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『太平記』をとらえる 第一巻
巻次:1
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2014年11月
- 書店発売日
- 2014年11月20日
- 登録日
- 2014年10月31日
- 最終更新日
- 2014年11月18日
紹介
『太平記』は、南北朝期の四十年に及ぶ戦乱をともかくも描ききった、文字どおり希有の書である。しかし、四十巻という膨大な分量をもつことや、これに取り組む研究者が少ないことなどから、依然として基本的な部分での研究課題を積み残している。
『太平記』研究になお残る課題を少しずつでも解明することをめざし、『『太平記』をとらえる』を全三巻で刊行する。本書はその第一巻。
第一巻は、第一章「『太平記』における知と表現」、第二章「歴史叙述のなかの観応擾乱」、第三章「神田本『太平記』再考」の三章を設け、六篇の論文と四篇のコラムを収録。執筆は、北村昌幸/森田貴之/長谷川端/山本晋平/ジェレミー・セーザ/小秋元段/兵藤裕己/長坂成行/和田琢磨/阿部亮太。巻末には六篇の論文の英語・中国語・韓国語の要旨も収載。
二〇一三年八月十八日(日)・十九日(月)に東京の法政大学で開催された「二〇一三年度『太平記』研究国際集会」での研究発表をもとにした論集です。
【例えば『太平記』研究では、表現の基底や挿入説話の典拠に依然不明な問題が多く残されている。また、同時代の争乱を描いた『太平記』は、眼前の情報をどのように収集し、記事化していったのか。これらの問題を明らかにすることは、『太平記』の成立論・作者論に新たな局面をもたらすことになるだろう。諸本研究にも課題は多く残されている。古態とされる伝本を再吟味することによって、私たちの『太平記』のイメージは少なからず修正を迫られるはずだ。加えて、これらとはやや次元を異にする問題であるが、国際化・情報化の進む研究環境のなかで、国内外の研究者がどうネットワークを構築し、課題を共有して解決に導くかについても、考えてゆかなければならない時期にさしかかっている。こうした様々な課題に少しずつ挑むことにより、つぎの時代の研究基盤を準備したいというのが、本シリーズのねらいである。】…はじめにより
目次
はじめに―新たな研究基盤の構築をめざして ▼小秋元段
1●『太平記』における知と表現
1 『太平記』の引歌表現とその出典 ▼北村昌幸
1 はじめに
2 引歌表現の概観
3 『古今集』および『新古今集』との関係
4 八代集抄出本利用の可能性
5 名所歌集利用の可能性
6 おわりに
『太平記』の引歌典拠一覧
2 『太平記』テクストの両義性―宣房・藤房の出処と四書受容をめぐって―▼森田貴之
はじめに~「忠臣不事二君」の論理
1 『太平記』における忠臣論~万里小路宣房の場合~
2 『太平記』の忠臣論~万里小路藤房の場合~
3 『孟子』の王道理想観と『太平記』
4 『太平記』の理想~伍子胥と藤房~
5 おわりに~『太平記』の終末部の論理
●コラム 「桜井別れの図」に思う ▼長谷川端
●コラム 新井白石と『太平記秘伝理尽鈔』に関する覚書▼山本晋平
1 新井白石と『理尽鈔』との接点
2 『読史余論』の建武行賞記事をめぐって
2●歴史叙述のなかの観応擾乱
1 下剋上への道―『太平記』に見る観応擾乱と足利権力の神話―▼ジェレミー・セーザ
はじめに
1 『太平記』という「エピステーメー破裂」の伝達装置
2 下剋上への道―「ヘテロトピア」としての『太平記』―
3 『太平記』に見る観応擾乱と「草創の不発」
おわりに
2 『太平記』巻二十七「雲景未来記事」の編入過程について▼小秋元段
1 はじめに
2 巻二十七の異同の概要
3 巻二十七の本文異同にかかわる主な先行研究
4 「雲景未来記事」の位置と評価
5 神田本・西源院本の古態性に対する疑問
6 諸本の検討
7 吉川家本の検討
8 むすび
●コラム 『太平記』の古態本について▼兵藤裕己
