを危惧するが、その第一歩として、意のあるところを汲んで頂ければ幸いである。
上記内容は本書刊行時のものです。