3●神田本『太平記』再考
1 神田本『太平記』に関する基礎的問題 ▼長坂成行
1 はじめに、研究史の紹介
2 伝来について
3 書誌的事項の補足
4 二重・三重・四重の符号について
5 巻十七について
6 巻三十二の双行表記をめぐって
7 結びにかえて
2 神田本『太平記』本文考序説―巻二を中心に―▼和田琢磨
はじめに
1 研究史概観
2 仁和寺本『太平記』の検討
3 神田本本文と他系統本文
4 まとめと課題
●コラム 天理本『梅松論』と古活字本『保元物語』―行誉の編集を考える―▼阿部亮太
□外国語要旨
英語▼ジェレミー・セーザ訳
中国語▼鄧 力訳
韓国語▼李章姫訳
前書きなど
はじめに―新たな研究基盤の構築をめざして
◉小秋元段
軍記・説話・お伽草子を中心とした近年の中世散文の研究は、寺院資料や絵画等を活用し、作品成立の背景と享受・流伝の様相を追究する方面に、大きな成果をあげている。作品研究を第一義とした時代には、これらは「周辺領域」と見なされていた。だが、数々の貴重な研究成果により、文学作品を成り立たせ、流布させる背景が徐々に明らかになってきた。
こうした進展がある一方で、作品論であれ、考証的研究であれ、「作品」そのものを対象とする研究が停滞するようであっては、文学研究は貧弱化するだろう。ここにとりあげる『太平記』は、南北朝期の四十年に及ぶ戦乱をともかくも描ききった、文字どおり希有の書である。しかし、四十巻という膨大な分量をもつことや、これに取り組む研究者が少ないことなどから、依然として基本的な部分での研究課題を積み残している。
こうした状況を省みて、私たちは『太平記』研究になお残る課題を少しずつでも解明することをめざし、『『太平記』をとらえる』を全三巻の予定で上梓することとした。例えば『太平記』研究では、表現の基底や挿入説話の典拠に依然不明な問題が多く残されている。また、同時代の争乱を描いた『太平記』は、眼前の情報をどのように収集し、記事化していったのか。これらの問題を明らかにすることは、『太平記』の成立論・作者論に新たな局面をもたらすことになるだろう。諸本研究にも課題は多く残されている。古態とされる伝本を再吟味することによって、私たちの『太平記』のイメージは少なからず修正を迫られるはずだ。加えて、これらとはやや次元を異にする問題であるが、国際化・情報化の進む研究環境のなかで、国内外の研究者がどうネットワークを構築し、課題を共有して解決に導くかについても、考えてゆかなければならない時期にさしかかっている。こうした様々な課題に少しずつ挑むことにより、つぎの時代の研究基盤を準備したいというのが、本シリーズのねらいである。
第一巻にあたる本書では、第一章「『太平記』における知と表現」、第二章「歴史叙述のなかの観応擾乱」、第三章「神田本『太平記』再考」の三章を設け、六篇の論文と四篇のコラムを収録した。
戦後の『太平記』研究では、その文学的評価の問題とかかわり、作者の思想・構想がまず熱く論じられた。それはやがて登場人物論へと展開し、多彩な論考を生みだしていった。これらの論により、『太平記』が全巻を通じて何を、どう描こうとしたのかの輪郭は見えてきた。だが、作品研究の面では特に表現研究において、目立った成果が現れなかった憾みがある。本書巻頭の北村昌幸氏「『太平記』の引歌表現とその出典」は、『太平記』が『定家八代抄』や『歌枕名寄』のごときアンソロジーを駆使して、和歌的表現を作りあげていったことを論じるものである。『太平記』と和歌との関係を扱った数少ない論考であり、作者の文学環境と表現の生成を究明する基盤的研究となっている。一方、漢籍を扱う森田貴之氏「『太平記』テクストの両義性―宣房・藤房の出処と四書受容をめぐって―」は、『太平記』における漢籍を典拠とする表現に、宋学の立場と重なる作者の思想が底流していることを説く。『太平記』の拠る儒書は古注本であることから、作者が宋学の影響をどこまで受けていたかは、従来必ずしも明確にはされてこなかった。その意味で森田氏の論は、この問題に正面から取り組んだものといえる。
戦後の『太平記』研究で著しく進展を見せたものに、諸本研究があげられる。長谷川端氏・鈴木登美惠氏の優れた基礎研究は、後進を裨益してきた。近年では、後出の伝本に関する専論も揃いつつある状況だが、置き去りにされた問題も少なくない。その一つが神田本である。神田本は一九七二年に、久曾神昇氏・長谷川端氏による解説を付して影印として刊行され(汲古書院・古典研究会叢書)、以来、その本文を安心して研究の俎上にのせることができる状況となった。だが、それにもかかわらず、神田本の研究は書誌のうえでも本文のうえでも、部分的なものに止まるものがほとんどで、本格的な考察がなされないまま今日にいたっている。したがって、本書が長坂成行氏・和田琢磨氏による二篇の神田本の論考を収載できたことは、大きな特色をなす。長坂氏「神田本『太平記』に関する基礎的問題」は書誌的な考察で、神田本の伝来を明らかにしたうえで、本文中の符号類の意味等について新見を提示する。和田氏「神田本『太平記』本文考序説―巻二を中心に―」は本文研究を中心とするもので、神田本の本文が後出本と一致する面をもつことを指摘するほか、切り継ぎ部分の本文の精査を行い、神田本を扱う際に顧慮しなければならない様々な点を指摘する。なお、小秋元「『太平記』巻二十七「雲景未来記事」の編入過程について」も神田本を中心に巻二十七の本文の考察を行ったものだが、つぎに述べるジュレミー・セーザ氏「下剋上への道―『太平記』に見る観応擾乱と足利権力の神話―」とともに観応擾乱期を描く本文を対象とすることから、第二章にこれを配した。
歓迎すべきことに、近年、海外においても、『太平記』研究を志す若手研究者が現れている。本書では米国ミドルテネシー州立大学のジェレミー・セーザ氏の寄稿を得た。セーザ氏の論はフーコーやジラールの理論を用いて『太平記』を読み解くもので、日本の研究者から見るといささか理論に偏重していると映る面があるかもしれない。しかし、欧米の先端的な研究者が『太平記』をどう読むのかについて、我々は無関心であってよいはずはない。ともに語りあうことを通じて、新たな課題を発見する可能性があるからだ。例えば、セーザ氏の論では、『太平記』は王権分裂や下剋上による急速な社会変動に対する絶望と不安感の「伝達装置」として、その文学的意義が注目されている。こうしたとらえ方には我々も学ぶべきものがあるとともに、「王権」や「鎮魂」といった概念をめぐっては、双方の議論をさらに尽くし、その内実を厳密にとらえることによって、新たに見えてくるものもあるのではないかと感じるのだ。
本書に収められた六篇の論考は、二〇一三年八月十八日(日)・十九日(月)に東京の法政大学で開催された「二〇一三年度『太平記』研究国際集会」での研究発表をもとにしている。二〇一三年度より三年間、私ども(小秋元〈研究代表者〉・長坂・北村・和田・森田)は科学研究費補助金に採択され、年一回の研究集会を開催することとしたのである。その際、海外の若手研究者を発表者やコメンテーターとして招き、国内外の研究者の交流を図ることを心がけた。いうまでもなく、セーザ氏はそのときの発表者である。
また、本書には長谷川端氏、兵藤裕己氏、山本晋平氏、阿部亮太氏に寄稿していただいたコラムを収載することができた。四氏にはこの研究集会に参加し、二日間にわたる熱心な議論に加わっていただいた。ご多忙のなか、本書のために執筆の労をおとりくださったことに、衷心より感謝申しあげたい。
加えて、本書の巻末には六篇の論文の英語・中国語・韓国語の要旨を収めている。これにより、海外の研究者が『太平記』研究に少しでも関心を抱いてくだされば、望外の幸せである。英語版はジェレミー・セーザ氏、中国語版は鄧力氏、韓国語版は李章姫氏のお手を煩わせた。鄧氏と李氏は現在、法政大学大学院博士後期課程に所属している。記して御礼申しあげる。
本書が世に送りだされ、多くの方々を『太平記』研究にいざなうことができれば、これほど嬉しいことはない。
関連リンク
上記内容は本書刊行時のものです。